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日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「ユダにパンを渡す」
ヨハネによる福音書13章21~3
日本基督教団東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝
関口 康
「イエスは、『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた」(26節)
今夜の御言葉は、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。主イエスが十字架につけられる前の夜、最後の晩餐でイスカリオテのユダにパンをお渡しになった場面です。
主イエスはパンを浸して取り、ユダにお与えになりました(26節)。パンを「何」に浸したのでしょうか。
マタイ26章23節とマルコ14章20節によると、主イエスはパンを「鉢」(τρυβλίον トルブリオン。英語bowl)に浸しました。しかし、知りたいのは鉢の中身です。可能性が2つあることが分かりました。
(1)第一の可能性
第一は、「一緒に鉢に手を浸す」(Ὁ ἐμβάψας μετ’ ἐμοῦ τὴν χεῖρα ἐν τῷ τρυβλίῳ)という表現は「食事を共にすること」以上の意味を持たない当時の慣用句だったという可能性です(ウォルター・バウアー『新約聖書辞典』の立場)。
高知の「皿鉢(さわち)料理」を思い出します。または「同じ釜の飯を食う」「鍋をつつく」など。食事会をコロナでやめたという人や会社が多いかもしれません。教会も同じです。みんなで分かち合う、協力するという大事な意味があったはず。鍋奉行がいたり。裏切りとはそのような関係性を破壊することを意味する、というメッセージになるでしょう。
(2)第二の可能性
第二は、主イエスはパンを「(☆ )」に浸したという可能性です(H. L. シュトラック、P. ビラベック共著『タルムードとミドラッシュに基づく新約聖書註解』全4巻(1922~1928年)の立場)。
①青野太潮『初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年、63~64頁参照)によると、主イエスがお生まれになったのがヘロデ大王の没年の紀元前(BCE)4年と同じか紀元前5年。十字架刑はほぼ間違いなく紀元(CE)30年4月7日。これで正しければ、「最後の晩餐」の日付は「西暦30年4月6日」。②全福音書が教えているのは「最後の晩餐」はユダヤ教の「過越祭」だったということです。ただし、ひとつの解説(J.T.Nielsen, Het Evangelie naar Mattheüs, III, PNT, 1974)によれば、その場合の「過越祭」は広い意味です。
③マタイ26章17節とマルコ14章12節に「除酵祭の第一日」に主イエスが弟子たちに過越祭の場所探しを命じるなど準備を始めたことが記されています。しかし厳密に言えば、その日から始まる1週のうち、「過越祭」は(太陰暦の)ニサン(現行の西暦(グレゴリオ暦)の3月から4月)の14日から15日の夜に祝われ、その直後のニサン15日から21日までが「除酵祭」です。「除酵祭の第一日」には祭りの準備は完了していなければなりませんでしたが、未完了だったということは「初日」ではなく「前日」の意味だろうと考えられます。④西暦1世紀のユダヤ教が狭義の「過越祭」と「除酵祭」を合わせて「過越祭」と呼んだので、マタイもマルコも両者を区別しません。過越祭は、エジプトでの奴隷状態からの解放の祝いであり、七週祭(ペンテコステ)と仮庵祭と共に、ユダヤ教3大巡礼祭の一つでした。⑤過越の食事は日没後に始まり、夜遅くまで続きました。それは必ずエルサレムの城壁内で行われなければなりませんでした。当時、エルサレムはイスラエル全部族の共有財産だったため、巡礼者たちは過越を祝うために、誰の家でも訪れる権利がありました。彼らは無料で宿泊場所を与えられ、もし空きがあれば過越を祝うための部屋を自由に利用できました。⑥過越の食事は夕方に行われます。元々は立って食べましたが(出エジプト記12章11節)、横になって食べます。⑦「最後の晩餐」が「聖餐式」の原型です。私たちの関心になりうるのは、聖餐式でどんなパンを食べるのかです。普通のパンなのか、無酵母パンなのか。「最後の晩餐」で用いられたのは無酵母のパンでした。主イエスはこのときの過越祭の食事で当時のパレスチナのユダヤ人と同じ行動をとっています。しかしマタイは普通のパンを意味する「アルトス」という語を用いています。無酵母パン(マッツァー)は「アズモス」という別の言葉があります。⑧過越の食事はコースメニューになっています。ユダヤ法(ハラハー)によれば、メインディッシュは「パン、サラダ、(☆ )、子羊」です。マタイ26章23節は主イエスがパンを「浸した」(ἐμβάψας エムバパス)と過去形で記し、マルコ14章12節は「浸している」(ἐμβαπτόμενος エムバプトメノス)と現在進行形で記しています。食事中は、各人は自分の鉢を目の前に置かなければなりませんでしたが、最初のコースを食べている間、鉢が共用状態であったときのことが描かれていると考えられます。⑨(☆ )は細かく刻んだ果物とナッツを混ぜ合わせた甘くて濃い色の食べ物です。レシピはたくさんあります。色と質感はイスラエル人がエジプトで奴隷状態にあった際に使用したモルタル、または日干しレンガを作るのに使われた泥を思い起こすものです。名称は「粘土」を意味するヘブライ語「 חֶרֶס へレス」に由来します。
第二の可能性の場合は「鍋をつついた」とか「同じ釜の飯を食った」というよりも宗教的な意味が増すでしょう。主イエスへの裏切りは、人間同士の信頼関係を破壊するだけではなく、神との約束を反故にし、解放を望んでせっかく脱出したあの不自由な関係性への逆戻りを意味する、というメッセージになるでしょう。
主イエスにとってユダの裏切りは、やはり残念なことでした。だからこそ主イエスは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタイ26章24節)と厳しいことをおっしゃいました。
「どうぞご自由に」など言えるはずがないではありませんか。夫または妻、親または子、友人に裏切られたとき、「どうぞご自由に」と言えますか。人によるかもしれません。しかし、関係が近ければ近いほど、裏切りがもたらす傷は大きいです。
それでも主イエスは、ユダの心も他の弟子たちの心もすべてをご理解なさったうえで、ご自身の意志で、父なる神の御心に従い、十字架への道を進まれました。
主イエスはユダを最後まで愛しておられました。ユダの後任者を選んだのは他の弟子たちです。主イエスはユダを除名していません。ユダの代わりはいません。取り換えがきかない、かけがえのない弟子です。
主イエスは、ユダのためにも、十字架にかかって死んでくださいました。
教会は、よみがえられた主イエスの愛がつくり出した共同体です。主イエスは一度愛した相手を見捨てません。私たちがどれほど心変わりしても、主イエスは私たちを愛し続けておられます。
私たちの教会の聖餐式のパンには、「(☆ )」どころか、マーガリンもジャムも付いていません。しかし、聖餐を受けるたびに、神の愛の約束のしるしであることを思い起こすことが求められています。
(2025年6月27日 東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝、日本基督教団足立梅田教会)