2024年7月7日日曜日

希望はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「希望はあるか」

使徒言行録24章10~21節

関口 康

「『彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです』」(21節)

猛暑日が続いていますが、東京の梅雨はまだ明けていません。昨日は強い雨が降っていました。今日は都知事選挙と都議会議員補欠選挙です。暑いし、雨は降るし、忙しい。それでも日曜日ごとに教会に集まり、礼拝をささげるわたしたちを神が喜んでくださっています。

キリスト教主義学校は、来週あたりが期末テストで、再来週から夏休みです。今ごろは「期末テストの準備があるので教会に行けない」という生徒もいれば、「学期課題の教会出席レポートがまだ書けていないので駆け込みで教会に行く」という生徒もいます。

学校では毎日礼拝です。讃美歌、聖書、説教、祈りです。聖書の授業もあります。教会に通っているキリスト者よりも彼女/彼らのほうが聖書を開いている時間が長いかもしれないほどです。英語、数学、国語、理科、社会、体育、芸術、部活、文化祭・体育祭・修学旅行、中には塾通い、恋愛・失恋。汗と涙と泥まみれの青春の中で、聖書も学びます。教会にも来てほしいと思いますが、彼/彼女らは戦いの毎日です。温かく見守ってあげたいです。

牧師の働きは公私の区別が難しいです。先週火曜(7月2日)は西千葉教会(千葉市中央区)での「東京教区伝道部婦人全体集会」に私と教会員3名で出席しました。大島元村教会と波浮教会の菅野勝之牧師が講師で、「伊豆諸島伝道」がテーマの講演を聞きました。出席者109名。

翌日の水曜日(7月3日)は聖学院大学(埼玉県上尾市)で「聖学院と教会の懇談会」に出席。講師は吉祥寺教会の吉岡光人牧師。「コロナ後の伝道」がテーマの講演を聞きました。出席は教会側64名、学校側25名、合わせて89名。

偶然ですが、菅野先生と吉岡先生のおふたりとも1990年3月に東京神学大学大学院を卒業した私の同級生です。私も含めて3人とも伝道35年目。おふたりの講演は、基本的な方向性が同じでした。共通のテーマは「伝道」です。21世紀に生きるわたしたちにとって神はどなたであり、神がわたしたちに何をしてくださり、わたしたちは神から何を受け取り、味わい、感謝して喜んで生きることができるのかを、みんなが知りたいと願っています。

ここから先に申し上げることが、みなさんをがっかりさせるかもしれません。私の耳で聴いたかぎり、おふたりの講演のどちらにも「答え」はありませんでした。批判ではありません。「伝道」に「答え」はないことが分かりました。こうすればこうなる式の、ハウツーものの伝道メソッドはありません。最終的に「伝道」とは、人の手を離れた「神のみわざ」なのです。

菅野先生が「祈り」の大切さを訴えました。「道路と移動手段があれば自由にどこへでも行ける本土の教会と、島の教会の事情は構造的に違う。だからこそ離島の教会のために祈ってほしい」と言われました。その通りだと思いました。

吉岡先生が、緊急事態宣言をきっかけに吉祥寺教会で始めた「インターネット礼拝」について言われたことが私の印象に残りました。

いま吉岡先生は日本基督教団出版局の理事長でもあり、「文書伝道」が日本のキリスト教界にもたらした多大な貢献と共に、その限界もよくご存じです。「文書伝道」の代表的存在は三浦綾子さん。三浦さんのファンは大勢いる。しかし、その方々が教会に通うかどうかは別。同じことがインターネット伝道に起こっている。

しかし、吉岡先生が言いました。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」。その通りだと思いました。

菅野先生と吉岡先生の講演とは直接関係ありませんが、7月の礼拝説教のタイトルを工夫してみました。今日(7日)が「希望はあるか」、来週(14日)が「助け船はあるか」、再来週(21日)が「信念はあるか」。「あるかシリーズ」全3回。そして今月最終週(28日)が「善いサマリア人」です。その日に久しぶりの教会学校を行います。たくさんの子どもたちに来てもらいたいです。

人それぞれの感じ方があるでしょう。「あるか」と問われると「ない」と反射的に答える方々がおられるでしょう。その時点ですでに、機嫌を損ねておられるかもしれません。特に教会の看板に書いてあったりすると、ますます反発されるかもしれません。「希望はある」と断言するほうがよいでしょうか。「あるか」と、どうして疑問文なのでしょうか。挑発的でしょうか。そのあたりも含めて、皆さんに考えていただきたいと思いました。

今日の聖書の箇所に登場するのは使徒パウロとフェリクスです。フェリクスが何者かはさほど重要ではありません。在任期間に諸説あるようですが、紀元53年から55年まで、エルサレムに駐留していたローマ総督。イエスの十字架刑の判決を下したローマ総督はポンティオ・ピラト。約20年後、今度はパウロを死刑にしたい人たちが彼を逮捕し、イエスのときと同じように、初めに最高法院で尋問し、次にローマ総督官邸に引き出しました。

パウロがフェリクス相手に言っているのは、自分は何も悪いことをしていないという弁明です。パウロは第2回伝道旅行を終えて、自分自身の働きのために、また地中海沿岸に生まれた多くのキリスト教会のために、祈りと献金をもって支援してくれていた人々に報告し、また逆に諸教会からの献金を届け、感謝する礼拝をささげるために、エルサレムに来ていました。長旅の疲れをいやす意味もあったでしょう。そのエルサレムに来て12日しか経っていないのに、このわたしが大暴れして町じゅうを扇動して混乱に陥れたりするわけがないと言いたがっています。

そもそもパウロにとってキリスト教を宣べ伝えることは、町を混乱させるとか市民生活を破壊するとか、そんなことのためにしているのではなく、彼にとって譲れない「真理」を話しているだけなので、他にどうすることもできません。

パウロがこのときフェリクスの前で繰り返すことによって強調しているのは、キリスト教的な意味での「死人のよみがえり」についての信仰告白です。「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」(15節)。「彼ら(最高法院で自分を訴えた人たち)の中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです」(21節)。

「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていた」(22節)の「この道」はキリスト教です。フェリクスはキリスト教の信徒ではなかったが、理解者だった。フェリクスがその裁判を延期してくれてパウロが命拾いをしたという話です。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」という先ほどの吉岡先生の言葉を思い出しませんか。フェリクスは、キリスト教の人は危険な破壊工作のようなことはしないと分かっていたようです。ありがたい理解者です。

パウロがフェリクスの前で述べたのは「死者の復活の希望」でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活する」と言われているのが重要です。これは、我々人間がどんな策略を立て、陰謀を企て、黒を白と言うかわりに白を黒と言い、真実を知る者を抹殺し、最高裁の結審まで事実を隠し通したとしても、死者の墓を掘り起こしてでも、神ご自身が、もう一度でも何度でも、裁判をやり直してくださることによって、神が真理を明らかにしてくださるという信仰だと言えます。

この希望は、人を裏切りません。だれにも負けずに自信をもって真理を貫くことができます。

これほどの希望が、あなたにありますか。謹んでお尋ねいたします。

(2024年7月7日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)