2025年7月6日日曜日

信仰・希望・愛

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「信仰・希望・愛」

コリントの信徒への手紙一13章8~13節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑩(最終回)

関口 康

「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」(13節)

「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」(日本基督教団信仰告白)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」は今日で最終回です。

厳密に言えば、使徒信条は日本基督教団信仰告白に含まれます。間髪入れず「使徒信条に基づく教理説教」を始めることも考えました。しかし、いったん休止します。

そもそも教理説教というスタイルに馴染みがない方は、同じ調子の説教が続くとお疲れになるでしょう。マンネリ化は逆効果です。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」です。最後に厳しいことを言います。皆さんにではなく、教団に言いたいことです。

日本基督教団信仰告白は、『日本基督教団教憲教規および諸規則』という冊子の中に印刷されています。表紙をめくると、タイトル、目次。本文の最初に「信仰告白」、次に「教憲」全12条。そして「生活綱領」「日本基督教団成立の沿革」「教規」の順に印刷されています。

日本基督教団事務局編
『日本基督教団教憲教規および諸規則』

なぜ印刷の話をするのかといえば、「信仰告白」と「教憲」が外見上区別されていることを確認したいからです。それは信仰告白が教憲の中に含まれるかどうかについて議論の余地があることを意味しています。

(1)日本基督教団教憲の第1条に「本教団はイエス・キリストを首(かしら)と仰ぐ公同教会であって、本教団の定める信仰告白を奉じ、教憲および教規の定めるところにしたがって、主の体たる公同教会の権能を行使し、その存立の使命を達成することをもって本旨とする」と記されています。この線に沿うとしたら、信仰告白と教憲は別ものです。

(2)しかし、たとえば外国教会の規則を翻訳して用いることから出発した日本キリスト改革派教会は「教会の憲法(*「教憲」と同義)は信仰規準・教会規程の二部から成る。信仰規準は日本キリスト改革派教会信仰規準の前文を付したウェストミンスター信仰告白・大教理問答書・小教理問答書から成る」と規定しています。この立場に立てば、信仰告白は教憲です。

「憲法」と聞くと「日本国憲法」を思い浮かべる方が多いでしょう。憲法改正の議論の中で繰り返し聞くのは、「憲法は権力者の側を縛るものであり、権力を制限することによって国民の権利を保障するためにある」という主張です。私はもちろん、そのとおりだと思っています。

同じことが日本基督教団の教憲にも当てはまります。「信仰告白は教憲と同等の権威を有する」という理解をもし日本基督教団が否定しないとすれば、信仰告白が制限しているのは教団執行部の権限です。信仰告白に最も拘束されるべきは教団執行部です。

私がいま申し上げたことを踏まえていただいたうえで日本基督教団信仰告白の今日の箇所をご覧になると、「愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む」という一文の主語である「教会」の第一義は「日本基督教団」でなければならないことがお分かりになるでしょう。

ここから先が、今日の問題です。

「日本基督教団が愛のわざに励む」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。日本基督教団はどのような「愛のわざ」に励んでいるでしょうか。

私が知っている1960年代から90年代前半までの日本基督教団は、社会活動の面で今よりはるかに熱心で活発でした。しかしその後、日本基督教団は社会活動関連の委員会や組織をあからさまに解体したり縮小したりしはじめました。

それとも「愛のわざに励みつつ」だけは別扱いなのでしょうか。「愛のわざはあくまで個人的なものです」とか「それは各個教会の取り組みであって教団単位ですることではありません」とか言って、個人や各個教会に責任をなすりつけたいのでしょうか。

「愛のわざに励まない日本基督教団」だとしたら信仰告白違反です。

「教憲」の前文に「信仰告白」の文章を書き写したような内容が記されています。「この教会は(中略)代々主の恩寵と真理とを継承して、福音を宣べ伝え、聖礼典を守って、主の来たりたもうことを待ち望み、その聖旨をなし遂げることを志すものである」とあります。

「愛のわざに励みつつ」は、無意識か意識的かは分かりませんが、なぜか除外されています。

日本基督教団信仰告白の中に「愛のわざに励みつつ」という一文を加えたのがどなたなのかを私は知りませんが、とても素晴らしい仕事をなさったと絶賛したいです。

この一文を日本基督教団がどのように定義しているかを調べるために、1959年改訂版の日本基督教団信仰職制委員会編『日本基督教団信仰問答』を確認しました。

日本基督教団信仰職制委員会編
『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)

「愛」という字がかろうじて見つかる説明は、問39「教会とは何であるか」の答えの中の「教会は(中略)共に礼拝を守り、互に愛の交わりをなすべきものである」だけでした。

「(教会内の)愛の交わり」と「(教会の)愛のわざ」(公式英語版 works of love)は、明らかに別の概念です。『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)は日本基督教団信仰告白の「愛のわざに励みつつ」については説明していません。

教会が励むべき「愛のわざ」とは、教会の内から外へと向かう方向性を持つ、信仰のあるなしにかかわらず広く人類において共有されうる愛に基づく社会貢献のことです。

私は昨年3月の足立梅田教会への赴任以来、副業先を見つけることができていません。教会から世の中へと出ていく方向の「愛のわざ」について体験的に語る資格は今の私にはありません。

しかし、その働きがあるときにこそ不思議な出会いがあることを、2018年度の1年間アマゾンの倉庫で肉体労働をしたときにも、2019年度からの5年間学校で非常勤講師をしていたときにも、体験しました。

教会に来てくれそうな人を探して勧誘するために働いたわけではありません。そういうのはすぐに見抜かれるでしょう。職場での私の態度や働きを見て信頼してくださった方々が友達になり、結果的に教会にも来てくれました。いまだに連絡関係があります。

私たちは、夫婦や親子の中に信仰を持つ者と信仰を持たない者がいる場合、おこづかいの金額やごはんの盛りつけなどで差別するでしょうか。

私たちは、会社や学校や社会の中で教会に来てくれそうな人とだけ友達になり、そうでなさそうな人とは友達にならない、というようなことをするでしょうか。

そういうのをカルト宗教というのです。もし仮にそのようなことをした場合、それがどのような悪い結果を生み出すかを、私たちは知っているはずです。

今日の聖書箇所で使徒パウロが「信仰・希望・愛」の3つを並べて、この中の「最大」は「愛」であると書いています(13節)。

このときパウロは「信仰よりも希望よりも愛が大切である」と比較級で考えていなかったと言い切れるでしょうか。教会の中で「信仰よりも大事なものがある」と言い出すことには勇気が必要です。パウロはそのことを大胆に言っています。

「(教会が)愛のわざに励む」とは、教会自身が教会の外部の人々に対する活動へと献身することです。しかし、日本基督教団の「教憲」も「信仰問答」も、このことから腰が引けているようにしか見えません。日本基督教団の最初期から「愛のわざに励むこと」に消極的な人々がいたのかもしれないと思えてきます。

日本基督教団の最近の執行部に近い人たちの文章を読むと、「ヒューマニズム」を敵視する言葉がやたら目立ちます。ヒューマニズムは「人間中心主義」なので「神中心主義」であるべき我々としては受け容れることができない、というような単純な三段論法でヒューマニズムを否定するようなことを言ったり書いたりします。この場合のヒューマニズムは博愛主義の意味です。

はたして、ヒューマニズムはキリスト教の敵でしょうか。私はそうは思いません。丸腰の一個人としてのキリスト者が日常生活を営むために、すべての人と良好な関係を築くことができる有効な土台はヒューマニズムです。

(2025年7月6日、日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月29日日曜日

洗礼と聖餐

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「洗礼と聖餐」

コリントの信徒への手紙一11章23~34節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑨

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(26節)

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典(せいれいてん)を執り行ひ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教を計画したのは私です。誰からも強いられていません。カトリックでは7つ(seven)、プロテスタントでは2つ(two)の「サクラメント」(Sacraments)についてお話しする流れになることはもちろん分かっていました。しかし、いざ向き合うと最も話しにくいテーマであることを痛感いたします。今からでも逃げ出したいです。

逃げたい理由は2つあります。1つは、キリスト教会の歴史の中で「洗礼と聖餐」の理解が非常に多く分かれてきましたが、相互理解や議論のないまま30余派の旧教派が合同して1941年に創立した日本基督教団の中で「これが答えです」と言えるものが存在しないからです。スズメバチの巣に手を差し入れるチャレンジャーになる勇気は私にはありません。

2つ目の理由は、私です。「何人の人に洗礼を授けたか」は牧師の手柄ではありません。しかし、牧師の能力や魅力と無関係であると考えてくださるのは、よほどお優しい方でしょう。人気投票の面がないとは言えません。隠退直前の牧師から〝記念洗礼〟を受ける方がおられるほどです。

私は1990年4月に日本基督教団補教師になり、1992年12月に正教師になりました。補教師と正教師の最も大きな違いは聖礼典を執行できるかどうかです。私は正教師按手から数えると33年目。私が洗礼式をしたのは、幼児洗礼を含めて11名です。私の子どもも含まれます。今日のテーマについて話しづらいと感じるのは、堂々たる成果を披露するというような話にならないからです。

私が洗礼を授けさせていただいた中に、差しさわりのない範囲内でご紹介したい方々がいます。ちょうど20年前の2005年に集中して、多くの方々が受洗を志願なさいました。全員が同い年、しかも私の父と同い年でした。「ナチス台頭の年」生まれ。当時72歳。団塊世代のひと回り上。終戦が小学6年。小学校ではひとりが悪さすると連帯責任論でクラス全員が教師に殴られ、中学入学と同時に民主主義になった世代です。

いま考えると、時代の流れと関係があったようです。全員が「元公務員」という共通点を持っていました。元官僚、元都庁職員、元都立学校長。その中の複数の方からお聞きした言葉は「私は若い頃から洗礼を受けたいと願っていたが、職場で中立を求められた」ということでした。

私の両親も公務員でしたので、その方々のおっしゃることは理解できました。私の父にその能力が無かったと言われれば返す言葉はありませんが、一度も管理職に就きませんでした。ゼネストに反対して父だけ学校に行ったことで教員組合とうまく行かなくなったと、退職後だいぶ経って父から聞きました。日曜日に教会に行く人間は、部活の顧問などもできなかったでしょう。

それでも両親は私と兄を連れて教会に通いましたが、2人とも家ではずっと不機嫌でした。何が悲しくて教会に通っているのだろうと私は子ども心に思っていました。当時は校内暴力全盛期。裏返せば、管理教育全盛期。それが1970年代から80年代までのわが国の事実です。

それから20年後。2005年の日本に何があったでしょうか。ネットで調べてみました。郵政民営化開始、京都議定書発効、クールビズ開始、国内人口の自然減開始。流行語大賞「小泉劇場」。時代が大きく変わりました。

あとふたり紹介させてください。ひとりは2005年でなく何年か後に受洗なさいましたが、やはり同じ世代の方でした。ペンネームを持っておられたスポーツ新聞の元記者でした。「金田(正一)くんや王(貞治)くんとは仲がいいが、長嶋(茂雄)くんはボクよりも若い」と教えてくださいました。お連れ合いの入院を機に、教会に通いはじめられました。教会に通いはじめてちょうど1年後、「私に洗礼を授けてください」と申し出られました。

もうおひとりも、やはり同じ世代の男性でした。「洗礼は大学のころ受けました。その直後から教会に通うのをやめました。教会を50年サボりました。こんな私でいいですか」とおっしゃいました。復帰式を行ってお受け入れしました。ホームに入られるまで、毎週礼拝に通われました。

この方々が今どうしておられるかは分かりません。この方々と出会えたおかげで、私の辞書に「絶望」の2文字がありません。教会には明るい未来しかありません。

職場なのか、どこなのか、何なのかは分かりません。なんらかの力によって拘束されて、洗礼を受けたくても受けられないでいる方々がおられます。個人の決心や意志の強さでどうなるものでもありません。その方々を神が必ず解放してくださいます。その日を信じて待つ思いです。

しかし、「洗礼と聖餐」というテーマを掲げた以上、全く触れずに終わるわけには行きません。

一昨日(6月27日)、東支区壮年委員会の方々が足立梅田教会をご訪問くださり、私が礼拝説教を担当しました。その内容を教会ブログで公開しました。そのとき話したことを繰り返します。

「聖餐式」の原型は「最後の晩餐」であり、それはユダヤ教の「過越祭」として行われたものでした。主イエスがイスカリオテのユダに「浸したパン(または食べ物)を渡した」と聖書に記されています(マタイ26章23節、マルコ14章20節、ヨハネ13章26節)。主イエスが〝何〟にパンを浸したのかを調べたら、2つの可能性があると分かりました。

ひとつは「共に食事をする」という意味しかない「一緒に手を鉢に浸す」という慣用句があったという可能性です。もうひとつは「ハローセト」(Charoset)だったという可能性です。

ハローセトとは、果物やナッツなどを砕いてワインやはちみつを加えたこげ茶色の食べ物です。ユダヤ人は今でも過越祭のたびにハローセトを作ります。その色や質感は、ユダヤ人がエジプトでの奴隷状態の強制労働の中で使ったモルタルやレンガや泥を思い出すものです。

もし後者で正しいなら、「最後の晩餐」を受け継ぐ「聖餐式」は、奴隷状態からの解放の喜びの祝いであることがより明確化されるでしょう。主イエスがユダに「浸したパン」を渡した意味は、主イエスへの裏切りは奴隷状態への逆戻りを意味するが、あなたはそれで本当によいのかという問いかけです。

この私をあらゆる束縛の中から解放してくださった神に感謝し、神を永遠に喜ぶ具体的な場が「聖餐式」ならば、それにあずかる前に、神の恵みのもとに生きる決心と約束を、神と教会との前で言い表わすのはふさわしいことです。

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典」は、プロテスタント教会の伝統的な用語を用いていえば、私たちの決心と約束の「しるし」(signs)と「印章」(seals)です(『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)英語版(Christian Reformed Church (CRC) 訳)第66問など)。

(2025年6月29日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月27日金曜日

ユダにパンを渡す

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「ユダにパンを渡す」

ヨハネによる福音書13章21~3

日本基督教団東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝

関口 康

「イエスは、『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた」(26節)

今夜の御言葉は、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。主イエスが十字架につけられる前の夜、最後の晩餐でイスカリオテのユダにパンをお渡しになった場面です。

主イエスはパンを浸して取り、ユダにお与えになりました(26節)。パンを「何」に浸したのでしょうか。

マタイ26章23節とマルコ14章20節によると、主イエスはパンを「鉢」(τρυβλίον トルブリオン。英語bowl)に浸しました。しかし、知りたいのは鉢の中身です。可能性が2つあることが分かりました。

(1)第一の可能性

第一は、「一緒に鉢に手を浸す」(Ὁ ἐμβάψας μετ’ ἐμοῦ τὴν χεῖρα ἐν τῷ τρυβλίῳ)という表現は「食事を共にすること」以上の意味を持たない当時の慣用句だったという可能性です(ウォルター・バウアー『新約聖書辞典』の立場)。

高知の「皿鉢(さわち)料理」を思い出します。または「同じ釜の飯を食う」「鍋をつつく」など。食事会をコロナでやめたという人や会社が多いかもしれません。教会も同じです。みんなで分かち合う、協力するという大事な意味があったはず。鍋奉行がいたり。裏切りとはそのような関係性を破壊することを意味する、というメッセージになるでしょう。

(2)第二の可能性

第二は、主イエスはパンを「(☆   )」に浸したという可能性です(H. L. シュトラック、P. ビラベック共著『タルムードとミドラッシュに基づく新約聖書註解』全4巻(1922~1928年)の立場)。

①青野太潮『初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年、63~64頁参照)によると、主イエスがお生まれになったのがヘロデ大王の没年の紀元前(BCE)4年と同じか紀元前5年。十字架刑はほぼ間違いなく紀元(CE)30年4月7日。これで正しければ、「最後の晩餐」の日付は「西暦30年4月6日」。

②全福音書が教えているのは「最後の晩餐」はユダヤ教の「過越祭」だったということです。ただし、ひとつの解説(J.T.Nielsen, Het Evangelie naar Mattheüs, III, PNT, 1974)によれば、その場合の「過越祭」は広い意味です。 
 
③マタイ26章17節とマルコ14章12節に「除酵祭の第一日」に主イエスが弟子たちに過越祭の場所探しを命じるなど準備を始めたことが記されています。しかし厳密に言えば、その日から始まる1週のうち、「過越祭」は(太陰暦の)ニサン(現行の西暦(グレゴリオ暦)の3月から4月)の14日から15日の夜に祝われ、その直後のニサン15日から21日までが「除酵祭」です。「除酵祭の第一日」には祭りの準備は完了していなければなりませんでしたが、未完了だったということは「初日」ではなく「前日」の意味だろうと考えられます。

④西暦1世紀のユダヤ教が狭義の「過越祭」と「除酵祭」を合わせて「過越祭」と呼んだので、マタイもマルコも両者を区別しません。過越祭は、エジプトでの奴隷状態からの解放の祝いであり、七週祭(ペンテコステ)と仮庵祭と共に、ユダヤ教3大巡礼祭の一つでした。

⑤過越の食事は日没後に始まり、夜遅くまで続きました。それは必ずエルサレムの城壁内で行われなければなりませんでした。当時、エルサレムはイスラエル全部族の共有財産だったため、巡礼者たちは過越を祝うために、誰の家でも訪れる権利がありました。彼らは無料で宿泊場所を与えられ、もし空きがあれば過越を祝うための部屋を自由に利用できました。

⑥過越の食事は夕方に行われます。元々は立って食べましたが(出エジプト記12章11節)、横になって食べます。

⑦「最後の晩餐」が「聖餐式」の原型です。私たちの関心になりうるのは、聖餐式でどんなパンを食べるのかです。普通のパンなのか、無酵母パンなのか。「最後の晩餐」で用いられたのは無酵母のパンでした。主イエスはこのときの過越祭の食事で当時のパレスチナのユダヤ人と同じ行動をとっています。しかしマタイは普通のパンを意味する「アルトス」という語を用いています。無酵母パン(マッツァー)は「アズモス」という別の言葉があります。

⑧過越の食事はコースメニューになっています。ユダヤ法(ハラハー)によれば、メインディッシュは「パン、サラダ、(☆   )、子羊」です。マタイ26章23節は主イエスがパンを「浸した」(ἐμβάψας エムバパス)と過去形で記し、マルコ14章12節は「浸している」(ἐμβαπτόμενος エムバプトメノス)と現在進行形で記しています。食事中は、各人は自分の鉢を目の前に置かなければなりませんでしたが、最初のコースを食べている間、鉢が共用状態であったときのことが描かれていると考えられます。

⑨(☆   )は細かく刻んだ果物とナッツを混ぜ合わせた甘くて濃い色の食べ物です。レシピはたくさんあります。色と質感はイスラエル人がエジプトで奴隷状態にあった際に使用したモルタル、または日干しレンガを作るのに使われた泥を思い起こすものです。名称は「粘土」を意味するヘブライ語「 חֶרֶס へレス」に由来します。

第二の可能性の場合は「鍋をつついた」とか「同じ釜の飯を食った」というよりも宗教的な意味が増すでしょう。主イエスへの裏切りは、人間同士の信頼関係を破壊するだけではなく、神との約束を反故にし、解放を望んでせっかく脱出したあの不自由な関係性への逆戻りを意味する、というメッセージになるでしょう。

主イエスにとってユダの裏切りは、やはり残念なことでした。だからこそ主イエスは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタイ26章24節)と厳しいことをおっしゃいました。

「どうぞご自由に」など言えるはずがないではありませんか。夫または妻、親または子、友人に裏切られたとき、「どうぞご自由に」と言えますか。人によるかもしれません。しかし、関係が近ければ近いほど、裏切りがもたらす傷は大きいです。

それでも主イエスは、ユダの心も他の弟子たちの心もすべてをご理解なさったうえで、ご自身の意志で、父なる神の御心に従い、十字架への道を進まれました。

主イエスはユダを最後まで愛しておられました。ユダの後任者を選んだのは他の弟子たちです。主イエスはユダを除名していません。ユダの代わりはいません。取り換えがきかない、かけがえのない弟子です。

主イエスは、ユダのためにも、十字架にかかって死んでくださいました。

教会は、よみがえられた主イエスの愛がつくり出した共同体です。主イエスは一度愛した相手を見捨てません。私たちがどれほど心変わりしても、主イエスは私たちを愛し続けておられます。

私たちの教会の聖餐式のパンには、「(☆   )」どころか、マーガリンもジャムも付いていません。しかし、聖餐を受けるたびに、神の愛の約束のしるしであることを思い起こすことが求められています。

(2025年6月27日 東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝、日本基督教団足立梅田教会)

2025年6月22日日曜日

礼拝と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「礼拝と宣教」

テモテへの手紙二4章1~8節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑧

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2節)

「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白は「教会」を「公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝える」団体としています。

「福音を正しく」の「正しく」は公式の英語版で〝aright〟です。教会が語る「正しさ」は聖書の解釈という手続を必ず採りますので、多様性が生じることは避けられません。

突き詰めていえば、私たち人間は神の御心を完全に知ることはできません。謎は残り続けます。神の不可把握性(incomprehensiveness / incomprehensibility of God)の教理と言います。

教会の仕事は「①礼拝」と「②宣教」です。もうひとつ信仰告白に記されている教会の仕事は「③愛のわざ」です。「①礼拝」と「②宣教」と「③愛のわざ」に取り組むのが「教会」です。

「③愛のわざ」は公式英語版では〝works of love〟と訳されています。最も近いのはチャリティ(charity)です。「洗礼と聖餐」は「①礼拝」を構成する要素として位置付けるほうがよいと私は考えます(【チャート】タイプ1)。

しかし、今ご紹介したのとは異なるタイプのチャートを描く人たちもいます。それは「②宣教」について狭い意味の「説教」だけを指すと考える立場です(【チャート】タイプ2)。

【チャート】教会の仕事のとらえかたの2つのタイプ

「福音を正しく宣べ伝え」は、公式英語版で〝preaches the Gospel aright〟と訳されています。プリーチ(preach)ならば、確かに「説教」です。「①礼拝」の中に「(「②宣教」と同義扱いの)説教、洗礼、聖餐」を配置すれば、独立した「②宣教」は不要になり、教会の仕事は「①礼拝」と「(③から繰り上げて)②愛のわざ」の2つになります。

しかし、これはだんだんおかしな話になっていきます。「礼拝」の要素は「説教、洗礼、聖餐」だけですか、「讃美歌」や「祈り」や「献金」はどうでもいいと思われているのですか、と不満を感じる人が現れて当然です。

それと、狭い意味での「説教」とは区別される「②宣教」に否定的な人たちは、とにかく教会の中に社会問題や政治運動の要素が入って来ることに警戒してきました。

私は違います。狭い意味での「説教」とは区別される、社会問題や政治運動を含む「②宣教」が「①礼拝」と「③愛のわざ」と並んで大事です。しかし、そうでない考えの人々がいます。そこで論争が起こります。

「①礼拝」については、教会の内部で自己完結していても問題ありません。信者だけで集まり、信者だけに理解できる言葉で語り合い、互いに励まし合う自己目的的な集会を行うのは、少しも悪いことではありません。

しかし「②宣教」と「③愛のわざ」まで、教会にとって自己目的的であるわけには行きません。教会の外へと開かれた方向性が無いような教会は空虚です。だいたい、内部で自己完結しているような閉鎖的な団体にあえて新しく加わろうとする人はいないでしょう。息苦しくて仕方がないと思われても仕方ありません。

また、日本基督教団は第二次大戦のとき主体的に戦争協力した経緯があります。そのことを反省し、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(1967年)を当時の鈴木正久教団議長名で公表しました。

教会だからといって、社会や政治の問題に目をつぶるわけに行かないのです。

教会だからこそ、聖書とキリスト教に基づいて、社会の問題、政治の問題について、何を考え、何を語り、何を行うべきかを示すことが求められています。

私たちの敬愛する北村慈郎牧師は、社会や政治の問題に熱心に取り組んで来られました。

今日の朗読箇所にある「御言葉を宣べ伝えなさい。折(おり)が良くても悪くても励みなさい」(テモテへの手紙二4章2節)の意味をよく考える必要があります。

「折が良くても悪くても」(エウカイロース・アカイロース εὐκαίρως ἀκαίρως)を、英語聖書は16世紀から20世紀まで一貫して〝in season and out of season〟(KJV, RSV, NIV, REB)と訳しています。シーズンの問題になっています。

しかし、これは「暑い夏でも負けずにがんばれ」とか「凍えそうな季節に君は」というような話でしょうか。そうではないでしょう。社会や政治や国、時代や世代の問題が関係しているのではないでしょうか。

私は先週、かなり長い時間を、前回の説教の最後に触れた「教会の外に救いなし」という言葉を遺した西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(西暦200年頃~259年頃?)について調べることに費やしました。

キプリアヌスについての文献

私はこれまでキプリアヌスについて何も知りませんでした。しかし、詳しく調べているうちに、以前皆さんに紹介したことがあるロドニー・スターク著『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014年)で取り上げられていた問題に、キプリアヌスの存在が大きくかかわっていたことが分かりました。

スターク説とは、西暦2世紀から3世紀にローマ帝国で大流行した疫病の罹患者への献身的対応とキリスト教宣教の進展との関係についての歴史仮説です。

疫病は、流行のピークにはローマだけで1日に5千人が亡くなったという報告があるほどのひどいものでした(スターク、同上書、101頁)。

その中で「死を恐れない信仰」を持つ特に女性のキリスト者たちが、感染の危険を知りつつ患者の体に触れて看護したことで、互いに愛情が芽生え、結婚して家族になり、しかも出産後の嬰児を選別しないキリスト者の人口が増加したため、西暦4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になった、というものです。

その疫病がアフリカのカルタゴに西暦251年(*252年と記す資料もあります)に襲ったときのカルタゴの司教がキプリアヌスでした。スタークがキプリアヌスの言葉を紹介しています。

「この疫病は恐ろしくて致命的なものと見えはするが、おのおのの正義や心を吟味するために、これほど適切で、これほど必要なことがあろうか。健康な者が病気の者を世話したかどうか。近親者がその親族を愛情込めて愛したかどうか。主人たる者が使用人の疲労や衰弱に同情したかどうか、医師は懇願する患者を見捨てたりしなかったかどうか。この死すべき定めが他に何を与えないにしても、神の僕であるわれわれキリスト者にとって、死を恐れないことを学ぶにつれて、喜んで殉教することを望むようになる。これは訓練であって葬式ではない。これは心に剛毅の栄養を与え、死を軽んじることによって、勝利の栄冠を準備するのである」 

(キプリアヌス『死を免れないことについて』15-20。スターク、同上書、106~107頁から引用)。

ロドニー・スターク『キリスト教とローマ帝国』

キプリアヌスは西暦200年頃生まれ。誕生日は不明。アフリカのカルタゴの比較的裕福な家庭出身。学者として名声を得た後、45歳頃キリスト教に入信。私財を売り払って貧困の人々に施し、教会の長老になりました。

48歳か49歳の頃、カルタゴ司教に選出。入信からの期間が短すぎたため、キプリアヌスの司教推挙に反対する者が多くいましたが(「少なくとも5人の長老が反対した」E. ファーガソン編『初期キリスト教辞典』(英語版、1990年)「キプリアヌス」の項参照)、教会員から厚い支持を得ていました。

キプリアヌスが51歳か52歳(西暦251年か252年)のときカルタゴに疫病が襲いかかりました。58歳(258年9月14日)(*日付はF. L. クロス『教父学概説』(日本聖公会出版事業部、1969年、145頁)参照)、ローマ総督に逮捕されて斬首。司教としてアフリカ最初の殉教者になりました。

殉教前の裁判における遺言の内容は「聖なるキュプリアヌスの行伝」(土岐正策訳)『殉教者行伝 キリスト教教父著作集22』(教文館、1990年、121~128頁)で読むことができます。

100年以上後のアウグスティヌスが「キプリアヌスの著作を聖書とみなしてはならない」(Contra Cresconium, 2. 31, 39, 書簡93. 10. 35参照)と強調しなければならなかったほど、キプリアヌスはアフリカで尊敬されました(F. L. クロス、同上書、146頁参照)。

「宣教」の意味を考えさせられます。狭義の「説教」や「伝道」に収まるものではありません。

(2025年6月22日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年6月15日日曜日

教会の使命

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「教会の使命」

コリントの信徒への手紙一12章12~26節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑦

関口 康

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(26節)

「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白は「使徒信条」の部分を含みます。私たちが今学んでいる部分は「前文」と呼ばれることがあります。「前文」と言うにはあまりに濃い内容なのですが。

今日の箇所から「我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に使徒信条を告白す」の直前までが「教会の教理」(Doctrine of the Church)または「教会論」(Ecclesiology)です。

内容は教会内部の事柄です。教会の外部、たとえば社会や政治や国や文化の問題に日本基督教団信仰告白は触れていません。もっぱら教会の形式(forms)と手段(means)を描いています。

教会の信仰告白は「教会の自己主張」なので、これで問題ありません。信仰告白に外部の事柄を記すことの必然性はありません(*ファン・ルーラー「教会の自己主張」(De pretentie van de kerk)1958年、『著作集』第5A巻(2020年)、180~195頁参照)。

教会の「内」と「外」の区別には不快感があるかもしれません。しかし、線引きをやめると日本の教会は一瞬で消し飛びます。世界人口約81億人の3分の1(約23億人)がキリスト者である中、日本のキリスト教人口は1パーセントです。私たちには「教会を護る」責任があります。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」です。すべてを私たちに当てはめて考えることが大切です。

「教会」は足立梅田教会です。足立梅田教会は「キリストの体」であり「恵みによって召された者の集い」です。具体的な教会をイメージできないような信仰告白は空虚です。コヘレトと共に「すべては空しい」と言わなくてはなりません(コヘレトの言葉1章2節)。

教会を「キリストの体」と呼んでいる、またはその意味のことが記されているのは、ローマの信徒への手紙12章5節、コリントの信徒への手紙一12章12~27節、エフェソの信徒への手紙1章23節、コロサイの信徒への手紙1章18節です。この中で最も詳しい説明があるのは、今日の朗読箇所の第一コリント12章12節以下です。

これは比喩です。たとえ話です。文学表現です。SFホラー映画のような不気味なイメージを持ち込まないでください。そういうのよりもはるかにリアルに、教会の現実を描いています。

たとえられているのは人間の体です。「体は、ひとつの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか」(コリント一12章14節以下)と、「足、耳、目、鼻、手」などを持つ存在が想定されています。

私が気になるのは、足や耳がしゃべりはじめるという、コミカルとさえ言える非現実的な表現をパウロが用いていることの意味です。明らかに非現実的なのに不思議なリアリティがあります。

自分の体の一部または全部が気に入らないと思っている人がおられるでしょう。私がそうです。「もう少し鼻が高ければ、もう少し足が長ければ」と言い出せばキリがありません。

足や耳はしゃべらないかもしれませんが、わたしたちの脳は全力で自分の姿かたちを呪っているかもしれません。足と手、耳と目はけんかしないかもしれませんが、人間の心が、体の一部または全部を呪い、変身したがっているかもしれません。

そのように私たちが心の中で自分の体の〝部分の切り捨て〟を求める思いが、教会の現実にそのまま当てはまります。教会の内部分裂の問題です。「あの人がいるから教会に行けなくなった」「あの人は要らない」「牧師が気に食わない」等々。

そのとき頭(かしら)としてのイエス・キリストが来てくださいます。「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(第一コリント12章27節)。この教えと「キリストは教会の頭(かしら)です」(エフェソ1章22節、コロサイ1章18節)という教えが一対(いっつい)の関係です。キリストは教会の頭(かしら)であり、教会はキリストの体です。

「第一コリント12章12節以下に『教会はひとつの体であり、多くの肢体を持つ』と〝書かれていない〟ことが注目に値する」と書かれた註解を読みました(F. J. Pop, De eerste brief van Paulus aan de Corinthiërs, De prediking van het Nieuwe Testament, 1965)。

そのとおりだと思います。パウロが書いているのは「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分である」ということです。キリストがいなくなるとすべてがバラバラです。一致も統制もありません。それで問題ありません。統制など大の苦手です。

教会は、同じ服を着、同じ言葉をしゃべり、同じことをする人たちの集団ではありません。唯一の一致点はキリストです。それ以外は自由人です。それが「教会」です。

信仰告白の今日の箇所でもうひとつの重要な教えは「(教会は)恵みにより召されたる者の集ひなり」です。

これは「召命」が前回までに学んだ「予定、義認、聖化」に並ぶ「恩恵論」の一部であることを教えています。「救済の順序」(オルド・サルティス)の中で「召命」の位置は「予定」と「義認と聖化」の間ぐらいです。

「召命」(しょうめい)は「命(いのち)を召(め)す」。「使命(しめい)」は「命(いのち)を使(つか)う」。似ている言葉ですが、主語が変わります。「召命」の主語は「神」です。「使命」の主語は「人間」です。

注意すべきことは、「召命」(英語Calling、ドイツ語Beruf、ラテン語vocatio)を狭すぎる意味でとらえるのをやめることです。「教職者になること」だけを指すと思われがちです。それは日本基督教団信仰告白の教えに反します。「恩恵による召命」を受けて「教会」のメンバーになったのは全キリスト者です。

「召命」とは、人が救われるために用いられるすべての形式と手段を指します(*「召命とは、それを通して救いの適用が起こる形式と手段である」(De vocatio is de vorm, het middel, waardoor de applicatio salutis geschiedt)、ファン・ルーラー「召命論(De vocatione)」(1961~1970年)『著作集』第4B巻、2011年、312頁)。

この広い意味の「召命」の中に「公の礼拝」も「福音の宣べ伝え」も「洗礼と聖餐の聖礼典」も「愛のわざ」もすべて含まれます。神がこれらの形式と手段を用いて、わたしたちに救いの恵みをもたらしてくださるのです。

西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(Cyprianus [200頃-259頃])が「教会の外に救いなし」(quia salus extra ecclesiam non est)という言葉を遺しました(*キプリアヌス『書簡』73. 21. 2。ファン・ルーラー「教会の自己主張」、同上書、182頁、191頁からの引用)。

「なんと傲慢な!」と反発を招きやすい言葉です。しかし、真理を言い当てています。神が人を救うための恵みの手段は「教会」という形を採るからです。神の声は教会を通して聴こえます。

(2025年6月15日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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