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2025年10月19日日曜日

未来をひらく 久保哲哉牧師

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「未来をひらく」

聖書 創世記11章24節~12章 4 節

講師 久保哲哉牧師(聖学院中学校・高等学校宗教主任)

「アブラハムは主の言葉に従って旅立った」(12章4節)

信仰の父アブラハムは「主の言葉に従って旅立った(創世記12:4)」とあります。主なる神の言葉に直ちに従うアブラハムの姿が印象的です。私たちもこの信仰の姿勢を見習いたいものです。

ただし、アブラハムが選んだ「従う」道は、他の進路が主なる神によって「閉ざされた」結果、彼の前に残された唯一の道であったとも見ることができます。

もし、アブラハムの父が存命で、跡取り息子があって、経済的にも恵まれた状態であれば、アブラハムはこの神の声に聞き従う、ということはなかったでしょう。興味深いことに、わたしたちの神は、道を閉ざすことによって、救いに至る道を残すお方であることがここからわかります。人間の目には不思議に見えますが、わたしたちの神はただ「未来を閉ざす」方ではないのです。

主なる神は、わたしたちが窮地のときにこそ、手を差し伸べてくださるお方です。御言葉によって御心を示してくださるお方です。私たちの神は、厳しくも、優しい神なのです。

世界には疫病・自然災害・戦争など、色々な苦難が起こります。しかし、そのようなときにこそ、神が未来をひらいてくださるのです。この「信仰」を与えられた私たちは、希望をもってそのひらかれた未来を生きるのです。

私たちの歩みは力弱く、遅々として進まないものでありますけれども、開かれた神の国への道を、平和への道を、聖なる者としての道を進みゆくことができますように。

(2025年10月19日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

救いの時を共に祝おう 金町教会説教

日本基督教団金町教会(東京都葛飾区東金町3-17-6)

説教「救いの時を共に祝おう」

マタイによる福音書25章1~13節

日本基督教団金町教会説教

関口 康(足立梅田教会牧師)

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(13節)

おはようございます。はじめまして。足立梅田教会の関口です。

最初に申し上げたいのは、お詫びの言葉です。申し訳ありません。「お前はだれだ」と思っておられる方が多いはずです。今日の説教者がなぜ私なのかを言わないと、説教を始めてはいけない気持ちです。

事実経過を申し上げます。 9 月 9 日(火)午後 3 時から東支区教師会委員会を富士見町教会で行いました。私は委員のひとりです。委員会は 7 名で構成されていますが、出席 4 名、欠席 3 名でした。そのとき「10月19日(日)金町教会の説教者を探しています」と募集がありましたので「私でよろしければ」と立候補しました。それだけです。

金町教会の建物には今年 3 月 4 日(火)夜に東支区祈祷会が行われたとき初めて来ました。その後、 7 月 3 日(木)午前中に東支区教師会委員会の会計担当者の引き継ぎ会を金町教会で行いました。私がこの建物に来たのは、その 2 回だけです。

しかし、私が「金町」という地名を認識したのは21年前です。2004年 4 月。当時の私は日本基督教団ではない別の教派の教会の牧師として松戸に住んでいました。2015年12月までその教会の牧師でした。その後、柏市のマンションに2018年 2 月までいました。松戸にいたときも、柏に移ってからも、JR最寄り駅は常磐線の北小金駅でした。私は2004年から2018年までの14年間「常磐線ユーザー」でした。

2018年 3 月からは日本基督教団昭島教会(東京都昭島市)の牧師になりましたが、単身赴任でした。家族は柴又に 3 年住みました。その後彼らは転居しましたが、柴又にいた頃は毎日のように金町駅を利用していました。

そういうわけで、私は常磐線の「金町」から「北小金」までの区間がとても懐かしいです。特に私の子どもたちにとっては、小中高大学時代をここで過ごした、まさに故郷(ふるさと)です。私にとっても、第二の故郷です。

ついでにいえば、私の父は群馬県前橋市の農家の 3 代目の次男ですが、松戸の千葉大学園芸学部に入学しましたので、父も学生時代(1950年代)にこのあたりをうろうろしていたと思います。

みなさんとお近づきになりたくて、詳しく申し上げています。よろしくお願いいたします。

今日の聖書箇所に記されているのは、イエスさまのたとえ話です。内容に入る前に、先回りして申し上げておきたいことがあります。

私は1965年11月生まれで、来月ちょうど60歳です。1990年 4 月から牧師(最初は伝道師)としての働きを始めましたので、35年目です。その中で、イエスさまのたとえ話についても繰り返し説教してきました。

すると、毎回必ずというわけではありませんが、イエスさまのたとえ話の説教をすると時々、「関口牧師の説教にはイエスさまが出てこない」と言われます。イエスさまのたとえ話の説教をしているのに「イエスさまが出てこない」と。

その方々がおっしゃることの意味は分かるのです。イエスさまのたとえ話があまりに厳しすぎて受け入れられないと思っておられるのです。

イエスさまがたとえ話を使って話されたのはオブラートに包んで厳しいことを伝えるためです。イエスさまのたとえ話が厳しいのは当たり前なのです。しかし、そのたとえ話に込められた意味を説明すると、厳しい教えを受け入れられない方々が「イエスさまが出てこない」とおっしゃるのです。

イエスさまは、このたとえ話の語り手としてしっかり登場しておられます。たとえ厳しい教えでも、イエスさまご自身がお話しになっていることですから、従うことが求められています。そのことをどうかご理解くださいますようお願いいたします。

このたとえ話はシンプルです。単純で分かりやすい話です。10人の女性が、それぞれともし火(ランプ、たいまつなど)を持って、男性たちを迎えに行くことになりました。

「10」という数字は、聖書においては特別な意味を持つことがあります。完全数を表わすケースがあります。たとえば、モーセの十戒の戒めの数の「10」です。ユダヤ人たちの脱出前にエジプトに起こった災いの数の「10」です。今日の箇所の女性の「10人」は「すべての人」を表わしている可能性が十分あります。それは、だれにでも当てはまる普遍的な教えとして語られている可能性です。

10人のうち半分の 5 人は「愚か」で、残りの半分の 5 人は「賢い」と言われています。「賢い」ほうの 5 人は「壺に油を入れて持っていた」( 4 節)が、「愚かな」ほうの 5 人は「油の用意をしていなかった」( 3 節)。

「ところが、花婿の来るのが遅れた」( 5 節)というのは、よくある話です。当時のパレスチナでは、花婿が遅刻するのは当たり前だったそうです。文化の一種です。

私たちは遅刻を許さない文化圏に属していると思います。しかし、私たちとは反対に、遅刻しないほうがおかしいとされる文化圏もあります。英国では15分ほど遅刻するのが当たり前で、約束通りの時刻や早めに行くと怒られるそうです。

そのようなことを先週10月15日(水)東京外国語大学の岡田昭人(おかだあきと)教授の講演で聴きました。異文化コミュニケーションの専門家です。『教養としての「異文化理解」』日本実業出版社、2025年)という本を最近出版なさった方です。私の前任地の昭島教会の方でもあり、親しくさせていただいています。

遅刻するのが当たり前という文化圏の中では、客人が遅刻してくることをあらかじめ想定したうえで、そのための準備をしていなかったことのほうが悪い、ということになるのだと思います。油の準備をしていた 5 人が「賢い」、準備していなかった 5 人が「愚か」と言われているのは、そういうことです。

待てど暮らせど客人たちは来ない。待っていた人たちはとうとう全員眠ってしまいました。客人がやっと到着したときは真夜中の真っ暗闇。「花婿だ。迎えに出なさい」( 6 節)という叫び声で飛び起きました。

油の用意があった「賢い」 5 人は、ともし火に油を足して、すぐ行動することができました。

油の用意をしていなかった「愚かな」 5 人は、消えそうなランプに不安を覚え、「賢い」 5 人から油を分けてもらいたがって「分けてあげるほどはありません。店に行って、自分の分を買って来なさい」( 9 節)と拒否され、油を買いに行っている間に花婿が到着し、「賢い」 5 人だけ婚姻の席に入り、「愚かな」 5 人はドアの内側に入れてもらえませんでした。

厳しい言葉です。しかし、イエスさまがおっしゃっていることは、私たちにできないことではありません。「愚かさ」は病気ではありません。変えることができない運命でもありません。完璧な準備は求められていません。準備するかしないかは、あなた次第です。

このたとえ話は「天の国は次のようにたとえられる」( 1 節)という言葉で始まっています。しかし、永遠の天国の話としてだけ受け取る必要はありません。もっと広い意味でとらえることができます。教会の中で起こることや、私たち一人一人の日常生活の中で起こることにも当てはめて考えることができます。

私たちは明日も分からぬ人生を送っています。教会も同じです。「神に委ねる」「お祈りする」は 100% 正しい態度です。しかし、まだできることがあります。それは「準備すること」です。

先々週10月 4 日(土)私が卒業した岡山の高校の京浜地区同窓会があり、高校の大先輩の東京大学名誉教授の地震予知の専門家、榎原雅治(えばらまさはる)教授の講演をうかがいました。「いつどこでどのように起こるというレベルでの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去に起きた地震は必ず起こる」と教えていただきました。

教会も同じです。これからの教会がどうなっていくかは、だれにも分かりません。悲劇的な出来事すら起こらないとは限りません。しかし、何があっても耐えられるように、そして耐え抜いた先に、救いの時を共に祝うことができるように、備えることが大切です。

(2025年10月19日 日本基督教団金町教会 主日礼拝)

2025年10月12日日曜日

世にある教会 北村慈郎牧師

北村慈郎牧師(2025年10月12日 足立梅田教会)

説教「世にある教会」

出エジプト記19章 1 ~ 6 節、ヨハネによる福音書17章 6 ~19節

北村慈郎牧師

「あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」(ヨハネ17章18節、口語訳)

今日は、礼拝後に「これからの教会と日本基督教団」という題でお話しすることになっていますので、この礼拝では、ヨハネによる福音書17章のイエスの「大祭司の祈り」と言われているところから、「教会とは何か」について、聖書の語りかけを聞きたいと思います。

ヨハネ福音書17章の「大祭司の祈り」と言われていますイエスの祈りは、大きく三つの部分に分けることができます。 1 ~  5 節(イエスの栄光のための祈り)、 6 ~19節(後に残される弟子たちのための祈り)、20~26節(全教会のため、教会一致のめための祈り)です。
 
今日の17章 6 ~19節は、大祭司イエスが、後に残される弟子たち(教会)のために祈られた執り成しの祈りであります。ここには、イエスとその弟子たちとの間の深い生命のつながりが言い表され、また残されて世にある弟子たち(教会)の生命がどこから来るのか、その使命がどこにあるのかが明らかに示されています。

このところは、教会が真にキリストの教会として、雄々しく主にあって立ち、生きることができるようにというイエスの祈りが、弟子たちのために心をこめてなされていて、大きな慰めと励ましを受ける箇所であります。
 
まず11節を読んでみますと、「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(新共同訳)と、言われています。
 
この11節によって、なぜイエスが弟子たちのために祈られるのかが、示されていると思います。イエスは、ここで言っておられるように、今地上での働きを終えて、父なる神の御許に帰ろうとしておられます。しかし、彼にこれまで付き従って来た弟子たちは、彼のあとについて行くことができません。彼らは依然として、この地上に残らなければなりません。イエスは、そのことが弟子たちにとってはどういうことであるか、どういうことを意味するかということを、よく御存知です。
 
彼は15章19節で、やはり弟子たちについて「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」(新共同訳)。と言われました。これが、弟子たちがこれから生き続けなければならないこの世であります。弟子たちを憎む、そういうこの世に、イエスは弟子たちを残して行かなければなりません。それゆえにイエスは、彼らのために、父なる神に向かって、「聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい」と祈られるのです。
 
イエスは先ず「聖なる父よ」と呼びかけられます。すなわち、この世に打ち勝つ力と浄らかさを持ち給う父なる神に、彼は呼びかけ給います。そして、その神に対して、「わたしに賜わった御名によって彼らを守ってください」と祈られます。

しかし、ここに言われている「御名によって守る」とは、どういうことでしょうか。私たちの場合には、名前というものは、しばしば一種の符丁に過ぎません。一人の人間を他の人間から区別するための符丁のようなものに過ぎません。

しかし、聖書の人たちにとっては、「神の御名」というのは、決して単なる符丁ではありませんでした。それは、いわば神の本質そのものでありました。その一例は、17章 6 節ですが、そこでイエスが、「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました」(新共同訳)と言っておられるのも、イエスが父なる神の本質を顕し給うたということ――神の御意志を顕し給うたということに他なりません。

11節でも、彼は、そのような神の本質である神の御名が、弟子たちを、この世において守って下さるようにと祈られます。これからの弟子たちのこの世での歩みにおいて、どうしても予想しなければならない世の憎しみや迫害、艱難や試練の中で、神の御名が彼らを守って下さるようにと、イエスは祈られるのです。
                        
このイエスの祈りには、イエスの弟子たち、すなわちキリスト者はどのような者なのかということが明確に示されています。それは、イエスの弟子たち(キリスト者)は世にありながら、しかし世のものではない、ということです。このイエスの祈りの中でそのことが繰り返し示されています( 6 ,  8 , 14, 16節)。
 
 6 節ではイエスの弟子たちは「世から選び出して(神が)わたしに与えてくださった人々」と言われていますから、イエスの弟子たちは世にありながら、しかし世のものではなく、イエス・キリストのものであるというのです。「わたしが世に属していないように、彼ら(弟子たち)も世に属していないのです」という言葉が、ここで二度くり返し語られています(14, 16節)。
 
イエスの弟子たち(キリスト者)は、イエスを信じ、イエスが宣教された神に国の福音を信じる者として、この世のことが全てであるかのように、目に見えるものに惑わされ、この世の動きに一喜一憂するような生活をすべきではありません。人からの誉れではなく、イエスとイエスの父なる神からの誉れをめざして生きることに徹するべきなのです。
 
そこで大祭司イエスの弟子たちのための祈りには、弟子たちが、世にありながら、しかし世のものとしてではなく、キリストのものとして生きることに徹するように、という期待と祈りがなされているのであります。
 
イエスはまた、15節でこのように祈っています。――「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」(新共同訳)と。

イエスが祈られたことは、残された弟子たちが、この世を捨て去ることではなく、しかしまた、この世に対して憎しみをもって憎しみ返すことでもなく、この世にあって弟子たちが、悪しき者から守られ、悪より救い出されることでありました。

そのことは、イエスが弟子たちに祈りの範例として示された主の祈りの第 6 の祈りの内容でもあります。「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」(マタイ 6 章13節)。

すなわち、この世を離れることではないが、しかしまたこの世に埋没し、この世にならって、キリストのものであることを見失うことのないように、味を失った塩(マタイ 5 章13節)となることのないように、という二重の期待が、この祈りの中にはこめられているのであります。
 
この世は私たちにとってしばしば、「死の陰の谷」(詩編23編 4 節)のように苦しく、生き難い世であります。「悪しき世」の力は大きく、喜びよりもむしろ苦しみの方が多いかも知れません。しかしイエスは弟子たちに、あくまでこの罪と悪の世にふみとどまって、そこでキリストのものとして生き抜くようにと祈られるのです。
 
リュティはこのように述べています。「キリストはその教団のために祈りたもうが、しかしそれは、彼らがこの世に留まり、そこで耐え抜くことである。彼らが悪い状況の中にあって、自ら悪くならぬこと、不正な環境の中にあって、自ら不正な者とならぬこと、偽りにみちた仕事の中にあって、自ら偽り者とならぬこと、誘惑に満ちた社会の中にあって眠らぬことである」(リュティ『我は初めなり、終わりなり』井上良雄訳、122~123頁)。
 
そのためにイエスはこのようにも祈ります。――「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります(17節、口語訳)――。

聖別とは、一面においてこの世より選び別たれることではありますが、しかし聖別の祈りは同時に、より積極的な面を含んでいます。すなわち、教会のこの世における使命のための派遣の祈りとなるのです。

「あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」(18節、口語訳)。聖別は派遣となり、つまり聖別は使命のための祈りとなるのであります。
 
私たちは何によって聖別されるのでしょうか。それは、真理によって、イエス・キリストの言葉によってであります。自分で自分を聖別することはできません。イエス・キリストの言葉を受け、それを真理として信じ、受け入れ、それに従うことにおいて、私たちは聖別されるのです。

聖別とは、きよめ別って、この罪の世から離れさせることではなく、むしろイエス・キリストの言葉をもってこの世の中へと一歩ふみ出すように働く力であります。

聖別は、世への派遣のための、使命のための選びです。イエス・キリストから罪の赦しを受ける時、私たちは同時に、イエス・キリストから世へとつかわされるための言葉を聞き、そのための祈りを受けるのです。
 
これらのイエスの祈りは、もちろん弟子たちのための祈りですが、しかし、この祈りは、私たちのための祈りとしても、聞くことができます。

イエスは私たちのためにも、このように祈り給うということを、知らなくてはならないと思います。イエスは、私たちのためにも、私たちが世にあって守られて歩み続けることができるようにと、祈り給います。

しかしそれだけではありません。イエスは単にそのような、いわば消極的なことだけでなく、もっと積極的なことについても、私たちのために祈り給うということを、知らなければならないと思います。すなわち、私たちが世と区別された者として――聖別された者として、世の前に示されるということ、そのためにも、イエスは祈り給います。
 
イエスの弟子たちは、大祭司イエスの聖別の祈りを受け、み言葉を持ち運ぶ使者として、この世に派遣されます。そこにキリスト者として生きる意味があります。この世より取り去られることでなく、この世にあって悪の力から守られて、「善をもって悪に勝つ」(ローマ21章21節)ことができるように祈られているのです。
 
キリストの派遣(使命)に生きるとは、どういうことでしょうか。それは有名になることではなく、大きくなることでもありません。勲章をもらったり、高い地位についたりすること、それらはすべてこの世からのものです。キリスト者は、小さくとも、この世を超えたもっと高いものを目ざし、高きにいます方を指し示す指となる、それが私たちの使命であり、願いでもあります(森野善右衛門)。
 
弟子たちのために祈られたイエスが、私たちのためにも祈って下さっていることを覚えたいと思います。そして「世にありながら、しかし世のものではない」キリストのものとして、私たちもイエスの言葉の真実を証言していくことができますように。 
 
主が私たち一人ひとりをそのように導いてくださいますように!

祈ります。

神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを心から感謝いたします。

あなたは私たち全てにイエスを遣わし、イエスに倣って生きるようにと招いて下さっています。どうかそのあなたの招きに従って生きることができますように、私たち一人一人をお導き下さい。

そしてこの世にありながら、この世のものではなく、イエス・キリストのものとしてこの世を生き抜くことができますようにお導き下さい。

この世にあって様々な苦しみの中にあります方々を支え導いてくださいますように。また、高ぶる人間の高慢を打ち砕いてください。あなたの平和と和解によって世界を包んでください。

この祈りをイエスさまのお名前によってお捧げいたします。 アーメン

(2025年10月12日 日本基督教団足立梅田教会 特別礼拝)

2025年10月5日日曜日

愛の内に歩みなさい

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「愛の内に歩みなさい」

エフェソの信徒への手紙 5 章 1 ~ 5 節

関口 康

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)

先週は東京教区東支区の講壇交換日でした。当教会に亀戸教会の堀川樹牧師をお迎えしました。私は大島元村教会と波浮教会の合同礼拝で説教しました。私は昨年 6 月に伊豆大島に初めて行きましたが、日曜日ではありませんでした。教会の方々とお会いするのは、先週が初めてでした。



ジェット船で東京竹芝から大島岡田港へ(2025年 9 月27日)

加えて先週、と言っても昨日ですが、私にとっての「人生初」が 2 つありました。大島での説教を合わせると「 3 つ」。来月60歳の私にとって、 1 週間で「人生初 3 つ」は刺激的でした。

昨日の 1 つめの「人生初」は、カトリック教会の司祭(神父)の説教を初めて聞いたことです。カトリック松戸教会(千葉県松戸市)で毎月行われている「松戸朝祷会」に、私は松戸の改革派教会の牧師だった頃、出席していました。足立に来てから出席を再開しました。プロテスタントの牧師たちの奨励は聴きましたが、カトリックの司祭の奨励は聴いたことがありませんでした。しかし、ついに昨日、高瀬典之司祭の奨励を初めて聴きました。

カトリック松戸教会(千葉県松戸市松戸1126)

特に印象に残ったのは「10月 3 日」がアッシジのフランシスコ(フランチェスコ)(1182-1226)が亡くなった日で、昨日「10月 4 日」がカトリック教会の「聖フランシスコの日」だと教えていただいたことです。

そして高瀬司祭は、フランシスコの名前と伝統的に結び付けられて来た「平和の祈り」の中の「絶望のあるところに希望を」という祈りと、ローマの信徒への手紙 5 章 5 節「希望はわたしたちを欺くことがありません」を結び付けて希望に満ちたメッセージを語ってくださいました。

平和の祈り


司会者 平和の祈りを致しましょう!

司会者 主よ!わたしをあなたの平和の道具としてください。


一同 憎しみのあるところに、愛を

   争いのあるところに、許しを

   分裂のあるところに、一致を

   疑いのあるところに、信仰を

   誤りのあるところに、真理を

   絶望のあるところに、希望を

   悲しみのあるところに、喜びを

   闇には、光をもたらす者としてください。

 

司会者 主よ!慰められるよりも、慰めることを

 

一同 理解されるよりも、理解することを

   愛されるよりも、愛することを、わたしが求めますように。

   わたしたちは与えることによって、受け、

   許すことによって、赦され、

   自分を捨て死ぬことによって、

   永遠の命を頂くことができるからです。アーメン

(朝祷会賛美選集『希望Ⅱ』より転載)

昨日のもう 1 つの「人生初」は私の母校・岡山朝日高校の京浜地区同窓会主催の講演会に初めて出席したことです。私の高校の先輩の、東京大学名誉教授で地震予知総合研究振興会副主席主任研究員の榎原雅治先生の講演をうかがいました。テーマは「過去の災害を知る――諸学の連携で解明する歴史地震」でした。

講演「過去の災害を知る」榎原正治教授
(2025年10月 4 日、岡山朝日高校京浜同窓会)

特に印象に残ったのは、「何年何月何日にどこでどんな地震が起きる」というレベルの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去の地震の記録を歴史学的見地から調べる必要があるということ。

しかし、公式記録として残っているのは豊臣以後のものであり、それ以前の資料は、幕府が滅亡したため後代に受け継がれていないこと。かろうじて残っているのは、貴族の日記や詩歌、民間の何らかの記録、そして地層。まさか漢文や百人一首の勉強が地震予知につながるとは、考えたことがなかったので、とても驚きました。

百人一首と地震予知の関係は何か

その中で、「明応南海地震」(16世紀)の発生年代については「寺社造営件数」によって証明したということを、榎原教授が教えてくださいました。なぜ「寺社」なのかといえば、民間の記録は何も残っていないからとのこと。「寺社」すなわち「宗教」が歴史の記録係としての役割を果たせたようだと分かり、私はとても励まされました。

今日の聖書の箇所に「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者になりなさい」(1節)と記されています。パウロの他の手紙の中に「神に」ではなく「わたしに倣う者になりなさい」と記されている箇所が複数あります。それはコリントの信徒への手紙一 4 章16節、同11章 1 節、フィリピの信徒への手紙 3 章17節、テサロニケの信徒への手紙 1 章 6 節、同 2 章14節です。

「わたしに倣う者になりなさい」と言われると反発を感じる方がおられるのではないでしょうか。しかし、パウロには躊躇がありません。これは理解できない話ではありません。

たとえば、学校の教師が生徒の前で模範的でない言動を繰り返したら必ず批判されるでしょう。それと同じです。説教者が「私はキリストに従いませんが、皆さんは従ってください」と言うと「そんな話には説得力がありません」と必ず返ってくるでしょう。

先ほど挙げた第一コリント11章 1 節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」の論理構造が重要です。それが今日の「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)につながります。

「キリストに倣う」とは、今ここにいる私たちに十字架にかけられて死ぬことが求められているわけではありません。そうではなく、「キリストに倣う」とは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった「神の愛の自己犠牲的なあり方」に倣うこと、学ぶこと、真似ることです。

この点を私が強調するのは、私が主イエスの「山上の説教」や「たとえ話」について説教すると、決まって「イエスさまが出てこない」と言い出す人たちが現れるからです。鼻先 3 センチの距離にイエスさまがおられるのに。「イエスさまが出てこない」などとどうして言われなくてはならないのでしょうか。

その批判の意味は、「関口の説教には主イエスの十字架と復活による赦しの教えがない」ということでしょう。実際にそう言われました。

しかし、主イエスは「山上の説教」や「たとえ話」の中で、厳しい戒めや裁きをお語りになっています。それらはすべて、私たちに従うことを求めています。主イエスの十字架と復活が、主イエスの厳しい戒めを無効化するわけではありません。主イエスは、復活前も、復活後も、同じひとりの方です。

パウロが今日の箇所の 3 節以下に記しているのは、2 節の「愛によって歩みなさい」という教えの具体的な事例です。

「あなたがたの間では、聖なる者たちにふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい」( 3 ~ 4 節)。

私は説教の中で「性」に関する事柄を取り上げるのがとても苦手です。完全に逃げ腰であることをお許しください。言葉の辞書的な意味を述べることで勘弁してください。

「みだらなことやいろいろの汚れたこと」とは、売春・買春のことです。ユダヤ教の律法学者の解釈によれば、律法で必ずしも明確に禁じられていない売春・買春は、ユダヤ教では許容されていました。パウロはそのような解釈に真っ向から反対しています。

「貪欲なこと」とは、金銭を愛することです。パウロは貪欲(金銭への愛)をモーセの十戒の第十戒「隣人の家を欲してはならない」への違反だけでなく、第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」への違反(偶像礼拝)とも見なしています( 5 節)。

「卑わいな言葉」(モロロギア)は古代ギリシアの喜劇と関係あります。そういう話が好きな人々が笑って楽しむ言葉です。「愚かな話」(エウトラペリア)は「ほのめかし」や「におわせ」です。セクシャル・ハラスメントです。

当時のギリシア人にとっては「卑わいな言葉」(モロロギア)も「愚かな話」(エウトラペリア)も、楽しい仲間づくりのための手段でした。しかし、パウロにとっては、どちらも厳しく非難すべき対象でした。これは私の感覚と完全に合致します。

すぐにお分かりいただけることです。もし仮に私が説教の中で「卑わいな言葉」(モロロギア)や「愚かな話」(エウトラペリア)を用いて受けを狙うようなことをしたらどうなるかを考えてみていただくと分かります。とんでもない結果になることが目に見えています。

「礼拝感覚」が身についてくると、調子に乗って面白おかしく卑猥な話をするようなことはできなくなります。

このように考えると、今日の箇所の「愛」の意味は、ほとんど「デリカシー」のことであることが分かってきます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)という主イエスの呼びかけに応えて集まる先は教会です。教会に集まる人々は、みんな疲れています。重荷を負っています。休みたくて教会に来ています。

極端な考えの人が総理になることが決まり、政治の絶望感がいよいよ深まりました。地震災害の不安は尽きません。

不安定で不安な時代の中で、教会こそが、想像力を働かせて、相手の状況をおもんぱかり、互いに労わり合うことが求められています。

(2025年10月 5 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年9月28日日曜日

ここにも確かにおられる主 堀川樹牧師

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「ここにも確かにおられる主」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(足立梅田教会礼拝)

マタイによる福音書13章53~58節

堀川 樹 牧師(日本基督教団亀戸教会牧師)

「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(57節)

今日与えられた箇所には、故郷に帰られたイエスさまが村の人々から敬われなかったという出来事が記されています。この時、キリストがおっしゃった「預言者は故郷では敬われない」という言葉は、一つの格言、ことわざのように、教会以外でもしばしば用いられます。

しかしながら考えてみると、この箇所の内容は本来ならばあまり望ましくないものです。キリストは自分の故郷に帰って伝道したにもかかわらず、受け入れられず、人々の不信仰ゆえに「そこではあまり奇跡をなさらなかった」(58節)と言うからです。

イエスさまによる郷里伝道は言ってみれば失敗に終わったと言うのです。これまでマタイによる福音書はキリストの力ある働きと権威に満ちた教えを書き記してきました。そしてキリストによる宣教は大きく進んでいました。その流れにくさびを打ち込むかのようにこの箇所が記されているのです。それではこの故郷での出来事にはどういう意味があるのでしょうか。

キリストはここで何を私たちに語ろうとしているのでしょうか。私たちもこの箇所から神の御心を聞きとりたいと思うのです。

まずここに、会堂でキリストの教えを聞いた人々は「驚いた」(54節)と記されています。この「驚く」という言葉はあまり多く使われず、強い意味が込められています。単なる驚きではなく、衝撃的な驚きを意味する言葉です。実はこの言葉はマタイでは 7 章28節にも使われていました。山上の説教の結びの箇所、キリストが説教を語り終えた直後です。

「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようではなく、権威ある者としてお教えになったからである」。

この「非常に驚いた」が同じ言葉です。山上の説教を聞いた人々は、キリストの教えに非常に驚いた。キリストが律法学者のようではなく、それを遥かに越えた神の権威をもって語るお姿に衝撃を受けたのです。そしてその結果、大勢の群衆がキリストに従ったのです。

それでは同じようにキリストの教えを聞いて「非常に驚いた」ナザレの人々はどうだったでしょうか。彼らも衝撃を受け「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)との問いが芽生えています。この問いは「イエスの知恵と力の源は何か」「イエスとは何者か」を問う、信仰的な問いです。山上の説教の群衆たちがキリストに神の権威を感じたのと共通します。ですからナザレの人々もこの驚きの後、イエスを信じてもよさそうです。むしろそれが自然な流れです。しかし彼らは「イエスにつまずいた」(57節)のです。

ナザレの人々はイエスのことを知りすぎていたのです。彼らは大工ヨセフのせがれイエスのことを幼い頃からよく知っていました。小さな村ですので家族ぐるみで付き合いがあり、お互いの素性もよく知っていたのです。「姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(56節)と言われているのは、イエスの妹達がナザレの村の男たちに嫁いでいたということなのかもしれません。

そんな親しい間柄のイエスが、久しぶりに帰ってきたと思えば、神の権威に満ちて説教を語り出し、また奇跡を行っている。イエスさまのことを知りすぎていた彼らは、主イエスに対する「このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)という驚きが、信仰ではなく、つまずきになってしまったと言うのです。

身近なところから起こるねたみ、嫉妬、そこから生まれるつまずきが私たちにあるのではないでしょうか。ナザレの人々は小さい頃からよく知っているイエスの権威あふれる言葉を聞いて、よく知っているゆえにねたみ、つまずいたと言うのです。私たちの最も身近なところで起こりうる罪の姿であり、そしてこのねたみによってキリストが十字架にかけられることになったことを思わされるのです。

旧約聖書の創世記 4 章に出てくる、カインは自分の弟アベルをねたみによって殺しました。そしてこのマタイによる福音書27章では、キリストを十宇架にかけるためにユダヤ人たち引き渡したのは「ねたみ」(マタイ27章18節)によると記されています。

そしてそこからさらに一歩進んで、私たちは気付かされることがあります。それはこのキリストを受け入れなかった故郷ナザレの現実とは、キリストを拒絶したこの世の現実であり、私たち一人一人の現実であるということです。

お気づきの方もおられるかもしれません。このマタイの箇所にナザレという言葉は一言も出てきません。「故郷」と記されているだけです。便宜上付けられている新共同訳聖書の小見出しに「ナザレでは受け入れられない」とあることから私たちはこれを「ナザレ」での出来事と限定して考えてしまいがちですが、マタイは「ナザレ」とは記していません。ただ「故郷」と記すのです。すなわち故郷とはナザレだけに留まらない。私たち一人一人にとっての故郷であり、私たち一人一人にとっての家のことでもあるのです。

私たちも自分の故郷、自分の家というものを持っています。その私の故郷、自分の家にキリストがやってくる。そこも本来はキリストのものだからです。はたしてその時、私たちはその神を、私たちのただ中に来られるキリストを受け入れて生きることができるのか。このお方を神とあがめて生きることができるのか、問われているのです。むしろ私たちはナザレの人々のように、キリストを、その御言葉を自分の価値観、自分の常識を振りかざして受け入れず、キリストの対してつまずいてしまうのではないでしょうか。ご自分のところに来た、キリストを拒絶しているのではないでしょうか。

すなわちこの出来事はキリストの十字架を指し示す箇所です。「預言者はその故郷、家で敬われない」と言うのは、ご自分の民のところに来られたキリストが受け入れられず、拒絶され、十字架につけられて殺されるという受難のお姿を指し示しているのです。

キリストが私たちの故郷、私たちの家という最も身近なところまで来て、出会って下さっているにもかかわらず、キリストを受け入れず、つまずき、キリストを十字架にかけてしまった私たちの罪の現実を心に刻みたいのです。

しかしキリストはそのような私たちの罪の贖いのために自ら苦しみを受けられ、十字架の道を歩まれました。このキリストの深い愛を、神の救いのご計画を心に刻み、悔い改めと感謝の思いを持って歩みたいのです。

(2025年 9 月28日、東京教区東支区講壇交換、日本基督教団足立梅田教会、主日礼拝)

仲間を赦さない家来のたとえ 大島元村教会・波浮教会合同礼拝


竹芝客船ターミナル(東京都港区海岸1丁目)

東海汽船ジェット船「セブンアイランド大漁」

まもなく出航。シートベルト着用完了

レインボーブリッジとお台場

ジェット船は速い

大島岡田港到着

大島岡田港とジェット船

大島元村教会 遠景

大島元村教会 玄関

大島元村教会 講壇

礼拝後の愛餐会 おいしかったです!

帰りは大島元町港から(天候によって港が変わる)

帰りのジェット船も「セブンアイランド大漁」

説教「仲間を赦さない家来のたとえ」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(大島元村教会・波浮教会合同礼拝)

マタイによる福音書18章21~35節

関口 康

「あなたがたの一人一人が心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」(35節)

(説教公開準備中)


(2025年 9 月28日、日本基督教団大島元村教会・波浮教会合同礼拝、東支区講壇交換)

2025年9月21日日曜日

教会の一致

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「教会の一致」

コリントの信徒への手紙一 1 章10~17節

関口 康

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(10節)

先週の礼拝で「復活の体」の話をしました。今日は「教会の一致」についてお話しします。先週と今週とで共通点があると思っています。両方とも、教会にいる私たちこそが疑わしいと思っていることです。

私たちは「復活の体を見てみたい(見たことがない)」という疑問と同じぐらい、「一致している教会を見てみたい(見たことがない)」という疑問を持っています。

私が牧師(最初は「伝道師」)になったのは1990年です。今年で36年目です。これまでの経歴は教会ブログの「牧師紹介」で公開しています。転任が多かったです。「転々としてきた牧師」が悪い評価になりがちなことは、よく分かっています。しかし、同世代の牧師たちの中では、私の転任回数は平均的なほうです。世代が関係していると思います。日本の教会の歴史の中で大規模な世代交代が行われました。

これまで働かせていただいた教会を悪く言うつもりはありませんが、私の転任の理由はすべて「教会分裂を回避するため」でした。私が分裂の原因だったことがないとは言いませんが、赴任する前から分裂していた教会に赴任したケースが多かったです。

どの教会でも同じ現象が起こりました。例外はありません。今日の箇所に書かれているとおりのことが起こりました。今日の箇所を読むと私の古傷が痛みます。身を切る思いでお話しします。話し終わるまで立っています。急に倒れたりしませんのでご安心ください。

今日の箇所に記されているのは、コリントの教会が分裂しているという知らせを聞いたパウロが「教会を分裂させてはいけない」と強く訴えている言葉です。

コリントは、ギリシアのアテネから西に85キロほど、高速道路経由で 1 時間です。私は一度だけ現地に行ったことがあります。その教会が分裂しているという知らせを、パウロは「クロエの家の人たちから知らされました」(11節)と書いています。

この言葉の意味を考えたことがありませんでしたが、今回調べて分かったことをご紹介します。「クロエ」という名はギリシア神話に登場する女神デメテルの愛称です。このデメテルは金髪で美しい女神として描かれています。その「女神デメテル」の愛称と同じ「クロエ」という女性名を持つ方とその家族の人々がコリント教会にいました。

「クロエ」について、ポップ先生(François Jacobus Pop [1903–1967])(※注)というオランダ人の聖書学者が書いた註解書(De eerste brief van Paulus aan de Korintiërs, De Prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1965)に興味深いことが書かれていました。

「使徒が情報源を明示していることは注目に値する。彼は普段はそうしないからである。コリントの人々からも尊敬されている信頼できる人々から情報を得たと示唆しているのだろうか」。

「確かに」と思いました。教会の内部の問題を外部に持ち出して訴えた人の名前が公開されれば、たちまちその人が教会の中で非難の的になるでしょう。そうなることを承知のうえでパウロが「クロエ」の名前を書いたのだとしたら、この女性はコリント教会の中で強い影響力を持っていたに違いありません。

コリント教会の分裂状態を象徴的に描いているのが12節の言葉です。

「あなたがたはめいめい『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」(12節)

これが私も体験したことです。どの教会でも例外なく目撃した現象はこれでした。ポップ先生の註解書に、この 4 つのグループのスローガン「私はだれそれさんにつく」の名前の順序に意味があると書かれていました。

「パウロ」はコリントの最初の伝道者であり、コリント教会の創立者です(4章15節)。ただし、パウロは西暦50年頃から 1 年半しかコリントにいませんでした。

「アポロ」はパウロの次にコリントに赴任した 2 代目の伝道者です。アポロ牧師のときに教会員が増えました。雄弁で有能な、人気ある説教者でした。しかし、パウロとアポロは教えの内容に違いがありました。それが「パウロ派」と「アポロ派」の対立を生みました。

「ケファ」は使徒ペトロです。ペトロは当時の「教団」の中心に位置するエルサレム教会の説教者でした。コリント教会の中で「パウロ派」と「アポロ派」が争うのを憂いた人たちがペトロの権威に頼ろうとしました。

「ここまでは理解できる」とポップ先生が書いておられます。おっしゃるとおりです。私も同意します。これは理解できる話なのです。わたしたち人間には感情があります。相手が誰であれ、牧師であれ、好き嫌いや親しみの気持ちで近づいたり離れたりするのは当然のことです。個人的にお世話になったかどうかは大事な要素です。そのことを互いに認め合うことができさえすれば、「パウロ派」と「アポロ派」と「ペトロ派」は共存可能なのです。

ところが、「キリストにつく」と主張する第 4 のグループが現れたとき、教会分裂が修復不可能なレベルに達しました。なぜでしょうか。ポップ先生は次のように記しておられます。

「キリストにつくと主張する人々の行動は、他のグループよりも教会の安定と一致にとってさらに危険なものであった。なぜなら、パウロにつくと主張する人も、アポロやケファにつく人々も、キリストに属していることを認めることができたからである。しかし、キリストにつくと主張する者が現れると、他の人々に自分たちはキリストについていないと考えているという印象を与えずにはいられない。さらに悪いことに、彼らはキリストの名をパウロ、アポロ、ケファの名と同列に扱った。キリストを教会全体の頭とする代わりに、彼らはキリストをひとつのグループの頭とした」

これは感動的な解説です。全くおっしゃるとおりです。「キリストにつく派が最もタチが悪い」という解説に初めて接したという意味ではありません。私が東京神学大学で学んでいた1980年代後半に、山内眞先生(1940-2025)がそのようにチャペル説教で説明なさった記憶があります。忘れかけていた遠い記憶に確証が与えられました。

「キリストにつく派」が最もタチが悪いことは事実です。「(創立者を重んじる)パウロ派」も「(現在の牧師を重んじる)アポロ派」も「(教団の権威を重んじる)ペトロ派」も、キリストに従う意思を持っています。その意味では彼らも「キリスト派」であることに変わりありません。しかし、その 3 つのグループと対立する形で「キリスト派」が登場すると、教会の分裂が修復不可能になります。3 つのグループを、まるでキリストに従っていないかのように侮辱することを意味してしまうからです。

ここで大事なことは、「キリストにつく」という主張を、水戸黄門の印籠のように持ち出してはならないということです。「教会は人間のものではなく、キリストのものです」と。そんなやり方は、何の解決にもならないし、教会に最も深刻な亀裂を生じさせるのです。

パウロの結論は12章12節以下に記されていることです。ひとつの体の中に多くの部分があるのだから、目が手に、頭が足に「お前は要らない」と言えないだろうというあの話です。

「トムとジェリー」の主題歌を覚えておられますか。「トムとジェリー、仲良くケンカしな」。

教会が分裂して立ち行かなくなって、教会をやめてしまったり教会堂を失ったりすると、町の人たちからキリスト教そのものへの信用を失って、その地で二度と伝道ができなくなります。教会を分裂させてはいけません。

「仲良くケンカする」トムとジェリー方式がうまく行けば「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)になることができるでしょう。

(2025年 9 月21日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

※注

フランソワ・ヤコプス・ポップ氏(François Jacobus Pop [1903–1967])はオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK))の牧師。1945年から1965年まで「教会と世界研究所」(Het instituut Kerk en Wereld)の指導的立場にありました。

特に、オランダの2つの改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK)とGereformeerde Kerken in Nederlands (GKN))の分裂を終わらせるために1961年4月24日に結成された「18人の会」(Groep van Achttien)を主導する推進役として活躍しました。

彼らを中心とする運動が「共に道を歩むプロセス」(Samen op Weg-proces)へと発展し、2004年5月1日に教会合併が行われ、オランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland (PKN))が設立されました。

ポップ牧師について
https://www.trouw.nl/voorpagina/de-achttien-f-j-pop-1903-1967~bcb1a34e/

18人の会について
https://nl.wikipedia.org/wiki/Groep_van_Achttien_(PKN)

2025年9月14日日曜日

復活の体

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「復活の体」

コリントの信徒への手紙一15章35~49節

関口 康

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(36節)

今日はパウロのコリントの信徒への手紙一を開きました。内容に入る前にこの手紙の著者パウロについてお話しします。それが今日の箇所の内容にも関係します。

パウロは「使徒」です。しかし、彼は「生前の」主イエスが直接お選びになった12人のひとりではありません。使徒の名簿(マタイ10章 2 ~ 4 節、マルコ 3 章16~19節、ルカ 6 章14~16節)の中にパウロの名前はありません。パウロは13人目の使徒です。ただし、ユダの自死(マタイ27章 3 ~10節、使徒 1 章18~19節)とマティアの補充(使徒 1 章21~26節)を経ていますので「12-1+1+1=13」です。

しかし、パウロは、まだ「サウロ」と名乗っていた頃、復活の主イエスと出会いました。「姿を見た」とは書かれていません。書かれているのは「突然、天からの光がパウロの周りを照らし、彼は地に倒れ、「『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(使徒 9 章 5 節)です。パウロは復活の主イエスを目で見ておらず、「声を聞いた」だけです。

パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねたら「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(同上節)と答えが返って来ました。その日から3日間、その光の輝きのためにパウロの目が見えなくなりました(使徒22章11節)。

その後、主イエスの弟子のアナニアと出会ったとき、パウロの目は見えるようになり、アナニアから洗礼を受けてキリスト者になりました。復活の主はアナニアにも「パウロのもとに行け」とお命じになりました(使徒 9 章10節)。

洗礼を受けてキリスト者になったパウロは伝道者になり、「使徒」を名乗るようになりました。使徒言行録14章の4節と14節に「バルナバとパウロ」が「使徒」と呼ばれ、バルナバが14人目の使徒であるように読めますが、そのことが記されているのはその箇所だけです。

パウロが自分を「使徒」と呼んでいるのは彼の書簡です(ローマ  1 章 1 節、コリント一 1 章 1 節、ガラテヤ 1 章 1 節)。彼が自分を「使徒」と呼ぶのは、12人の使徒と「権能」(authority)において「同等」(equal)であると主張することを意味します。

パウロは「生前のイエス」を知りません。それどころか、彼は熱心なキリスト教迫害者でした。洗礼を受けた後も、教会の人々にすぐには信用してもらえませんでした(使徒 9 章26節)。そのパウロが、それでも自分には12人の使徒と同等の権能が与えられていると言えたのは「イエス・キリストが復活し、今ここに生きておられること」以外に根拠はありません。

ここまでで私が申し上げたいのは、イエス・キリストの復活の事実は、パウロの「使徒」としての自覚と深い関係にあった、ということです。

今日の箇所に記されているのは、そのパウロが「イエス・キリストの復活」と「死者の復活」を信じることができない人々から受けた反論に対する応答です。

15章12節に「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」とあるように、「復活など信じられない」という反発は当時からあったことが分かります。

その人々が「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」見せてみろよとパウロに突っかかって来たのでしょう。その問いにパウロが答えているのが今日の箇所です。

皆さんの中に「復活を信じられない人の気持ち」が全く理解できないとお感じの方がおられるでしょうか。私は理解できます。「私もほとんど信じられません」と言いたいほどのレベルです。「牧師さんにそういうことを言われると困ります」と思われるでしょうか。「死者はどんなふうに復活するのか(見せてみろよ)」という問いは、私も共有しています。

その問いへのパウロの答えが「愚かな人だ」(36節)なのは困ります。「ばかものめ」ですから。乱暴な言い方をされると、みんなつまずいてしまいます。もう少しソフトに答えてほしいです。

言い方の問題はともかく、パウロは 2 つのたとえを用いて、反論に答えています。

第 1 の答えは、穀物のたとえです。

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です」(36~37節)。

第 2 の答えは、名付けが難しいたとえです。

「神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります」(38~41節)。

これは現代の自然科学の知識を前提にして読むと、かえって全く理解不可能です。パウロが西暦1世紀の人であることを忘れてはいけません。パウロが言おうとしているのは、どちらかといえば文学や哲学に近いことです。無理に言葉にすれば「命の同一性と差違のたとえ」です。

たとえば、私と皆さんは同じ「人間」です。しかし、だからといって「私たちは水とたんぱく質とカルシウムと脂肪のかたまりです」的に一緒くたにされるのは、いくらなんでも嫌でしょう。

あるいはまた、「ねずみ」も「へび」も「人間」も「命」であることに変わりなくても、「あなたはねずみと同じです」と言われると抵抗があるでしょう。

神がすべての存在を創造されたとき、「個性を創造された」と言えるほどに、それぞれが別々の存在として造られました。それが聖書の教えです。

しかしまた、命の連鎖的な関係性があることも事実です。「食物連鎖」をご存じでしょう。植物を昆虫が食べ、昆虫を鳥や獣が食べ、鳥や獣を人間が食べる。

それは「水の循環」にも似ています。海や川の水が蒸発して雲になり、雨が降り、川になり、人と生き物を潤し、再び川になり、海に戻る。同じだけど違う。形を変えながら受け継がれていく何か。

ここで私たちが注意すべきことは、「蘇生(そせい)」と「復活(ふっかつ)」の区別です。英語だとどちらもresurrection(レザレクション)ですが、日本語では意味が全く違います。

「蘇生」とは「仮死状態から息を吹き返すこと」つまり「死んでいない」のですが、「復活」は死を必ず経由します。だからこそ「復活」には奇跡の要素があり、信じるか信じないかの問題になります。「蘇生」は信じるか信じないかの問題ではありません。

しかし、私たちにとって信じるのが難しい「死者の復活」と、現代的な意味での「食物連鎖」や「水の循環」は「同じです」(42節)とパウロが言ってくれています。もしこういう信じ方でもよいのであれば、私には「復活」が少しぐらいは理解可能になります。

福音書には「死んだイエスが墓から出てくる」場面が確かに描かれていますので、信じられるかどうかのハードルが高くなりますが、それも「復活」についてのひとつの信じ方です。

私たちが信じるべきことは、イエス・キリストは、十字架の上でご自身の命をささげられたからこそ、今ここにおられ、私たちに御言葉を語りかけてくださっている、ということだけです。

(2025年 9 月14日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年9月7日日曜日

教会の歴史はこれからも続く 教会創立72周年記念礼拝

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「教会の歴史はこれからも続く」

マタイによる福音書13章24~33節

関口 康

「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けばどんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(31-32節)

今日は足立梅田教会の創立72周年記念礼拝です。今週土曜( 9 月13日)が記念日です。来週 9 月14日のほうが記念日に近い日曜日ですが、良いことをするのは早いほうがよいと思いました。

説教題が大げさでしょうか。私たちの心が少しも折れていないことを表現したいと思いました。この「教会」は「足立梅田教会」です。足立梅田教会の歴史はこれからも続きます。そのことを公に宣言いたします。

聖書の話を先にします。今日の朗読箇所は創立記念礼拝向けに特別に選んだ箇所ではなく、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。しかし、今日の礼拝にふさわしい内容であることが分かりました。

31節以下は「からし種のたとえ」です。からし種は小さな粒です。 1 グラムあたり725~760粒もあります。しかし、完全に成長すると、どの野菜よりも大きくなります。大きな木になり、その枝に鳥が巣を作れるほどになります。2.5から 3 メートルの高さにまで成長します。

しかし、このたとえ話の要点は、「神の国」または「教会」は必ず《拡大》していく、ということではありません。このたとえ話の要点は、蒔かれたからし種は「神の国」または「教会」の《始まり》である、ということです。

大きくなるかどうかは問題ではありません。「始めること」と「続けること」が大事です。そのことを教えるたとえ話です。

足立梅田教会は「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)であると私は確信しています。SDGs(エスディージーズ)をもじりました。「持続可能」だけであれば、sustainableで十分です。しかし、「発展、展開、開発」などを意味するdevelopmentを残したいと思いました。「成長」の意味もありますが、「拡大」や「増加」を強調したいのではありません。

当教会が「持続可能」な理由は、初代牧師の藤村靖一牧師の基本方針がすべてです。創立36周年に当教会が発行した『足立梅田教会の歩み』(1989年)に記されています。

「私たちの歩みは、ゆっくりゆっくりが最初からの特色であり、伝統です。私の教会運営の基本方針は 3 つでした。1. 集会をできるだけ少なくする。2. 受洗者は、年にひとりでよい。しかし、最後まで脱落しないように祈っていく。3. 藤村の生活は自分で支えていく」(50頁)。

別の頁にも、同じ趣旨の言葉があります。こちらのほうが詳しいです。

「この時点(*1954年)での私の方針は、第 1 は、みんな多忙なので集会はできるだけ少なくすること。第 2 は、礼拝で培われた信仰を各自の家庭、職場、社会において力強く実践すること。さらに、急がないで進むこと。受洗者は年にひとりでよい。しかし、ひとり残らず最後まで脱落者を出さないこと。そのように祈ること。もうひとつは、教会の中で困っている人がいたら、相互に助け合っていけるような体制を作ること。けれども、それらは思うようには行きませんでした。それから、幸いに私は青山学院に勤めておりますので、自分の生活は自分で支えて行けました」(14頁)。

これは素晴らしい方針です。「ゆっくりゆっくり」を忠実に受け継いだ先に足立梅田教会の将来があります。

「ゆっくりゆっくり」は、サボることではありません。ウサギとカメの童話をご存じでしょう。イソップ童話です。明治時代の国語の初等科教科書に「油断大敵」というタイトルで掲載されていたそうです。それはウサギの視点でしょう。カメの視点で考えれば、一歩一歩着実に歩んだ先にゴールがあることを教える童話です。足立梅田教会はカメです。悪い意味ではありません。

牧師の生活については、現時点の私は教会のみなさまに助けていただいていますが、理想的には藤村先生のおっしゃるとおりです。なんとか自活を目指します。

足立梅田教会が「持続可能」である理由はまだあります。それは「教会堂に拡張性が無いこと」です。皮肉や逆説で言っていません。礼拝堂の広さは学校の 1 教室分です。この建物の中に礼拝堂も集会室も牧師館も駐車場も備わっています。コンパクトですがオールインワンです。牧師は大型バイクです。21世紀の理想的な教会です。

この建物の「サイズ」が、元々ここが藤村靖一先生の私邸だったことで決定された面があるのは承知しています。しかし、それだけではありません。

藤村先生の人生最大の恩師、浅野順一先生が「1936年 1 月10日」の日付でお書きになった文章に次のくだりがあるのを見つけました。

「近ごろ、日本でも立派な会堂を建築することが一種の流行のようである。それを一概に悪いと言うのではないが、もし容れ物は堂々たるものになったが、中身がかえって空疎、貧弱になったというのであれば、それは本末転倒という外はない。 

もし牧師の成功の一つが大会堂建築にありとする思い違いがあるならば、これは正に言語道断と考えるが、どうであろうか。 

私は決して瘦せ我慢でこういう憎まれ口を言っているのではないつもりである。今日の日本の教会はそれどころではあるまい。固定した古いものがドンドン破られて、新しいものに向かって進んで行かなければならない時であろう。 

もちろん、新しければ何でも良いなどと乱暴なことを言うのではないが、古きはすでに死し、それが新しい生命に生き返るということが福音の根本精神だとすれば、古いものを温存するその容れ物は、場合によっては打ち壊すとか投げ棄てることも必要かもしれない」

(『浅野順一著作集』第11巻、創文社、1984年、125~126頁)

89年前に書かれた文章と思えないほど、今の日本の教会の状況に符号する内容です。

この文章が書かれた1936年1月に、浅野順一先生(36歳)は美竹教会の牧師に就任されました。同じ1936年12月に藤村靖一先生(21歳)が知人の紹介で浅野先生の門を初めて叩かれました。翌1937年藤村先生は住友海上火災に就職され、同時に美竹教会に通いはじめられました。藤村靖一先生の教会堂のサイズについての思想は浅野順一先生から受け継がれた可能性が高いです。

足立梅田教会の最初の「からし種」は次の方々です。1951年 8 月、黒岩さんが富士見町教会で受洗後、1953年 9 月、当教会へ転入会。1952年12月、関口さん、樅山(もみやま)さん、杉田さんが受洗。1953年 4 月、酒井さん、木内(若林)さん、大石さん、谷古宇(やこう)さん、坪野(福岡)さん、押山さん、佐藤(柴田)さんが受洗。

1953年 9 月13日、「美竹教会梅田伝道所」開所式(当教会の創立記念日)。

1953年 9 月29日、梅田伝道所第 1 回委員会。初代委員:関口さん(23歳)、樅山さん(年齢未確認)、酒井さん(22歳)、木内(若林)さん(20歳)、佐藤(柴田)さん(17歳)。藤村靖一先生は38歳のお誕生日( 9 月28日)の翌日。みなさんお若い!

72年前に72年後の今の教会の姿を想像していた方がおられたでしょうか。これからどうなるかは、だれにも分かりません。知る必要がないことです。

神が72年、この教会の歴史を続けてくださいました。これからも神が、この教会の歴史を続けてくださいます。この教会の歴史が続いていくことが「神の存在証明」です。

(2025年 9 月 7 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年8月31日日曜日

安息の家

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「安息の家」

マタイによる福音書12章43~50節

関口 康

「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(50節)

今日の説教題の「安息の家」とは「教会」のことです、と言いたいです。しかし、教会についての感想やとらえ方は、人それぞれです。そう思えないという方もおられるでしょう。

それは私も分かるので、少し遠慮して「教会はあなたの安息の家でありたいと願っています」と申し上げておきます。

しかし、「教会」については抽象的なことを言うだけでは意味がありません。足立梅田教会の話をします。

来週 9 月 7 日(日)は足立梅田教会創立72周年記念礼拝です。来週の説教題を「教会の歴史はこれからも続く」にしました。

足立梅田教会は「持続可能な教会(SDC)」(Sustainable Development Church)であると、私は確信しています。しかし、「目標」(Goals)は必要です。目標については来週お話しします。

今日の聖書箇所の最初に「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に帰ろう』と言う」(43~44節)とあります。「霊」の話として書かれていますが、明らかに「人間」についてのたとえ話です。

「悪霊」や「悪魔」の本来の住み家は「砂漠」であるという思想があったことがイザヤ書34章14節などで確認できます。また、悪霊が人間に憑依したり人間から出て行ったりする描写が聖書に繰り返し出てきます。現代的な心理学などない時代の物語です。

たとえ話のあらすじは次のとおり。

悪霊が人間から出て行って、古巣の砂漠に戻りました。しかし、砂漠には安住の地が見つからなかったので、「出て来たわが家」である人間の心に戻ることにしました。

すると、そこは空き家になっており、掃除までされて整えられていました(44節)。空き家ならいいだろうと、悪霊が自分よりも悪い 7 つの悪霊仲間を連れてきて住み着いたら、前よりも悪くなりました(45節)。

とても気になるのは、このたとえで主イエスが何を言おうとされているかです。悪霊は最初から出て行かなかったほうがよかったかのようです。悪霊が出て行ったばかりに、空き家ができて、掃除までされていたから、そこが悪の巣窟になって前より悪くなったというのであれば、悪霊が出て行かずに住み続けていればそうならなかった、という話にならないでしょうか。

それはいくらなんでもまずいでしょう。悪霊に取りつかれたままのほうが良かったと主イエスがお考えになるはずがありません。宣教活動の柱として「福音の宣べ伝え」と共に「悪霊払い」を行われたこととの整合性が取れません。

このたとえ話の大事なポイントは、人間から悪霊が「出て行った」と言われている意味は、悪霊の自由意志による選択の結果ではなく、聖霊の力によって〝追い出された〟と理解すべきであることです。「悪霊は初めから出て行かなければよかった」という理屈は成立しません。

しかし、悪霊が追い出された後の人間の心に「空白」ができることを主イエスはご存じです。「空き家」は心の「空白」です。この教えの最も大事な意味は、人間の心の「空白」を放置してはならないということです。

東京神学大学での私の最大の恩師である大木英夫教授が当時の学生相手に繰り返しお話しになったのは、先生が終戦直前まで陸軍幼年学校の生徒だったこと、生粋の皇国少年だったこと、しかし敗戦によって心に「空白」ができたこと、その「空白」をイエス・キリストが埋めてくださったこと、でした。

かつては熱心な信仰の持ち主だった人が、信仰を失ったら、その後は何も信じられなくなったという話をよく耳にします。その「空白」を悪魔が狙っています。それが主イエスの教えです。

それならば、どうすればよいのでしょうか。この問いのひとつの答えが、次の段落(46~50節)に記されています。

「イエスがなお群衆に話しておられるとき」(46節)という言葉が、今日の箇所の2つの段落(43~45節、46~50節)が内容的に続いていることを教えています。

まだお話し中の主イエスのところに「その母と兄弟たち」が訪ねて来ました。「話したいことがあって外に立っていた」(40節)と記されています。これで分かるのは、彼らが訪ねて来た目的は、主イエスの説教を聞くことではなかったということです。

血縁の家族は「部外者」ではありません。しかし、だいぶ距離をとられています。「我々は信者ではありませんから」と言われているかのようです。「参加者」(participant)ではなく「傍観者」(bystander)です。

「参加者」(participant)は「全体の部分(a part)になった人」を意味します。「自分は全体ではない」とか「一部分にすぎない」という一種の屈辱を伴う可能性があります。

「参加」(participation)には「勇気」(courage)が必要であると、ハーヴァード大学神学部などで教えた神学者パウル・ティリッヒ(Paul Tillich [1886-1965])が主張しました。

母親や弟たちに対して主イエスがおっしゃった言葉は、ある意味で突き放すような内容でした。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」(48節)。そして弟子たちのほうを指して「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(49~50節)。

同じ出来事を描いた並行記事が、マルコ( 3 章31~35節)とルカ( 8 章19~21節)の各福音書にあります。ルカ 8 章21節には「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と記されています。「わたしの天の父の御心を行うこと」とは「神の言葉を聞いて行うこと」であることが分かります。そうする人々の集まりが「教会」です。

しかし、それでは、その「教会」とはもう少し具体的に言うと何でしょうか。

私は岡山朝日高校の「倫理・社会」の授業で学びました。ドイツの社会学者フェルディナント・テンニース(Ferdinand Tönnies [1855-1936])が、共同体のあり方を「ゲマインシャフト」(Gemeinschaft)と「ゲゼルシャフト」(Gesellschaft)に区別したことで有名になりました。

この議論が「教会」とは何なのかを理解するために役に立ちます。中高生の皆さんは、そのうち学校の教室で習いますので、この機会にぜひ覚えてください。

「ゲマインシャフト」(Gemeinschaft)とは、地縁や血縁や友情などで自然的に発生する共同体のあり方を指します。家族や友達関係などが該当します。

それに対して「ゲゼルシャフト」(Gesellschaft)とは、共通の目的や利益をもって人為的に形成される共同体のあり方を指します。会社や政治団体などが該当します。

「教会」は「ゲマインシャフト」のほうだろうか、それとも「ゲゼルシャフト」のほうだろうかと考えてみることが大切です。「実は両面ある」というのが今日の結論です。

「教会」の中の自然発生的な地縁や血縁や世襲を否定すべきではありません。幼児洗礼の制度はそれの典型です。しかし、地縁や血縁から追い出された人や、その関係を失った人にとっては、「教会」こそが新しい人生の土台となるでしょう。

「教会はゲマインシャフトなのか、それともゲゼルシャフトなのか」というこの問いは、教会の歴史の初めからある「ユダヤ人キリスト者」と「異邦人キリスト者」の対立の問題に通じます。「世襲の信者」と「新来者」がなんとなくギクシャクすることは、教会の歴史の中で絶えたことがありません。

「教会」は血縁や地縁で守られている面があります。しかし、それだけでは閉じていくだけで、先細りになります。新しい仲間を広く受け入れなくてはなりません。

「教会」は「自国民ファースト」ではありません。職業、経済力、体や心の機能、ジェンダー等の違いについて、教会が自動的に無差別であるとは言えません。「差別しない努力」が求められます。私たちはだれでも受け入れられる「安息の家」を目指しています。

(2025年 8 月31日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年8月24日日曜日

伝わらない思い

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「伝わらない思い」

マタイによる福音書 10章16~25節

関口 康

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(16節)

今日の箇所は、先週の箇所の続きです。主イエスが使徒派遣に際して語られた言葉です。10章の終わりまで続きます。これら一連の言葉から読み取ることができる、12人の使徒に対して持っておられた主イエスの思いは「心配」です。

主イエスの言葉を聞いて使徒たちの内心に反発があったかどうかは描かれていません。「弟子は師にまさるものではない」(24節)とも語られていますので。

「先生は我々のことを見下げたいだけなのか」とでも反発を抱いてくれる弟子がいたら主イエスはむしろお喜びになったでしょう。凶悪な存在が蠢(うごめ)く危険領域へと愛する弟子たちを派遣する主イエスの心境はどういうものだったかを想像することが大事です。

「殉教」を意味する「証しする」という言葉が、18節に出てきます。「わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しすることになる」(18節)。これは使徒たちが殉教するであろうことの主イエスの見通しです。

しかし、だからといって主イエスは使徒の殉教を望んでおられません。むしろ「逃げること」を望んでおられます。23節に「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」とあるとおりです。

イエス・キリストはどの弟子に対しても、わたしたちに対しても、「自分と一緒に死んでほしい」とも「私のために死んでほしい」とも願われる方ではありません。正反対です。「私がひとりで死ぬから、どうかみんな逃げてくれ」と願う、それがまことの救い主イエス・キリストです。

主イエスご自身も使徒たちも、これから危険なところへ出かけていくのですが、ここで大事なことは、私たちが非武装であることです。完全に丸腰です。拳銃もライフルも持ちません。戦車も戦闘機も戦艦も乗りません。それを無力と言うなら完全に無力です。だからこそ、こう言われました。

「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(16節)。

蛇について「賢く」と訳されている言葉(聖書協会共同訳も「賢く」)は複数の意味を持っています。蛇と言われるとどうしても「怖い」というイメージを持つ人が多いと思います。蛇は獲物を見つけると突進してきて毒牙で噛みついてきます。口に入りさえすれば何でも吞み込めるようで、牛ほどの大きな獲物でも丸呑みします。「ヘビはモチを詰まらせるか」というネットの記事があって、それには笑ってしまいましたが、笑いごとではないかもしれません。

もうひとつ「蛇」に対して私たちがどうしても否定的なイメージを抱く理由として、創世記3章に登場する、エバとアダムをそそのかす「蛇」を思い出すから、という点を挙げることができるでしょう。

創世記3章に登場する「蛇」は、たしかに悪の象徴です。しかし、今日の箇所で主イエスが引き合いに出しておられる「蛇」は違います。

「賢い」という翻訳は「ずる」を付けて「ずる賢い」と言いやすいので悪いイメージにつながりやすいです。しかし、それでは、主イエスは「蛇のように凶暴な人になりなさい」と言われたでしょうか。「危険な状況の中で強くしぶとく生きるには、人をだませるぐらいのずる賢い人間になることも必要悪である」というような悪人化のすすめをなさったでしょうか。

そんなことを主イエスが言うわけがないのです。そうではなく、主イエスは「蛇のように賢く」という言葉を肯定的な意味で語っておられます。なぜそう言えるのかについて、以下、説明いたします。

「蛇」が「用心深い」とは何を意味するのかについて、興味深い説明があることを知りました。スイスのローザンヌ大学神学部などで新約聖書学教授を勤めたピエール・ボナール教授(Prof. Dr. Pierre Bonnard [1911-2003])の説です(ボナール教授はフランス語圏のプロテスタント教会への影響力の強さにおいてカール・バルトと肩を並べる存在でした)。

ボナール教授の説明によると、蛇にはまぶたがなく、常に目覚めている(ように見える)ので「蛇のように」の意味は「用心深い」であるということです。もうひとつ、蛇は獲物を捕食すると寄り道せずに自分の巣にストレートに帰るので、「蛇のように」は「シンプルであること」を意味するということです。

蛇にまぶたがないことを、お恥ずかしながら私は知りませんでした。目の表面に透明なうろこがあって目を保護しているそうです。蛇は目を閉じることがありません。しかし、それをもって蛇を「用心深い」とするのは、あくまでイメージです。ヘビも動けば疲れますから休息しないわけがありません。目を開けたまま寝ているのでしょう。

「鳩のように素直であれ」のほうはどうでしょう。聖書協会共同訳は「素直」ではなく「無垢」と訳しています。これもあくまでイメージです。

「鳩」と言えば「騙されやすい」と否定的な意味でとらえる解釈もあるようです。しかし、ここで主イエスが言われているのは、これも肯定的な意味です。「鳩」は純粋さ、純真さ、単純さ、正直さ、オープンさ、抑制されていなさ、傷つけられていなさ、損なわれていなさ、堕落(または腐敗)していなさの象徴です。

「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」(17節)とあります。主イエスは「最高法院」に引き渡されました。使徒たちは「地方法院」(συνέδρια シュネドリア)に引き渡されます。「最高法院」も「地方法院」も、ギリシア語原文は同じシュネドリアです。文脈によって訳し分けられているようです。

「最高法院」は、70人の議員と議長1名を加えた71名で構成されていたユダヤ社会の最高権力者集団でした。「地方法院」は、120人以上の成人男子が住む都市に存在した、23人の議員で構成された、最高法院の地方支部でした。

ユダヤ人の間での鞭打ち刑は、普通の革紐で作られた鞭で行われました。ローマ法の鞭打ち刑は3種類ありました。

①自由民(freemen)に対しては、数本を束にした木製の笞(stick)が使用されました。

②軍隊内では、棍棒(rod)が使用されました。

③奴隷に対しては、多くの釘(spikes)を先端に付けた皮の鞭(scourges)、または多くの骨片(羊の指の関節)や鉛玉を鎖状につないだ鞭(whip)が用いられました。

主イエスに対して行われた鞭打ち刑は、③でした。

ユダヤの鞭打ち刑は、会堂(シナゴーグ)で会堂員によって執行されました。

その場に、地元の地方法院(シュネドリア)の議員が、3名立ち会いました。

1人目が、申命記28章58節以下、29章8節、詩篇78編38節を朗読しました。

2人目は、むち打ちの数を数えました。その際、申命記25章3節「40回までは打ってもよいが、それ以上はいけない」に基づき、40から1を引いた回数(39回)を執行人に打たせました。使徒パウロがⅡコリント11章24節で「40から1を引いた鞭を打たれた」と証言しています。

3人目が、むち打ちごとに命令を下しました。

「神の罰」としての鞭打ち刑は、神の言葉としての律法(トーラー)に基づき、宗教施設としての会堂(シナゴーグ)で行われる、一種の宗教的行為でした。

しかし、そのような時代は、終わらせなくてはなりません。

私たちはどこまでも、言論(ことば)で思いを伝えます。

(2025年8月24日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年8月17日日曜日

使徒派遣

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「使徒派遣」

マタイによる福音書10章5~15節

関口 康

「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8節)

今日の箇所に描かれているのは、イエス・キリストが多くの弟子の中から12人の弟子をお呼びになり、彼らに「使徒」と名付け、「権能」を与え、宣教の働きへと派遣なさった場面です。

イエスが12人の弟子に与えた「権能」(ギリシア語ἐξουσία エクソウシア)は、英語のauthority(オーソリティ)です。「権能」の定義は難しいです。主イエスと同じステージに立って同じことができるようになるための許認可のようなことです。

「同じことができる」の意味は、働きのスタートラインにつかせていただくことです。主イエスと同等の能力がすでに備わり、同等の結果を出すことができるということではありません。

12人の弟子に主イエスが「使徒」(英語Apostle アポッスル)と名付けられました。「十二使徒」(δώδεκα ἀποστόλων ドーデカ・アポストーロン)の名簿は、マタイ(10章2~3節)、マルコ(3章16~19節)、ルカ(6章14~16節)の各福音書にあります。この名簿に「徴税人マタイ」や「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」の名前があります。

「12人の使徒」作画・関口 康

「使徒」と呼ばれる存在は、この12人と、イスカリオテのユダの後任として選ばれたマティア、そして後に使徒となったパウロだけです。しかし、主イエスから使徒に与えられた「権能」は、彼らの代で終了したわけでありません。

使徒の働きの本質は「宣教」、すなわち福音をあまねく宣べ伝え、神のみわざを地上で行うことです。その「権能」を継承するための制度化が、キリスト教会の歴史の中で行われました。

それは、たとえば日本基督教団の教師検定制度のようなものになりました。旧約聖書・新約聖書の語学や解釈、2000年のキリスト教会の歴史、キリスト教の現代的な理解や様々な議論、説教やカウンセリングなどの試験に合格すれば、「権能」が授けられるようになりました。

もうひとつ大事なことは「12」という数字です。なぜ使徒は「12人」でしょうか。間違いなく、古代イスラエル王国が「12部族」で構成されていたことと関係あります。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブに、神が「イスラエル」という名を与え、ヤコブの12人の子どもたち(創世記35章23~26節など)が、イスラエル12部族の祖先になりました。

使徒の時代にはユダ族とベニヤミン族の2部族だけが残存していて、ユダヤ地方を形成していました。しかし、ユダヤ人たちの自己理解においては、あくまで自分たちはモーセとダビデの時代から続く12部族の連合体としてのイスラエル王国を受け継ぐ存在であると信じていました。

5節以下の主イエスの言葉の中に「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」とあります。この「失われた羊」は「ユダ族とベニヤミン族を除く10部族」だけを指すと狭く受け取るべきではありません。しかし、イスラエルには多くの「失われた羊」がいるという事実を、彼ら自身が強く自覚していたと考えることは可能です。

ところで、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」という主イエスの教えの意味は何でしょうか。ユダヤ人は神を信じる民です。その人々に福音を宣べ伝えるというのは、すでに神を信じている人々に「神を信じてください」と言っているのと同じです。

それは、私たちの文脈に置き換えて言えば、かつて教会生活を熱心になさっていた方々や、他の教会でつまずいて教会生活ができなくなっておられる方々へのアプローチから取り組みなさいと言われているのと同じです。かつて熱心だったことがあるからこそ、「二度と信じまい、二度と教会に足を踏み入れまい」と心に誓っておられる方々がおられるかもしれません。

主イエスは「異邦人の道に行ってはならない。またサマリア人の町に入ってはならない」(5節)とも言われています。異邦人とサマリア人は当時のユダヤ人にとって軽蔑と差別の対象でした。主イエスは差別主義者なのでしょうか。そのように誤解されそうな危険な発言です。

しかし、この件は冷静に考えることが大切です。使徒たちの働きに「範囲」や「限界」が設けられたと考えることができないでしょうか。

どんな仕事にも役割分担があり、仕事の範囲があります。使徒は人間です。時間と空間の枠の中で生き、体力にも気力にも限界があります。限界を超えると過労死の原因になります。使徒たちにはユダヤ人伝道という働きがあり、他の人々には異なる働きがあるのです。

8節以下に具体的な指示が細かく記されていますが、大事なことはひとつです。それは、使徒たちの働きは「無償」であるということです。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8節)というのが至上命令です。

「使徒派遣」作画・関口 康

これは今日の教会にも当てはまります。教会の教師と役員の働きは「無償」です。これは理想主義ではありません。有償にするとたちまち格付けランキング競争が始まるでしょう。この牧師の説教の日の入場料はいくら。あの牧師よりも上か下か。座る席まで変わって来るでしょう。礼拝堂の前から順に「S席、A席、B席」。

毎週日曜の礼拝で「席上献金」をどのタイミングで行うかの議論で「説教後にすると金額が変動するので説教前のほうがいい」という意見があるのをご存じでしょうか。おひねりの感覚なら、そうなるでしょう。教会がそんなふうになってよいでしょうか。

そもそも牧師の給与は「説教の回数×〇〇円」ではありません。講演料をいただいているのではありません。特別礼拝の講師に謝礼を支払うこととそれは意味が違います。

「無牧(=定住牧師がいないこと)の教会は、他の教会から来てくださるいろんな牧師の説教を週替わりで聞けて、定住牧師とその家族の生活を支える必要がないので安上がりである」と言う人々に出会ったことがあります。反論したことはありませんが、私はいちいち傷ついています。定住牧師の存在が本当に必要かどうかは、自分自身で証明するしかなさそうです。

「神の言葉は無償である」という点はユダヤ教も同じ考えでした。律法学者がトーラーの知識を私利私欲に用いるのは間違っている。トーラーは土を掘るスコップではないし、金銭を得る手段ではないと、ラビ文書に記されています。

それでは、使徒、律法学者、牧師は、どのようにして生きていけばよいのでしょうか。主イエスの教えは次のとおりです。

「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には、袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(9~10節)。

この教えの趣旨は、禁欲や苦行のすすめではありません。任務遂行に遅れをとらないようにするために「何も持たないこと」が求められています。旅に必要な最低限の物資があれば、それで十分です。旅の食料は供給されます。

牧師の給与の話にしてしまいますと、その趣旨は「食費」であるということです。食費以上を要求する人は「偽預言者」であると『十二使徒の教訓(ディダケー)』11章6節に記されています(説教「人生の土台」2025年7月27日参照)。

飢え死にしない程度で大丈夫です。最終的には、神が天からマナを降らしてくださるでしょう(出エジプト記16章)。

(2025年8月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年8月10日日曜日

孤独な人々と生きる

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「孤独な人々と生きる」

マタイによる福音書 9 章 9 ~13節

関口 康

「ファリサイ派の人々はこれを見て弟子たちに『なぜあなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った。イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である』」(11-12節)

10月12日(日)に北村慈郎牧師をお迎えして「特別礼拝・講演会」を行うことになりました。主題は「これからの教会と日本基督教団」でお願いしますとお伝えして、快諾を得ました。

画像をクリックすると特別礼拝のページにジャンプします

このテーマについては、ご著書『自立と共生の場としての教会』(新教出版社、2009年)の中にほぼ記していますと北村先生が教えてくださいました。古書店に注文し、一昨日届きました。

北村慈郎著
『自立と共生の場としての教会』
(新教出版社、2009年)

「今年も皆さんに暑中見舞いをお送りします」と言いながらまだ送れていないことを申し訳なく思っています。10月12日特別礼拝の案内をどうしても書きたかったので遅くなりました。立秋を過ぎましたので「残暑見舞い」になります。ご理解いただけますと幸いです。

北村先生の『自立と共生の場としての教会』(2009年)の内容については著者ご自身からお話を伺える運びになりましたので、私が先回りして取り上げるのはやめておきます。しかし、予習のためにヒントを出します。

第 1 章の冒頭に、北村先生が目指してこられた「教会のあり方」について 3 つのポイントが挙げられています(21~23頁)。穴埋め問題の答えは10月12日(日)に発表します。

Ⅰ 共に生きる場としての教会の担い手は(①   )であること。

Ⅱ 牧師は本質的には(②   )が、現実的には(③   )であること。

Ⅲ 教会員ひとりひとりが(④   )していく(⑤   )が大切であること。


これは私も完全に同意します。北村先生ともっと早くお会いしていれば、牧師としての私の歩みが全く違ったものになっていただろうと思うほどです。

しかし、このようなことをいくら言っても無駄なので、神のご計画と導きにより、私なりの道をまるで這うように通って来て、足立梅田教会にたどり着いたと信じます。やっと納得できる線が見えてきました。 

私は日本基督教団の教師(最初は補教師、後に正教師)になって今年で35年目です。途中19年は日本キリスト改革派教会にいましたので、そこはカウントされないと判断されて東京教区東支区の「伝道30年」の記念品をもらい損ねましたが、どうでもいいことです。

それよりも重要なことは、35年という長さがちょうど、足立梅田教会の創立者、藤村靖一先生が当教会の牧師であられた期間(1953~1969年、1974~1993年)と同じであることです。途中の1969年から1974年までの 5 年間、北村慈郎先生が第 2 代牧師になられました。

私自身の35年を思い出します。藤村先生とはお会いすることができませんでしたが、藤村先生が牧師として足立梅田教会の皆さんとお付き合いになった35年の重みを、私が牧師としての自分と向き合わされた35年を思い起こすことにおいて感じることができます。 

昨年の春までは、足立梅田教会の皆さんとも北村慈郎先生とも面識がなかった私です。しかし、日本基督教団や日本のキリスト教界のつながりの中で全く無関係に生きてきたわけでもなかったことが次第に分かって来るのが、人知を超えた神のご計画の一側面でもあります。

今日の聖書箇所はこの福音書の著者マタイの物語です。マタイは徴税人でした。「徴税人マタイ」という表現が、主イエスの12人の弟子のリスト(マタイ10章 1 ~ 4 節)に出てきます。

主イエスの弟子のひとりの「徴税人マタイ」とマタイ福音書の著者マタイとが同一人物である可能性を示すデータを、私がいつも参考にしているマタイ福音書註解(J. T. Nielsen, PNT, 1971)に基づいて追加します。

a. 主イエスが食事された「家」(10節)はマタイの家。宴会に大勢招けるほど資産家だった。

b. 「徴税人」はギリシア語の知識が不可欠。「徴税人マタイ」はギリシア語使い。

c. 「マタイ」は「神からの賜物」を意味するヘブライ語「Mattatjah」または「Mattatjahoe」の略語MattaiMatjaMatjah等に由来し、ユダヤ地方出身者であることを示している。

d. マタイ福音書の著者は、ヘブライ語、アラム語、律法、預言者、ユダヤの伝統に精通している。


「福音書」は書物です。出版資金がなければ世に出ることはありません。財力と語学力を持ち、主イエスの身近にいた人しか知りえない情報を熟知し、背景の歴史や文化を描く知識と教養まで兼ね備えた人物は、そう多くはいないでしょう。

「徴税人」は、ローマ帝国に納める税金をユダヤ人から集める仕事です。ローマ人は徴税人を、通常は占領地の住民の中から、個人または団体で、通常 5 年契約で雇用しました。徴税人に与えられた裁量は、納税者に課する税金の金額を徴税人自身が完全に決めることができたことです。それで、しばしば法外な要求を自国民に強いたことが、徴税人が憎まれた理由です。

ユダヤ人の徴税人は、異教徒のローマ人と付き合いがあると言っては軽蔑され、占領軍の協力者であると見られては忌み嫌われました。完全に職業差別ですが、当時の徴税人は窃盗犯や強盗と同類扱いでした。ルカ19章の徴税人ザアカイも、マタイ同様、孤独な人でした。

今日の箇所に出てくるもうひとつのグループは「罪人」(10節)です。「罪人」と呼ばれているのは一般的な意味ではなく、ユダヤ教ファリサイ派による解釈に基づくトーラー(律法)の守り方をしない人々を指します。

ファリサイ派が当時のユダヤ教の主流派で、権力を持っていたので、「罪人」呼ばわりされた人々は、ファリサイ派からだけでなく、国民の多くからも距離を置かれ、爪弾きにされました。彼らは孤独な人でした。

ファリサイ派は、神の御心についての彼らの解釈に従って行動しました。この人々はヘブライ語の動詞「ファラッシュ」に由来するグループ名を背負う「分離主義者」であり、このグループの主張に基づくトーラー解釈に従わないすべての人を「罪人」と呼んで攻撃したり無視したりしたため、だれもかれもが「罪人」でした。

そのため、ファリサイ派の人々自身も、孤独を感じていたはずです。本人の自覚としては、信念と美学に基づく「孤高」だと思い込みたいでしょうが、外見上は大差ありません。さんざん人を切り捨て見下げた結果は、ひとりの友もいなくなった孤独な人になることです。

主イエスのお答えは、「医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である」(12節)、そして「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく罪人を招くためである」(13節)でした。

真の救い主イエス・キリストは、「徴税人」とも、「罪人」とも、そして「ファリサイ派」とも、共に生きておられます。孤独な人々と共におられます。

主イエスと共にある教会は、孤独な人々と生きていきます。

(2025年 8 月10日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年8月3日日曜日

平和のためにできること

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「平和のためにできること」

マタイによる福音書 8章 5~13節

関口 康

「そして、百人隊長に言われた。『帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。』ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」(13節)

説教題を「平和のためにできること」としたのは、毎年8月第一主日が日本基督教団の定める「平和聖日」だからです。今日をその日にすることを1962年の教団総会で決議しました。

そして、1967年には鈴木正久教団議長名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を公表しました。その趣旨は次の通り。

①日本基督教団は、大日本帝国政府が戦争遂行の必要から諸宗教団体の統合と戦争への協力を国策として要請したことを契機に成立した。

②「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきでなく、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対して正しい判断をなすべきだった。

③しかし、我々は教団の名においてあの戦争を是認し、支持し、勝利のために祈り努めることを内外にむかって声明することによって、「見張り」の使命をないがしろにする罪を犯した。

④我々は心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、特にアジアの諸国とその教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞に心からのゆるしを請う。

この文章に基づいて「平和のためにできることは何か」の答えを探すとすれば、「見張りの使命を怠らないこと」です。「見張り」と言っても諜報活動ではありません。公開されている情報をよく見ることです。それだけでもかなりのことが分かります。

自衛隊の海外派遣は現時点ですでに行われていることです。憲法上問題ないと裁判所が判断しています。問題はその先です。

自衛隊を「日本防衛軍」、自衛官を「軍人」、陸上・海上・航空各自衛隊を「陸軍、海軍、空軍」、幕僚長を「参謀長」、護衛艦を「駆逐艦」等にするという名称変更案を外務省発行の外交専門誌『外交』16号(2012年)で公表したのは、私の中学の同級生です。2022年に再会して話す機会がありました。

いま私が申し上げたいのは「準備はすべて整っている」ということです。だからこそ、日本国の戦争への直接参加には、絶対に反対しなくてはなりません。

戦争は、必然でも運命でもなく、人間が意志をもって実行することです。戦争の全責任は人間にあります。しかし、ほとんどの人は巻き込まれただけです。戦争で利益を得る可能性があるのは、ごく少数の権力者だけです。ほとんどの人が犠牲になります。そのことを先の戦争の体験者がたはよくご存じのはずです。

どうしても私は、複数の学校(小中高)で聖書の授業をすることが許された、トータルで6年間の日々を思い起こします。授業の中で何度も言ったのは「日本が戦争に巻き込まれたら、戦地に行くのは君たちであって私ではない。『教え子を戦地に送らない』という言葉を教室の授業の中で言わなくてはならない状況にしてしまったことを申し訳なく思う」ということでした。

今日の聖書の箇所は、日本基督教団聖書日課の今日の箇所です。今年5月9日(金)信濃町教会での「東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会」で私が奨励を担当したときに取り上げたのと同じ箇所です。奨励の内容は教会ブログで公開しました。もしよろしければ併せてお読みください。

これは、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムで、ローマ軍の「百人隊長」が自分の「僕」の病気を治してほしいと主イエスに懇願し、主イエスがその「僕」をおいやしになった物語です。

並行記事はマルコ以外の2つの福音書にあります(ルカ7章1~10節、ヨハネ4章43~54節)。比較すると違いが分かります。マタイとヨハネは百人隊長自身が主イエスのもとを訪ねたことを記していますが、ルカはそうではなく、百人隊長自身は主イエスを訪ねず、使いの者を送っています(ルカ7章3節、6節、10節)。

この物語の理解のポイントは、この「百人隊長」と「僕」をどうとらえるかです。「百人隊長」はローマ軍の職名ですが、ローマ人だったことを必ずしも意味しません。カファルナウムは北の国境に近く、外国からの流入者が多かったため警戒視されて軍隊が配置されました。この「百人隊長」はシリア人の傭兵だったのではないかと考えられています。

しかし、この人は確かにローマ軍の兵士でした。いち兵卒から登り詰めて「百人隊長」の地位を得た人であり、ルカによると「ユダヤ人のために会堂(シナゴーグ)を建ててくれた人」として尊敬されています(ルカ7章5節参照)。明らかに資産家です。

このように、地位も名誉も資産も体力もあり、ユダヤを支配する側のローマ軍にいたこの人が、ユダヤ人として生涯を送られた主イエスに助けを求めたこと自体が驚くべきです。

この物語を理解するもうひとつのポイントは「僕」です。マタイはこの人を、通常の「奴隷」を意味するドゥーロス(δοῦλος)ではなく、「自分の子どものように愛する僕」を意味するパイス(παῖς)と呼んでいます。

この「パイス」について、5月9日(金)連合祈祷会で司会を担当された尊敬する先輩牧師が教えてくださったことを聞いて、ひっくり返りました。

最近の解釈によると、この「パイス」は軍人にあてがわれた性的奴隷であると考えられていて、その点からこの箇所を読み直すと、当時の感覚では使い捨てとされていたパイスが病気になったことを悲しみ、彼の助けを求めた百人隊長のその願いに主イエスがお応えになったと理解できるということでした。

初めて耳にする解釈で驚きましたが、可能性は十分あるでしょう。戦争が生み出す闇です。

ところで、主イエスは百人隊長から「ひと言おっしゃってください」(8節)と求められて、どんな「ひと言」をおっしゃったでしょうか。マタイとヨハネで共通しているのは「帰りなさい」(マタイ8章13節、ヨハネ4章50節)だけです。つまり「帰りなさい」が「ひと言」です。

しかし、「どこ」に帰るのでしょうか。原文には「どこ」は明記されていません。近年の解釈によれば「家」です。1989年の英語聖書Revised English Bible(REB)と、1972年のオランダ語新共同訳聖書(Groot Nieuws Bijbel)が「家に帰りなさい」(Go home; Ga naar huis)です。

REBの訳はカッコいいです。〝Go home; as you have believed, so let it be.〟ビートルズです。

地元を離れて傭兵生活をしていた百人隊長にとって「家に帰りなさい」という言葉は二重の意味を持ったはずです。病気の僕(パイス)と住む家だけではなく、家族が住む地元の家が重なって見えたのではないでしょうか。「あなたを必要としている人のもとに帰りなさい」と言われた気がしたのではないでしょうか。

戦争は、身近な人、大切な人との絆を破壊します。人を人とせず、効率と生産性と利益の追求がすべてであるかのように教育し、不利益になるものを容赦なく叩き壊します。

「平和のためにできること」の最適解は「家に帰ること」(Go home)です。愛し合う「家」に、いやしがあります。

(2025年8月3日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年7月27日日曜日

人生の土台

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「人生の土台」

マタイによる福音書 7章15~29節

関口 康

「わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている」(24節)

今日の箇所は、主イエスの「山上の説教」(マタイ5~7章)の最後の部分です。

「偽預言者(英語 false prophet)への警戒」(15節)というテーマは、旧約聖書にも新約聖書にもありますし、聖書外文書、特に『十二使徒の教訓(ディダケー)』にも出てきます。

旧約

イザヤ914

イザヤ287

エレミヤ613

810

エレミヤ2311

エゼキエル133

「偽りを教える預言者」

「濃いぶどう酒を飲んでよろめき迷う預言者」

「利を貪り、人を欺く預言者」

 

「汚れた預言者」

「自分の霊の赴くまま歩む愚かな預言者」

新約

マタイ241124

使徒言行録136

使徒言行録2029

ローマ1617

Ⅱテモテ35

Ⅱペトロ21

Ⅰヨハネ41

黙示1613節、1920節、2010

「偽預言者」

「バルイエスという預言者」

「群れを荒らす残忍な狼ども」

「学んだ教えに反して不和やつまずきをもたらす人々」

「信心を装いながら信心の力を否定しようとする人々」

「異端を持ち込み贖い主を拒否する偽教師」

「偽預言者」

「偽預言者」

十二使徒の教訓(ディダケー)11712

下記参照


「羊の皮をまとった狼」というイメージは旧約聖書にもラビの教えにも見られません。しかし、ユダヤ人が羊の群れのように牧されているイメージは旧約聖書に由来しており(詩編100編3節、エゼキエル書34章23節など)、「貪欲な狼」というイメージも同様です(イザヤ書11章6節、65章25節、エレミヤ書5章6節、特にエゼキエル書22章27節)。

気になる問題は、「狼」は教会の外から来るのか、はじめから教会の中にいるか、です。どちらとも言えそうです。

「あなたがたのところに来る」と言われていますので、外部からの侵入者のようでもあります。しかし、「羊の皮をまとう」と言われると、内部の人を装っているようでもあります。「貪欲な」という形容詞は、教会に分裂をもたらす私利私欲を指している可能性があります。

この人々は、目の前の問題を徹底的に分析し、預言者であることを装いながら「独自の」意図を突きつけてきます。

『十二使徒の教訓(ディダケー)』11章5~12節(佐竹明訳、使徒教父文書、聖書の世界、別巻4、新約Ⅱ、講談社、1974年、25頁)に興味深い記述があります。

「偽預言者」かどうかを見破ることができる「特徴」があるというのです。それは次の通りです(*通し番号は関口による)。

①滞在は1日、長くて2日であるべきなのに、3日滞在する(5節)

②パン以外は何も要求すべきでないのに、金銭を要求する(6節)

③食事を注文して食べる(9節)

④真理を人々に教えるが、自分は実行しない(10節)

⑤金銭あるいは他の何かを要求する(12節)


『十二使徒の教訓(ディダケー)』が書かれたのが、西暦1世紀末から2世紀初頭までの間です。キリスト教会の歴史の最初から「偽預言者」がいたことが分かります。

「預言者」とは「神の言葉を預かり、民に伝える者」です。現代の牧師・説教者たちにとって、決して他人事ではありません。

「あなたがたはその実で彼らを見分ける」(16節b)というのが、主イエスのお考えです。茨からぶどうが採れることはないし、あざみからいちじくが採れることもありません(16節b)。良い木が悪い実を結ぶことはないし、悪い木が良い実を結ぶこともありません(17節)。その人の行いと言葉の結果によって正体が暴かれます。

厳しい言葉が続いていますが、あくまで「偽預言者」の見分け方に関することだと理解する必要があります。教師の責任は重いです。これを一般論にして、だれかれ構わず当てはめていくと、息苦しくなる人が続出するでしょう。

「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(21節)。

「主よ、主よ」と2回言うのはユダヤの慣習で、名前を二重に唱えることを、相手に対する敬意の表現としていました。しかし、主イエスが求めておられるのは、ご自身がちやほやされることではなく、ご自身の教えを聴く人々が神の御心を行うことです。

山上の説教は、全く守らなくても何の問題もないと言ってよいような教えではありません。途方もなく難しい教えが続いているのは確かです。しかし、「この誰にも守ることができない教えを守れないこの弱いわたしたちの身代わりに、主は十字架の上で死んでくださいました。だから、わたしたちは山上の説教の教えを守る必要はありません」と教えるのは間違いです。

山上の説教の教えを完璧に守れる人はいないでしょう。主イエスは完璧を求めておられません。1ミリでも、1秒でも、守ろうとする思いを求めておられます。

「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台にしていたからである」(24~25節)。

「これらの言葉」が指しているのは、主イエスの「山上の説教」全体です。「人生の嵐」の比喩だと理解すべきです。この嵐の中で倒れずにいられるのは「土台」(または基礎 foundation, basis)がしっかりしているかどうかにかかっているという教えです。

「人生の土台は無くてもいい」でしょうか。「土台など無ければ無いで、流されるまま、壊れるまま。人生などそんなものだ」と悟られている方もおられるでしょう。「少なくとも宗教が土台になると思えない」と感じておられる方は多いかもしれません。

「宗教こそ人生の土台になる」と考える方がもし多ければ、教会にもっと多くの人が集まるでしょう。「土台にならない」と思っておられるから、教会の存在に意味を見出せない方が多いのでしょう。教会の責任を痛感します。

「人生の土台」があるということを主イエスが教えておられます。しかし、「人生の土台」なるものをわたしたちがどのようにして知ることができるかという問いの中で、「偽預言者」が教会史の過去・現在・将来を通して存在し続けてきたことの意味を考えることが大切です。

わたしたちに求められるのは「真偽・真贋を見分ける力」です。

(2025年7月27日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)