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2025年11月23日日曜日

あなたの宝 収穫感謝日礼拝

このイラストは人工知能Copilotに描いてもらいました
日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「あなたの宝」収穫感謝日礼拝

マルコによる福音書10章17~31節

関口 康

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(25節)

今日は収穫感謝日です。午前 9 時からの教会学校で収穫感謝会を行いました。コロナ明けから年 4 回を目標に再開した教会学校ですが、当日までどなたが出席してくださるか分からないので、全年齢向けの「収穫感謝クイズ」を考えました。楽しんでいただけたと思います。問題と答えをブログに書いておきますので、みなさんもぜひどうぞ。

今日の聖書の箇所は、収穫感謝日と直接的な関係はありません。しかし、話題の中心は「お金」の問題なので、間接的な関係はあります。「お金」の問題も「収穫」の問題も「生活」の問題であり、「人生」の問題です。

新約聖書の 4 つの福音書のうち、マタイ、マルコ、ルカが、このときの様子を描いています。非常に生き生きと詳細に描写されているため、目撃証言があったのかもしれません。登場人物は「金持ち」です。リッチパーソンです。

この人が主イエスのもとに走り寄ってひざまずき、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(17節)と質問しました。すると、主イエスは「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(18節)と、冷たさを感じる言葉で突き放されました。

この拒絶についていくつかの解釈があることが分かりました(*ヴィンセント・テイラーによると 6 つ)。私が最も説得力を感じたのは、「イエスはこの答えによって金持ちのへつらいを正そうとした」という解釈です。

「へつらい」とは、お世辞を言うこと、言葉や態度で相手に媚びることです。それらはすべて、人がお金持ちになるために必要な手段かもしれません。しかし、主イエスは逆質問することで自分の言葉を説明させ、言葉巧みに他人の地位や権力を利用しようとする自分の軽薄さに気づかせようとしておられます。「私にお世辞は通用しない」とおっしゃっているようでもあります。

ところで、この人は「永遠の命」を受け継ぐ方法を主イエスに尋ねています。永遠の命とは文字通り「永遠に生きること」なので「復活」を指します。それは死も苦しみも悲しみも克服された命なので「救い」とほとんど同じ意味です。

ユダヤ人の理解によれば、永遠の命は「受け継ぐ」ことができる賜物です。それで、この人は主イエスに、「永遠の命を受け継ぐために何をすればよいか」を尋ねています。しかし、この質問の表現がこの人自身の思考パターンを露呈しています。それは「永遠の命を受け継ぐために人は必ず何かをしなければならない」という考え方です。

しかも、この人は「金持ち」でした。お世辞を言いながら近づく相手に取り入る手段は「お金」でしょう。もしそれで正しいなら、この人が主イエスに尋ねているのは自分の救いに必要な金額です。「要するにいくらですか」です。多すぎもせず少なすぎもしない「相場」はいくらですかと尋ねたいのです。

この人はお金は持っています。それは生涯かけての血のにじむ努力の証拠でしょう。私のように一生懸命がんばって来た者を救わない神はありえないでしょう。私の救いはいくらですか。まさかタダではないでしょう。貧しい人でも手に入る安っぽいものではないでしょう。がんばった私とがんばらなかった人たちが同じということは、まさかないでしょう。私の救いはいくらですか。いくら払えばもらえますか。お金ならいくらでもあります。ずばり金額を教えてください。そのように言おうとしています。

主イエスは、これで二度目ですが、この人の言い分を拒絶なさいました。冷たい感じがするかもしれませんが、私たちに全く理解できないことではないはずです。

私たちもまた、教会生活を続けている中で、いろんな人に出会います。牧師の私にも「要するにいくらですか」と相場を尋ねる方が現れます。金に物を言わせるタイプの人が登場します。そうなると、教会のわたしたちはとても困ります。「そういう問題ではありません」とはっきり言わなくてはならない場面に実際に立ち会います。

主イエスがこの人にお求めになったのは、モーセの十戒の「第二の板」(第五戒から第十戒まで)の「隣人愛」の教えを守ることです(19節)。するとこの人が「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と返して来たので(20節)主イエスはこの人を見つめ、慈しんで「あなたに欠けているものがひとつある。行って、持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。(中略)それから、わたしに従いなさい」とおっしゃいました(21節)。

主イエスがこの人にお求めになったのは、「隣人愛」の教えを学び、それを実践することです。「隣人愛」とは、先週学んだボンヘッファーの言葉を繰り返せば「他者のために存在すること」です。

あなたは自分の宝を「他者」と分け合っていないからリッチなのです。自分のものを抱え込み、積み上げ、守り抜くけれども、他者のためには用いようとしない。「他者を愛すること」ができない人は、神の戒めを守ったことになりません。そのことを、主イエスは教えておられます。

私は今このことをお話ししながら、平気な顔をしていません。私にはお金がないので、自分のものを売り払ってだれかに施すとしたら、毎日の食生活が成り立ちません。切り詰めて生きているつもりですが、これでもまだ贅沢しているように見える要素があるかもしれません。

「あなたはそれでも『他者のための存在』であると言えるのか、自分のことしかしていないではないか。牧師だとか言って、世のためにも人のためにも何の役にも立っていないではないか」と責められていることも自覚しています。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この人は主イエスの言葉に傷つき、悲しみながら立ち去りました。主イエスのほうも、この人を追いかけません。

弟子たちの中に「せっかくリッチな人が来てくれたのに、先生が傷つけるようなことを言うからいなくなった。もったいない」と思った人がいたかもしれません。教会も財政難のときには同じことを考える可能性があります。

しかし、そこに譲れない線があるのです。金に物を言わせようとする人は、信仰の交わりを壊します。イエス・キリストの教会はそういう理屈で動きません。

それは「教会とは何か」という問題でもあります。教会は、あなたの宝をガードするための「砦」(とりで)なのか。それとも、いろんなタイプの方々を広く受け入れ、互いに助け合い、分かち合うための、開かれた「広場」なのか。その開かれた広場の中での出会いこそが、あなたの宝なのか。

主イエスがおっしゃっている「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(25節)という、ジョークとは言えませんがユーモアの要素を多く含んでいるたとえは、それが絶対に不可能であることを示すためのものです。それ以外の意味はありません。

ラクダが針の穴を通ることは絶対に不可能です。同じように、金持ちは金持ちのままでは救われません。「他者のための存在」になることが求められています。それは、あなたの宝を「他者」のために用い、分け合うことです。

救いはお金では買えません。裕福な人だけが手に入れることができ、貧しい人には手に入らないものではありません。

「人が救われるのは人間の努力や功績によってではなく、信仰によること」を主イエスは教えておられます。この教えを使徒パウロも受け継いでいます。

(2025年11月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月16日日曜日

人の罪を赦す

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「人の罪を赦す」

コロサイの信徒への手紙 3 章12~17節

関口 康

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」(13節)

私事(わたくしごと)から始めることをお許しください。今日は私の60歳の誕生日です。先週11月 9 日(日)11月定例役員会で、私の 3 年任期を無期にしていただくことが承認されました。風来坊として生きてきましたが、夢と希望とロマンにあふれる年齢ではありません。そろそろ腰を据えて働かせていただく所存です。

今日はコロサイの信徒への手紙を開きました。先週エフェソの信徒への手紙について申し上げたのと同じことを言わなくてはなりません。 1 章 1 節に「使徒パウロ」が書いた手紙であると記されていますが、パウロの名を借りただれかが書いたものであると考えられるようになりました。そのような議論があることを踏まえたうえで、今日も「パウロが」と言わせていただきます。

もうひとつ先週と同じことを言わなくてはなりません。今日の箇所に記されていることも一般論ではなく、教会内部の事柄です。教会生活の中で「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けること」を求めています。そして、イエス・キリストがあなたがたの罪を赦してくださったように、あなたがたも互いに罪を赦し合いなさい、と呼びかけています。

今日の説教題「人の罪を赦す」の意味は、イエス・キリストが私たちの罪を赦してくださることだけではありません。それだけではなく(not only)、私たち自身が、自分以外の人の罪を赦すことをも(but also)意味しています。

それは私たちにとっては難しい課題です。「見ざる言わざる聞かざる」と目も口も耳もふさいでイヤイヤながら「あなたの罪を赦したくないが、そうしろと言われるので仕方ない」と言いたくなる心境に陥りやすいのは理解できます。しかし、「互いに罪を赦し合う」という課題が免除されることはありません。だからこそ、私たちにとって教会は「訓練」の場所になるのです。

「互いに罪を赦し合う場」がこの世界の中に存在するのはありがたいことです。「追いつけ追いこせ引っこ抜け」(ソルティー・シュガー「走れコウタロー」1970年の歌詞)と競争し続ける社会の中で互いに足を引っ張り合う人生の結末はこの世の地獄です。「互いに罪を赦し合うという難しい課題に生涯かけて取り組んでいる教会の仲間に加わることを検討してみるのも悪くないかもしれません」というくらいの言い方をしておきます。

私たちに求められている「互いに罪を赦し合うこと」は、バラやイガグリやハリセンボンのように鋭いとげや針を突き出して「寄るな触るな近づくな」と周囲を威嚇し、だれも寄せ付けようとしない生き方の正反対です。私たちは、共に生きる人々と良好な関係を保つための「あり方」を身に着ける必要があります。

そのためにパウロ( 1 章 1 節)がすすめているのは、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着けること」( 9 ~10節)です。ここで「造り主」とは、イエス・キリストのことです。 1 章16節に「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」と記されています。

「イエス・キリストが天地万物の創造者である」という教えには、人に誤解や恐怖を与える要素があります。三位一体の教義なしには決して理解できません。しかしそれもひとつの真理です。今日の箇所の「造り主の姿に倣う新しい人」の意味は「イエスの模範に従う人」です。

先週11月10日(月)映画「ボンヘッファー」をヒューマントラストシネマ有楽町(千代田区)で鑑賞しました。普通の映画館で「ボンヘッファーが始まります」とアナウンスされ、コーラ片手に大きなスクリーンでボンヘッファーを見る日が来るのを予想していませんでした。

ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer [1906-1945])

映画「ボンヘッファー」をご覧になっていない方々のために、内容には触れないようにします。ディートリヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer [1906-1945])は、医師の家庭に生まれ、 テュービンゲン大学とベルリン大学の各神学部で学び、米国に留学し、牧師になり、神学教授になりました。しかし、ナチスに抵抗しクーデターを企てるグループに属していたことが発覚して逮捕され、処刑されました。ただし彼は直接的な暴力行為に関与していません。ボンヘッファー(を演じている俳優)がピストルを持っているように見える写真を中心に置き、副題にassassin(暗殺者)と書いているこの映画のポスターは、誤解を招きます。

映画「ボンヘッファー」パンフレット(左)
『ボンヘッファー説教全集 1 』(右)

1945年 4 月 9 日に39歳で処刑されるまで、ベルリン北部のテーゲル(Tegel)の独房から両親や友人宛に書いた手紙が「獄中書簡集」として出版されました(原著ドイツ語版1951年、日本語版1964年)。「獄中書簡集」を含むボンヘッファーの多くの著作が多くの言語に訳され、読まれてきました。日本語版も多くあり、足立梅田教会の初代・第 3 代牧師の藤村靖一先生も、第 2 代牧師の北村慈郎先生、その後の牧師がたもボンヘッファーの影響を強く受けられたと思います。

ボンヘッファーの(of)/についての(on)著作(関口康蔵書)

私が1984年 4 月に東京神学大学に入学して最初に熱心に読んだ本が、ボンヘッファーの『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、新教出版社、1975年)でした。神学生としての奉仕教会として出席した日本基督教団桜ヶ丘教会(杉並区下高井戸)や鳥居坂教会(港区六本木)の教会学校や青年会で『共に生きる生活』を読むことを提案したのは私です。

ボンヘッファーの「獄中書簡」に「ある書物の草案」と題する文章が収録されています(村上伸訳、増補新版、1988年、437~440頁)。それは、ボンヘッファーが当時の教会を痛烈に批判し、新しい教会のあり方を提案している文章です。

「第一章(中略)教会の事柄などのためには一生懸命になるが、人格的なキリスト教信仰はほとんどない。イエスは視野から消えている。社会学的には、広範な大衆への感化力はない。中産もしくは上流階級の事柄だ。難解な伝統的思想によって大変な重荷を負わせている。決定的なのは、自己防衛を事とする教会だということ。他者のための冒険は何一つしない」

「第二章(中略)神に対するわれわれの関係は、『他者のための存在』における、つまり、イエスの存在にあずかることにおける新しい生である」

「第三章(中略)教会は、他者のために存在する時にのみ教会である。新しく出発するためには、教会は全財産を窮乏している人々に贈与しなければならない。牧師は、ただ教会員の自由意志による献金によってのみ生活し、場合によってはこの世の職業につかなければならない。教会は、人間の社会生活のこの世的な課題に、支配しつつではなく、助けつつ、そして仕えつつあずからなければならない。教会は、あらゆる職業の人々に、キリストと共に生きる生活とは何であり、『他者のために存在する』ということが何を意味するかを、告げなければならない」

「第四章(中略)教会は、人間的な『模範』(それはイエスの人間性にその起源を持っているし、パウロにおいては非常に重要である!)の意義を過小評価してはならないだろう。概念によってではなく『模範』によって、教会の言葉は重みと力を得るのである」

私の受け取り方が間違っているようならお詫びします。足立梅田教会は「ボンヘッファー的な」教会です。大好きです。これからもよろしくお願いいたします。

(2025年11月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月9日日曜日

自分を見つける

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「自分を見つける」

エフェソの信徒への手紙 4 章25~32節

関口 康

日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(16節)

今日の朗読箇所は、エフェソの信徒への手紙 4 章25節から32節までです。

この書簡の著者が使徒パウロかどうかについては、議論があります。原本は残っておらず、あるのは写本だけです。筆跡鑑定などはできません。思想や文体で判断するほかありません。

学問的に誠実に語ろうとする説教者がたは「使徒パウロは」とは言わず「エフェソ書の著者は」と言います。「エフェソ書の著者は」は早口言葉のようで舌が回りません。今申し上げたことをすべて踏まえたうえで、 1 章 1 節の記述に基づいて「使徒パウロは」と言わせていただきます。

今日の箇所を理解するうえで見落としてはならない点は、これらはすべて「教会」の内部の話であるということです。一般論ではなく、教会員同士の関係の問題です。「わたしたちは互いに体の一部なのです」(25節)は「キリストは教会の頭であり、教会はキリストの体である」(ローマ12章 5 節、コリント一12章12~27節、エフェソ 1 章23節、コロサイ 1 章18節)という教えなしには、決して理解できません。

しかし、教会内部のあり方は、内部だけにとどまらず、外へと広がっていきます。教会の中で身に着けた「新しい生き方」は、見せつけたり押し付けたりしなくても、身近な人々から順に感化を及ぼしていきます。

「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい」(25節)

この教えはモーセの十戒の第九戒「隣人に関して偽証してはならない」(出エジプト記20章16節)の尊重を求めています。十戒の教えを尊重することは律法主義ではありません。信仰義認の教えと十戒の尊重は矛盾しません。

「真実」は「偽り」の対義語です。「真実を語る」の意味は「ありのままの事実を正直に語る」です。恥部を暴露し、ののしり、あざ笑い、追い詰め、切り捨てるためにそうするのではありません。それは教会のすることではありません。「多くの部分があっても一つの体」としての教会においては「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません」(コリント一12章20~22節)とパウロが書いているとおりです。

「受洗者は年にひとりでよいので、最後までひとりも脱落しないように祈っていく」(『足立梅田教会の歩み』1989年、14頁、50頁)と初代牧師・藤村靖一先生がお定めになった足立梅田教会の基本方針を受け継ぎ、互いの罪や弱さを赦し合う教会であることを貫いていけば持続可能な教会(Sustainable Development Church)になります。

今日最もお話ししたいのは26節です。

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(26節)

この言葉を最初に読んだとき激しい衝撃を受けました。東京神学大学に入学したばかりの頃で、1980年代の後半です。当時は口語訳聖書でした。口語訳では「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」でした。とんでもなく偉大なことが言われている気がして、それ以来、私の座右の銘になりました。

カール・バルト(Karl Barth [1886-1968])の「エフェソ4・21~32による説教」という題の説教(1943年10月31日、バーゼル大聖堂)が日本語で読めることが分かりました(『カール・バルト説教選集』第10巻、蓮見和男訳、日本基督教団出版局、1993年、136~149頁)。

カール・バルト説教選集(日本基督教団出版局)

実際に読んでみたら、とても長い説教でしたが、カール・バルトは25節の説明をしているだけで、26節以下には触れていませんでした。がっかりしました。

ドイツ語の新約聖書註解Das Neue Testament Deutsch (NTD)(ダス・ノイエ・テスタメント・ドイッチュ(エヌテーデー))のエフェソ書註解(日本語版1979年)のハンス・コンツェルマン(Hans Conzelmann [1915-1989])の解説は素晴らしかったです。

下段の黒ラベルが新約聖書註解で「NTD」(ドイツ語なので「エヌテーデー」)
上段の赤ラベルが旧約聖書註解で「ATD」(アーテーデー)

コンツェルマンによると、この箇所( 4 章16節)の背景に、詩編 4 編 5 節「おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り、そして沈黙に入れ」があります。ここまでは他の註解書にも記されていました。しかし、この後のコンツェルマンの解説に、私はとても驚きました。

「『怒っても罪を犯すな』という表現は注目に値する。ふつうの説明ではこうである。人は常に怒りを抑えることができるとは限らない。怒りは正に人間的現象であり、その限りで怒ることは許される。しかしそのために罪を犯し、怒りをぶちまけることがあってはならない、と。 

けれども、このような意味での容認は、31節と27節とに照らして正しくないことが明らかである。27節は、悪魔の接近は避けられないのだから、せめてそれに引き込まれないように、という意味のものでは決してない。むしろ端的に、悪魔とぶつかったら、断然それと戦え、と言っているのである。 

その意味で26節もまた、怒ることを無条件に禁止するのである(マタイ五22がそうである)。(中略)怒ることそれ自体が罪である」(同上頁)。

「次の文(26節後半)も明らかに容認ではなくて戒めである。すなわち、日が暮れるまでは怒ってもよいというのではなく、怒りの中にとどまることが禁止されるのである(ヤコ一19、20参照)。 

(中略)人はどのようにして怒りを根絶できるかと問うであろう。その場合、人はキリストにある存在を仰がなければならないのである」(同上頁)。

註解書を調べてよかったです。私が予想した可能性をすべて否定されました。ビジネス雑誌などでよく見かける「アンガーマネジメント」の話をすべきだろうかと心理学の本を読んでみましたが、そういう話ではないことが分かりました。

どうやらポイントは「教会を大切にする思い」です。

大規模な教会のことは私には分かりません。「家族的な」規模の教会では、交わりを破壊しないために、決して言ってはならない言葉や、決して顔や態度に出してはならない感情があります。

教会は失敗が許される場所です。しかし、問題は失敗の仕方です。

何十年も続いて来た教会だろうと、ただ一度「牧師が教会員を怒鳴りつけた」だけで壊れるのが教会です。

しかし、他人をわざと怒らせようとする困った人がいないとは限りません。平気でうそをつく、約束を守る気がない、他人との関係を常に上下でとらえ、すきあらば他人を見下げる、さげすむ、からかう、一方的な中傷誹謗、言いがかり、セクシャルハラスメント等。

その場合は、怒った人の側だけ責められるのもどうかと思います。どうしたらいいでしょうか。

今日の説教題は「自分を見つめる」といったん決めて「め」を「け」にして「見つける」にしました。「見つめる」と自省の念ばかり湧くのが私たちではないでしょうか。自分を責めて、反省して、自分の罪を自覚して「怒り」が収まるなら良いのですが、収まりません。

「自分を見つめる」のは、特に私たちにとっては、かえって逆効果かもしれません。「私は人間であり、人間は罪人なので、怒りを抑えられないのは当然である。そのように神が人間を創造なさったのである」というような理屈で自己正当化しはじめると、始末に負えません。

「怒り」を別の罪に置き換えても結論は同じです。窃盗、強盗、詐欺、不倫。「神が人間をそのように創造したのだから、人間が罪を犯すのは当然である」と言い出しかねません。それこそが「悪魔にすきを与えること」(27節)です。その道を私たちが選ぶことはできません。

「自分を見つける」にしたのは、暴力によらずに悪を退ける意志をイエス・キリストから与えられている自分を「見つける」ほうが大事だと思ったからです。

強烈なパンチを食らうと目の前が真っ暗になり、自分を見失います。ボクシング選手がゴングが鳴ってコーナーに戻って最初にすることは、バケツの水をかぶって頭を冷やすことです。少しは周りが見えるようになるでしょう。燃える頭を早く冷やして、冷静になり、イエス・キリストがいつも共にいてくださる自分を取り戻すことが大事です。

そして「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(26節)という今日の御言葉を思い出して、夕陽を見つめながら、大晦日の夜にするように、カウントダウンしようではありませんか。日没が怒りのタイムリミットです。

カッカしているときはインターネットでのやりとりもやめて「沈黙すること」(詩編 4 編 5 節)が大事です。

アルコールもおそらく逆効果です。冷たい水かお湯を飲むほうが「沈黙」に向いています。

(2025年11月9日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月2日日曜日

永遠の救い 永眠者記念礼拝

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「永遠の救い」永眠者記念礼拝

ガラテヤの信徒への手紙 4 章12~20節

関口 康

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(19節)

今日は永眠者記念礼拝です。足立梅田教会は今年 9 月13日に創立72周年を迎えました。当教会に関係する永眠者が現在55名です。埼玉県越生町の地産霊園内の教会墓地に納骨されている方々は17名です。ご遺族のうえにイエス・キリストによる慰めがありますようお祈りいたします。

今日の聖書箇所は先週と同じ使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙です。永眠者記念礼拝に適した箇所ではないかもしれません。

先週は 2 章11節から14節まででした。パウロがペトロを面と向かって叱りつけたときのやりとりが描かれていました。今日の箇所は、パウロがガラテヤの人たちに、調子は厳しいですが愛をこめて諭している言葉です。

パウロの性格に問題がないとは言えませんが、どちらの箇所にも、彼の中に決して譲れない線があることによって生じる激しい感情表現があらわれています。

今日の箇所の冒頭の「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください」(12節)の意味は、コリントの信徒への手紙一 9 章19節から23節まで(以下引用)と読み比べると理解可能になります。

「わたしはだれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(中略)すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」(コリント一 9 章19~23節)。

「それは日和見主義である」とお感じになる方がおられるかもしれません。あるいは、風見鶏、アメーバなど。行く先々で、相手と調子を合わせて、自分を変える。福音を宣べ伝えるという目的を果たすために何でもする。

パウロもパウロで「わたしはだれに対しても自由な者ですが」「わたし自身はそうではないのですが」という言葉を挿入しながら書いていますので、「私にとっては心にも無いことだが、これが私の仕事なので、仮面をかぶって演技して相手に合わせてあげている」と言いたい要素があったかもしれません。しかし、それはやや意地悪すぎる見方です。

これから申し上げるのは私個人の反省です。まだ若かった、牧師として駆け出しの頃は、この箇所のようなパウロの言葉に抵抗がありました。私は自分が誘惑に弱い人間であることを自覚していますので、つい身構えてしまい、「郷に入っては郷に従うべきだと分かっていても、朱に交われば赤くなり、ミイラ取りがミイラになりかねないので、深入りせずに距離を取るほうがよい」と考えてきたところがあります。

しかし、そのような感覚が次第に変わって来ました。私なりに苦労したからだと思います。自分が志したこと、計画して始めようとしたことはすべて破綻しました。私の実力が足りないせいだと言われれば返す言葉がありません。自分なりに目標を立てて積み上げようとしたことはひとつも実りませんでした。守るべきものがひとつも無くなりました。

50を過ぎた頃から、それまで出会ったことも話したことも無かった方々と出会い、志したことも願ったこともなかったことに取り組むようになりました。それが楽しくなりました。自分で積み上げようとしても積み上がらないなら、「もうどうなってもいいや」と思えますし、「どうにでもして」かもしれません。自分の意志ではなく神の御心だけがなる、ということを自分の体で体験しました。

足立梅田教会は「自由な」教会だと思います。悪い意味ではありません。各教会の永眠者記念礼拝は、永眠者個々人の思い出を振り返るときでもありますが、その教会の歴史そのものを振り返るときでもあります。

初代・第 3 代牧師の藤村靖一先生は当教会の72年の歩みの中で34年 6 か月と、約半分の歴史を担われました。その藤村先生が、青山学院高等部聖書科専任教諭と当教会の牧師の務めとを両立されました。

どちらの働きも重いです。「一方がメイン、他方はサブ」という差はつけられません。どちらかに心が偏り、他方にいるときは仮面をかぶって演技しているだけだと思っておられたら、すぐ見抜かれたでしょう。学校の藤村先生も全力。教会の藤村先生も全力。どちらにも縛られない、まさに「自由」を体得しないかぎり不可能な働きです。

第 2 代牧師の北村慈郎先生、また第 4 代以降の木村和基先生、三上章先生、福田実先生、高橋陽一先生もきっとそうです。私個人は北村先生以外のどなたとも面識がありませんので想像の域を超えませんが、おそらくどなたも、固定した道徳観念で皆さんを縛ろうとする説教はなさらなかったでしょう。今の足立梅田教会の「自由な」姿に接してそう思います。

自由な教会だからこそ、私も自由でいられます。私が失礼なことを言ったりしたりした場合は注意していただきたいですが、気遣いが要らない、「気の置けない」教会なので助かっています。

13節以下に記されているのは、ガラテヤの人々が以前パウロに示してくれた優しさに対する感謝です。

「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いでもあるかのように、受け入れてくれました」(13~14節)

パウロが何の病気にかかったかについては、彼の書簡では明言されていません。今日の箇所に「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでもわたしに与えようとしたのです」(15節)に基づいて、目の病気だっただろうと考えられます。それほどまでにあなたがたは私のことを愛し、大切にしてくれたのに、なぜ私の教えを受け入れて自由になろうとしてくれないのですかと、パウロは言いたいわけです。

19節に記されていることが、パウロにとっての宣教の究極目標です。

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(19節)

それは「キリストが人の心の中に形づくられる」ことです。「キリストが形をなすこと」(Christ Taking Form)です。

それは、聖書に基づく説教を通して、わたしたちがイエス・キリストを知ることです。最初はぼんやりと、次第にはっきりとイエス・キリストが個々人の心の中にお住まいになり、人生の明確な土台を得て生きられるようになることです。それが永遠の救いです。

しかしそれは、個人のレベルにとどまりません。人の集まりが教会です。社会や世界も人の集まりです。最初は「キリストが形をなす」(Christ Taking Form)のは個人の心の中です。しかし、個人が集まって教会となり、社会となり、世界となっていきます。そのようにして、世界の中でキリストが形をなす(Christ Taking Form in the World)ようになります。

キリストが増えたり減ったりするイメージは気になりますが、「聖霊とはほとんどキリストのことである」と考えれば納得できます。聖霊の本質は自由であり、強制ではありません。

(2025年11月 2 日 日本基督教団足立梅田教会 永眠者記念礼拝)

2025年10月26日日曜日

宗教改革の教会

マルティン・ルター(左)とジャン・カルヴァン(右)

説教「宗教改革の教会」

ガラテヤの信徒への手紙 2 章11~14節

関口 康

「ケファがアンティオキアに来た時、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」(11-12節)

日本基督教団の教会暦で、毎年10月31日が「宗教改革記念日」です。近い日曜日の今日の礼拝を「宗教改革記念礼拝」としました。

なぜ毎年「10月31日」が「宗教改革記念日」なのかについては、以前もご紹介した私の高校時代の世界史教科書『詳説世界史(再訂版)』(山川出版社、1981(S56)年)に頼ることにします。そのほうが、専門書から引用するよりも、皆さんが高校時代にお習いになったことを思い出していただけるでしょう。

文部省検定済教科書『詳説 世界史(再訂版)』(山川出版社、1979年版)

「16世紀はじめ、教皇のレオ10世(*現在の教皇はレオ14世)はルネサンス文芸を愛好し、サン=ピエトロ(*聖ペトロ)大聖堂の改築資金調達のため、免罪符(贖宥状)を発売した。このころローマ教会の腐敗ははなはだしく、免罪符の販売はたんなる教会の金集めの手段となり、ことに皇帝権力の弱いドイツでは教皇庁の搾取をおさえることができないため、その弊害がはなはだしかった。そこで1517年免罪符の販売人がドイツへやってきたとき、司祭であり、ヴィッテンベルク大学の教授でもあったマルティン=ルター(Martin Luther [1483-1546])は、魂の救済はただ福音の信仰のみによるとの確信から、免罪符販売を攻撃する九十五ヶ条の論題を発表した」(同上書、166~167頁)。

「九十五ヶ条の論題」が発表された日付そのものは教科書には書かれていませんが、それが「1517年」の「10月31日」でした。それで、その日が「宗教改革記念日」になりました。

その後、ルターの宗教改革が大きく行き詰まる時が訪れました。

1524年から1525年にかけて、ルターの影響を受けた宗教改革者トーマス・ミュンツァー(Thomas Müntzer [1489-1525])がドイツ南西部の農業従事者を率いて、圧政を強いる支配者層を相手に「農民戦争」(Bauernkrieg; Peasants' War)を起こしました。

「戦争」と言っても、農民たちの武器は農具(鋤(すき)、鍬(くわ)、鎌(かま)など)を作り変えただけの貧しいものでした。日本の江戸時代の「百姓一揆」のようなものだったと考えるべきです。支配者側の抵抗により、彼らは虐殺され、鎮圧されました。

その中でルターは、高校世界史の教科書どおり、「キリスト教徒の内面的自由を主張する反面、現世の権力は神により設けられたとみる立場から、農民の暴動をはげしく非難」しました(同上書、168頁)。

ルターにとっては、「信仰義認」の教えも、キリスト教そのものも「心の中の問題」を解決する道であって、直接的な意味で個人の生活のあり方や社会や政治を問うたり変えたりする行動原理ではなかったのです。

そのため、ドイツ南西部の農民からすれば権力者側にいるとしか見えないルターとルター派は、その地域の人々から支持されなくなり、多くの人がカトリック教会にとどまりました。ルター派は、ドイツ以北のヨーロッパ諸国に広まりました。

16世紀の宗教改革者でもうひとり忘れてはならない人物が、フランス人のジャン・カルヴァン(Jean Calvin [1509-1564])です。以下も高校世界史の教科書の引用です。一般向けに書かれたものとして、よくまとまっています。

「ドイツに少しおくれてスイスにも宗教改革がおこった。ツヴィングリ(Huldrych Zwingli [1484-1531])は改革説をとなえてその先駆をなしたが、フランス人カルヴィンがジュネーヴに移って、福音主義に基づく新教をとなえて多くの信者をえた。かれは教皇の権威を否定しただけでなく、司教制を廃して信徒の代表である長老の制度を設け、奢侈(しゃし)(*ぜいたく)や浪費をいましめて勤労をすすめ、カトリックの教えと異なって勤労の結果としての営利事業や蓄財を認めた。そこでこの教えは成長しつつあった市民階級の利益に合致し、スイスの支配的宗教になるとともに、産業市民層の発達した各地にひろまった。この教派はスコットランドではプレスビテリアン(Presbyterians 長老派)、イングランドではピューリタン(Puritans 清教徒)、フランスではユグノー(Huguenots)とよばれた」(同上書、168頁)

オランダでは「ヘーゼン」(Geusen)と呼ばれました(「ゴイセン」は誤記です)。その意味は「物乞い」です。彼らもまた、ドイツの農民と同じように、圧政を強いる支配者側に搾取される側の、弱く貧しい人々でした。

カルヴァンの教えは「心の中の問題」ではなく「生活の問題」であり、「道徳や倫理の問題」であり、「社会や政治の問題」に取り組むものでした。だからこそ、社会や政治や宗教の構造の中で搾取され、貧困と弱さの中に追いやられた人々にカルヴァンの教えが支持され、国境を越えて広がっていきました。

「プレスビテリアン」も「ユグノー」も「ピューリタン」も「ヘーゼン」も、呼び名が違うだけで、すべてカルヴァンの流れの人々です。

日本に来た最初期のアメリカ人のプロテスタント宣教師たちの教えが「ピューリタン的」と評されました。横浜に来たJ. C. ヘボン宣教師が長老教会(プレスビテリアン・チャーチ)の人で、S. R. ブラウン宣教師が改革派教会(リフォームド・チャーチ)の人でした。

足立梅田教会の創立は1953年です。開設時は「美竹教会梅田伝道所」でした。美竹教会の創立者である浅野順一牧師(青山学院大学神学部教授、旧約聖書学者)は、旧日本基督教会から日本基督教団に合流した方でした。

足立梅田教会の創立者である藤村靖一牧師(青山学院高等部聖書科専任教諭)の出身教会である東北学院教会(現「仙台広瀬河畔教会」)も、戦前は旧日本基督教会でした。

このように考えると、足立梅田教会は、比較するとルターの流れよりはカルヴァンの流れ(改革派、長老派)のほうに近いと言えます。

今日の聖書箇所に使徒パウロが描いているのは、パウロ自身が使徒ペトロを面罵する場面です。ペトロの行動が、信仰義認の教理を打ち消す方向に働いていることをパウロが見抜き、そんなことをされては困ると抗議しなくてはならなくなったからです。

ルターが「ガラテヤ大講解」(講義:1531年、出版:1535年) 2 章11節に記しています。

「パウロはペテロを激しく攻撃したわけではない。彼を十分敬って扱っている。だが、ペテロの権威のゆえに義認の条項の偉大さが危うくされているのを見たので、ペテロの権威などを意に介さずに、この義認の条項を安全に保ち、守ろうとしたのである。われわれもこのように行っている」(『ルター著作集』第 2 集第11巻、ガラテヤ大講解・上、徳善義和訳、聖文舎、1985年、161頁)。

ルターの言うとおりです。たとえ使徒ペトロの権威であろうと、もし真理を重んじないならば、そのような人を恐れる思いは、「宗教改革の教会」にはありません。

(2025年10月26日 日本基督教団足立梅田教会 宗教改革記念礼拝)