2025年10月5日日曜日

愛の内に歩みなさい

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「愛の内に歩みなさい」

エフェソの信徒への手紙 5 章 1 ~ 5 節

関口 康

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)

先週は東京教区東支区の講壇交換日でした。当教会に亀戸教会の堀川樹牧師をお迎えしました。私は大島元村教会と波浮教会の合同礼拝で説教しました。私は昨年 6 月に伊豆大島に初めて行きましたが、日曜日ではありませんでした。教会の方々とお会いするのは、先週が初めてでした。



ジェット船で東京竹芝から大島岡田港へ(2025年 9 月27日)

加えて先週、と言っても昨日ですが、私にとっての「人生初」が 2 つありました。大島での説教を合わせると「 3 つ」。来月60歳の私にとって、 1 週間で「人生初 3 つ」は刺激的でした。

昨日の 1 つめの「人生初」は、カトリック教会の司祭(神父)の説教を初めて聞いたことです。カトリック松戸教会(千葉県松戸市)で毎月行われている「松戸朝祷会」に、私は松戸の改革派教会の牧師だった頃、出席していました。足立に来てから出席を再開しました。プロテスタントの牧師たちの奨励は聴きましたが、カトリックの司祭の奨励は聴いたことがありませんでした。しかし、ついに昨日、高瀬典之司祭の奨励を初めて聴きました。

カトリック松戸教会(千葉県松戸市松戸1126)

特に印象に残ったのは「10月 3 日」がアッシジのフランシスコ(フランチェスコ)(1182-1226)が亡くなった日で、昨日「10月 4 日」がカトリック教会の「聖フランシスコの日」だと教えていただいたことです。

そして高瀬司祭は、フランシスコの名前と伝統的に結び付けられて来た「平和の祈り」の中の「絶望のあるところに希望を」という祈りと、ローマの信徒への手紙 5 章 5 節「希望はわたしたちを欺くことがありません」を結び付けて希望に満ちたメッセージを語ってくださいました。

平和の祈り


司会者 平和の祈りを致しましょう!

司会者 主よ!わたしをあなたの平和の道具としてください。


一同 憎しみのあるところに、愛を

   争いのあるところに、許しを

   分裂のあるところに、一致を

   疑いのあるところに、信仰を

   誤りのあるところに、真理を

   絶望のあるところに、希望を

   悲しみのあるところに、喜びを

   闇には、光をもたらす者としてください。

 

司会者 主よ!慰められるよりも、慰めることを

 

一同 理解されるよりも、理解することを

   愛されるよりも、愛することを、わたしが求めますように。

   わたしたちは与えることによって、受け、

   許すことによって、赦され、

   自分を捨て死ぬことによって、

   永遠の命を頂くことができるからです。アーメン

(朝祷会賛美選集『希望Ⅱ』より転載)

昨日のもう 1 つの「人生初」は私の母校・岡山朝日高校の京浜地区同窓会主催の講演会に初めて出席したことです。私の高校の先輩の、東京大学名誉教授で地震予知総合研究振興会副主席主任研究員の榎原雅治先生の講演をうかがいました。テーマは「過去の災害を知る――諸学の連携で解明する歴史地震」でした。

講演「過去の災害を知る」榎原正治教授
(2025年10月 4 日、岡山朝日高校京浜同窓会)

特に印象に残ったのは、「何年何月何日にどこでどんな地震が起きる」というレベルの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去の地震の記録を歴史学的見地から調べる必要があるということ。

しかし、公式記録として残っているのは豊臣以後のものであり、それ以前の資料は、幕府が滅亡したため後代に受け継がれていないこと。かろうじて残っているのは、貴族の日記や詩歌、民間の何らかの記録、そして地層。まさか漢文や百人一首の勉強が地震予知につながるとは、考えたことがなかったので、とても驚きました。

百人一首と地震予知の関係は何か

その中で、「明応南海地震」(16世紀)の発生年代については「寺社造営件数」によって証明したということを、榎原教授が教えてくださいました。なぜ「寺社」なのかといえば、民間の記録は何も残っていないからとのこと。「寺社」すなわち「宗教」が歴史の記録係としての役割を果たせたようだと分かり、私はとても励まされました。

今日の聖書の箇所に「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者になりなさい」(1節)と記されています。パウロの他の手紙の中に「神に」ではなく「わたしに倣う者になりなさい」と記されている箇所が複数あります。それはコリントの信徒への手紙一 4 章16節、同11章 1 節、フィリピの信徒への手紙 3 章17節、テサロニケの信徒への手紙 1 章 6 節、同 2 章14節です。

「わたしに倣う者になりなさい」と言われると反発を感じる方がおられるのではないでしょうか。しかし、パウロには躊躇がありません。これは理解できない話ではありません。

たとえば、学校の教師が生徒の前で模範的でない言動を繰り返したら必ず批判されるでしょう。それと同じです。説教者が「私はキリストに従いませんが、皆さんは従ってください」と言うと「そんな話には説得力がありません」と必ず返ってくるでしょう。

先ほど挙げた第一コリント11章 1 節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」の論理構造が重要です。それが今日の「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)につながります。

「キリストに倣う」とは、今ここにいる私たちに十字架にかけられて死ぬことが求められているわけではありません。そうではなく、「キリストに倣う」とは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった「神の愛の自己犠牲的なあり方」に倣うこと、学ぶこと、真似ることです。

この点を私が強調するのは、私が主イエスの「山上の説教」や「たとえ話」について説教すると、決まって「イエスさまが出てこない」と言い出す人たちが現れるからです。鼻先 3 センチの距離にイエスさまがおられるのに。「イエスさまが出てこない」などとどうして言われなくてはならないのでしょうか。

その批判の意味は、「関口の説教には主イエスの十字架と復活による赦しの教えがない」ということでしょう。実際にそう言われました。

しかし、主イエスは「山上の説教」や「たとえ話」の中で、厳しい戒めや裁きをお語りになっています。それらはすべて、私たちに従うことを求めています。主イエスの十字架と復活が、主イエスの厳しい戒めを無効化するわけではありません。主イエスは、復活前も、復活後も、同じひとりの方です。

パウロが今日の箇所の 3 節以下に記しているのは、2 節の「愛によって歩みなさい」という教えの具体的な事例です。

「あなたがたの間では、聖なる者たちにふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい」( 3 ~ 4 節)。

私は説教の中で「性」に関する事柄を取り上げるのがとても苦手です。完全に逃げ腰であることをお許しください。言葉の辞書的な意味を述べることで勘弁してください。

「みだらなことやいろいろの汚れたこと」とは、売春・買春のことです。ユダヤ教の律法学者の解釈によれば、律法で必ずしも明確に禁じられていない売春・買春は、ユダヤ教では許容されていました。パウロはそのような解釈に真っ向から反対しています。

「貪欲なこと」とは、金銭を愛することです。パウロは貪欲(金銭への愛)をモーセの十戒の第十戒「隣人の家を欲してはならない」への違反だけでなく、第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」への違反(偶像礼拝)とも見なしています( 5 節)。

「卑わいな言葉」(モロロギア)は古代ギリシアの喜劇と関係あります。そういう話が好きな人々が笑って楽しむ言葉です。「愚かな話」(エウトラペリア)は「ほのめかし」や「におわせ」です。セクシャル・ハラスメントです。

当時のギリシア人にとっては「卑わいな言葉」(モロロギア)も「愚かな話」(エウトラペリア)も、楽しい仲間づくりのための手段でした。しかし、パウロにとっては、どちらも厳しく非難すべき対象でした。これは私の感覚と完全に合致します。

すぐにお分かりいただけることです。もし仮に私が説教の中で「卑わいな言葉」(モロロギア)や「愚かな話」(エウトラペリア)を用いて受けを狙うようなことをしたらどうなるかを考えてみていただくと分かります。とんでもない結果になることが目に見えています。

「礼拝感覚」が身についてくると、調子に乗って面白おかしく卑猥な話をするようなことはできなくなります。

このように考えると、今日の箇所の「愛」の意味は、ほとんど「デリカシー」のことであることが分かってきます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)という主イエスの呼びかけに応えて集まる先は教会です。教会に集まる人々は、みんな疲れています。重荷を負っています。休みたくて教会に来ています。

極端な考えの人が総理になることが決まり、政治の絶望感がいよいよ深まりました。地震災害の不安は尽きません。

不安定で不安な時代の中で、教会こそが、想像力を働かせて、相手の状況をおもんぱかり、互いに労わり合うことが求められています。

(2025年10月 5 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年9月30日火曜日

2025年10月の予定

10月 5 日(日)聖霊降臨節第18主日 世界聖餐日 世界宣教の日

 「愛の内に歩みなさい」関口康牧師

 エフェソの信徒への手紙 5 章 1 ~ 5 節

10月12日(日)聖霊降臨節第19主日 特別礼拝・講演会

 「世にある教会」北村慈郎牧師(当教会第 2 代牧師)

 講演会(礼拝後、短い休憩をはさんで続けます)

 「これからの教会と日本基督教団」北村慈郎牧師

10月19日(日)聖霊降臨節第20主日

 「未来をひらく」久保哲哉牧師(聖学院高等学校宗教主任)

 創世記 11章24節~12章 4 節

10月26日(日)降臨前第 9 主日 宗教改革記念礼拝

 「宗教改革の教会」関口康牧師

 ガラテヤの信徒への手紙 2 章11~14節

 祈祷会(礼拝後)

2025年9月28日日曜日

ここにも確かにおられる主 堀川樹牧師

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「ここにも確かにおられる主」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(足立梅田教会礼拝)

マタイによる福音書13章53~58節

堀川 樹 牧師(日本基督教団亀戸教会牧師)

「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(57節)

今日与えられた箇所には、故郷に帰られたイエスさまが村の人々から敬われなかったという出来事が記されています。この時、キリストがおっしゃった「預言者は故郷では敬われない」という言葉は、一つの格言、ことわざのように、教会以外でもしばしば用いられます。

しかしながら考えてみると、この箇所の内容は本来ならばあまり望ましくないものです。キリストは自分の故郷に帰って伝道したにもかかわらず、受け入れられず、人々の不信仰ゆえに「そこではあまり奇跡をなさらなかった」(58節)と言うからです。

イエスさまによる郷里伝道は言ってみれば失敗に終わったと言うのです。これまでマタイによる福音書はキリストの力ある働きと権威に満ちた教えを書き記してきました。そしてキリストによる宣教は大きく進んでいました。その流れにくさびを打ち込むかのようにこの箇所が記されているのです。それではこの故郷での出来事にはどういう意味があるのでしょうか。

キリストはここで何を私たちに語ろうとしているのでしょうか。私たちもこの箇所から神の御心を聞きとりたいと思うのです。

まずここに、会堂でキリストの教えを聞いた人々は「驚いた」(54節)と記されています。この「驚く」という言葉はあまり多く使われず、強い意味が込められています。単なる驚きではなく、衝撃的な驚きを意味する言葉です。実はこの言葉はマタイでは 7 章28節にも使われていました。山上の説教の結びの箇所、キリストが説教を語り終えた直後です。

「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようではなく、権威ある者としてお教えになったからである」。

この「非常に驚いた」が同じ言葉です。山上の説教を聞いた人々は、キリストの教えに非常に驚いた。キリストが律法学者のようではなく、それを遥かに越えた神の権威をもって語るお姿に衝撃を受けたのです。そしてその結果、大勢の群衆がキリストに従ったのです。

それでは同じようにキリストの教えを聞いて「非常に驚いた」ナザレの人々はどうだったでしょうか。彼らも衝撃を受け「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)との問いが芽生えています。この問いは「イエスの知恵と力の源は何か」「イエスとは何者か」を問う、信仰的な問いです。山上の説教の群衆たちがキリストに神の権威を感じたのと共通します。ですからナザレの人々もこの驚きの後、イエスを信じてもよさそうです。むしろそれが自然な流れです。しかし彼らは「イエスにつまずいた」(57節)のです。

ナザレの人々はイエスのことを知りすぎていたのです。彼らは大工ヨセフのせがれイエスのことを幼い頃からよく知っていました。小さな村ですので家族ぐるみで付き合いがあり、お互いの素性もよく知っていたのです。「姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(56節)と言われているのは、イエスの妹達がナザレの村の男たちに嫁いでいたということなのかもしれません。

そんな親しい間柄のイエスが、久しぶりに帰ってきたと思えば、神の権威に満ちて説教を語り出し、また奇跡を行っている。イエスさまのことを知りすぎていた彼らは、主イエスに対する「このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)という驚きが、信仰ではなく、つまずきになってしまったと言うのです。

身近なところから起こるねたみ、嫉妬、そこから生まれるつまずきが私たちにあるのではないでしょうか。ナザレの人々は小さい頃からよく知っているイエスの権威あふれる言葉を聞いて、よく知っているゆえにねたみ、つまずいたと言うのです。私たちの最も身近なところで起こりうる罪の姿であり、そしてこのねたみによってキリストが十字架にかけられることになったことを思わされるのです。

旧約聖書の創世記 4 章に出てくる、カインは自分の弟アベルをねたみによって殺しました。そしてこのマタイによる福音書27章では、キリストを十宇架にかけるためにユダヤ人たち引き渡したのは「ねたみ」(マタイ27章18節)によると記されています。

そしてそこからさらに一歩進んで、私たちは気付かされることがあります。それはこのキリストを受け入れなかった故郷ナザレの現実とは、キリストを拒絶したこの世の現実であり、私たち一人一人の現実であるということです。

お気づきの方もおられるかもしれません。このマタイの箇所にナザレという言葉は一言も出てきません。「故郷」と記されているだけです。便宜上付けられている新共同訳聖書の小見出しに「ナザレでは受け入れられない」とあることから私たちはこれを「ナザレ」での出来事と限定して考えてしまいがちですが、マタイは「ナザレ」とは記していません。ただ「故郷」と記すのです。すなわち故郷とはナザレだけに留まらない。私たち一人一人にとっての故郷であり、私たち一人一人にとっての家のことでもあるのです。

私たちも自分の故郷、自分の家というものを持っています。その私の故郷、自分の家にキリストがやってくる。そこも本来はキリストのものだからです。はたしてその時、私たちはその神を、私たちのただ中に来られるキリストを受け入れて生きることができるのか。このお方を神とあがめて生きることができるのか、問われているのです。むしろ私たちはナザレの人々のように、キリストを、その御言葉を自分の価値観、自分の常識を振りかざして受け入れず、キリストの対してつまずいてしまうのではないでしょうか。ご自分のところに来た、キリストを拒絶しているのではないでしょうか。

すなわちこの出来事はキリストの十字架を指し示す箇所です。「預言者はその故郷、家で敬われない」と言うのは、ご自分の民のところに来られたキリストが受け入れられず、拒絶され、十字架につけられて殺されるという受難のお姿を指し示しているのです。

キリストが私たちの故郷、私たちの家という最も身近なところまで来て、出会って下さっているにもかかわらず、キリストを受け入れず、つまずき、キリストを十字架にかけてしまった私たちの罪の現実を心に刻みたいのです。

しかしキリストはそのような私たちの罪の贖いのために自ら苦しみを受けられ、十字架の道を歩まれました。このキリストの深い愛を、神の救いのご計画を心に刻み、悔い改めと感謝の思いを持って歩みたいのです。

(2025年 9 月28日、東京教区東支区講壇交換、日本基督教団足立梅田教会、主日礼拝)

仲間を赦さない家来のたとえ 大島元村教会・波浮教会合同礼拝


竹芝客船ターミナル(東京都港区海岸1丁目)

東海汽船ジェット船「セブンアイランド大漁」

まもなく出航。シートベルト着用完了

レインボーブリッジとお台場

ジェット船は速い

大島岡田港到着

大島岡田港とジェット船

大島元村教会 遠景

大島元村教会 玄関

大島元村教会 講壇

礼拝後の愛餐会 おいしかったです!

帰りは大島元町港から(天候によって港が変わる)

帰りのジェット船も「セブンアイランド大漁」

説教「仲間を赦さない家来のたとえ」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(大島元村教会・波浮教会合同礼拝)

マタイによる福音書18章21~35節

関口 康

「あなたがたの一人一人が心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」(35節)

(説教公開準備中)


(2025年 9 月28日、日本基督教団大島元村教会・波浮教会合同礼拝、東支区講壇交換)

2025年9月21日日曜日

教会の一致

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「教会の一致」

コリントの信徒への手紙一 1 章10~17節

関口 康

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(10節)

先週の礼拝で「復活の体」の話をしました。今日は「教会の一致」についてお話しします。先週と今週とで共通点があると思っています。両方とも、教会にいる私たちこそが疑わしいと思っていることです。

私たちは「復活の体を見てみたい(見たことがない)」という疑問と同じぐらい、「一致している教会を見てみたい(見たことがない)」という疑問を持っています。

私が牧師(最初は「伝道師」)になったのは1990年です。今年で36年目です。これまでの経歴は教会ブログの「牧師紹介」で公開しています。転任が多かったです。「転々としてきた牧師」が悪い評価になりがちなことは、よく分かっています。しかし、同世代の牧師たちの中では、私の転任回数は平均的なほうです。世代が関係していると思います。日本の教会の歴史の中で大規模な世代交代が行われました。

これまで働かせていただいた教会を悪く言うつもりはありませんが、私の転任の理由はすべて「教会分裂を回避するため」でした。私が分裂の原因だったことがないとは言いませんが、赴任する前から分裂していた教会に赴任したケースが多かったです。

どの教会でも同じ現象が起こりました。例外はありません。今日の箇所に書かれているとおりのことが起こりました。今日の箇所を読むと私の古傷が痛みます。身を切る思いでお話しします。話し終わるまで立っています。急に倒れたりしませんのでご安心ください。

今日の箇所に記されているのは、コリントの教会が分裂しているという知らせを聞いたパウロが「教会を分裂させてはいけない」と強く訴えている言葉です。

コリントは、ギリシアのアテネから西に85キロほど、高速道路経由で 1 時間です。私は一度だけ現地に行ったことがあります。その教会が分裂しているという知らせを、パウロは「クロエの家の人たちから知らされました」(11節)と書いています。

この言葉の意味を考えたことがありませんでしたが、今回調べて分かったことをご紹介します。「クロエ」という名はギリシア神話に登場する女神デメテルの愛称です。このデメテルは金髪で美しい女神として描かれています。その「女神デメテル」の愛称と同じ「クロエ」という女性名を持つ方とその家族の人々がコリント教会にいました。

「クロエ」について、ポップ先生(François Jacobus Pop [1903–1967])(※注)というオランダ人の聖書学者が書いた註解書(De eerste brief van Paulus aan de Korintiërs, De Prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1965)に興味深いことが書かれていました。

「使徒が情報源を明示していることは注目に値する。彼は普段はそうしないからである。コリントの人々からも尊敬されている信頼できる人々から情報を得たと示唆しているのだろうか」。

「確かに」と思いました。教会の内部の問題を外部に持ち出して訴えた人の名前が公開されれば、たちまちその人が教会の中で非難の的になるでしょう。そうなることを承知のうえでパウロが「クロエ」の名前を書いたのだとしたら、この女性はコリント教会の中で強い影響力を持っていたに違いありません。

コリント教会の分裂状態を象徴的に描いているのが12節の言葉です。

「あなたがたはめいめい『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」(12節)

これが私も体験したことです。どの教会でも例外なく目撃した現象はこれでした。ポップ先生の註解書に、この 4 つのグループのスローガン「私はだれそれさんにつく」の名前の順序に意味があると書かれていました。

「パウロ」はコリントの最初の伝道者であり、コリント教会の創立者です(4章15節)。ただし、パウロは西暦50年頃から 1 年半しかコリントにいませんでした。

「アポロ」はパウロの次にコリントに赴任した 2 代目の伝道者です。アポロ牧師のときに教会員が増えました。雄弁で有能な、人気ある説教者でした。しかし、パウロとアポロは教えの内容に違いがありました。それが「パウロ派」と「アポロ派」の対立を生みました。

「ケファ」は使徒ペトロです。ペトロは当時の「教団」の中心に位置するエルサレム教会の説教者でした。コリント教会の中で「パウロ派」と「アポロ派」が争うのを憂いた人たちがペトロの権威に頼ろうとしました。

「ここまでは理解できる」とポップ先生が書いておられます。おっしゃるとおりです。私も同意します。これは理解できる話なのです。わたしたち人間には感情があります。相手が誰であれ、牧師であれ、好き嫌いや親しみの気持ちで近づいたり離れたりするのは当然のことです。個人的にお世話になったかどうかは大事な要素です。そのことを互いに認め合うことができさえすれば、「パウロ派」と「アポロ派」と「ペトロ派」は共存可能なのです。

ところが、「キリストにつく」と主張する第 4 のグループが現れたとき、教会分裂が修復不可能なレベルに達しました。なぜでしょうか。ポップ先生は次のように記しておられます。

「キリストにつくと主張する人々の行動は、他のグループよりも教会の安定と一致にとってさらに危険なものであった。なぜなら、パウロにつくと主張する人も、アポロやケファにつく人々も、キリストに属していることを認めることができたからである。しかし、キリストにつくと主張する者が現れると、他の人々に自分たちはキリストについていないと考えているという印象を与えずにはいられない。さらに悪いことに、彼らはキリストの名をパウロ、アポロ、ケファの名と同列に扱った。キリストを教会全体の頭とする代わりに、彼らはキリストをひとつのグループの頭とした」

これは感動的な解説です。全くおっしゃるとおりです。「キリストにつく派が最もタチが悪い」という解説に初めて接したという意味ではありません。私が東京神学大学で学んでいた1980年代後半に、山内眞先生(1940-2025)がそのようにチャペル説教で説明なさった記憶があります。忘れかけていた遠い記憶に確証が与えられました。

「キリストにつく派」が最もタチが悪いことは事実です。「(創立者を重んじる)パウロ派」も「(現在の牧師を重んじる)アポロ派」も「(教団の権威を重んじる)ペトロ派」も、キリストに従う意思を持っています。その意味では彼らも「キリスト派」であることに変わりありません。しかし、その 3 つのグループと対立する形で「キリスト派」が登場すると、教会の分裂が修復不可能になります。3 つのグループを、まるでキリストに従っていないかのように侮辱することを意味してしまうからです。

ここで大事なことは、「キリストにつく」という主張を、水戸黄門の印籠のように持ち出してはならないということです。「教会は人間のものではなく、キリストのものです」と。そんなやり方は、何の解決にもならないし、教会に最も深刻な亀裂を生じさせるのです。

パウロの結論は12章12節以下に記されていることです。ひとつの体の中に多くの部分があるのだから、目が手に、頭が足に「お前は要らない」と言えないだろうというあの話です。

「トムとジェリー」の主題歌を覚えておられますか。「トムとジェリー、仲良くケンカしな」。

教会が分裂して立ち行かなくなって、教会をやめてしまったり教会堂を失ったりすると、町の人たちからキリスト教そのものへの信用を失って、その地で二度と伝道ができなくなります。教会を分裂させてはいけません。

「仲良くケンカする」トムとジェリー方式がうまく行けば「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)になることができるでしょう。

(2025年 9 月21日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

※注

フランソワ・ヤコプス・ポップ氏(François Jacobus Pop [1903–1967])はオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK))の牧師。1945年から1965年まで「教会と世界研究所」(Het instituut Kerk en Wereld)の指導的立場にありました。

特に、オランダの2つの改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK)とGereformeerde Kerken in Nederlands (GKN))の分裂を終わらせるために1961年4月24日に結成された「18人の会」(Groep van Achttien)を主導する推進役として活躍しました。

彼らを中心とする運動が「共に道を歩むプロセス」(Samen op Weg-proces)へと発展し、2004年5月1日に教会合併が行われ、オランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland (PKN))が設立されました。

ポップ牧師について
https://www.trouw.nl/voorpagina/de-achttien-f-j-pop-1903-1967~bcb1a34e/

18人の会について
https://nl.wikipedia.org/wiki/Groep_van_Achttien_(PKN)