2024年7月28日日曜日

善いサマリア人

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「善いサマリア人」

ルカによる福音書10章25~37節

関口 康

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(26節)。

(※以下の内容は、午前9時からの「教会学校」と、10時半からの「聖日礼拝」とで重複しないように連続でお話ししたことを、ひとまとめにしたものです。)

今日の聖書箇所は「善いサマリア人のたとえ」です。内容に入る前に「サマリア人」についてお話しします。

サマリア人と他のユダヤ人のルーツは同じですが、サマリア人は他のユダヤ人からバッシングやハラスメントを受けていました。なぜ差別されたかといえば歴史と関係あります。要するに別の国だった時代がありました。その年代は紀元前926年(928年説あり)から722年(721年説あり)までです。

その後、サマリアが中心の北イスラエル王国が隣国アッシリアによって滅ぼされました。そのときの北王国の難民の生き残りが「サマリア人」です。紀元前597年(596年説あり)には南ユダ王国のほうも隣国バビロニアによって滅ぼされました。

私は今「差別は仕方ない」という意味で言っていません。差別が起こった原因を述べているに過ぎません。要するに歴史が関係あります。別の国だった時代がありました。その時代に、両国の思想や文化の違いが生まれました。両国とも別の国によって滅ぼされましたが、その後も仲良くできない関係であり続けました。

さて今日の箇所です。前半と後半に分かれます。前半はイエスとある律法学者との対話、後半はイエスご自身がお語りになった「善いサマリア人のたとえ」です。

律法学者が主イエスに「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と質問しました。主イエスの答えは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という教えと、「隣人を自分のように愛しなさい」(英語でLove your neighbor as yourself)という教えを実行すればよい、というものでした。

しかし、この答えに律法学者は満足しませんでした。カチンとくるものがありました。自分を正当化しなければならないという思いがわいてきました。彼は自分は完璧な人間でありたいと願っていたのだと思います。「神」を愛することについては任せてほしいと胸を張って言えたでしょう。しかし、「隣人」を愛することについては躊躇がありました。

もし「隣人」の意味が全世界の全人類を指しているということであれば、「それは不可能です」と答えざるをえません。なぜなら世界には、愛しうる人もいれば、愛しえない人もいるからです。それが世界の現実です。

「隣人を自分のように愛すること」を実行することについてはやぶさかではありません。忠実に実行します。ですから、その「隣人」の定義を教えてください。「隣人」の範囲を決めてください。出題範囲を教えてもらえないテストなど受けられませんと、この律法学者は主イエスに反発しているのです。

その問いへの主イエスの答えが「善いサマリア人のたとえ」でした。たとえ話の内容自体は難しくありません。ある日、エルサレムからエリコまでの直線距離20キロの下りの山道で強盗に襲われて半殺しされた人が道端に倒れていました。その人の前を「祭司」と「レビ人」が通りかかったのに、2人ともその人を助けないで立ち去りました。

「祭司」はユダヤ教の聖職者、「レビ人」は祭司を助ける人たちです。神と教会に仕える立場にある人たちです。その人たちが、目の前で死にそうになっている人をなぜ助けないのでしょうか。倒れている人はユダヤ人であると想定されていると思います。祭司やレビ人の「隣人」の範囲にいると思います。それなのになぜ。

3人目に通りかかった人が、サマリア人でした。他のユダヤ人たちから差別されていた人です。その人が、半殺しにされて倒れていた人を助けてあげました。「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と主イエスがお尋ねになりました。「その人を助けた人です」と彼は答えました。

全世界の全人類を助けることはひとりの力では無理です。しかし、自分の目の前で倒れているひとりの人を助けることは絶対に不可能ということはないはずです。

「何になりたいかではなくだれに必要とされているかが大切である」とコメディアンの萩本欽一さんが言ったそうです。その言葉と似ているとも言えますが、違うとも言えます。

「善きサマリア人のたとえ」の心は、そこに困っている人がいるなら、そこでつべこべ言わないでとにかく助けることが大事なのであって、「私はだれに必要とされているか」ということなどを特に意識しなくても、あなたのことを必要だと思ってくれる人が現われるかもしれませんよ、というくらいです。

 * * *

先週の礼拝後、1階で今日数年ぶりの再開となる教会学校の打ち合わせを兼ねて、かき氷の練習と試食会をしていたとき、その前日に私がアマゾンに注文した本を宅配業者が届けてくれました。それは三宅香帆さんという方の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年)という今年の4月に発売されたばかりの本です。

著者の情報を何も知らずに買いましたが、三宅さんは私の息子と同い年のようで、1994年高知県出身とのことです。京都大学大学院卒業後、会社勤めをしたそうですが、働いているうちに、それまで大好きだった本を読むことができなくなったそうです。そこで「本を読むために会社を辞める」という一大決心をなさり、文筆業に専念することになさった方です。

この本をまだお読みになっていない方のために、踏み込んだ説明はしないでおきます。それよりも、私がなぜこの本を買おうと思ったかをお話しします。それは、この本のタイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問は、私自身が長年抱いてきた謎そのものだったからです。同じことを考えてくれる人がいて良かったと思いました。

しかし、私は牧師です。本が読めなくなることがあるのか、それだと仕事が成り立たないのではないかと、心配されるかもしれません。

私の中で「聖書を読むこと」は「読書」に含まれません。それが私の仕事ですから。私にとって「聖書」は、会社員の方が業務上取り扱っておられる書類と同じです。「働いていると聖書が読めなくなる」ということは、私に限ってはありません。読めなくなるのは、それ以外の本です。

正直に言います。言った後に後悔するかもしれませんが。私は「小説」を読む能力が子どもの頃からありません。絶望的にその能力が欠落しています。お医者さんに診てもらえば何か病名をつけてもらえるかもしれないと思うほどです。

小学校から高校まで国語の授業で、いろんな文学や小説を読め読めと言われて、実際に読もうとするのですが、さっぱり分かりません。「村上春樹の小説を読んだことがない」と言ったら呆れられたことがあります。そのときの冷たい反応で私もだいぶ反省しまして、「小説を読む力がない」と公言しないようにしてきました。隠すほどのことではありませんが。

それを私は自分の恥だと思っていて、苦にしていますので、なんとか克服したいと願っているのですが、どうしようもなくて、いろいろ考えて最近始めたことは、ネットでテレビドラマや映画を大量に観ることです。動画ならよく理解できるので、動画を先に頭に入れておけば、小説の文字を追うだけで理解できるようになるかもしれないと考えました。聖書もそっちのけで映画やドラマばかり観ているようで申し訳ないのですが。

なぜ今この話をしているのかといえば、今日の聖書箇所と関係づけたがっているからです。

三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中で私が特に重要だと思いましたのは、「情報」と「知識」を区別しておられることです。「情報」は「知りたいこと」を意味する。しかし「知識」は「知りたいこと」に「ノイズ」が加わるというのです。

「ノイズ」は要するに「雑音」。なんらかの疑問を持ち、専門書や辞典やネットなどを調べることで答えを得るために集めるデータが「情報」です。しかし「知識」には「情報」以上のものが加わります。今まで考えたことも悩んだこともなかったようなこと、現時点の自分にとってまだ問題になっておらず、関心すら持っていない「余計なこと」が加わる。それが「ノイズ」であって、「情報」に「ノイズ」が加わって初めて「知識」になる、というのが三宅さんの説明の大意です。

興味深い説明だと思いましたが、同時にぞっとしました。断罪された気持ちでした。私が小説を読む力が無い理由が分かった気がしたからです。私が小説を読むことができないのは「情報」だけが欲しくて「ノイズ」を嫌っていたからかもしれないと。

聖書とキリスト教についての「情報」は受け容れることができるし、それが自分の仕事だと思っている。しかし、それ以外のすべては「ノイズ」なので、私を巻き込まないでほしいと距離を置く。そんな牧師はダメでしょう。人に寄り添うことができないではありませんか。

勘の良い方は、これから私が言おうとしていることにすでにお気づきだと思います。主イエスの「善いサマリア人のたとえ」に登場する祭司とレビ人が、傷ついた人の前を素通りしてしまうのはなぜなのか。その謎を解くためのヒントが見つかった気持ちでいます。

三宅香帆さんは「仕事をしていると本が読めなくなる」理由を「ノイズ」に求めておられます。エルサレムからエリコに下る道を通っていた祭司とレビ人が、死にそうになって倒れていた人の前を素通りしたのは、その人を「ノイズ」だと認識したからではないでしょうか。

3人の通行人のうちこの人を助けた唯一の存在が、サマリア人でした。この人は能力が高い人だと思います。傷口への対処法を知り、救助から看護依頼までスムーズで、2デナリ(1デナリは1日の労働賃金なので2デナリは今の2万円)の宿泊費を差し出し、不足分が発生すればそれも自分に請求してほしいとまで言う。心に余裕があり、常に広い視野を持ち、他人を助けることに躊躇がありません。こういう人はモテると思います。

「隣人愛の教えを実行するのは難しい」といえば、そのとおりです。しかし、不可能であると言って拒否するのではなく、可能なことから取り組んでいけばよいと思います。

互いに愛し合うことができるわたしたちひとりひとりになり、そのような教会を目指すことが求められています。

(2024年7月28日 日本基督教団足立梅田教会 教会学校・聖日礼拝 連続説教)

2024年7月21日日曜日

信念はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「信念はあるか」

ローマの信徒への手紙14章13~23節

関口 康

「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい」(13節)

今日の説教のタイトルは「信念はあるか」です。一般的な意味です。「信仰はあるか」と問うていません。私の意図にいちばん近いのは「ポリシー」です。

説明は不要でしょう。「有言実行」「首尾一貫」「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」(岡山県出身の彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏の言葉)などに言い表された人間の意志や感情です。

「いつ、どこで、だれが」をさらすのは控えますが、最近の事例です。「引っ越して何か月か経ちました。借家にひとりでいるとコトコト音がします」と始まる。私なら「それはネズミか地震ですね」とすぐ答えてしまいますが、「もしかして幽霊が」と悩みはじめる方々がおられます。

方角、日にち、場所、食べ物などの迷信もそうです。「迷信」と呼ぶ時点で価値判断が入っています。それを信じている人にとっては、迷信どころか真理そのものです。

「土用の丑(うし)の日にウナギを食べる」というのも迷信です。なぜ「丑の日」なのでしょうか。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。だから何なのでしょう。厄年、還暦、星座、血液型などもそうです。聖書の教えからすると、どれもこれも異教です。

目くじらを立てる意味で申し上げていません。私は自分が「へび年のさそり座生まれ」であることは知っています。テレビや雑誌の占いをじっと見てしまいます。学校でこの話をすると生徒に怪訝な顔をされます。真に受ける子がいて申し訳ないです。

今日の箇所は、14章の最初から始まっている話題の結論部分です。そのテーマは「信仰の弱い人を受け入れなさい」というものです。

「信仰の弱い人」を受け入れるのは「信仰の強い人」の側です。弱い人が強い人を受け入れることは不可能です。体重の問題に少し通じます。通常は、体重の重い人のほうが、軽い人を背負ったり抱えたりするはずです。その逆は難しいでしょう。筋肉の強さの問題は別です。

しかし、そこに「強い」か「弱い」かという力関係を表わす区別が持ち込まれると混乱が起こる危険があります。「弱い」と言われただけで、見下げられている気分になる人が出てきます。

パウロが言おうとしている「信仰の強い人」の意味は、神以外のすべての存在から自由であり、何ものにも束縛されない人のことです。「信仰の弱い人」はその逆です。いろんな束縛から自由でない人です。

その具体例がいくつか14章以下で取り上げられています。「何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べている」(2節)。動物を屠殺してその肉を食べるようなことはしないし、できない人がいます。

別の例も挙げられています。「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます」(5節)。

私の話をすることをお許しください。私は「すべての日は同じ」です。牧師34年目、盆・暮れ・正月と全く無縁の人生を送ってきたことと間違いなく関係あります。

「教会暦」に関してすら、私は「すべての日は同じ」です。レント(受難節)の断食なども、私自身はしたことがないし、だれかに勧めたこともありません。

しかし、ローマの信徒への手紙14章でパウロが問題にしているのは、わたしたちが自分はそうであると思っているからと言って、自分の立場を、特に教会の中で、自分の近くにいる人たちに強制してはいけない、ということです。

よく分かる話です。納得できます。しかし、この文脈に「強い」か「弱い」かというような混乱を招く価値観が割り込んで来て、しかも明らかにパウロ自身は「強い人」の側に立って語り続けるのでややこしくなるのですが、「信仰の弱い人」には他の人に自分の立場を押し付けがたる傾向がある、というのがパウロの言い分の前提です。

「すべてが同じ」である人にとっては、だれかに何かを押し付ける具体的なものがそもそも何もありません。「制限はない」と言っている人のほうが、「制限がある」と言っている人よりも「許容範囲が広い」とは言えるでしょう。

「強い人」か「弱い人」かという区分よりは「広い人」か「狭い人」かのほうが、争いが少なくなるでしょうか。ますます混乱するでしょうか。

「弱い人」が自分の立場を周りに押し付けたがるのは、孤立を恐れるからではないでしょうか。自分の考えに自信を持てないので、周りを巻き込んで多数派になろうとする。「強い人」は強い確信があるので孤立が怖くない。しかし、それはそれで人を傷つけるものがあるので、話は単純ではない。

結論は「もう互いに裁き合わないようにしよう」(13節)です。そして「つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないようにしよう」(同上節)です。

日本の教会で昔から問題にされてきたのが禁酒禁煙の問題です。賀川豊彦先生のような方が禁酒運動に熱心に取り組みました。私の父の受洗のきっかけは「賀川伝道」でした。だからかどうかは分かりませんが、私の両親も禁酒禁煙主義者でした。私の出身教会の牧師もそうでした。

私が東京神学大学に入学したとき「禁酒禁煙」の誓約書を書かされました。1984年4月です。今どうなっているかは知りません。教会で問題にされるときは健康問題だけではありません。神の前での生き方の問題にされます。

私は禁酒禁煙に関して自分がどうしているかについて、人前で言ったり書いたりしたことはありません。「人前で言ったり書いたりしたことがない」だけです。私の両親はすでに二人とも亡くなりましたが、親の前で一度も、私がどうしているかを話したことがありません。

そうしてきたことをずるいと思っていません。嫌がる人がいると知りながら、からかいや冷笑を伴う挑発的な態度をとるのを控えて来ただけです。私の話を先にしてから言うのは順序が逆ですが、パウロの意図はいま私が申し上げたことと同じです。

「信念はあるか」と問わせていただきました。肉や酒やたばこなどをすべて断つという誓いを一生貫きますかと問うていません。あるいは、早寝早起き、ジョギング、英会話の勉強などを毎日欠かさずすること、など。多くの人は守り切れないでしょう。

もし誓うなら、一生守れそうなことを誓おうではありませんか。それは「嫌がる人がいることを知りながら、故意に嫌がらせするようなことは決してしない」という誓いです。これなら守れるでしょう。成熟した人間(おとな)らしい態度だと言えます。

パウロはここまではっきり言っています、「キリストは、その兄弟のために死んでくださったのです」(15節)と。

「その兄弟」とは、宗教的な理由で動物の肉を食べず、野菜だけを食べる人です。キリストがその兄弟のために、ご自身の貴い命を差し出して死んでくださったのだから、せめてその兄弟の前で肉料理を食べるのを我慢することぐらいできるでしょうという意味です。冗談でも言っているかのような気分になりがちですが、これは真剣かつ深刻な話です。

食事、方角、日にち、場所などの問題は先祖代々受け継いできたものであったり、地域の歴史や風土に関係していたりします。それを重んじている人たちにとっては感性の問題です。生理的な、肌感覚の、きわめてデリケートな問題です。ずけずけ物を言い、ずかずか土足で踏み込んで良いようなことではありません。

だからこそ、「デリケートな問題に対してはデリカシーを持つべきである」というのが今日の箇所の教えの意味であると申し上げておきます。

これをわたしたちの「ポリシー」にする。それは不可能な話ではなく、可能な話です。互いの感性を重んじ合うことが、互いの存在を重んじ合うために大事です。

(2024年7月21日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年7月15日月曜日

9月8日(日)に「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行います

敬愛する各位

わたしたち足立梅田教会(創立1953年9月13日)は昨年(2023年)「創立70周年」を迎えました。70周年記念行事として今年4月に『70周年記念誌』(非売品)を発行しました。そして今年9月8日(日)に「70周年記念礼拝」を行います。

「70周年記念礼拝」の説教者に当教会第2代牧師の北村慈郎先生をお迎えいたします。ぜひ多くの方にご出席いただきたく、謹んでご案内申し上げます。

わたしたちは、北村先生へのご挨拶と打ち合わせを兼ねて、本日7月15日(月)市川三本松教会で行われた「フルートとオルガンによる北村慈郎牧師支援コンサート」に出席しました。

コンサートは約100名出席。演奏会第1部は三・一教会牧師の表見聖先生によるオルガン演奏。第2部は紅葉坂教会員の佐治牧子氏のフルート演奏、吉岡望氏のオルガン演奏。そして支援会代表の荻窪教会牧師の小海基先生による支援アピール。最後に北村先生ご自身が挨拶されました。

北村先生はとてもお元気でした。「みなさんによろしくお伝えください」と言づてをいただきました。9月8日(日)「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」のため、説教者の北村慈郎先生のためにお祈りいただけますと幸いです。

北村慈郎牧師支援コンサート(2024年7月15日 市川三本松教会)
北村慈郎先生(2023年7月15日 市川三本松教会)
『合同教会の「法」を問う』(新教出版社、2016年)

2024年7月14日日曜日

助け船はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「助け船はあるか」

使徒言行録27章27~44節

関口 康

「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(34節)

「14日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた」(27節)という、わたしたちにとって日常的とは言いにくい、たいへん衝撃的な描写から始まる箇所を、今日は朗読していただきました。

一体、何が起こったのでしょうか。

先週の箇所で使徒パウロはローマ総督フェリクスの前で弁明していました。弁明の主旨は、自分は何も悪いことをしていない、ということでした。

フェリクスの在任期間は紀元53年から55年まで(諸説あり)。主イエスの十字架刑の20年後。主イエスが総督ポンティオ・ピラトの前に引き出されたのと同じように、パウロも総督の前に引き出されました。

フェリクスは、自分がキリスト教を信じることはありませんでしたが、理解を示してくれました。フェリクスはユダヤ人の要求をかわして、パウロの死刑を延期しました。

フェリクスは善人だったと、著者ルカが言いたいのではありません。フェリクスについて「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(24章26節)と記されています。パウロがそんなお金を持っていたとは思えないのですが。

その2年後、パウロの拘留状態は変わりませんが、ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに交代しました(24章27節)。パウロを拘留する側の責任者が交代したことを意味します。

このフェストゥスの性格も前任者フェリクスと大差ありません。「ユダヤ人に気に入られようとして」(25章9節)行動するタイプの総督だったことを著者ルカが明らかにしています。

フェストゥスがパウロに「わたしの前で裁判を受けたいと思うか」と問いました。その答えは「私は皇帝に上訴します」(25章11節)というものでした。フェストゥスは驚きました。「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」(25章12節)と返さざるをえませんでした。

パウロは外地タルソスで生まれ育ったユダヤ人。ローマ帝国の市民権を持っていました。そのため、自分の死刑が問われる裁判において、イタリアにいるローマ皇帝への直訴の権利を持っていたのです。

それでフェストゥスは次の段階としてパウロをユダヤのアグリッパ王に会わせました。アグリッパ王としては、ローマ総督の側から要請を受けることは、両国の力関係を考えると悪い気はしなかったはずです。

パウロが面会を許可されたアグリッパ王の謁見室には、フェストゥス、ローマ軍の千人隊長、町のおもだった人たちが同席しました(25章23節)。

フェストゥスはパウロを最初はかばってくれました。ユダヤ人たちが「こんなやつ生かしちゃおけねえ」とめちゃくちゃに騒いで暴れるんですが、私にはどうしてもこの男が悪い人間に見えないんです。だけど、当の本人が「ローマ皇帝に上訴する」だと、とんでもないことを言い出すもんですから、イタリアまで船で護送することにしました、と言う(25章24~27節)。

そこまで聞いてアグリッパも直接パウロから話を聞きたくなったようで「お前は自分のことを話してよい」と許可し(26章1節)、パウロが怒涛の弁明を始めます(26章2~23節)。

すると、フェストゥスがいらいらしはじめます。特にキリスト教の「死者の復活」の教理についてパウロが話し始めたあたりから、聴くに堪えないと思えたようです。あからさまな暴言を吐いて、パウロの弁明を妨害しはじめます。

このやりとりが記されているのは26章24節から32節までです。私はこの箇所のやりとりが大好きです。ぜひ一流の俳優さんたちに演じていただきたいです。

私が考えた配役は次の方々です。使徒パウロは堺雅人さん、フェストゥス総督が香川照之さん、アグリッパ王は北大路欣也さん。TBS日曜劇場「半沢直樹」(2013年、2020年)のメインキャストのみなさんです。

フェストゥス(香川さん) 

「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」

パウロ(堺さん) 

「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきり申し上げます。(中略)アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」

アグリッパ(北大路さん) 

「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」

パウロ(堺さん) 

「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」

みんな唖然としたところで、三者のやりとり終了。アグリッパがフェストゥスに「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と耳打ちして終わる。

こうしてパウロはローマへ護送されることになりました。航路については、新共同訳聖書の聖書地図9 「パウロのローマへの旅」をご覧ください。その船が嵐に巻き込まれて難破し、「アドリア海」で漂流しました。それが今日の箇所の状況です。

「アドリア海」は、現在は「イタリア半島とバルカン半島の間の海域」を指しますが、当時は「シチリア島とクレタ島の間の海」を指します。聖書地図の航路は間違っていません。

船に乗っていたのは「276人」(27章37節)。パウロの拘留地エルサレムから出発。地中海へと出航したのはシドンの港から。クレタ島の「よい港」までたどり着けました。

しかし、季節は冬。パウロはこれ以前に2回も伝道旅行を経験してきた人で、旅の知識がありました。冬の船旅は危険なので、これ以上は進むべきでないと乗船者に忠告しますが、百人隊長は船長や船主のほうを信頼し、パウロの忠告を聞き入れませんでした。囚人の言うことに従う軍人がいるだろうかと考えると、無理もない気がします。

とにかく彼らはクレタ島で冬を過ごしましたが、南風が吹いてきたので、これはチャンスと錨(いかり)をあげて、イタリアに向かって出航しました。するとそのとき「エウラキオン」と呼ばれる真逆の北東からの暴風に襲われ、あっという間に難破船になってしまいました。

浮力を保つために、積み荷を捨て、船具まで捨てました。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」(27章20節)という描写は、鬼気迫るものがあります。

そのときパウロが立ち上がります。彼が始めたのは、全員を励ますことでした。

「私の言い分を聞いていればこんなことにはならなかった」とは言いました。しかし「ざまあみろ」と吐き捨てませんでした。絶望している人々に追い打ちをかけませんでした。「元気を出しなさい」(27章22節)と言いました。「勇気を出しなさい」とも訳せます。

もうひとつ、パウロがしたのは、食事をとることをみんなに訴えることでした。絶望して食事がのどを通らなくなった人々に「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(27章34節)と言いました。

発言は単純です。「元気出してね」と「ごはん食べてね」です。それがすごいと思いませんか。

状況は同じだし、むしろ不利な立場の囚人なのに、なぜかひとりだけ心が折れていないし、他の人を全力で励ます。

こういう人になりたい、どうすればなれるか知りたい、と思いませんか。

今日の聖書箇所がわたしたちに教えていることは、276人を乗せた絶望の難破船の「助け船」は、その中に乗っていたひとりの囚人、パウロその人だったということです。

「助け船」の意味は、「水上の遭難者、または遭難船を救助する船。転じて、困っているときに力を貸してくれるもの」。

あなたの「助け船」は誰ですか。あなたは、誰の「助け船」になりたいですか。

(2024年7月14日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

教会学校のお知らせ



■教会学校のお知らせ

今年の夏はとても暑いですね!

皆さんの健康が守られますように、心からお祈りしています。

7月28日(日)午前9時より、子ども向けの「教会学校」を行います!

聖書のお話、讃美歌、お祈り、おやつの時間があります。

ぜひ出席してください。歓迎します!

日本キリスト教団 足立梅田教会

〒123-0851 足立区梅田5-28-9
TEL 03-3887-4010
adachiumedachurch@gmail.com
www.adachiumeda.church

2024年7月11日木曜日

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日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

みなさまへ 大切なお知らせです。


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「モバイル版」のお知らせが遅くなりましたことを、心からお詫びいたします。

これまでご不便をおかけし、申し訳ありませんでした。

2024年7月11日

ブログ管理者 関口 康


2024年7月7日日曜日

希望はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「希望はあるか」

使徒言行録24章10~21節

関口 康

「『彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです』」(21節)

猛暑日が続いていますが、東京の梅雨はまだ明けていません。昨日は強い雨が降っていました。今日は都知事選挙と都議会議員補欠選挙です。暑いし、雨は降るし、忙しい。それでも日曜日ごとに教会に集まり、礼拝をささげるわたしたちを神が喜んでくださっています。

キリスト教主義学校は、来週あたりが期末テストで、再来週から夏休みです。今ごろは「期末テストの準備があるので教会に行けない」という生徒もいれば、「学期課題の教会出席レポートがまだ書けていないので駆け込みで教会に行く」という生徒もいます。

学校では毎日礼拝です。讃美歌、聖書、説教、祈りです。聖書の授業もあります。教会に通っているキリスト者よりも彼女/彼らのほうが聖書を開いている時間が長いかもしれないほどです。英語、数学、国語、理科、社会、体育、芸術、部活、文化祭・体育祭・修学旅行、中には塾通い、恋愛・失恋。汗と涙と泥まみれの青春の中で、聖書も学びます。教会にも来てほしいと思いますが、彼/彼女らは戦いの毎日です。温かく見守ってあげたいです。

牧師の働きは公私の区別が難しいです。先週火曜(7月2日)は西千葉教会(千葉市中央区)での「東京教区伝道部婦人全体集会」に私と教会員3名で出席しました。大島元村教会と波浮教会の菅野勝之牧師が講師で、「伊豆諸島伝道」がテーマの講演を聞きました。出席者109名。

翌日の水曜日(7月3日)は聖学院大学(埼玉県上尾市)で「聖学院と教会の懇談会」に出席。講師は吉祥寺教会の吉岡光人牧師。「コロナ後の伝道」がテーマの講演を聞きました。出席は教会側64名、学校側25名、合わせて89名。

偶然ですが、菅野先生と吉岡先生のおふたりとも1990年3月に東京神学大学大学院を卒業した私の同級生です。私も含めて3人とも伝道35年目。おふたりの講演は、基本的な方向性が同じでした。共通のテーマは「伝道」です。21世紀に生きるわたしたちにとって神はどなたであり、神がわたしたちに何をしてくださり、わたしたちは神から何を受け取り、味わい、感謝して喜んで生きることができるのかを、みんなが知りたいと願っています。

ここから先に申し上げることが、みなさんをがっかりさせるかもしれません。私の耳で聴いたかぎり、おふたりの講演のどちらにも「答え」はありませんでした。批判ではありません。「伝道」に「答え」はないことが分かりました。こうすればこうなる式の、ハウツーものの伝道メソッドはありません。最終的に「伝道」とは、人の手を離れた「神のみわざ」なのです。

菅野先生が「祈り」の大切さを訴えました。「道路と移動手段があれば自由にどこへでも行ける本土の教会と、島の教会の事情は構造的に違う。だからこそ離島の教会のために祈ってほしい」と言われました。その通りだと思いました。

吉岡先生が、緊急事態宣言をきっかけに吉祥寺教会で始めた「インターネット礼拝」について言われたことが私の印象に残りました。

いま吉岡先生は日本基督教団出版局の理事長でもあり、「文書伝道」が日本のキリスト教界にもたらした多大な貢献と共に、その限界もよくご存じです。「文書伝道」の代表的存在は三浦綾子さん。三浦さんのファンは大勢いる。しかし、その方々が教会に通うかどうかは別。同じことがインターネット伝道に起こっている。

しかし、吉岡先生が言いました。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」。その通りだと思いました。

菅野先生と吉岡先生の講演とは直接関係ありませんが、7月の礼拝説教のタイトルを工夫してみました。今日(7日)が「希望はあるか」、来週(14日)が「助け船はあるか」、再来週(21日)が「信念はあるか」。「あるかシリーズ」全3回。そして今月最終週(28日)が「善いサマリア人」です。その日に久しぶりの教会学校を行います。たくさんの子どもたちに来てもらいたいです。

人それぞれの感じ方があるでしょう。「あるか」と問われると「ない」と反射的に答える方々がおられるでしょう。その時点ですでに、機嫌を損ねておられるかもしれません。特に教会の看板に書いてあったりすると、ますます反発されるかもしれません。「希望はある」と断言するほうがよいでしょうか。「あるか」と、どうして疑問文なのでしょうか。挑発的でしょうか。そのあたりも含めて、皆さんに考えていただきたいと思いました。

今日の聖書の箇所に登場するのは使徒パウロとフェリクスです。フェリクスが何者かはさほど重要ではありません。在任期間に諸説あるようですが、紀元53年から55年まで、エルサレムに駐留していたローマ総督。イエスの十字架刑の判決を下したローマ総督はポンティオ・ピラト。約20年後、今度はパウロを死刑にしたい人たちが彼を逮捕し、イエスのときと同じように、初めに最高法院で尋問し、次にローマ総督官邸に引き出しました。

パウロがフェリクス相手に言っているのは、自分は何も悪いことをしていないという弁明です。パウロは第2回伝道旅行を終えて、自分自身の働きのために、また地中海沿岸に生まれた多くのキリスト教会のために、祈りと献金をもって支援してくれていた人々に報告し、また逆に諸教会からの献金を届け、感謝する礼拝をささげるために、エルサレムに来ていました。長旅の疲れをいやす意味もあったでしょう。そのエルサレムに来て12日しか経っていないのに、このわたしが大暴れして町じゅうを扇動して混乱に陥れたりするわけがないと言いたがっています。

そもそもパウロにとってキリスト教を宣べ伝えることは、町を混乱させるとか市民生活を破壊するとか、そんなことのためにしているのではなく、彼にとって譲れない「真理」を話しているだけなので、他にどうすることもできません。

パウロがこのときフェリクスの前で繰り返すことによって強調しているのは、キリスト教的な意味での「死人のよみがえり」についての信仰告白です。「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」(15節)。「彼ら(最高法院で自分を訴えた人たち)の中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです」(21節)。

「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていた」(22節)の「この道」はキリスト教です。フェリクスはキリスト教の信徒ではなかったが、理解者だった。フェリクスがその裁判を延期してくれてパウロが命拾いをしたという話です。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」という先ほどの吉岡先生の言葉を思い出しませんか。フェリクスは、キリスト教の人は危険な破壊工作のようなことはしないと分かっていたようです。ありがたい理解者です。

パウロがフェリクスの前で述べたのは「死者の復活の希望」でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活する」と言われているのが重要です。これは、我々人間がどんな策略を立て、陰謀を企て、黒を白と言うかわりに白を黒と言い、真実を知る者を抹殺し、最高裁の結審まで事実を隠し通したとしても、死者の墓を掘り起こしてでも、神ご自身が、もう一度でも何度でも、裁判をやり直してくださることによって、神が真理を明らかにしてくださるという信仰だと言えます。

この希望は、人を裏切りません。だれにも負けずに自信をもって真理を貫くことができます。

これほどの希望が、あなたにありますか。謹んでお尋ねいたします。

(2024年7月7日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)