2025年7月6日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑩信仰・希望・愛

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「信仰・希望・愛」

コリントの信徒への手紙一13章8~13節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑩(最終回)

関口 康

「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」(13節)

「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」(日本基督教団信仰告白)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」は今日で最終回です。

厳密に言えば、使徒信条は日本基督教団信仰告白に含まれます。間髪入れず「使徒信条に基づく教理説教」を始めることも考えました。しかし、いったん休止します。

そもそも教理説教というスタイルに馴染みがない方は、同じ調子の説教が続くとお疲れになるでしょう。マンネリ化は逆効果です。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」です。最後に厳しいことを言います。皆さんにではなく、教団に言いたいことです。

日本基督教団信仰告白は、『日本基督教団教憲教規および諸規則』という冊子の中に印刷されています。表紙をめくると、タイトル、目次。本文の最初に「信仰告白」、次に「教憲」全12条。そして「生活綱領」「日本基督教団成立の沿革」「教規」の順に印刷されています。

日本基督教団事務局編
『日本基督教団教憲教規および諸規則』

なぜ印刷の話をするのかといえば、「信仰告白」と「教憲」が外見上区別されていることを確認したいからです。それは信仰告白が教憲の中に含まれるかどうかについて議論の余地があることを意味しています。

(1)日本基督教団教憲の第1条に「本教団はイエス・キリストを首(かしら)と仰ぐ公同教会であって、本教団の定める信仰告白を奉じ、教憲および教規の定めるところにしたがって、主の体たる公同教会の権能を行使し、その存立の使命を達成することをもって本旨とする」と記されています。この線に沿うとしたら、信仰告白と教憲は別ものです。

(2)しかし、たとえば外国教会の規則を翻訳して用いることから出発した日本キリスト改革派教会は「教会の憲法(*「教憲」と同義)は信仰規準・教会規程の二部から成る。信仰規準は日本キリスト改革派教会信仰規準の前文を付したウェストミンスター信仰告白・大教理問答書・小教理問答書から成る」と規定しています。この立場に立てば、信仰告白は教憲です。

「憲法」と聞くと「日本国憲法」を思い浮かべる方が多いでしょう。憲法改正の議論の中で繰り返し聞くのは、「憲法は権力者の側を縛るものであり、権力を制限することによって国民の権利を保障するためにある」という主張です。私はもちろん、そのとおりだと思っています。

同じことが日本基督教団の教憲にも当てはまります。「信仰告白は教憲と同等の権威を有する」という理解をもし日本基督教団が否定しないとすれば、信仰告白が制限しているのは教団執行部の権限です。信仰告白に最も拘束されるべきは教団執行部です。

私がいま申し上げたことを踏まえていただいたうえで日本基督教団信仰告白の今日の箇所をご覧になると、「愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む」という一文の主語である「教会」の第一義は「日本基督教団」でなければならないことがお分かりになるでしょう。

ここから先が、今日の問題です。

「日本基督教団が愛のわざに励む」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。日本基督教団はどのような「愛のわざ」に励んでいるでしょうか。

私が知っている1960年代から90年代前半までの日本基督教団は、社会活動の面で今よりはるかに熱心で活発でした。しかしその後、日本基督教団は社会活動関連の委員会や組織をあからさまに解体したり縮小したりしはじめました。

それとも「愛のわざに励みつつ」だけは別扱いなのでしょうか。「愛のわざはあくまで個人的なものです」とか「それは各個教会の取り組みであって教団単位ですることではありません」とか言って、個人や各個教会に責任をなすりつけたいのでしょうか。

「愛のわざに励まない日本基督教団」だとしたら信仰告白違反です。

「教憲」の前文に「信仰告白」の文章を書き写したような内容が記されています。「この教会は(中略)代々主の恩寵と真理とを継承して、福音を宣べ伝え、聖礼典を守って、主の来たりたもうことを待ち望み、その聖旨をなし遂げることを志すものである」とあります。

「愛のわざに励みつつ」は、無意識か意識的かは分かりませんが、なぜか除外されています。

日本基督教団信仰告白の中に「愛のわざに励みつつ」という一文を加えたのがどなたなのかを私は知りませんが、とても素晴らしい仕事をなさったと絶賛したいです。

この一文を日本基督教団がどのように定義しているかを調べるために、1959年改訂版の日本基督教団信仰職制委員会編『日本基督教団信仰問答』を確認しました。

日本基督教団信仰職制委員会編
『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)

「愛」という字がかろうじて見つかる説明は、問39「教会とは何であるか」の答えの中の「教会は(中略)共に礼拝を守り、互に愛の交わりをなすべきものである」だけでした。

「(教会内の)愛の交わり」と「(教会の)愛のわざ」(公式英語版 works of love)は、明らかに別の概念です。『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)は日本基督教団信仰告白の「愛のわざに励みつつ」については説明していません。

教会が励むべき「愛のわざ」とは、教会の内から外へと向かう方向性を持つ、信仰のあるなしにかかわらず広く人類において共有されうる愛に基づく社会貢献のことです。

私は昨年3月の足立梅田教会への赴任以来、副業先を見つけることができていません。教会から世の中へと出ていく方向の「愛のわざ」について体験的に語る資格は今の私にはありません。

しかし、その働きがあるときにこそ不思議な出会いがあることを、2018年度の1年間アマゾンの倉庫で肉体労働をしたときにも、2019年度からの5年間学校で非常勤講師をしていたときにも、体験しました。

教会に来てくれそうな人を探して勧誘するために働いたわけではありません。そういうのはすぐに見抜かれるでしょう。職場での私の態度や働きを見て信頼してくださった方々が友達になり、結果的に教会にも来てくれました。いまだに連絡関係があります。

たとえば私たちは、夫婦や親子の中に信仰を持つ者と信仰を持たない者がいる場合、おこづかいの金額やごはんの盛りつけなどで差別するでしょうか。

あるいは私たちは、会社や学校や社会の中で教会に来てくれそうな人とだけ友達になり、そうでなさそうな人とは友達にならない、というようなことをするでしょうか。

そういうのをカルト宗教というのです。もし仮にそのようなことをした場合、それがどのような悪い結果を生み出すかを、私たちは知っているはずです。

今日の聖書箇所で使徒パウロが「信仰・希望・愛」の3つを並べて、この中の「最大」は「愛」であると書いています(13節)。

このときパウロは「信仰よりも希望よりも愛が大切である」と比較級で考えていなかったと言い切れるでしょうか。教会の中で「信仰よりも大事なものがある」と言い出すことには勇気が必要です。パウロはそのことを大胆に言っています。

「(教会が)愛のわざに励む」とは、教会自身が教会の外部の人々に対する活動へと献身することです。しかし、日本基督教団の「教憲」も「信仰問答」も、このことから腰が引けているようにしか見えません。日本基督教団の最初期から「愛のわざに励むこと」に消極的な人々がいたのかもしれないと思えてきます。

日本基督教団の最近の執行部に近い人たちの文章を読むと、「ヒューマニズム」を敵視する言葉がやたら目立ちます。ヒューマニズムは「人間中心主義」なので「神中心主義」であるべき我々としては受け容れることができない、というような単純な三段論法でヒューマニズムを否定するようなことを言ったり書いたりします。この場合のヒューマニズムは博愛主義の意味です。

はたして、ヒューマニズムはキリスト教の敵でしょうか。私はそうは思いません。丸腰の一個人としてのキリスト者が日常生活を営むために、すべての人と良好な関係を築くことができる有効な土台はヒューマニズムです。

(2025年7月6日、日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年7月2日水曜日

7月予定

 7月13日(日)聖霊降臨節第6主日

 マタイによる福音書 6章25~34節

 説教「空の鳥を見なさい」

7月20日(月)聖霊降臨節第7主日

 マタイによる福音書 7章1~14節

 説教「狭い門から入りなさい」

7月27日(日)聖霊降臨節第8主日

 マタイによる福音書 7章15~29節

 説教「人生の土台」

2025年6月29日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑨洗礼と聖餐

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「洗礼と聖餐」

コリントの信徒への手紙一11章23~34節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑨

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(26節)

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典(せいれいてん)を執り行ひ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教を計画したのは私です。誰からも強いられていません。カトリックでは7つ(seven)、プロテスタントでは2つ(two)の「サクラメント」(Sacraments)についてお話しする流れになることはもちろん分かっていました。しかし、いざ向き合うと最も話しにくいテーマであることを痛感いたします。今からでも逃げ出したいです。

逃げたい理由は2つあります。1つは、キリスト教会の歴史の中で「洗礼と聖餐」の理解が非常に多く分かれてきましたが、相互理解や議論のないまま30余派の旧教派が合同して1941年に創立した日本基督教団の中で「これが答えです」と言えるものが存在しないからです。スズメバチの巣に手を差し入れるチャレンジャーになる勇気は私にはありません。

2つ目の理由は、私です。「何人の人に洗礼を授けたか」は牧師の手柄ではありません。しかし、牧師の能力や魅力と無関係であると考えてくださるのは、よほどお優しい方でしょう。人気投票の面がないとは言えません。隠退直前の牧師から〝記念洗礼〟を受ける方がおられるほどです。

私は1990年4月に日本基督教団補教師になり、1992年12月に正教師になりました。補教師と正教師の最も大きな違いは聖礼典を執行できるかどうかです。私は正教師按手から数えると33年目。私が洗礼式をしたのは、幼児洗礼を含めて11名です。私の子どもも含まれます。今日のテーマについて話しづらいと感じるのは、堂々たる成果を披露するというような話にならないからです。

私が洗礼を授けさせていただいた中に、差しさわりのない範囲内でご紹介したい方々がいます。ちょうど20年前の2005年に集中して、多くの方々が受洗を志願なさいました。全員が同い年、しかも私の父と同い年でした。「ナチス台頭の年」生まれ。当時72歳。団塊世代のひと回り上。終戦が小学6年。小学校ではひとりが悪さすると連帯責任論でクラス全員が教師に殴られ、中学入学と同時に民主主義になった世代です。

いま考えると、時代の流れと関係があったようです。全員が「元公務員」という共通点を持っていました。元官僚、元都庁職員、元都立学校長。その中の複数の方からお聞きした言葉は「私は若い頃から洗礼を受けたいと願っていたが、職場で中立を求められた」ということでした。

私の両親も公務員でしたので、その方々のおっしゃることは理解できました。私の父にその能力が無かったと言われれば返す言葉はありませんが、一度も管理職に就きませんでした。ゼネストに反対して父だけ学校に行ったことで教員組合とうまく行かなくなったと、退職後だいぶ経って父から聞きました。日曜日に教会に行く人間は、部活の顧問などもできなかったでしょう。

それでも両親は私と兄を連れて教会に通いましたが、2人とも家ではずっと不機嫌でした。何が悲しくて教会に通っているのだろうと私は子ども心に思っていました。当時は校内暴力全盛期。裏返せば、管理教育全盛期。それが1970年代から80年代までのわが国の事実です。

それから20年後。2005年の日本に何があったでしょうか。ネットで調べてみました。郵政民営化開始、京都議定書発効、クールビズ開始、国内人口の自然減開始。流行語大賞「小泉劇場」。時代が大きく変わりました。

あとふたり紹介させてください。ひとりは2005年でなく何年か後に受洗なさいましたが、やはり同じ世代の方でした。ペンネームを持っておられたスポーツ新聞の元記者でした。「金田(正一)くんや王(貞治)くんとは仲がいいが、長嶋(茂雄)くんはボクよりも若い」と教えてくださいました。お連れ合いの入院を機に、教会に通いはじめられました。教会に通いはじめてちょうど1年後、「私に洗礼を授けてください」と申し出られました。

もうおひとりも、やはり同じ世代の男性でした。「洗礼は大学のころ受けました。その直後から教会に通うのをやめました。教会を50年サボりました。こんな私でいいですか」とおっしゃいました。復帰式を行ってお受け入れしました。ホームに入られるまで、毎週礼拝に通われました。

この方々が今どうしておられるかは分かりません。この方々と出会えたおかげで、私の辞書に「絶望」の2文字がありません。教会には明るい未来しかありません。

職場なのか、どこなのか、何なのかは分かりません。なんらかの力によって拘束されて、洗礼を受けたくても受けられないでいる方々がおられます。個人の決心や意志の強さでどうなるものでもありません。その方々を神が必ず解放してくださいます。その日を信じて待つ思いです。

しかし、「洗礼と聖餐」というテーマを掲げた以上、全く触れずに終わるわけには行きません。

一昨日(6月27日)、東支区壮年委員会の方々が足立梅田教会をご訪問くださり、私が礼拝説教を担当しました。その内容を教会ブログで公開しました。そのとき話したことを繰り返します。

「聖餐式」の原型は「最後の晩餐」であり、それはユダヤ教の「過越祭」として行われたものでした。主イエスがイスカリオテのユダに「浸したパン(または食べ物)を渡した」と聖書に記されています(マタイ26章23節、マルコ14章20節、ヨハネ13章26節)。主イエスが〝何〟にパンを浸したのかを調べたら、2つの可能性があると分かりました。

ひとつは「共に食事をする」という意味しかない「一緒に手を鉢に浸す」という慣用句があったという可能性です。もうひとつは「ハローセト」(Charoset)だったという可能性です。

ハローセトとは、果物やナッツなどを砕いてワインやはちみつを加えたこげ茶色の食べ物です。ユダヤ人は今でも過越祭のたびにハローセトを作ります。その色や質感は、ユダヤ人がエジプトでの奴隷状態の強制労働の中で使ったモルタルやレンガや泥を思い出すものです。

もし後者で正しいなら、「最後の晩餐」を受け継ぐ「聖餐式」は、奴隷状態からの解放の喜びの祝いであることがより明確化されるでしょう。主イエスがユダに「浸したパン」を渡した意味は、主イエスへの裏切りは奴隷状態への逆戻りを意味するが、あなたはそれで本当によいのかという問いかけです。

この私をあらゆる束縛の中から解放してくださった神に感謝し、神を永遠に喜ぶ具体的な場が「聖餐式」ならば、それにあずかる前に、神の恵みのもとに生きる決心と約束を、神と教会との前で言い表わすのはふさわしいことです。

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典」は、プロテスタント教会の伝統的な用語を用いていえば、私たちの決心と約束の「しるし」(signs)と「印章」(seals)です(『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)英語版(Christian Reformed Church (CRC) 訳)第66問など)。

(2025年6月29日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月27日金曜日

ユダにパンを渡す

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「ユダにパンを渡す」

ヨハネによる福音書13章21~3

日本基督教団東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝

関口 康

「イエスは、『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた」(26節)

今夜の御言葉は、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。主イエスが十字架につけられる前の夜、最後の晩餐でイスカリオテのユダにパンをお渡しになった場面です。

主イエスはパンを浸して取り、ユダにお与えになりました(26節)。パンを「何」に浸したのでしょうか。

マタイ26章23節とマルコ14章20節によると、主イエスはパンを「鉢」(τρυβλίον トルブリオン。英語bowl)に浸しました。しかし、知りたいのは鉢の中身です。可能性が2つあることが分かりました。

(1)第一の可能性

第一は、「一緒に鉢に手を浸す」(Ὁ ἐμβάψας μετ’ ἐμοῦ τὴν χεῖρα ἐν τῷ τρυβλίῳ)という表現は「食事を共にすること」以上の意味を持たない当時の慣用句だったという可能性です(ウォルター・バウアー『新約聖書辞典』の立場)。

高知の「皿鉢(さわち)料理」を思い出します。または「同じ釜の飯を食う」「鍋をつつく」など。食事会をコロナでやめたという人や会社が多いかもしれません。教会も同じです。みんなで分かち合う、協力するという大事な意味があったはず。鍋奉行がいたり。裏切りとはそのような関係性を破壊することを意味する、というメッセージになるでしょう。

(2)第二の可能性

第二は、主イエスはパンを「(☆   )」に浸したという可能性です(H. L. シュトラック、P. ビラベック共著『タルムードとミドラッシュに基づく新約聖書註解』全4巻(1922~1928年)の立場)。

①青野太潮『初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年、63~64頁参照)によると、主イエスがお生まれになったのがヘロデ大王の没年の紀元前(BCE)4年と同じか紀元前5年。十字架刑はほぼ間違いなく紀元(CE)30年4月7日。これで正しければ、「最後の晩餐」の日付は「西暦30年4月6日」。

②全福音書が教えているのは「最後の晩餐」はユダヤ教の「過越祭」だったということです。ただし、ひとつの解説(J.T.Nielsen, Het Evangelie naar Mattheüs, III, PNT, 1974)によれば、その場合の「過越祭」は広い意味です。 
 
③マタイ26章17節とマルコ14章12節に「除酵祭の第一日」に主イエスが弟子たちに過越祭の場所探しを命じるなど準備を始めたことが記されています。しかし厳密に言えば、その日から始まる1週のうち、「過越祭」は(太陰暦の)ニサン(現行の西暦(グレゴリオ暦)の3月から4月)の14日から15日の夜に祝われ、その直後のニサン15日から21日までが「除酵祭」です。「除酵祭の第一日」には祭りの準備は完了していなければなりませんでしたが、未完了だったということは「初日」ではなく「前日」の意味だろうと考えられます。

④西暦1世紀のユダヤ教が狭義の「過越祭」と「除酵祭」を合わせて「過越祭」と呼んだので、マタイもマルコも両者を区別しません。過越祭は、エジプトでの奴隷状態からの解放の祝いであり、七週祭(ペンテコステ)と仮庵祭と共に、ユダヤ教3大巡礼祭の一つでした。

⑤過越の食事は日没後に始まり、夜遅くまで続きました。それは必ずエルサレムの城壁内で行われなければなりませんでした。当時、エルサレムはイスラエル全部族の共有財産だったため、巡礼者たちは過越を祝うために、誰の家でも訪れる権利がありました。彼らは無料で宿泊場所を与えられ、もし空きがあれば過越を祝うための部屋を自由に利用できました。

⑥過越の食事は夕方に行われます。元々は立って食べましたが(出エジプト記12章11節)、横になって食べます。

⑦「最後の晩餐」が「聖餐式」の原型です。私たちの関心になりうるのは、聖餐式でどんなパンを食べるのかです。普通のパンなのか、無酵母パンなのか。「最後の晩餐」で用いられたのは無酵母のパンでした。主イエスはこのときの過越祭の食事で当時のパレスチナのユダヤ人と同じ行動をとっています。しかしマタイは普通のパンを意味する「アルトス」という語を用いています。無酵母パン(マッツァー)は「アズモス」という別の言葉があります。

⑧過越の食事はコースメニューになっています。ユダヤ法(ハラハー)によれば、メインディッシュは「パン、サラダ、(☆   )、子羊」です。マタイ26章23節は主イエスがパンを「浸した」(ἐμβάψας エムバパス)と過去形で記し、マルコ14章12節は「浸している」(ἐμβαπτόμενος エムバプトメノス)と現在進行形で記しています。食事中は、各人は自分の鉢を目の前に置かなければなりませんでしたが、最初のコースを食べている間、鉢が共用状態であったときのことが描かれていると考えられます。

⑨(☆   )は細かく刻んだ果物とナッツを混ぜ合わせた甘くて濃い色の食べ物です。レシピはたくさんあります。色と質感はイスラエル人がエジプトで奴隷状態にあった際に使用したモルタル、または日干しレンガを作るのに使われた泥を思い起こすものです。名称は「粘土」を意味するヘブライ語「 חֶרֶס へレス」に由来します。

第二の可能性の場合は「鍋をつついた」とか「同じ釜の飯を食った」というよりも宗教的な意味が増すでしょう。主イエスへの裏切りは、人間同士の信頼関係を破壊するだけではなく、神との約束を反故にし、解放を望んでせっかく脱出したあの不自由な関係性への逆戻りを意味する、というメッセージになるでしょう。

主イエスにとってユダの裏切りは、やはり残念なことでした。だからこそ主イエスは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタイ26章24節)と厳しいことをおっしゃいました。

「どうぞご自由に」など言えるはずがないではありませんか。夫または妻、親または子、友人に裏切られたとき、「どうぞご自由に」と言えますか。人によるかもしれません。しかし、関係が近ければ近いほど、裏切りがもたらす傷は大きいです。

それでも主イエスは、ユダの心も他の弟子たちの心もすべてをご理解なさったうえで、ご自身の意志で、父なる神の御心に従い、十字架への道を進まれました。

主イエスはユダを最後まで愛しておられました。ユダの後任者を選んだのは他の弟子たちです。主イエスはユダを除名していません。ユダの代わりはいません。取り換えがきかない、かけがえのない弟子です。

主イエスは、ユダのためにも、十字架にかかって死んでくださいました。

教会は、よみがえられた主イエスの愛がつくり出した共同体です。主イエスは一度愛した相手を見捨てません。私たちがどれほど心変わりしても、主イエスは私たちを愛し続けておられます。

私たちの教会の聖餐式のパンには、「(☆   )」どころか、マーガリンもジャムも付いていません。しかし、聖餐を受けるたびに、神の愛の約束のしるしであることを思い起こすことが求められています。

(2025年6月27日 東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝、日本基督教団足立梅田教会)

2025年6月22日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑧礼拝と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「礼拝と宣教」

テモテへの手紙二4章1~8節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑧

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2節)

「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白は「教会」を「公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝える」団体としています。

「福音を正しく」の「正しく」は公式の英語版で〝aright〟です。教会が語る「正しさ」は聖書の解釈という手続を必ず採りますので、多様性が生じることは避けられません。

突き詰めていえば、私たち人間は神の御心を完全に知ることはできません。謎は残り続けます。神の不可把握性(incomprehensiveness / incomprehensibility of God)の教理と言います。

教会の仕事は「①礼拝」と「②宣教」です。もうひとつ信仰告白に記されている教会の仕事は「③愛のわざ」です。「①礼拝」と「②宣教」と「③愛のわざ」に取り組むのが「教会」です。

「③愛のわざ」は公式英語版では〝works of love〟と訳されています。最も近いのはチャリティ(charity)です。「洗礼と聖餐」は「①礼拝」を構成する要素として位置付けるほうがよいと私は考えます(【チャート】タイプ1)。

しかし、今ご紹介したのとは異なるタイプのチャートを描く人たちもいます。それは「②宣教」について狭い意味の「説教」だけを指すと考える立場です(【チャート】タイプ2)。

【チャート】教会の仕事のとらえかたの2つのタイプ

「福音を正しく宣べ伝え」は、公式英語版で〝preaches the Gospel aright〟と訳されています。プリーチ(preach)ならば、確かに「説教」です。「①礼拝」の中に「(「②宣教」と同義扱いの)説教、洗礼、聖餐」を配置すれば、独立した「②宣教」は不要になり、教会の仕事は「①礼拝」と「(③から繰り上げて)②愛のわざ」の2つになります。

しかし、これはだんだんおかしな話になっていきます。「礼拝」の要素は「説教、洗礼、聖餐」だけですか、「讃美歌」や「祈り」や「献金」はどうでもいいと思われているのですか、と不満を感じる人が現れて当然です。

それと、狭い意味での「説教」とは区別される「②宣教」に否定的な人たちは、とにかく教会の中に社会問題や政治運動の要素が入って来ることに警戒してきました。

私は違います。狭い意味での「説教」とは区別される、社会問題や政治運動を含む「②宣教」が「①礼拝」と「③愛のわざ」と並んで大事です。しかし、そうでない考えの人々がいます。そこで論争が起こります。

「①礼拝」については、教会の内部で自己完結していても問題ありません。信者だけで集まり、信者だけに理解できる言葉で語り合い、互いに励まし合う自己目的的な集会を行うのは、少しも悪いことではありません。

しかし「②宣教」と「③愛のわざ」まで、教会にとって自己目的的であるわけには行きません。教会の外へと開かれた方向性が無いような教会は空虚です。だいたい、内部で自己完結しているような閉鎖的な団体にあえて新しく加わろうとする人はいないでしょう。息苦しくて仕方がないと思われても仕方ありません。

また、日本基督教団は第二次大戦のとき主体的に戦争協力した経緯があります。そのことを反省し、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(1967年)を当時の鈴木正久教団議長名で公表しました。

教会だからといって、社会や政治の問題に目をつぶるわけに行かないのです。

教会だからこそ、聖書とキリスト教に基づいて、社会の問題、政治の問題について、何を考え、何を語り、何を行うべきかを示すことが求められています。

私たちの敬愛する北村慈郎牧師は、社会や政治の問題に熱心に取り組んで来られました。

今日の朗読箇所にある「御言葉を宣べ伝えなさい。折(おり)が良くても悪くても励みなさい」(テモテへの手紙二4章2節)の意味をよく考える必要があります。

「折が良くても悪くても」(エウカイロース・アカイロース εὐκαίρως ἀκαίρως)を、英語聖書は16世紀から20世紀まで一貫して〝in season and out of season〟(KJV, RSV, NIV, REB)と訳しています。シーズンの問題になっています。

しかし、これは「暑い夏でも負けずにがんばれ」とか「凍えそうな季節に君は」というような話でしょうか。そうではないでしょう。社会や政治や国、時代や世代の問題が関係しているのではないでしょうか。

私は先週、かなり長い時間を、前回の説教の最後に触れた「教会の外に救いなし」という言葉を遺した西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(西暦200年頃~259年頃?)について調べることに費やしました。

キプリアヌスについての文献

私はこれまでキプリアヌスについて何も知りませんでした。しかし、詳しく調べているうちに、以前皆さんに紹介したことがあるロドニー・スターク著『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014年)で取り上げられていた問題に、キプリアヌスの存在が大きくかかわっていたことが分かりました。

スターク説とは、西暦2世紀から3世紀にローマ帝国で大流行した疫病の罹患者への献身的対応とキリスト教宣教の進展との関係についての歴史仮説です。

疫病は、流行のピークにはローマだけで1日に5千人が亡くなったという報告があるほどのひどいものでした(スターク、同上書、101頁)。

その中で「死を恐れない信仰」を持つ特に女性のキリスト者たちが、感染の危険を知りつつ患者の体に触れて看護したことで、互いに愛情が芽生え、結婚して家族になり、しかも出産後の嬰児を選別しないキリスト者の人口が増加したため、西暦4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になった、というものです。

その疫病がアフリカのカルタゴに西暦251年(*252年と記す資料もあります)に襲ったときのカルタゴの司教がキプリアヌスでした。スタークがキプリアヌスの言葉を紹介しています。

「この疫病は恐ろしくて致命的なものと見えはするが、おのおのの正義や心を吟味するために、これほど適切で、これほど必要なことがあろうか。健康な者が病気の者を世話したかどうか。近親者がその親族を愛情込めて愛したかどうか。主人たる者が使用人の疲労や衰弱に同情したかどうか、医師は懇願する患者を見捨てたりしなかったかどうか。この死すべき定めが他に何を与えないにしても、神の僕であるわれわれキリスト者にとって、死を恐れないことを学ぶにつれて、喜んで殉教することを望むようになる。これは訓練であって葬式ではない。これは心に剛毅の栄養を与え、死を軽んじることによって、勝利の栄冠を準備するのである」 

(キプリアヌス『死を免れないことについて』15-20。スターク、同上書、106~107頁から引用)。

ロドニー・スターク『キリスト教とローマ帝国』

キプリアヌスは西暦200年頃生まれ。誕生日は不明。アフリカのカルタゴの比較的裕福な家庭出身。学者として名声を得た後、45歳頃キリスト教に入信。私財を売り払って貧困の人々に施し、教会の長老になりました。

48歳か49歳の頃、カルタゴ司教に選出。入信からの期間が短すぎたため、キプリアヌスの司教推挙に反対する者が多くいましたが(「少なくとも5人の長老が反対した」E. ファーガソン編『初期キリスト教辞典』(英語版、1990年)「キプリアヌス」の項参照)、教会員から厚い支持を得ていました。

キプリアヌスが51歳か52歳(西暦251年か252年)のときカルタゴに疫病が襲いかかりました。58歳(258年9月14日)(*日付はF. L. クロス『教父学概説』(日本聖公会出版事業部、1969年、145頁)参照)、ローマ総督に逮捕されて斬首。司教としてアフリカ最初の殉教者になりました。

殉教前の裁判における遺言の内容は「聖なるキュプリアヌスの行伝」(土岐正策訳)『殉教者行伝 キリスト教教父著作集22』(教文館、1990年、121~128頁)で読むことができます。

100年以上後のアウグスティヌスが「キプリアヌスの著作を聖書とみなしてはならない」(Contra Cresconium, 2. 31, 39, 書簡93. 10. 35参照)と強調しなければならなかったほど、キプリアヌスはアフリカで尊敬されました(F. L. クロス、同上書、146頁参照)。

「宣教」の意味を考えさせられます。狭義の「説教」や「伝道」に収まるものではありません。

(2025年6月22日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月15日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑦教会論

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「教会の使命」

コリントの信徒への手紙一12章12~26節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑦

関口 康

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(26節)

「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白は「使徒信条」の部分を含みます。私たちが今学んでいる部分は「前文」と呼ばれることがあります。「前文」と言うにはあまりに濃い内容なのですが。

今日の箇所から「我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に使徒信条を告白す」の直前までが「教会の教理」(Doctrine of the Church)または「教会論」(Ecclesiology)です。

内容は教会内部の事柄です。教会の外部、たとえば社会や政治や国や文化の問題に日本基督教団信仰告白は触れていません。もっぱら教会の形式(forms)と手段(means)を描いています。

教会の信仰告白は「教会の自己主張」なので、これで問題ありません。信仰告白に外部の事柄を記すことの必然性はありません(*ファン・ルーラー「教会の自己主張」(De pretentie van de kerk)1958年、『著作集』第5A巻(2020年)、180~195頁参照)。

教会の「内」と「外」の区別には不快感があるかもしれません。しかし、線引きをやめると日本の教会は一瞬で消し飛びます。世界人口約81億人の3分の1(約23億人)がキリスト者である中、日本のキリスト教人口は1パーセントです。私たちには「教会を護る」責任があります。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」です。すべてを私たちに当てはめて考えることが大切です。

「教会」は足立梅田教会です。足立梅田教会は「キリストの体」であり「恵みによって召された者の集い」です。具体的な教会をイメージできないような信仰告白は空虚です。コヘレトと共に「すべては空しい」と言わなくてはなりません(コヘレトの言葉1章2節)。

教会を「キリストの体」と呼んでいる、またはその意味のことが記されているのは、ローマの信徒への手紙12章5節、コリントの信徒への手紙一12章12~27節、エフェソの信徒への手紙1章23節、コロサイの信徒への手紙1章18節です。この中で最も詳しい説明があるのは、今日の朗読箇所の第一コリント12章12節以下です。

これは比喩です。たとえ話です。文学表現です。SFホラー映画のような不気味なイメージを持ち込まないでください。そういうのよりもはるかにリアルに、教会の現実を描いています。

たとえられているのは人間の体です。「体は、ひとつの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか」(コリント一12章14節以下)と、「足、耳、目、鼻、手」などを持つ存在が想定されています。

私が気になるのは、足や耳がしゃべりはじめるという、コミカルとさえ言える非現実的な表現をパウロが用いていることの意味です。明らかに非現実的なのに不思議なリアリティがあります。

自分の体の一部または全部が気に入らないと思っている人がおられるでしょう。私がそうです。「もう少し鼻が高ければ、もう少し足が長ければ」と言い出せばキリがありません。

足や耳はしゃべらないかもしれませんが、わたしたちの脳は全力で自分の姿かたちを呪っているかもしれません。足と手、耳と目はけんかしないかもしれませんが、人間の心が、体の一部または全部を呪い、変身したがっているかもしれません。

そのように私たちが心の中で自分の体の〝部分の切り捨て〟を求める思いが、教会の現実にそのまま当てはまります。教会の内部分裂の問題です。「あの人がいるから教会に行けなくなった」「あの人は要らない」「牧師が気に食わない」等々。

そのとき頭(かしら)としてのイエス・キリストが来てくださいます。「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(第一コリント12章27節)。この教えと「キリストは教会の頭(かしら)です」(エフェソ1章22節、コロサイ1章18節)という教えが一対(いっつい)の関係です。キリストは教会の頭(かしら)であり、教会はキリストの体です。

「第一コリント12章12節以下に『教会はひとつの体であり、多くの肢体を持つ』と〝書かれていない〟ことが注目に値する」と書かれた註解を読みました(F. J. Pop, De eerste brief van Paulus aan de Corinthiërs, De prediking van het Nieuwe Testament, 1965)。

そのとおりだと思います。パウロが書いているのは「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分である」ということです。キリストがいなくなるとすべてがバラバラです。一致も統制もありません。それで問題ありません。統制など大の苦手です。

教会は、同じ服を着、同じ言葉をしゃべり、同じことをする人たちの集団ではありません。唯一の一致点はキリストです。それ以外は自由人です。それが「教会」です。

信仰告白の今日の箇所でもうひとつの重要な教えは「(教会は)恵みにより召されたる者の集ひなり」です。

これは「召命」が前回までに学んだ「予定、義認、聖化」に並ぶ「恩恵論」の一部であることを教えています。「救済の順序」(オルド・サルティス)の中で「召命」の位置は「予定」と「義認と聖化」の間ぐらいです。

「召命」(しょうめい)は「命(いのち)を召(め)す」。「使命(しめい)」は「命(いのち)を使(つか)う」。似ている言葉ですが、主語が変わります。「召命」の主語は「神」です。「使命」の主語は「人間」です。

注意すべきことは、「召命」(英語Calling、ドイツ語Beruf、ラテン語vocatio)を狭すぎる意味でとらえるのをやめることです。「教職者になること」だけを指すと思われがちです。それは日本基督教団信仰告白の教えに反します。「恩恵による召命」を受けて「教会」のメンバーになったのは全キリスト者です。

「召命」とは、人が救われるために用いられるすべての形式と手段を指します(*「召命とは、それを通して救いの適用が起こる形式と手段である」(De vocatio is de vorm, het middel, waardoor de applicatio salutis geschiedt)、ファン・ルーラー「召命論(De vocatione)」(1961~1970年)『著作集』第4B巻、2011年、312頁)。

この広い意味の「召命」の中に「公の礼拝」も「福音の宣べ伝え」も「洗礼と聖餐の聖礼典」も「愛のわざ」もすべて含まれます。神がこれらの形式と手段を用いて、わたしたちに救いの恵みをもたらしてくださるのです。

西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(Cyprianus [200頃-259頃])が「教会の外に救いなし」(quia salus extra ecclesiam non est)という言葉を遺しました(*キプリアヌス『書簡』73. 21. 2。ファン・ルーラー「教会の自己主張」、同上書、182頁、191頁からの引用)。

「なんと傲慢な!」と反発を招きやすい言葉です。しかし、真理を言い当てています。神が人を救うための恵みの手段は「教会」という形を採るからです。神の声は教会を通して聴こえます。

(2025年6月15日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月8日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑥聖霊論

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「聖霊の働き」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑥

ローマの信徒への手紙12章1~8節

関口 康

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(1節)

「この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ」(日本基督教団信仰告白

今日は「ペンテコステ(聖霊降臨日)」の礼拝です。キリスト教会の歴史的出発をお祝いする日です。

新約聖書によると、死者の中から復活された主イエス・キリストが天に昇られた後、主イエスの弟子たちがひとつの部屋に集まっているところに、父なる神とイエス・キリストのもとから聖霊が降り、弟子たちにとどまりました(使徒言行録1~2章参照)。

「炎のような舌」(使徒言行録2章3節)が弟子たちの上にとどまるなど、聖書に描写されている情景が「ホラー映画のようだ」と感じる向きがあるかもしれません。しかし、それは聖書の読み方の問題です。明らかに文学的表現が用いられています。

「炎のような舌」は、神の御言葉を炎のように熱い思いで力強く宣べ伝える教会がそのとき生み出された、と言いたいだけです。そのように考えながら読めば、意外なほど安心できる当たり前の情景が描かれていることが分かります。

5月4日(日)から「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を続けています。偶然の一致ですが、「聖霊の働き」について記されている箇所がペンテコステ礼拝の日に巡って来ました。まさにふさわしいテーマですので、両者の要素を掛け合わせてお話しいたします。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所も、「この変らざる恵みのうちに」と記されているとおり、「神の恵みの教理」(恩恵論)です。人間の努力や功績によらず、神から一方的に与えられる「賜物」(ギフト)としての「神の恵み」です。

日本基督教団信仰告白では、神の恵みの教理(恩恵論)の中に、最初に選びの教理(予定論)と信仰義認の教理(義認論)が配置され、その次に「聖化論」(Doctrine of Sanctification)が配置されています。「聖化論」の内容は以下のとおり。

日本基督教団信仰告白

英訳(公式)

試訳(暫定訳)

この変らざる恵みのうちに

In this unchangeable grace

この二度と取り消されることのない神の恵みの中で

聖霊は我らを潔めて

(The Holy Spirit accomplishes His work) by sanctifying us

聖霊(なる神)は私たちを聖化し

義の果を結ばしめ

causing us to bear fruits of righteousness

義の実を結ばせ

その御業を成就したまふ

The Holy Spirit accomplishes His work

(聖霊なる神ご自身の)御業を成し遂げてくださいます


この文章の主語は「聖霊」です。三位一体の第三位格としての「聖霊」は、端的に「神」です。聖霊なる神ご自身がお選びになった人に信仰を与え、その人は罪人のままなのに、あたかも罪が無い人であるかのようにみなしてくださること(=義認)までが先週の箇所です。それに続く、その人を「潔め、義の実を結ばしめる」部分が「聖化論」です。

「義認」は「みなし」なので法廷的(forensic)概念であり、「聖化」は実体変化を意味するので実質的(substantial)概念であるなどと言われます。

「義の果」の内容は、日本基督教団信仰告白の文面だけでは不明です。しかし、「聖霊の結ぶ実」は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とガラテヤの信徒への手紙5章22節に記されています。

これは「キリスト教倫理」と呼べる内容です。神の御心にかなう善き行いを指します。最初は「個人」において実現します。それが「キリストの体なる教会」という形態を獲得し、「社会」や「国」や「世界」へと広がります。キリスト教の二千年の歴史がその事実を物語っています。

しかし、私はこのあたりで話を止めて、考え直す必要があると感じます。「予定、義認、聖化」を「人間の努力や功績の結果」ではなく「神の恵み」としてとらえることは間違っていません。しかし、この論理は人間を要らないものにしている気がしませんか。わたしたちの働きは無視ですか。人間の努力は無用ですか。

聖霊の働きを正確に理解する必要があります。聖霊なる神は、私たち「の代わりに」(instead of)働いてくださる方ではなく、私たち「の中で」(in)、私たち「と共に」(with)、私たち「と一緒に」(together)働いてくださいます。私たちの理性も意志も感情も排除されません。

聖霊なる神は、わたしたちをパートナーにしてくださいます。信仰は「与えられるもの」ですが、信じるのは私たちです。「義の実を結ばせる」のは神ですが、義の実を味わって生きるのは私たちです。

今日朗読していただいた聖書箇所は、ローマの信徒への手紙12章1節から8節までです。この箇所で最も大事な言葉は、最初の「こういうわけで」(1節)であると言われることがあります。どうしてそういうことになるのでしょうか。

ローマの信徒への手紙は、大別すると3部に分かれます。次の通りです。

18

信仰義認の教理
(義認論)

911

選びの教理
(予定論)

1216

君たちはどう生きるか
(キリスト教倫理)


このように見ると分かるのは、ローマの信徒への手紙は、1章から11章までが「神の恵みの教理」で構成され、つまり「神のわざ」で埋め尽くされているのに、12章に入った途端、「人間のわざ」の話になる、ということです。

もう少し噛み砕いていえば、1章から11章まで「人間は何もしないで救われる」と言ってくれていて、「ありがたいお話だ」と思いながら読んでいたら、12章になると「君たちはどう生きるか」の話に切り替わって、「ナニ、結局、人間の努力が求められちゃうわけ?なんだ、つまらない」と、がっかりする人はがっかりする(がっかりしない人もいる)展開になっているのが、ローマの信徒への手紙の全体構造だったりします。

なかには「ローマの信徒への手紙は、1章から8章までだけでいい。9章以下は要らない(予定論が嫌いだから)。12章以下は論外だ(道徳的なことは興味ない)」と言い出す人までいます。実際に出会ったことがあります。

しかし、そんなことを言われても困るわけです。ローマの信徒への手紙の1章から11章までの「恩恵論」(義認論+予定論)と、12章から16章までの「君たちはどう生きるか」を問うてくる「キリスト教倫理」をつなぐ重要な蝶番(ちょうつがい)が、12章1節の「こういうわけで」である、というわけです。

これで私が何を言いたいかというと、「人が救われるのは努力や功績によらない」という教えと「神の御心にかなう生活をめざすこと」は両立する、ということです。

神の恵みによって救われた人たちは、その恵みにふさわしい「義の果(ぎのみ)」(fruits of righteousness)を結びながら、潔められた(=聖化された)生活を営みます。

(2025年6月8日 日本基督教団足立梅田教会 ペンテコステ礼拝)

2025年6月1日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑤恩恵論

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「神の恵み」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑤

ローマの信徒への手紙5章1~11節

関口 康

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」(1-2節)

「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」5回目のテーマは「神の恵み」です。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所に記されていることは、大きく分けると2つあります。

第1は、「神は恵みをもて我らを選び」の部分に関することです。これは「選びの教理」(Doctrine of Election)または「予定論」(Doctrine of Predestination)と呼ばれます。

第2は、「ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」の部分に関することです。これは「信仰義認論」(Doctrine of Justification by Faith)ないし「義認論」(Doctrine of Justification)と呼ばれます。

「予定論」と「義認論」を包括する、もっと大きな枠組みが「神の恵みの教理」(Doctrine of God’s grace)です。「恩恵(おんけい)論」または「恩寵(おんちょう)論」と記される場合もありますが、意味は同じです。

「恵み」(Grace)は、16世紀の日本人クリスチャン(キリシタン)の細川ガラシャさんの名前の由来です。スペイン語グラシア(gracia)で「ガラシャ」。意味は「めぐみ」さんです。ラテン語グラティア(gratia)。ドイツ語グナーデ(Gnade)、オランダ語ヘナーデ(genade)。

聖書と教会の教えの中で「神の恵み」は、決して軽い意味ではありません。私たち人間の救いにかかわるすべては神からの「賜物」(ギフト gift)すなわち「いただきもの」であり、人間の努力や功績で得るものではないという教えです。「信仰」すらも「神のプレゼント(いただきもの)」です。私たちが「信じる努力をする」というようなことではありません。

恩恵論に含まれるのは、予定論と義認論だけではありません。来週のペンテコステ礼拝の説教で取り上げる「聖霊の働き」に関する条文の「この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ」も恩恵論に含まれます。「聖霊の潔めの教理」を「聖化論」(Doctrine of Sanctification)と言います。しかし、今日は「聖化論」は扱いません。

いま申し上げていることは「難しい話である」という印象になっていそうな気がしますが、少しも難しくありません。使徒パウロのローマの信徒への手紙8章30節に書かれていることそのものです。「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」(ローマ8章30節)。

これは教会の長い伝統の中で「救いの順序」(オルド・サルティス ordo salutis)と呼ばれてきました。あらかじめ定められた(=予定)者が召し出され(=召命)、義とされ(=義認)、潔められ(=聖化)、栄光を与えられる(=栄光化)のは、すべて神のみわざであって、人間の努力の成果ではないことを訴える教えです。「順序」(英語オーダー order)と言っても、時間の順序(chronological order)ではなく、事柄の順序(logical order)です。

この教えは人間に、徹底した謙遜を要求します。なぜなら、自分の努力や功績を交換条件として差し出して「これだけがんばったのだから、私は救われて当然である」と言い出す人間の主張を、神が完全に拒否するからです。

若くて元気で活発に活動できる頃は、この教えに不満を感じるかもしれません。しかし、加齢や病気で、体も心も思うように動かない。礼拝や教会活動に参加できない。自分は忘れられた存在ではないか、不要な存在ではないかと感じる。それでも「私は救われている」と確信できる根拠があるとすれば、それは「神は恵みをもて我らを選び」というこの教えの他にありません。

しかし、今申し上げている「選びの教理」の取り扱いは、慎重でなければなりません。扱い方を間違えると、ものすごく危険な教理になります。なぜ危険なのかといえば、「神に選ばれた人」がいるということは「神がお選びにならなかった人」もいるという、反面の真理を必ず持つからです(昔のLPレコードの「B面」)。

日本基督教団信仰告白の中に「選ばれていない人もいます」という文字が書かれているわけではありません。しかし、人間の想像力は自分以外のだれにも止めることができません。「神は我らを選び」と書かれているではないか。「選ばれた人」がいるということは「選ばれていない人」もいることを意味しているに違いない、と考える人が当然います。

そのように考えてはいけないわけでもありません。なぜなら、聖書にそのとおりのことが書かれているからです。それはローマの信徒への手紙9章18節です。「神は御自分が憐みたいと思う者を憐れみ、かたくなにされたいと思う者をかたくなにされる」。

「神は独裁者なのか」とお感じの方がおられるかもしれません。ある意味で、そのとおりです。すべては神の自由です。だれを選ぶか、だれを選ばないかは人間が決めることではありません。

今回もファン・ルーラーが何を言っているかを調べました(*A. A. ファン・ルーラー「選びの教理」1941年、「選びの教理」1942年、「予定論の危険性と批判」1945年、「神の選び」1958年。すべて『ファン・ルーラー著作集』4a巻(2011年)の中に収録されています。1941年の「選びの教理」のオリジナルテキストは、なんと全495頁の手書きノート。『著作集』では全250頁(本文184頁+校註66頁))。

『ファン・ルーラー著作集』4a巻(2011年)

ファン・ルーラーによると、選びの教理(予定論)に忠実だった偉人は、キリスト教会の歴史の中で3人しかいません。それはアウグスティヌス(354-430)、トマス・アクィナス(1225-1274)、カルヴァン(1509-1564)の3人だけです(ファン・ルーラー、同上書、743頁)。

なぜこんなに少ないかというと、選びの教理(予定論)は、それを言った人が嫌われる仕組みになっているからです。「神によって選ばれた人がいるということは、神がお選びにならなかった人もいるという意味だろう。なんでそんなひどいことを言うのか」と、それを言った人が責められます。決まってそういう反応が返ってきます。

それで、多くの教師が選びの教理(予定論)を口にすること自体を避けるのです。言ったその人が責められるからです。言うのに勇気が必要です。勇気だけの問題ではない気がしますが、言えない雰囲気にされてしまいます。

予定論は、厳密に言えば、二重予定論(double predestination; praedestinatio gemina)です。「選び」(election)と「棄却(または遺棄)」(reprobation)の両面があります。

「棄却(遺棄)の教理はこの世の悪の問題を非常に深く考え抜いたものである」とファン・ルーラーが述べています(拙訳「神の選び」1958年参照)。具体例を挙げていませんが、おそらく戦争犯罪者の問題です。

かのナチスの独裁者も洗礼を受けたキリスト者でした。彼もまた「救いへと選ばれた人」であることに変わりないでしょうか。「すべての人が救われる」でしょうか。これは戦後のヨーロッパの教会において深刻な問題でした。

神は愛に満ちたお方です。しかし、同時にご自身の義に対して忠実で厳しいお方です。白いものを黒と言ったり、善悪の基準を逆転させたりしない方です。「この世の悪の問題」は、あいまいに片づけられてはなりません。

(2025年6月1日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月25日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教④贖罪論

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「キリストによる贖罪」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教④

ローマの信徒への手紙3章21~26節

関口 康

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです」(25節)

「御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」4回目のテーマは「キリストによる贖罪」です。

「贖罪(しょくざい)」に該当する英語は、意味の狭さや特殊性の強さの順で、アトンメント(atonement)、リデンプション(redemption)、サルベーション(salvation)などです。

アトンメントが「つぐない、罪滅ぼし」など色濃く宗教的な意味で用いられることが多く、リデンプションは中ぐらい、サルベーションは「社会救済」などの一般的な意味でも使われます。

贖罪の教理に関して日本基督教団信仰告白に記されていることを、若干補いながら口語的に言い直すと、次のようになります。

「三位一体の第二位格である神の御子、イエス・キリストは、わたしたち罪人の救いのために人間になり、十字架にかかり、歴史上ただ一回限り、ご自身を完全なる犠牲として父なる神へと献げ、わたしたちの贖いとなりました」。

いくつか論点を挙げていきます。

(1)「我ら罪人」の「我ら」は「全人類」を指し、「我ら罪人」は「全人類は罪人であること」を意味します。

(2)「神の御子が人となったこと」には「罪人の救いのため」という明確な目的がありました。逆に、もし人類のだれひとり罪を犯さなかったなら、御子が人となる必然性はありませんでした。

(3)人間は、自分の自由意志において神に背くことによって、罪を犯しました。神が人間の内部に罪の性質を仕込んで、人間に罪を犯させたのではありません。罪の責任は100パーセントあなたにあります。神のせいにしてはいけません。

(4)神は、罪を犯した人間を何とかして救いたいという意志を持っておられます。しかし、それと同時に神はご自身の義に忠実なお方なので、罪を犯した人間を罰せずにおきません。

(5)ユダヤ教では、動物を犠牲の供え物として焼き殺すことによって人間の罪に対する神の怒りをなだめる儀式を行います。しかし、人間の罪はあまりにも大きすぎるので、動物の犠牲の命だけでは、つぐないとしては不足しています。だからといって、人間の命を差し出すことは、人間を滅ぼすことになるので、人間の救いになりません。

(6)そこで、神は「神でもあり同時に人間でもある」ご自身の御子イエス・キリストの命を贖罪とされることによって、神ご自身の義が充足されつつ、同時に人間を救う道を開かれました。

いま申し上げたことは、西暦11世紀から12世紀初頭まで活躍したカンタベリーのアンセルムス(1033-1109)の著書である『クール・デウス・ホモ 神は何故に人間となりたまひしか』(日本語版:長沢信寿訳、岩波文庫、1948年)のアウトラインと軌を一にします。このような教えを、伝統的に「充足説」(satisfaction theory of atonement)と言います。

アンセルムス『クール・デウス・ホモ』岩波文庫版

はっきり言えることは、日本基督教団信仰告白はアンセルムスの贖罪論を受け継いでいるということです。なぜそう言えるかというと、「御子は我ら罪人の救ひのために人と成り」という観点は「神はなぜ人間になったのか」という、まさにアンセルムスの問いに答えようとしているからです。別の言い方をすれば「御子の受肉の目的は何か」という問題でもあります。

しかし、このアンセルムス型の贖罪論が非常に多くの批判を浴びて来たことについては、黙っているわけには行かないと思っています。

よく言われる批判は、「人間の罪を軽視する教えである」というものです。なんだかんだ理屈をつけて、結局、人間の罪を見逃すだの赦すだのいう甘い教えである、というようなことがしばしば語られます。

もうひとつご紹介したい批判は、「刑死や殉死を美化する教えである」というものです。人類の身代わりに死んでくださったあのキリストのように、特攻隊員はお国のために我々の身代わりに命を投げ出した、というような話へのすり替えがなされることは確かにありえます。

これらの批判に対して私たちは謙虚に傾聴すべきであると私個人は考えています。そのうえで、私はアンセルムス型の充足説で満足しています。甘い人間ですので。神のみゆるしなしに生きて行けないものを感じますので。御子の贖いによって神の義が充足されたので、私たちが神に償う必要はもはやないという教えは、私にとってはありがたいです。

「イエス・キリストによる贖罪によって、わたしたちは(   )から救われる」という穴埋め問題の答えを考えることが贖罪論において重要です。救いには「救い出されること、救出されること」の意味がありますので、「何から」(From what ?)という問いが重要な意味を持ちます。

ファン・ルーラーが7つの選択肢(穴埋め問題の「語群」)を挙げています(「イエスの苦しみの意味」(1956年)、『A. A. ファン・ルーラー著作集』2011年、233-243頁)。

 ①死  ②悪魔とその力  ③律法

 ④この世  ⑤我々自身  ⑥力としての罪

 ⑦負い目(罪悪感)としての罪

ファン・ルーラーが最適解としているのは「⑦負い目(罪悪感)」(オランダ語 schuld スフルト)です。ぜひ思い出していただきたいのは、マタイ6章とルカ11章の「主の祈り」の第5の祈りが、新共同訳聖書から「負い目」と訳されるようになったことです。聖書協会共同訳も「負い目」。

「負い目」という意味は、文語訳の主の祈りで「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」と祈っているときには認識できません。「負い目」とは「罪悪感」のことです。そのように最近の聖書で翻訳されるようになりました。

「負い目」(罪悪感)は私たちが常に感じていることです。「ああ、昨日あの人を傷つけてしまった。今日もやってしまった」と罪悪感を抱かない日は無いと思うほどの私たちです。そういうことを少しも感じずに生きることに、かえって問題を感じるほどです。

しかし、「負い目」(罪悪感)は放置していると、澱(おり)のように私たちの心と体にたまっていきます。そのうちあふれて、私たちが壊れて行きます。

私たちの「負い目」(罪悪感)を神によって取り除いていただけることも、十分な意味で「罪の赦し」であり、「贖い」です。日本基督教団信仰告白が言う「我ら罪人の救ひ」そのものです。毎週の礼拝の中で、日々の祈りと賛美と信徒の交わりの中で、「負い目」(罪悪感)からの救いが起こります。

この穴埋め問題に正解はありません。自分で答えを考えることが大切です。とはいえ、危険度が高い選択肢が含まれていることに気づく必要があります。

「④この世」と「⑤我々自身」という選択肢は危険です。「この世の中から救い出されること」が救いなら、私たちはどこへ行けばよいのでしょうか。「自分自身という罪深い存在から救い出されること」が救いなら、「私は生きていてはいけない」という考えに陥らないでしょうか。

「②悪魔とその力」という選択肢も危険です。自分に当てはめるならともかく、自分以外のだれかを「悪魔」呼ばわりして、その人が消えうせることを求める考えに陥らないでしょうか。

(2025年5月25日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月18日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教③三位一体論

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「三位一体の神」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教③

ヨハネによる福音書1章14~18節

関口 康

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(18節)

「主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」第3回目のテーマは「三位一体の神」です。

なぜ教会は「さんいいったい」ではなく「さんみいったい」と読むのでしょうか。その理由は、音便(おんびん)です。音便とは「発音上の便宜(べんぎ)」です。言いやすさ、読みやすさ。平安時代から「三位」は「さんみ」と読まれていたそうです。

「三位一体」は、英語でTrinity(トリニティ)。ドイツ語Trinität(トリニテート)。オランダ語Triniteit(トリニテイト)。ラテン語trinitas(トリニタス)。古典ギリシア語τριάς(トリアス)。

「三角形」(triangle)など「トリ」(tri)が「3」です。3つのものの一体性(unity)を意味するtri-unity(トリ・ユニティ)からのtrinity(トリニティ)です。

その意味は、1つの神性(one divine nature)の内部に3つの位格(three persons)があるということです。御父(おんちち)なる神、御子(みこ)イエス・キリスト、聖霊(せいれい)なる神を「三位一体の神」とするのが「正統教義」です。この教義を受け入れない人たちは「異端」とみなされてきました。それが歴史の事実です。

ご参考までにご紹介したいのは、私が岡山県立岡山朝日高等学校のたしか2年生のときに授業を受けた「世界史」の教科書、『詳説世界史(再訂版)』(山川出版社、1979(S54)年版)です。公立学校ですので聖書の授業などはありえないし、キリスト教的な要素が全くない学校でしたが、そういう学校の世界史の教科書に「三位一体論」についてかなり詳しく書かれていました。

文部省検定済教科書『詳説 世界史(再訂版)』(山川出版社、1979年版)

少し長いですが、以下引用します。

「313年、当時〔ローマ〕帝国西半部を支配していたコンスタンティヌス帝はミラノでキリスト教を公認した。さらに324年かれが帝国を統一して独裁者となると、キリスト教は全帝国の公認宗教となった。ところが当時教会には神学上の見解の対立があったから、帝は325年ニケーアに公会議(宗教会議)をひらき、のちにアタナシウス(Athanasius [295?-373])が確立した三位一体説を正統教義とし、キリストの神性を否定するアリウス派(Arius)を異端とした。その後ユリアヌス帝(Jurianus [位361-363])は古典文化と異教の復興を企て、キリスト教徒をおさえたが成功せず、392年、テオドシウス帝はついにキリスト教を国教とし、他の宗教を厳禁するにいたった」(45-46頁)

最近どうなっているかは分かりませんが、私が高校生だった45年前の日本の公立高校の生徒たちが「三位一体」について学んだのはこのような内容でした。そのイメージは「ローマ帝国の独裁者が全領土の住民に強制した宗教」です。こういう知識のある人たちは、教会の前を通るたびに首を傾(かし)げているでしょう。もう少し続きを読みます。

「ニケーアの公会議で敗れたアリウス派は北方のゲルマン人のあいだにひろまったが、その後も公会議はしばしばひらかれ、さまざまの学説が異端とされた。そのなかで5世紀にキリストの神性を十分に認めないとの理由で異端とされたネストリウス派(Nestorius)は、ペルシアをへて中国まで伝わり、唐代に景教と呼ばれた」(46頁)

歴史の説明をするだけで終わりそうなので、ここまでにします。45年前の公立高校で教えられていたキリスト教の「正統派」に対するもうひとつのイメージは、「イエス・キリストが神であることを認めない人々を異端呼ばわりして追い出す宗教」です。高校生たちはこういうのを丸暗記して共通一次試験を受けることになっていましたので必死で覚えました。

そして、ここで私が申し上げることができるのは、私たち日本基督教団は「三位一体の神」への信仰告白において「アリウス派」(ホモイウースオス派、ὁμοιούσιος)ではなく「アタナシウス派」(ホモウーシオス派、ὁμοούσιος)のほうの「正統教義」を継承していることを明らかにしている、ということです。これが歴史の事実です。

しかし、誤解なきように。「三位一体の神」はアタナシウスの発明ではありません。「三位一体」という用語は聖書の中にはありません。だからといって、聖書の中に神が三位一体であることを信じる根拠はないとは言えません。三位一体の教理の核心は「イエス・キリストは神である」という信仰告白です。それは新約聖書の核心部分です。今日の朗読箇所にもその信仰が告白されています。後の神学者たちが、聖書の教えを要約して、神を「三位一体」と呼んだにすぎません。

ヨハネによる福音書の「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1章1節)の「言(ことば)」(ロゴス)は、イエス・キリストです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1章14節)の「肉」(サルクス)は、人間を意味します。この箇所で告白されている信仰は「イエス・キリストは人間となった神である」ということです。

「人間となった神」は御子イエス・キリストであり、その方は御父と同質(ホモウーシオス)であると信じることが三位一体の教理の核心部分です。そのような信仰を、私たちは日本基督教団信仰告白において継承しています。

「神となった人間」つまり「神格化された人間」はたくさんいます。決して珍しくありません。私は先週、かなり意識的に集中して戦争映画を観ました。ひとり暮らしの暇つぶしで観たというのとは違う気持ちでした。すべてインターネットで配信されているものです。

先週観たのは「ルバング島の奇跡 陸軍中野学校」(主演:千葉真一、1974年)、「二百三高地」(主演:仲代達也、1981年)、「大日本帝国」(主演:丹波哲郎、1982年)、「ミッドウェイ」(出演:豊川悦司他、2019年)。戦後の復興期の政界を描いた「小説吉田学校」(主演:森繁久彌、1983年)も観ました。

戦争映画は嫌いです。殺し合いの映像がリアルですし、どの映画も長く、観るだけで疲れます。しかし、今日の説教の準備のために観なければならない気がしました。私は1965年生まれです。戦後の焼け跡を見たことがなく、「天皇が神とされた」日本を体験的に全く知りません。当時の人々の証言を何度聞いても、本を読んでも、写真を見ても、想像力が追い付かず、リアルな映像が浮かんできません。そのため、映画に助けてもらう必要があると思いました。

登場人物の中に日本人のクリスチャンが何人か描かれていることが分かりました。「二百三高地」(1981年)の小賀武志(あおい輝彦さん)や松尾佐知(夏目雅子さん)、「大日本帝国」(1982年)の江上孝(篠田三郎さん)や柏木京子(こちらも夏目雅子さん)。その人々が静かに抵抗しながら結局戦争に巻き込まれていく姿が描かれていることに興味を惹かれました。

イエス・キリストを「人間となった神」であると信じることは、その真逆の存在である「神格化された人間」に対する根本的な抵抗を意味します。イエス・キリストの時代のローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスもその後の皇帝たちも神格化され、皇帝礼拝の対象になりました。

「三位一体」という正統教義は「ローマ皇帝によって全領土の住民に強制された宗教」であるという面が無いとは言えない一方で、「神になりたがるすべての権力者に抵抗する宗教」である面もあります。

(2025年5月18日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月11日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教②聖書と生活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「聖書と生活」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教②

テモテへの手紙二4章1~8節

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)

「されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」の2回目です。私は1冊の本を書こうとしているわけではありません。教会ブログで公開しているのは説教原稿です。実際の礼拝では、もっと多くのことをお話ししています。礼拝に来てくださっている方々にご理解いただけば、目標達成です。ご意見があればぜひご来会ください。お待ちしております。

前回から「聖書とは何か」についてお話ししています。ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の文章を参考にしつつ、聖書が「ユダヤ人によって書かれた書物」であることが「外部の真理」であることを意味し、聖書の教えを受け入れることが過去の歩みとは異なる方向への「転換」をもたらし、「回心」をもたらすということをお話ししました。

今日は前回の続きです。今日取り上げるのは「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り」という条文です。聖書の霊感(れいかん)の教理と言います。

証拠聖句はテモテへの手紙二3章16節「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」です。「霊感」と聞くと「霊感商法」を連想する人が多い時代になりました。しかし「霊感」とはインスパイア(inspire)のことです。名詞形はインスピレーション(inspiration)です。ごく普通の文脈で用いられています。

聖書が「神の霊感によって成った」とは「神の霊」すなわち「聖霊」の導きの下に100パーセント人間によって書かれたことを意味します。それ以外の意味はありません。

「神の霊は、神ご自身ではない」と考えられることもありますが、それは誤解です。神の中から噴き出した気体(?)や、流れ出た液体(?)のようなものを想像するのは間違いです。

次回は三位一体の神について学びます。「神の霊」は「父、子、聖霊なる三位一体の神」としての「聖霊」ですので、端的に「神」(God)です。聖書の霊感の教理も、「聖書は〝聖霊なる神〟の導きによって(人間によって)書かれた」と言っているだけです。

ですから、この教えは決して難しい話ではありません。むしろ、すっきりした気持ちになれるほど、聖書は100パーセント人間によって書かれた書物であると、何の躊躇もなく説明することができます。そこに魔術の要素はありません。

「その説明で大丈夫ですか。我々が今まで教えられてきたことと違うのですが」とお思いの方がおられるでしょうか。「聖書は神さまが書いたものであって、人間が書いたものではない」でしょうか。この「聖書は人間によって書かれたものではない」という考え方は、私は最も危険だと考えています。

ある朝、マタイは目を覚ましました。すると、机の上にイエス・キリストの生涯を描く福音書が置いてありました。パウロも目を覚ましたら、同じように、いろんな教会や個人に宛てた手紙が机の上に置いてありました。しかし、彼らにはそれを書いた記憶がありません。彼らが寝ている間に、意識を失っている間に、聖書のすべてが書かれましたというようなことは起こりませんでした。それはオカルトの世界です。

聖霊なる神は、人間の中で、人間と共に、人間を活かし用いて、働いてくださいます。人間の理性も感情も判断力も、人間の真・善・美も、活かされたままです。聖霊はわたしたちの身代わりに死んでくださることはないし、私たちの身代わりに聖書を書いてくださったりもしません。聖霊が働いてくださっている間、人間は眠っているわけではないし、気絶しているわけでもないし、サボっているわけでもないのです。その点を間違うと、全キリスト教がオカルト化します。

そういうことではなく、聖書の霊感の教理は、(三位一体の)聖霊なる神ご自身が私たち人間に接触し、私たち人間へと影響・感化を及ぼし、浸透し(沁みていき)、私たち人間に感銘・感動を与えてくださる過程を経て「インスパイア」された人間が聖書を記した、と言っています。

しかし、そこでストップです。神は聖書の著者の人間性も歴史性も排除しません。そこでもし人間性の排除が起こるなら、それを「洗脳」というのです。私たちが聖書を読むときに、当時の歴史について調べたり考えたりする必要があるのは、聖書は100パーセント人間が書いた書物だからです。

日本基督教団信仰告白が聖書について書いている「誤りなき規範」の「誤りなき」の意味は、「無謬性」(インフォーリビリティ:Infallibility)のことだと考えるのが妥当です。「無謬性」は「無誤性」(インエランシー:inerrancy)との比較で考えるのが理解しやすいです。

インフォーリビリティ(無謬であること)は「フォール(堕落)していない」という意味です。インエランシーは「エラー(誤記)がない」という意味です。日本基督教団信仰告白が肯定しているのは前者(「聖書は堕落していない」)のほうであって、後者(「聖書は誤記がない」)のほうではありません。

聖書に「誤記」はあります。しかし、「堕落していない」とは「神のみこころにかなっている」ということです。その意味は、聖書に記された言葉を読んで、その教えを信じたとしても、その教えに基づいて生活したとしても、それによって罪を犯すことにはならないので大丈夫です、ということです。

だからこそ、聖書は「信仰と生活の誤りなき規準」なのです。

(2025年5月11日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月9日金曜日

信仰とは何か

日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会
(日本基督教団信濃町教会 東京都新宿区信濃町30番地)

教会堂外見
礼拝堂前方
礼拝堂後方
集会案内板

奨励「信仰とは何か」

マタイによる福音書8章5~13節

日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会

関口 康

「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)

この聖書箇所を選んだことに特別な意図はありません。日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所を参考にしました。ただし、それはヨハネの並行記事で、話しにくさを感じましたので、マタイに変更しました。

「これは史実でない」と『NTD新約聖書註解』マタイの著者、エドゥアルト・シュヴァイツァー教授(Eduard Schweizer [1913-2006])が書いておられます。しかしそのシュヴァイツァー先生も、8節から10節までの主イエスと百人隊長の対話の部分は「Q資料」にあっただろうと認めておられますので、そこだけは歴史的な根拠があると堂々と言ってよさそうです。

イエス・キリストがガリラヤ湖畔の町カファルナウムにおられたとき、「百人隊長」が近づいてきました。「百人隊長」は古代ローマ軍の職名ですが、ローマ人だったとは限りません。ひとつの可能性として言われているのは、異邦人の傭兵だったのではないかということです。

マタイ福音書では、その人自身が主イエスのもとに行き、「僕」のために助けを求めています。マタイが「僕」という意味で用いているギリシア語「パイス」は、ルカの並行記事(7章1~10節)では「ドゥーロス」です。「ドゥーロス」はあからさまに「奴隷」です。しかし「パイス」は自分の子どものように愛する対象を意味します。その事実を活かし、聖書協会共同訳(以下「SKK訳」)は「子」と訳しています。

百人隊長のパイス(自分の子どものように愛していた僕)は、新共同訳では「中風」(SKK訳「麻痺」)を起こし、家で寝込んで(SKK訳「倒れて」)ひどく苦しんでいました。そのことを百人隊長自身が主イエスに伝え、助けを求めました。

その願いを受けて、主イエスは「わたしが行って、いやしてあげよう」と応じてくださる姿勢を表してくださいました。しかし、J. M. ロビンソンのQ資料研究書『イエスの福音』(加山久夫、中野実訳、新教出版社、2020年)によると、主イエスの「わたしが行って、いやしてあげよう」(7節)は、Q資料では「わたしが行って、彼をいやすのか?」という拒否反応でした。それを17世紀の英語聖書(1611年刊行のキング・ジェームズ・ヴァージョン)が肯定的な反応のように訳したことで、意味が逆転してしまいました(ロビンソン、141頁以下)。

しかし、新共同訳聖書どおりだと主イエスは好意的な反応を示されましたが、それを百人隊長が断ります(8節)。このときの百人隊長の返事の中に、彼の《信仰》が明確に表現されました。

百人隊長は言いました。

「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕(パイス。SKK訳「子」)はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下(ドゥーロス。SKK訳「僕」)に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」(8~9節)。

百人隊長の言葉に主イエスは感心し(SKK訳「驚き」)、「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)と評価されました。そして主イエスが百人隊長に「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」とおっしゃったら、ちょうどそのとき、僕(パイス。SKK訳「子」)の病気がいやされました(13節)。

* * *

さて、問題です。主イエスは、百人隊長の返事のどの点を評価なさったのでしょうか。

この答えが分かれば、私たちも同じように言えば、イエスさまからほめていただけるでしょう。主イエスが称賛するほどの模範的な《信仰》があるならば、全キリスト教に影響するでしょう。

第一の可能性は、主イエスが軍隊調の命令と服従の関係で信仰をとらえ、百人隊長がそのような《信仰》を持っていることが分かったので高く評価された、というとらえ方です。

これは私が思いつくかぎりの最悪の可能性です。手と指を前にまっすぐ突き出すナチス式敬礼は、古代ローマ軍の敬礼から受け継いだとナチスが主張しました。そういうことをこの百人隊長もしていたと思います。あれでいいでしょうか。

第二の可能性は、ひとつの註解書に記されていたことです。Fernheilung(フェルンハイルンク)をどのように訳せばよいでしょうか。「遠隔治療」でしょうか。言葉を発するだけで、祈るだけで、遠くの人の病気が治る。そのような《信仰》を百人隊長が持っていることをイエスが高く評価なさった、という説明です。ユダヤ教のタルムードに「遠隔治療」の類似例があるそうです。

厚生労働省のホームページに「遠隔医療(リモート医療)」についての説明があることを知りました。医療の現場ではそういうのが日進月歩で進んでいるようです。しかし、インターネットは電気信号です。きわめて物理的な手段です。何の物理的な媒体もないわけではありません。

教会はどうでしょうか。「出会い」や「ふれあい」は教会に無くてはならないものでしょうか。「握手」や「ハグ」が必要でしょうか。体に触らないと「愛」が伝わらないでしょうか。

もし皆さんの中にそういうことをなさっている教会の方がおられるとしたら申し訳ありませんが、私はそういうのが苦手です。私はだれにも触りません。私は「非接触牧師」です。

しかし、そういう私も、教会員のお宅や病床には可能なかぎり訪問したいと考えています。対外的な働きが続いたりすると、訪問がおろそかになって心苦しいです。

ですから、今日の箇所を「リモートワーク」の話としてとらえてよければ、私は救われた気持ちになります。「うちに来ないでください。祈ってくださるだけで結構です」とか「すべてリモートで大丈夫です」と言ってもらえれば、気がラクになります。これでよろしいでしょうか。

第三の可能性は、私にとって最も納得できる説明です。それは最初にご紹介したエドゥアルト・シュヴァイツァー教授の説明です。次のように記されています。

「いずれにしてもここには(中略)神の行動をあてにしている信仰がはっきりと現れている」(281頁)。

シュヴァイツァー先生のおっしゃるとおりです。《信仰》とは「神を信じること」です。そして「神の行動をあてにすること」です。シンプルですが、ベストの答えです。

「ミッシオ・デイ」(神の宣教)も、「神の行動」を信じることにおいて、今申し上げていることと趣旨は同じです。そもそも「宣教」は神ご自身のみわざなのであって、人間の働きではありません。

「ミッシオ・デイ」(神の宣教)を悪く言う論調に接しました。なぜそういうことを言うのか、私は理解に苦しみます。

そもそも皆さんは「神」を信じていますか。このような失礼なことを、あえて問わなくてはなりません。

「神を信じる」と言いながら、いつのまにか「私」や「私たち」や「自分の教会」の努力をそのように呼んでいるだけになっていませんか。だからこそ、自分の働きを認めてもらえないという不満の理由になったりしていませんか。「神のみわざ」は人間の手柄ではありません。

シュヴァイツァー先生の説明には、続きがあります。

「この物語は(中略)決して自分の力で獲得したのではない、ないしは、それを自分の力で獲得することはできないと知っているものに対して救いを開く」(254頁)。

百人隊長は、自分の子どものように愛する僕(パイス)の病気を自分の力では治してあげることができないことを悟り、自分の無力さに打ちのめされ、人間になしえないことをなさる「神」を信じました。

これが《信仰》です。

(2025年5月9日 東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会、於 日本基督教団信濃町教会)

2025年5月4日日曜日

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教①聖書と教会

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「聖書と教会」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教①

テモテへの手紙二3章10~17節

関口 康

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(16節)

「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり」(日本基督教団信仰告白

今日から「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を始めます。全10回の予定です。

私は昨年3月より足立梅田教会にいます。これまでは基本的に「教会暦説教」をしてきました。聖書箇所も日本基督教団聖書日課『日毎の糧』から選んできました。

「教会暦説教」には長所と短所があります。長所はクリスマス、イースター、ペンテコステなどの行事に合わせた説教ができることです。短所は毎年同じ話になりがちなことです。出口がない円をぐるぐる回っている感じです。

「教理説教」には出口があります。聖書の教えを歴史的な順序で説明しますので、「初め」も「終わり」もあるからです。ただし、それは現代的な意味の「歴史」とは異なります。私たちの場合は「天地創造」(創造論)から「神の国の完成」(終末論)までを描く「神のみわざの歴史」です。

「抽象論だ」「おとぎ話だ」と日本に限らず世界中で嘲笑を受けて来ました。このことについては実際の説教を聞いていただかないかぎり理解してもらえませんので、これ以上は言いません。

日本基督教団信仰告白が「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は」から始まり、「聖書とは何か」という問いに答えることから出発しているのは、わたしたちがかくかくしかじかのことを信じると言っているのは、そのように聖書に書かれているからであると述べようとしています。

「あなたたちは聖書に書かれていることを全部信じるというのか。たくさん間違いがあることは学問的に証明されている」と言われます。おっしゃるとおりと思いますが、問題は何をもって「間違い」と言うかです。現代の科学技術を駆使した歴史学や考古学の観点から矛盾や間違いを指摘されるのはありがたいことです。だからといって信じることをやめるかどうかはダイレクトに結びつきません。

日本基督教団信仰告白の「旧新約聖書は(中略)教会の拠るべき唯一の正典なり」の「正典」は、一般的に言えば「経典」ですが、わざわざ「正典」と呼ぶのはCanonという決まった用語の翻訳だからです。Canonは「はかり、物差し、規準」などの意味です。

したがって、この条文の意味は、日本基督教団は「聖書というはかり」に収まる範囲のキリスト教信仰を共有しているということです。この「はかり」を超えて主張されることになれば、異端または別の宗教であると判定せざるをえないということです。

20世紀オランダのプロテスタント神学者ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])が聖書について述べた複数の文章が『ファン・ルーラー著作集』第2巻(原著オランダ語版、2008年)に収録されていることが分かりました。「聖書の権威と信仰の確かさ」(1935年)、「信仰の土台としての聖書」(1941年頃)、「聖書の権威と教会」(1968年)、「聖書の扱い方」(1970年)など。

これらのファン・ルーラーの文章すべてに一貫していたのが「私たちは聖書に書かれていることだから信じている」という主張の線です。また「聖書の権威」と「信仰の確かさ」は両方あって初めて成り立つ、ということも繰り返し主張されていました。

たとえば、創世記3章にエバと蛇が会話する場面が出てきます。民数記22章にはバラムがロバと会話する場面が出てきます。こういう箇所を読んで「蛇やロバが人間と会話できるはずがない。聖書に書かれていることはウソばかりだ」と言い出すのは聖書の本質が分かっていないからだとファン・ルーラーは言います。「聖書」には、歴史、文学、書簡、詩歌など、さまざまな文学形式で記されている文書が収められています。

また、ファン・ルーラーが書いていることの中でこのたび私が最も感銘を受けたのは、〝聖書がユダヤ人によって書かれたものであることは、私たちゲルマン人にとって、自分たちの内側には真理が無かったことを意味する〟と彼が主張しているくだりです。

以下、ファン・ルーラーの説明を要約してご紹介いたします。

本など他にもたくさんあるのに、聖書を「本の中の本」と呼ぶのはなぜだろう。古い本を読んで我々ゲルマン人の魂の本質を知りたいだけなら、ヴァイキング時代を描いた北欧神話『エッダ』に手を伸ばすほうがよいのではないかと思うのに、そうしないで聖書を読もうとすることに、我々はもっと違和感を抱くべきであるとファン・ルーラーは言います。あまりに慣れすぎて我々はその違和感を認識できないのだ、と。

我々ゲルマン人が「外部からもたらされた救い」によって「改宗」したのは「クローヴィス」の頃だと書いています。それはフランク国王クローヴィス1世(西暦466~511年)が、妻のひとりがキリスト者だったことで自分自身も西暦496年にキリスト教に改宗したことを指しています。

その「クローヴィスの改宗」こそ、ゲルマン人にとっての「転換」であり、最も深い自己意識と決別したことを意味する。それは「いまだに完全には癒えていない我々の魂の傷」であり、だからこそ「国家社会主義〔ナチス〕はその転換を覆そうとしたし、現代の西洋社会はその転換を超克したいと望んでいる」とファン・ルーラーが書いています(「聖書の扱い方」1970年参照)。

ファン・ルーラーの文章を読んで私が考えさせられたのは、1549年フランシスコ・ザビエル来日から476年、ベッテルハイム宣教師の沖縄伝道開始1846年から179年、ヘボン、ブラウン両宣教師の横浜到着1859年から166年を経ても日本の大半の人々に「転換」が起こらないのは、「外部の真理」によって転換させられることを恐れているからだ、ということです。

今申し上げたことは、日本基督教団信仰告白に明記されていません。しかし「聖書」は「日本にとっての外部の真理」であるという点が勘案されるべきです。そのことが認識されないかぎり「改宗」が起こることはありません。私の父も母も戦後に洗礼を受けてキリスト者になりました。1945年の敗戦という事実を突きつけられて「我々の内側には真理は無かった」と思い知らされたからだと思います。

「外部から持ち込まれた真理」によって、まず自分自身が変えられ、それを広く宣べ伝えるのが「教会」ですから、「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」からは嫌われます。違和感を示されることが多いです。

だからこそ逆に、教会は「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」から排除された人たちにとっての「避けどころ」(シェルター)や「出口」になり、そこに新しい共同体が生まれます。「日本人」という概念の今日的な意味は、少なくとも私には明確には分かりません。

「キリスト教は敵国の宗教だ」と言われた時期が長かったと思います。しかし、キリスト教の起源は、アメリカでもヨーロッパでもなく、アジアです。

オランダ人のファン・ルーラーが1970年の時点で「聖書」は「外部の真理」だと言っているのですから、私が申していることも「今この瞬間に日本列島に在住している私たち」にとってだけ「外部」だという意味ではありません。実はユダヤ人にとっても「外部」でした。究極的には神ご自身が人間にとっての「外部」です。「改宗」のために「外部の真理」が必要なのです。

(2025年5月4日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年4月27日日曜日

復活と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「復活と宣教」

マタイによる福音書28章11~29節

関口 康

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19-20節)

復活したイエス・キリストを目撃した婦人たちは他の弟子たちに報告するため、また同じ光景を見たローマ兵たちは祭司長たちに報告するため、どちらもエルサレムに向かいました(11節)。

報告を聞いた祭司長たちは、長老たちと相談して兵士たちに多額の金を与えました(12節)。最高法院(サンヘドリン)の人々が賄賂を使い、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」とローマ兵たちに言わせました。

祭司長たちが言った「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」(14節)の意味は次のとおりです。見張番の居眠りは重罪でした。通常なら処刑です。しかし、ユダヤ人からの委託任務に就いていただけの兵士を処刑するわけにいかないとピラトならきっと考えるだろうから、うまく交渉してあげるという理屈です。

兵士たちは金を受け取って「教えられたとおりにした」(15節)は「学ぶ」(ディダスケイン)を意味する動詞(エディダクセーサン)です。これは軽蔑の表現であるという解説を読みました。兵士たちは、自分たちより上位の人の命令を復唱し、「学習した」(ディダスケイン)のです。

「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(15節)の「今日」はマタイ福音書が記された紀元1世紀後半を指します。

古代教父ユスティノス(紀元100年頃~164年頃)の著作『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(全142章)(西暦155年頃)「序論」(1~10章)の一部(1~9章)の日本語版(三小田敏雄訳)があります(『キリスト教教父著作集Ⅰ ユスティノス』教文館、1992年、197~269頁)。

残念ながらまだ日本語版がない69章7節に、ユダヤ人はイエスを「魔術師」で「詐欺師」であると考えていたと記されています(訳者解説、同上書252頁参照)。

また「弟子たちはイエスが十字架から降ろされた後、夜中に墓に埋められていた彼を盗み出し、『イエスが死から蘇って、天に昇った』と言って人々を騙した」(同108章2節)と紀元2世紀のユダヤ人たちがイエスについて言い伝えていたことを、ユスティノスが証言しています(J. T. Nielsen, Mattheüs, deel 3, G. F. Callenbach, 1974, p. 186)。

2 世紀半ばの外典『ペトロによる福音書』(『聖書の世界 別巻3・新約Ⅰ 新約聖書外典』講談社(1974年)収録)にも興味深い記述があります。以下、引用します。

「夜中に、兵隊が二人ずつ当番で夜警をしていると、天で大きな声がした。そして天が開いて、二人の人がそこから降りて来るのが見えた。彼らは強く輝いていた。そして墓に近づいて来た。すると墓の入口においてあった石がおのずと転がりはじめて、何ほどか脇に退いた。こうして墓が開き、二人の若者は中にはいって行った。 

(見張番の)兵隊はこれを見て、百卒長と長老達を起こした。彼らもまた見張のためにそこに一緒にいたのである。兵隊達が見たことを彼らに話しているうちに、また墓から、今度は三人の人が出て来るのが見えた。そのうちの二人が一人を支え、そのあとから十字架がついて来た。二人の頭は天までとどき、二人が手を引いている三人目の人の頭は天をつきぬけていた。 

そして天から声が聞こえた、『あなたは(冥府で)眠っている人々にも宣教しましたか』。すると十字架が答えて、『はい』と言うのが聞こえた。彼らは互いに、ピラトのもとに行ってこれらのことを報告しよう、と相談しあった。そしてまだ相談しているうちに、再び天が開け、一人の人が降りて来て、墓の中にはいった。 

百卒長と共にいた者達はこれを見、夜ではあったが、見張っていた墓をあとにして、急いでピラトのもとに行き、見たことを一切報告した。そして大いにこわがって、『本当にあれは神の子だった』と言った。 

ピラトは答えて言った。『余は神の子の血には責任はない。それはお前達がよしとしていたことだ』。 

そこで彼ら(ユダヤ人の長老たち)は皆すすみ出て、ピラトに、見たことを一切人に話さないようにと百卒長と兵隊達に命じてくれ、と頼んで、言うには、『我々には神の前で最大の罪を負う方がまだよいので、(神の子の復活を認めたりして)ユダヤ国民の手に落ち、(彼らのうらみを買って)石で打ち殺されたりはしたくない』。それでピラトは百卒長と兵隊とに、何も言わないように命じた」(田川建三訳、同上書40~41頁)。

「どちらが正しいかは分かりません」と大学の聖書学者やキリスト教学者のような人は言うかもしれません。しかし、教会の私たちはそういう言い方はしません。イエスさまが「どのように」復活したかは聖書に記されていません。しかし、復活したことは明言されています。

イスカリオテのユダ以外の11人の弟子たちは、天使と主イエスご自身が促した通り「ガリラヤ」に行き、「山」に登りました(16節)。

この山を地理的に特定するのは、観光目的以外は無意味です。「山上の説教」(マタイ5~7章)に見られるように、イエス・キリストが登る「山」には特別な意味があります。「ガリラヤの山」は、これから宣教へと遣わされる世界を見渡せるどこかです。「世界宣教の原点」です。

「そしてイエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(17節)と記されています。この「疑う者」は誰でしょうか。これは弟子たちの中の「だれか」というより「弟子たち全員」です。信仰と疑いはコインの両面です。どの弟子も、わたしたちも、疑いと迷いの中で主イエスの存在と教えに従って生きていきます。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(18節)。これは荒れ野の誘惑のときサタンが、もし私にひれ伏すならお前に与えようと言ったものです(4章8節)。イエスさまは悪と手を結ぶことなく、父なる神から一切の権能を授かりました。

イエスさまは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と彼らにお命じになりました(13節)。

「すべての民」とは「ユダヤ人」+「異邦人(=ユダヤ人ではない人)」を合わせた「すべて」のことであって、全人口を指していません。

そして「弟子にしなさい」の中身が「洗礼を授けなさい」(バプティゾンテス)と「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい(ディダスコンテス)」の2つです。

この「教えなさい」は、番兵たちが賄賂をもらって「学習した(ディダスケイン)」と同じ言葉ですが、中身は大違いです。

「洗礼」は教会の仲間に加わることの約束です。「約束にすぎない」と言えなくはありません。洗礼はいわば瞬間的なことです。洗礼の後に続く「学ぶこと、教えること」は一生がかりです。

「学ぶこと」は「守ること」を求めます。「知識はありますが、守ったことがありません」というわけに行きません。「教えを守る」とはイエスさまの教えを実践し、生活することです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(30節)という言葉で、本書は締めくくられています。

マタイによる福音書には最初(1章23節)と最後(28章30節)に「インマヌエル」が語られています。「神がわたしたちと共にいる」という意味です。

それが「世の終わりまで」続きます。終わりがいつかは分かりません。しかし、私たちの救い主は、世界が終わるまで、いつも近くにいて、慰めと力を与えてくださいます。

(2025年4月27日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月20日日曜日

キリストの復活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにフェルメール風に描いてもらいました!

説教「キリストの復活」

マタイによる福音書28章1~10節

関口 康

「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』」(10節)

イースターおめでとうございます。今日は世界中の教会で、イースター礼拝が行われています。イースターは、イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする日です。

こういうことを言うと「あなたはおめでたい人だ」と言われかねません。「死んだ人がお墓の中から出てきたことの何がめでたいのか。恐怖しか感じない」と顔をこわばらせて言う人がいても、おかしくありません。

教会の看板に今日の説教題として「キリストの復活」と書いていただきました。「復活」などと言わないで、少しぐらいは遠慮して、もっと多くの人に受け入れてもらえそうなことを貼り出すほうがよいかもしれないと、私も考えないわけではないということを打ち明けておきます。

イエス・キリストの復活が「どのように」起こったのかは聖書には記されていません。しかし、4つの福音書に、イエス・キリストの復活は起こったと明言されています。聖書に基づいて説教することになっている教会は、イエス・キリストの復活を宣べ伝えることから逃げることはできません。

教会が「復活」を宣べ伝えるのは、聖書に書かれているからです。聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

クリスマスの聖書箇所も同じです。結婚する前のマリアに赤ちゃんが、というあの話です。もし聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

奇跡についても同様です。まるで聖書は、ハードルをどんどん高くしてなるべく信じにくくしているかのようです。

信じにくい要素はまだあります。クリスマス礼拝のときも言いましたが、私は天使が苦手です。天使が嫌いだと言っているのではありません。会ったことがないので、どのように説明してよいかが分からないのです。人間でもなく神でもなく、両者の中間に位置するように聖書に描かれている謎の存在。その苦手な天使が、クリスマスの聖書箇所にも、イースターの聖書箇所にも登場するので、困ってしまいます。

そのことは特にマタイ福音書とルカ福音書ではっきりしています。各書の最初と最後に、天使が登場します。イエスさまがお生まれになったときと、復活なさったときに現れます。天使はまるで「狂言回し」です(「歌舞伎・狂言などで、主人公ではないがその狂言の進行に重要な役割をつとめる者」広辞苑第4版)。

しかし、私はいまネガティブな話をしているつもりはありません。クリスマスとイースターの聖書箇所に共通点があると説明している註解書を読みました。どこに共通点があるかというと、「ガリラヤに行くこと」を天使が人間にすすめる言葉です。

今日の箇所では、そのことが7節に記されています。5節から7節までお読みします。

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」』」。

ここで言われているのは、ガリラヤに行けばイエス・キリストに会える。だからガリラヤに行きなさい、という意味です。

他方、クリスマスの聖書箇所で「ガリラヤ」の名前が出てくるのがマタイ福音書2章22節です。ヘロデ大王による幼児虐殺から逃れるために家族揃ってエジプトに避難した主イエスの父ヨセフの夢に天使が現れ、お告げがあったので、「ガリラヤ地方に引きこもった」(マタイ2章22節)と記されています。ガリラヤに行きなさいと神が天使を通してヨセフに伝えたということです。

このように、クリスマスの天使もイースターの天使も、イエス・キリストの存在と「ガリラヤ」を結びつける役割を果たしている点で共通しています。

この場合の「ガリラヤ」は、広い意味です。「周辺」という意味のヘブライ語「ガーリール」に由来します。主イエスの生誕地ベツレヘムは、首都エルサレムに近いので「ガリラヤ」ではありません。しかし、その後の成長期に過ごしたナザレも、宣教活動を開始したカファルナウムも、「ガリラヤ」です。

「ガリラヤ」は田舎であり、地方であり、分裂王国時代には北王国であり、他国からの流入者の割合が多い「多様な」地です。辺境ゆえに政治と宗教の権力者から見下げられてきた「より多くの慰めが必要な」地です。その「ガリラヤ」でイエスさまは宣教されました。

これらのことで分かるのは、今日の箇所で、天使と復活されたイエスさまご自身が弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と促しておられるのは、「あなたの原点に立ち返りなさい」と言われているのとほとんど同じ意味であるということです。

昨年9月8日の「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」で説教してくださった北村慈郎牧師と、先々週4月12日に「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」の総会で私が講演させていただいた日本基督教団紅葉坂教会(横浜市)でお会いしました。

北村先生は、わたしたちの70周年記念礼拝のときも、先々週の会で私を紹介してくださるときも、「私の原点は足立梅田教会です」と多くの人の前でおっしゃいました。「私のガリラヤ」とはおっしゃいませんでしたが、きっとそのお気持ちを持っておられます。「ガリラヤに行きなさい」というすすめには「あなたの原点に立ち返りなさい」という意味があるからです。

イエス・キリストが「どのように」復活されたのかは聖書に記されていないと申しました。墓の中で目を開き、体を起こし、立ち上がり、歩いて墓穴から出てくるイエス・キリストを描写するスペクタクル(視覚的)な記述は、どこにもありません。とはいえ、「どのように」についても触れられている箇所がある、ということをご紹介しておきます。

天使が婦人たちに伝えた言葉は「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ」(6節)です。秋川雅史(あきかわまさふみ)さんの「千の風になって」という歌を思い出します。「私のお墓の前で泣かないでください。ここに私はいません。眠ってなんかいません」。イエスさまは「千の風」にはなりませんが、「お墓の中にはいない、眠ってもいない」という点は、あの歌のとおりです。

しかし、この天使の言葉の中に、イエス・キリストの復活が「どのようにして」起こったのかという問いと結び付けることができる点があります。それは「かねて言われていたとおり」という言葉です。見過ごされやすい言葉ですが、重要な意味があります。

イエス・キリストは「わたしは復活する」と弟子たちの前で何度もおっしゃいました。イエス・キリストの復活は「ご自身の言葉通りになった」事実です。これが「どのように」の答えです。弟子たちにとっては、イエスさまがおっしゃったとおりのことが実現したのだから、それで十分なのです。

足立梅田教会は健在です。日本基督教団もまだ死んでいません。ですから「復活」という言葉は当てはまりません。しかし、生命の危機を感じるときは「ガリラヤに行くこと」が大切です。「原点に立ち返ること」です。「あなたのガリラヤ」にイエス・キリストがおられます。

(2025年4月20日 日本基督教団足立梅田教会 イースター礼拝)

2025年4月13日日曜日

十字架への道

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにゴッホ風に描いてもらいました!

説教「十字架への道」

マタイによる福音書27章32~56節

関口 康

「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう』」(41-42節)

今日の朗読箇所はローマ軍の兵士たちがキレネ人シモンにイエスの十字架を無理に担がせた場面から始まります(32節)。一説によれば、死刑囚が運ぶのは十字架の横木だけで、縦の木は死刑場にあらかじめ立っていました。しかし、横木だけでもひとりで運ぶには重すぎたので、手伝う人が必要でした。

ゴルゴタとは「頭蓋骨」(新共同訳「されこうべ」)を意味するアラム語に由来します(33節)。過去の死刑囚の頭蓋骨が常に散乱していた、という意味ではありません。頭蓋骨の形をした岩があったと言われています。ゴルゴタの正確な位置についても諸説あります。

主イエスがゴルゴタに着くと、ローマ兵たちがイエスに「苦いものを入れたぶどう酒」をこれも無理に飲ませようとしました(34節)。マルコ福音書(15章23節)は「没薬を混ぜたぶどう酒」としています。「没薬」は鎮痛剤です。死刑の苦しみを緩和するためです。

しかし、イエスさまはその液体を舌で確認したうえで拒否されました。考えられる理由は、完全に意識を保ったまま最期を迎えることを望まれたということです。ゴルゴタまで木材を運ぶのに必要な力とは異なる力です。イエスさまは酩酊や麻酔なしの、その意味で〝完全な〟死の苦しみをお引き受けになりました。

イエスが十字架につけられる場面の描写は、「彼らはイエスを十字架につけると」(35節)だけで終わりです。克明な状況描写や心理描写は記されていません。ローマ兵たちが「くじを引いてその服を分け合った」(35節)のは、イエスが衣服なしに、つまり「裸」で十字架につけられたことを意味します。3月30日の特別礼拝で荻窪教会の小海基牧師がイザヤ書20章1~6節に基づいて「裸の預言者」についてお話しくださったことを思い出します。

マタイが十字架刑そのものについては何も描いていないのは、描くのを躊躇(ためら)っているように見えるほどです。その一方で、マタイが克明に描いているのは、イエスの十字架の周りにいた人々の〝嘲笑〟です。

明らかにマタイは読者に対し、そのことに強い関心を持たせようとしています。苦しむイエスを見ながら笑う人々の顔をよく見てほしいと願っています。「その一人一人の顔は、鏡にうつったあなた自身の顔かもしれません」ということに気づいてもらいたいのです。

十字架刑の開始時刻は「午前九時」とマルコ福音書(15章25節)だけが記しています。イエスの頭の上の罪状書きに「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていました(37節)。これはイエスが木材を運んでいるときは首にかけられていた札でした。

この罪状書き自体が嘲笑であり、軽蔑でした。衣服をはいで裸にして、木材に釘ではりつけて、罪状書きの札に上から指差させて「これが(フートス・エスティン)、こんなやつが、ユダヤ人の王、だってさ」と笑っています。これはピラトがイエスの尋問を始めたときに最初に言った「お前がユダヤ人の王なのか」(27章11節)と同じ言葉です。からかっているだけです。

2人の「強盗」も十字架につけられます(38節)。「強盗」(レスタイ)と呼ばれていますが、政治犯の可能性があります。「強盗」の一人はイエスさまの右に、もう一人は左に。

先週の説教箇所(マタイによる福音書20章20~28節)で、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親がイエスさまに、2人の息子の「一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(20章21節)とお願いしました。右と左は部下です。真ん中がかしらです。「ユダヤ人の王」が真ん中の「強盗の頭」として十字架につけられました。これもひどい嘲笑なのです。

「そこを通りかかった人々」が、頭を(おそらく横に)振りながらイエスさまを罵りました。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(40節)。

これは3月9日の礼拝で取り上げた「悪魔の誘惑」が関係します。「神の子ならやってみろ」は、主イエスが荒れ野で誘惑をお受けになったときの悪魔の言葉です(マタイ4章3節、6節)。荒野の誘惑の物語では、「神の子なら」神殿の屋根から「飛び降りたらどうだ」(4章6節)と続きます。今日の箇所では「十字架から降りて来い」と続きます。やれるものならやってみろ、できるわけがないだろう、と嘲笑しているのです。

通行人に続いて、「祭司長、律法学者、長老」がイエスさまを侮辱します。この 3 つの立場の人々がユダヤの最高法院(サンヘドリン)を構成していましたので、「サンヘドリンが侮辱した」と言っても過言ではありません。

この人々が「他人は救ったのに、自分は救えない」(42節)と言いました。興味深いのは、ここに来てサンヘドリンが「イエスは他人を救った」と認めている点です。

彼らにとってはイエスのいやしも奇跡もすべてインチキでなければなりませんでした。しかし、今日の箇所では「他人は救った」と認めています。大きな前進です。そのうえで彼らは、「他人は救えるのに、自分は救えない」という言葉でイエスさまを侮辱しました。

彼らも宗教者です。「宗教者だって人間なのだから、他人に尽くすことばかり考えず、自分のことを優先してもよいのでは」と言いたかったのかもしれません。イエスさまにはその選択肢だけはありませんでした。

イエスさまは、右と左にはりつけにされた「強盗たち」からも罵(ののし)られました。十字架の上でイエスさまは3度嘲笑されました。第1に通行人(39節)、第2にサンヘドリンの議員(41節)、第3に強盗(44節)。どれも「嘲笑」を意味しつつ微妙にニュアンスが違うギリシア語の動詞が3つ使い分けられています。

強盗のひとりがもうひとりの強盗をたしなめたという話は、ルカ福音書(23章39~43節)に描かれていますが、マタイ福音書には描かれていません。

イエスさまが息を引き取られたのは「三時ごろ」(46節)でした。9時から始まったので6時間後です。そのとき「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました(46節)。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味のアラム語です。居合わせた人々の耳に「エリ」が「エリヤ」に聞こえ、預言者エリヤを呼んでいると言い出す人がいました(47節)。

イエスさまは十字架上で絶望されました。しかし、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は、明らかに旧約聖書の詩編22編の引用です。詩編は歌なので、イエスさまは十字架の上で歌われたと言えなくありません。

詩編22編の最後の言葉は希望のメッセージです。「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来たるべき世に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう」(詩編22編30~32節)。

イエスさまが辞世の句として引用した詩編22編は、漠然としたあきらめ(諦念)や避けられないさだめ(運命)の絶望的な受け入れではなく、神との積極的なつながりを語るものでした。

イエスさまはアルコールも鎮痛剤も拒否なさり、完全な意識と痛覚をお持ちになったままで死の瞬間を迎えました。冷たくなったイエスさまの口から「恐れるな」「勇気を出せ」という言葉が語られることはもはやありません。

しかし、百人隊長たちが「本当に、この人は神の子だった」と言いました(54節)。彼らは軍人です。人間の強さに関心があります。その彼らにとってイエスさまの強さは異次元でした。彼らはフィジカル(肉体的・物理的)な強さとは全く異なる「本当の強さ」を、イエス・キリストに見出したのです。

(2025年4月13日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月6日日曜日

十字架の意味

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「十字架の意味」

マタイによる福音書20章20~28節

関口 康

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(26-27節)

ユダヤ人は「十字架刑」を執行しませんでした。ユダヤの極刑は石打ち刑でした。十字架刑を最初に発案した、または少なくとも最初に使用したのはペルシア人でした。ゾロアスター教の神に聖なるものとして献げた大地が被処刑人の体で汚されてはならない、という理由でした。

ギリシアで十字架刑は、国内では行われませんでしたが、アレクサンドロス大王と彼の後継者がカルタゴ人の処刑に使いました。カルタゴからローマ人に伝わり、重犯罪者の処刑方法になりました。ローマの属州では、秩序と安全の維持のため最も強力で最も残酷な手段とされました。

ローマにとっての「不穏な」属国ユダヤでは、十字架刑の例が無数にあります。一度に二千人のユダヤ人を十字架に引き渡した例もあります。西暦70年の「エルサレム攻囲戦」のときには、毎日あらゆる身分のユダヤ人が500人またはそれ以上捕らえられて町の中で十字架につけられたため、最後は十字架に使う木材もそれを立てる場所も足りないほどでした(以上、ヨーゼフ・ブリンツラー著『イエスの裁判』大貫隆、善野碩之助訳、新教出版社、1988年、356~357頁参照)。

十字架刑の主たる目的は「さらす」ことです。日本でも「さらし首」は明治初期まで行われていました。まだ150年前ぐらいですので、決して他人ごとではありません。『写真集「甦る幕末」オランダに保存されていた800枚の写真から』(朝日新聞社、1986年)に当時の写真があります。

十字架の高さは遠くから見えるように人間の身長よりも少し高いか、それ以上でした。死刑囚の首に死刑の理由(causa poenae)を記した看板がかけられました。体を支えるために、途中に取り付けられた木片を足置きか腰掛けにすることもあったようですが、古い報告書にそのような木片についての言及はありません。

十字架刑がローマで初めて廃止されたのは、西暦313年の「ミラノ勅令」によってローマ帝国でキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝(西暦270~337年)の治世になってからでした。

今日の箇所で「ゼベダイの息子たちの母」が2人の息子と一緒に、イエスさまのもとに来て、ひれ伏して、あることをお願いしました。「ゼベダイの息子たち」とは、主イエスの最初の弟子になった4人のうちの「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」(マタイ4章21節)の2人です。

彼らの母が言いました。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(21節)。これは神の国、つまり天国の話です。要するに、「天国でイエスさまがナンバーワンになられたときは、うちの子たちをナンバーツーとナンバースリーにしてください」というお願いです。

イエスさまが「あなたがたは自分が何を願っているか分かっていない」(22節a)と言われていますが、これは決して怒りや非難の言葉ではありません。この後すぐに「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」(22節b)と続きます。イエスさまとしては「わたしが飲もうとしている杯は十字架刑なのですよ?本当に大丈夫ですか?」と心配してくださっているのです。そのイエスさまの質問への答えは、2人とも「できます」。ますます心配になるパターンです。

ゼベダイの子たちはその杯を実際に飲みました。ヤコブは西暦44年ごろ殉教しました。ヨハネについては、殉教したという記録もあれば、エフェソで46歳で自然死したという記録もあります。いずれにしても、イエスさまの質問に対する彼らの答えは決して軽いものでも簡単に言えるものでもありませんでした。彼らは主イエスと共に、苦しみの道を歩む意志を持っていました。

イエスさまはそのことも分かっておられます。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」(23節a)と認めてくださいました。しかし「わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない」(23節b)ともおっしゃいます。それは神さまが決めてくださることですと、主イエスは最高の権威を天の父である神にお委ねになりました。

すると、他の10人の弟子が腹を立てました。ヤコブとヨハネに嫉妬したのではなく、彼らがイエスさまの弟子の中でナンバーワンとナンバーツーを狙っているということは、つまり我々10人のことを下に見ているからだろうと感じたのだと思います。だから彼らは腹を立てました。狭い仲間内の順位争いです。

そこでイエスさまは、彼らみんなを呼び寄せて説教されました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」(25~26節)。

世界の支配者がいばりちらし、権力を行使する。そういうことをする人がいることを、あなたがたは知っています。あなたがた自身はそうであってはなりません。これは、相手と同じになってはいけないという意味です。

イエスの弟子になりたい人に対しては、世の中の価値観とは正反対の基準が適用されることになります。その基準が「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(27節)です。いちばん上になりたければいちばん下になりなさい、ということです。

イエスさまのこの教えの中で「偉くなりたい」「一番になりたい」という人の思いは、少しも否定されていません。むしろ肯定されています。「仕える者」の意味は「奴隷」です。つまりイエスさまは「いちばんになって偉くなりたい人は、すべての人に奉仕する者になりなさい」と言われています。

「奉仕すること」はギリシア人にとって価値が低いことと考えられていました。ギリシア人の「男らしさ」の基準は「支配すること」と「奉仕しないこと」でした。イエスさまの弟子になれるかどうかの条件は、その正反対です。「奉仕」の心があるかどうかです。

イエスさまご自身も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための、贖いの代価として自分の命を与えるために来てくださいました。イエスさまは、十字架の上でご自身の命を献げることは「奉仕」であると理解しておられ、「人の子」すなわちイエスさまは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(28節)と明言されました。

この「身代金」が誰に支払われるかは分からないように記されています。テロリストに屈するようなことをしてはならないのはごもっともです。しかし、「身代金」の本来の意味は、捕らえられているだれかを解放するために支払われるお金のことです。身代金を支払う者は、その身代金を支払われた人を解放し、新しい人生を始められるようにします。

つまり、主イエスがご自身のことを指して言われた「多くの人の身代金」という表現は、ご自身が意識的に人間を罪と罪悪感から解放するために命をささげようとしたことを示しています。

このように、イエスさまの弟子になることは、世間では当たり前とされていることの逆です。「自動的に」または「生まれつき」または「努力によって」または「反省によって」得られるものではありません。神の恵みによって起こる「回心」を経ることが必要です。

わたしたちに求められているのは「奉仕」の心です。イエスさまと同じように、十字架の上で命を献げることまでは求められていません。神を愛し、隣人を愛し、共に生きるすべての人々に「仕える」心をもって生きるとき、主イエス・キリストはわたしたちと共におられます。

(2025年4月6日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)