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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「再び信じる決心を」
マタイによる福音書 1 章18~25節
関口 康
(2025年12月 7 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団金町教会(東京都葛飾区東金町3-17-6) |
説教「救いの時を共に祝おう」
マタイによる福音書25章1~13節
日本基督教団金町教会説教
関口 康(足立梅田教会牧師)
「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(13節)
おはようございます。はじめまして。足立梅田教会の関口です。
最初に申し上げたいのは、お詫びの言葉です。申し訳ありません。「お前はだれだ」と思っておられる方が多いはずです。今日の説教者がなぜ私なのかを言わないと、説教を始めてはいけない気持ちです。
事実経過を申し上げます。 9 月 9 日(火)午後 3 時から東支区教師会委員会を富士見町教会で行いました。私は委員のひとりです。委員会は 7 名で構成されていますが、出席 4 名、欠席 3 名でした。そのとき「10月19日(日)金町教会の説教者を探しています」と募集がありましたので「私でよろしければ」と立候補しました。それだけです。
金町教会の建物には今年 3 月 4 日(火)夜に東支区祈祷会が行われたとき初めて来ました。その後、 7 月 3 日(木)午前中に東支区教師会委員会の会計担当者の引き継ぎ会を金町教会で行いました。私がこの建物に来たのは、その 2 回だけです。
しかし、私が「金町」という地名を認識したのは21年前です。2004年 4 月。当時の私は日本基督教団ではない別の教派の教会の牧師として松戸に住んでいました。2015年12月までその教会の牧師でした。その後、柏市のマンションに2018年 2 月までいました。松戸にいたときも、柏に移ってからも、JR最寄り駅は常磐線の北小金駅でした。私は2004年から2018年までの14年間「常磐線ユーザー」でした。
2018年 3 月からは日本基督教団昭島教会(東京都昭島市)の牧師になりましたが、単身赴任でした。家族は柴又に 3 年住みました。その後彼らは転居しましたが、柴又にいた頃は毎日のように金町駅を利用していました。
そういうわけで、私は常磐線の「金町」から「北小金」までの区間がとても懐かしいです。特に私の子どもたちにとっては、小中高大学時代をここで過ごした、まさに故郷(ふるさと)です。私にとっても、第二の故郷です。
ついでにいえば、私の父は群馬県前橋市の農家の 3 代目の次男ですが、松戸の千葉大学園芸学部に入学しましたので、父も学生時代(1950年代)にこのあたりをうろうろしていたと思います。
みなさんとお近づきになりたくて、詳しく申し上げています。よろしくお願いいたします。
今日の聖書箇所に記されているのは、イエスさまのたとえ話です。内容に入る前に、先回りして申し上げておきたいことがあります。
私は1965年11月生まれで、来月ちょうど60歳です。1990年 4 月から牧師(最初は伝道師)としての働きを始めましたので、35年目です。その中で、イエスさまのたとえ話についても繰り返し説教してきました。
すると、毎回必ずというわけではありませんが、イエスさまのたとえ話の説教をすると時々、「関口牧師の説教にはイエスさまが出てこない」と言われます。イエスさまのたとえ話の説教をしているのに「イエスさまが出てこない」と。
その方々がおっしゃることの意味は分かるのです。イエスさまのたとえ話があまりに厳しすぎて受け入れられないと思っておられるのです。
イエスさまがたとえ話を使って話されたのはオブラートに包んで厳しいことを伝えるためです。イエスさまのたとえ話が厳しいのは当たり前なのです。しかし、そのたとえ話に込められた意味を説明すると、厳しい教えを受け入れられない方々が「イエスさまが出てこない」とおっしゃるのです。
イエスさまは、このたとえ話の語り手としてしっかり登場しておられます。たとえ厳しい教えでも、イエスさまご自身がお話しになっていることですから、従うことが求められています。そのことをどうかご理解くださいますようお願いいたします。
このたとえ話はシンプルです。単純で分かりやすい話です。10人の女性が、それぞれともし火(ランプ、たいまつなど)を持って、男性たちを迎えに行くことになりました。
「10」という数字は、聖書においては特別な意味を持つことがあります。完全数を表わすケースがあります。たとえば、モーセの十戒の戒めの数の「10」です。ユダヤ人たちの脱出前にエジプトに起こった災いの数の「10」です。今日の箇所の女性の「10人」は「すべての人」を表わしている可能性が十分あります。それは、だれにでも当てはまる普遍的な教えとして語られている可能性です。
10人のうち半分の 5 人は「愚か」で、残りの半分の 5 人は「賢い」と言われています。「賢い」ほうの 5 人は「壺に油を入れて持っていた」( 4 節)が、「愚かな」ほうの 5 人は「油の用意をしていなかった」( 3 節)。
「ところが、花婿の来るのが遅れた」( 5 節)というのは、よくある話です。当時のパレスチナでは、花婿が遅刻するのは当たり前だったそうです。文化の一種です。
私たちは遅刻を許さない文化圏に属していると思います。しかし、私たちとは反対に、遅刻しないほうがおかしいとされる文化圏もあります。英国では15分ほど遅刻するのが当たり前で、約束通りの時刻や早めに行くと怒られるそうです。
そのようなことを先週10月15日(水)東京外国語大学の岡田昭人(おかだあきと)教授の講演で聴きました。異文化コミュニケーションの専門家です。『教養としての「異文化理解」』日本実業出版社、2025年)という本を最近出版なさった方です。私の前任地の昭島教会の方でもあり、親しくさせていただいています。
遅刻するのが当たり前という文化圏の中では、客人が遅刻してくることをあらかじめ想定したうえで、そのための準備をしていなかったことのほうが悪い、ということになるのだと思います。油の準備をしていた 5 人が「賢い」、準備していなかった 5 人が「愚か」と言われているのは、そういうことです。
待てど暮らせど客人たちは来ない。待っていた人たちはとうとう全員眠ってしまいました。客人がやっと到着したときは真夜中の真っ暗闇。「花婿だ。迎えに出なさい」( 6 節)という叫び声で飛び起きました。
油の用意があった「賢い」 5 人は、ともし火に油を足して、すぐ行動することができました。
油の用意をしていなかった「愚かな」 5 人は、消えそうなランプに不安を覚え、「賢い」 5 人から油を分けてもらいたがって「分けてあげるほどはありません。店に行って、自分の分を買って来なさい」( 9 節)と拒否され、油を買いに行っている間に花婿が到着し、「賢い」 5 人だけ婚姻の席に入り、「愚かな」 5 人はドアの内側に入れてもらえませんでした。
厳しい言葉です。しかし、イエスさまがおっしゃっていることは、私たちにできないことではありません。「愚かさ」は病気ではありません。変えることができない運命でもありません。完璧な準備は求められていません。準備するかしないかは、あなた次第です。
このたとえ話は「天の国は次のようにたとえられる」( 1 節)という言葉で始まっています。しかし、永遠の天国の話としてだけ受け取る必要はありません。もっと広い意味でとらえることができます。教会の中で起こることや、私たち一人一人の日常生活の中で起こることにも当てはめて考えることができます。
私たちは明日も分からぬ人生を送っています。教会も同じです。「神に委ねる」「お祈りする」は 100% 正しい態度です。しかし、まだできることがあります。それは「準備すること」です。
先々週10月 4 日(土)私が卒業した岡山の高校の京浜地区同窓会があり、高校の大先輩の東京大学名誉教授の地震予知の専門家、榎原雅治(えばらまさはる)教授の講演をうかがいました。「いつどこでどのように起こるというレベルでの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去に起きた地震は必ず起こる」と教えていただきました。
教会も同じです。これからの教会がどうなっていくかは、だれにも分かりません。悲劇的な出来事すら起こらないとは限りません。しかし、何があっても耐えられるように、そして耐え抜いた先に、救いの時を共に祝うことができるように、備えることが大切です。
(2025年10月19日 日本基督教団金町教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「ここにも確かにおられる主」
日本基督教団東京教区東支区講壇交換(足立梅田教会礼拝)
マタイによる福音書13章53~58節
堀川 樹 牧師(日本基督教団亀戸教会牧師)
「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(57節)
今日与えられた箇所には、故郷に帰られたイエスさまが村の人々から敬われなかったという出来事が記されています。この時、キリストがおっしゃった「預言者は故郷では敬われない」という言葉は、一つの格言、ことわざのように、教会以外でもしばしば用いられます。
しかしながら考えてみると、この箇所の内容は本来ならばあまり望ましくないものです。キリストは自分の故郷に帰って伝道したにもかかわらず、受け入れられず、人々の不信仰ゆえに「そこではあまり奇跡をなさらなかった」(58節)と言うからです。
イエスさまによる郷里伝道は言ってみれば失敗に終わったと言うのです。これまでマタイによる福音書はキリストの力ある働きと権威に満ちた教えを書き記してきました。そしてキリストによる宣教は大きく進んでいました。その流れにくさびを打ち込むかのようにこの箇所が記されているのです。それではこの故郷での出来事にはどういう意味があるのでしょうか。
キリストはここで何を私たちに語ろうとしているのでしょうか。私たちもこの箇所から神の御心を聞きとりたいと思うのです。
まずここに、会堂でキリストの教えを聞いた人々は「驚いた」(54節)と記されています。この「驚く」という言葉はあまり多く使われず、強い意味が込められています。単なる驚きではなく、衝撃的な驚きを意味する言葉です。実はこの言葉はマタイでは 7 章28節にも使われていました。山上の説教の結びの箇所、キリストが説教を語り終えた直後です。
「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようではなく、権威ある者としてお教えになったからである」。
この「非常に驚いた」が同じ言葉です。山上の説教を聞いた人々は、キリストの教えに非常に驚いた。キリストが律法学者のようではなく、それを遥かに越えた神の権威をもって語るお姿に衝撃を受けたのです。そしてその結果、大勢の群衆がキリストに従ったのです。
それでは同じようにキリストの教えを聞いて「非常に驚いた」ナザレの人々はどうだったでしょうか。彼らも衝撃を受け「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)との問いが芽生えています。この問いは「イエスの知恵と力の源は何か」「イエスとは何者か」を問う、信仰的な問いです。山上の説教の群衆たちがキリストに神の権威を感じたのと共通します。ですからナザレの人々もこの驚きの後、イエスを信じてもよさそうです。むしろそれが自然な流れです。しかし彼らは「イエスにつまずいた」(57節)のです。
ナザレの人々はイエスのことを知りすぎていたのです。彼らは大工ヨセフのせがれイエスのことを幼い頃からよく知っていました。小さな村ですので家族ぐるみで付き合いがあり、お互いの素性もよく知っていたのです。「姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(56節)と言われているのは、イエスの妹達がナザレの村の男たちに嫁いでいたということなのかもしれません。
そんな親しい間柄のイエスが、久しぶりに帰ってきたと思えば、神の権威に満ちて説教を語り出し、また奇跡を行っている。イエスさまのことを知りすぎていた彼らは、主イエスに対する「このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)という驚きが、信仰ではなく、つまずきになってしまったと言うのです。
身近なところから起こるねたみ、嫉妬、そこから生まれるつまずきが私たちにあるのではないでしょうか。ナザレの人々は小さい頃からよく知っているイエスの権威あふれる言葉を聞いて、よく知っているゆえにねたみ、つまずいたと言うのです。私たちの最も身近なところで起こりうる罪の姿であり、そしてこのねたみによってキリストが十字架にかけられることになったことを思わされるのです。
旧約聖書の創世記 4 章に出てくる、カインは自分の弟アベルをねたみによって殺しました。そしてこのマタイによる福音書27章では、キリストを十宇架にかけるためにユダヤ人たち引き渡したのは「ねたみ」(マタイ27章18節)によると記されています。
そしてそこからさらに一歩進んで、私たちは気付かされることがあります。それはこのキリストを受け入れなかった故郷ナザレの現実とは、キリストを拒絶したこの世の現実であり、私たち一人一人の現実であるということです。
お気づきの方もおられるかもしれません。このマタイの箇所にナザレという言葉は一言も出てきません。「故郷」と記されているだけです。便宜上付けられている新共同訳聖書の小見出しに「ナザレでは受け入れられない」とあることから私たちはこれを「ナザレ」での出来事と限定して考えてしまいがちですが、マタイは「ナザレ」とは記していません。ただ「故郷」と記すのです。すなわち故郷とはナザレだけに留まらない。私たち一人一人にとっての故郷であり、私たち一人一人にとっての家のことでもあるのです。
私たちも自分の故郷、自分の家というものを持っています。その私の故郷、自分の家にキリストがやってくる。そこも本来はキリストのものだからです。はたしてその時、私たちはその神を、私たちのただ中に来られるキリストを受け入れて生きることができるのか。このお方を神とあがめて生きることができるのか、問われているのです。むしろ私たちはナザレの人々のように、キリストを、その御言葉を自分の価値観、自分の常識を振りかざして受け入れず、キリストの対してつまずいてしまうのではないでしょうか。ご自分のところに来た、キリストを拒絶しているのではないでしょうか。
すなわちこの出来事はキリストの十字架を指し示す箇所です。「預言者はその故郷、家で敬われない」と言うのは、ご自分の民のところに来られたキリストが受け入れられず、拒絶され、十字架につけられて殺されるという受難のお姿を指し示しているのです。
キリストが私たちの故郷、私たちの家という最も身近なところまで来て、出会って下さっているにもかかわらず、キリストを受け入れず、つまずき、キリストを十字架にかけてしまった私たちの罪の現実を心に刻みたいのです。
しかしキリストはそのような私たちの罪の贖いのために自ら苦しみを受けられ、十字架の道を歩まれました。このキリストの深い愛を、神の救いのご計画を心に刻み、悔い改めと感謝の思いを持って歩みたいのです。
(2025年 9 月28日、東京教区東支区講壇交換、日本基督教団足立梅田教会、主日礼拝)
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| 竹芝客船ターミナル(東京都港区海岸1丁目) |
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| 東海汽船ジェット船「セブンアイランド大漁」 |
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| まもなく出航。シートベルト着用完了 |
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| レインボーブリッジとお台場 |
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| 大島岡田港とジェット船 |
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| 大島元村教会 遠景 |
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| 大島元村教会 玄関 |
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| 大島元村教会 講壇 |
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| 礼拝後の愛餐会 おいしかったです! |
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| 帰りは大島元町港から(天候によって港が変わる) |
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| 帰りのジェット船も「セブンアイランド大漁」 |
日本基督教団東京教区東支区講壇交換(大島元村教会・波浮教会合同礼拝)
マタイによる福音書18章21~35節
関口 康
「あなたがたの一人一人が心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」(35節)
(説教公開準備中)
(2025年 9 月28日、日本基督教団大島元村教会・波浮教会合同礼拝、東支区講壇交換)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
マタイによる福音書13章24~33節
関口 康
「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けばどんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」(31-32節)
今日は足立梅田教会の創立72周年記念礼拝です。今週土曜( 9 月13日)が記念日です。来週 9 月14日のほうが記念日に近い日曜日ですが、良いことをするのは早いほうがよいと思いました。
説教題が大げさでしょうか。私たちの心が少しも折れていないことを表現したいと思いました。この「教会」は「足立梅田教会」です。足立梅田教会の歴史はこれからも続きます。そのことを公に宣言いたします。
聖書の話を先にします。今日の朗読箇所は創立記念礼拝向けに特別に選んだ箇所ではなく、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。しかし、今日の礼拝にふさわしい内容であることが分かりました。
31節以下は「からし種のたとえ」です。からし種は小さな粒です。 1 グラムあたり725~760粒もあります。しかし、完全に成長すると、どの野菜よりも大きくなります。大きな木になり、その枝に鳥が巣を作れるほどになります。2.5から 3 メートルの高さにまで成長します。
しかし、このたとえ話の要点は、「神の国」または「教会」は必ず《拡大》していく、ということではありません。このたとえ話の要点は、蒔かれたからし種は「神の国」または「教会」の《始まり》である、ということです。
大きくなるかどうかは問題ではありません。「始めること」と「続けること」が大事です。そのことを教えるたとえ話です。
足立梅田教会は「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)であると私は確信しています。SDGs(エスディージーズ)をもじりました。「持続可能」だけであれば、sustainableで十分です。しかし、「発展、展開、開発」などを意味するdevelopmentを残したいと思いました。「成長」の意味もありますが、「拡大」や「増加」を強調したいのではありません。
当教会が「持続可能」な理由は、初代牧師の藤村靖一牧師の基本方針がすべてです。創立36周年に当教会が発行した『足立梅田教会の歩み』(1989年)に記されています。
「私たちの歩みは、ゆっくりゆっくりが最初からの特色であり、伝統です。私の教会運営の基本方針は 3 つでした。1. 集会をできるだけ少なくする。2. 受洗者は、年にひとりでよい。しかし、最後まで脱落しないように祈っていく。3. 藤村の生活は自分で支えていく」(50頁)。
別の頁にも、同じ趣旨の言葉があります。こちらのほうが詳しいです。
「この時点(*1954年)での私の方針は、第 1 は、みんな多忙なので集会はできるだけ少なくすること。第 2 は、礼拝で培われた信仰を各自の家庭、職場、社会において力強く実践すること。さらに、急がないで進むこと。受洗者は年にひとりでよい。しかし、ひとり残らず最後まで脱落者を出さないこと。そのように祈ること。もうひとつは、教会の中で困っている人がいたら、相互に助け合っていけるような体制を作ること。けれども、それらは思うようには行きませんでした。それから、幸いに私は青山学院に勤めておりますので、自分の生活は自分で支えて行けました」(14頁)。
これは素晴らしい方針です。「ゆっくりゆっくり」を忠実に受け継いだ先に足立梅田教会の将来があります。
「ゆっくりゆっくり」は、サボることではありません。ウサギとカメの童話をご存じでしょう。イソップ童話です。明治時代の国語の初等科教科書に「油断大敵」というタイトルで掲載されていたそうです。それはウサギの視点でしょう。カメの視点で考えれば、一歩一歩着実に歩んだ先にゴールがあることを教える童話です。足立梅田教会はカメです。悪い意味ではありません。
牧師の生活については、現時点の私は教会のみなさまに助けていただいていますが、理想的には藤村先生のおっしゃるとおりです。なんとか自活を目指します。
足立梅田教会が「持続可能」である理由はまだあります。それは「教会堂に拡張性が無いこと」です。皮肉や逆説で言っていません。礼拝堂の広さは学校の 1 教室分です。この建物の中に礼拝堂も集会室も牧師館も駐車場も備わっています。コンパクトですがオールインワンです。牧師は大型バイクです。21世紀の理想的な教会です。
この建物の「サイズ」が、元々ここが藤村靖一先生の私邸だったことで決定された面があるのは承知しています。しかし、それだけではありません。
藤村先生の人生最大の恩師、浅野順一先生が「1936年 1 月10日」の日付でお書きになった文章に次のくだりがあるのを見つけました。
「近ごろ、日本でも立派な会堂を建築することが一種の流行のようである。それを一概に悪いと言うのではないが、もし容れ物は堂々たるものになったが、中身がかえって空疎、貧弱になったというのであれば、それは本末転倒という外はない。
もし牧師の成功の一つが大会堂建築にありとする思い違いがあるならば、これは正に言語道断と考えるが、どうであろうか。
私は決して瘦せ我慢でこういう憎まれ口を言っているのではないつもりである。今日の日本の教会はそれどころではあるまい。固定した古いものがドンドン破られて、新しいものに向かって進んで行かなければならない時であろう。
もちろん、新しければ何でも良いなどと乱暴なことを言うのではないが、古きはすでに死し、それが新しい生命に生き返るということが福音の根本精神だとすれば、古いものを温存するその容れ物は、場合によっては打ち壊すとか投げ棄てることも必要かもしれない」
(『浅野順一著作集』第11巻、創文社、1984年、125~126頁)
89年前に書かれた文章と思えないほど、今の日本の教会の状況に符号する内容です。
この文章が書かれた1936年1月に、浅野順一先生(36歳)は美竹教会の牧師に就任されました。同じ1936年12月に藤村靖一先生(21歳)が知人の紹介で浅野先生の門を初めて叩かれました。翌1937年藤村先生は住友海上火災に就職され、同時に美竹教会に通いはじめられました。藤村靖一先生の教会堂のサイズについての思想は浅野順一先生から受け継がれた可能性が高いです。
足立梅田教会の最初の「からし種」は次の方々です。1951年 8 月、黒岩さんが富士見町教会で受洗後、1953年 9 月、当教会へ転入会。1952年12月、関口さん、樅山(もみやま)さん、杉田さんが受洗。1953年 4 月、酒井さん、木内(若林)さん、大石さん、谷古宇(やこう)さん、坪野(福岡)さん、押山さん、佐藤(柴田)さんが受洗。
1953年 9 月13日、「美竹教会梅田伝道所」開所式(当教会の創立記念日)。
1953年 9 月29日、梅田伝道所第 1 回委員会。初代委員:関口さん(23歳)、樅山さん(年齢未確認)、酒井さん(22歳)、木内(若林)さん(20歳)、佐藤(柴田)さん(17歳)。藤村靖一先生は38歳のお誕生日( 9 月28日)の翌日。みなさんお若い!
72年前に72年後の今の教会の姿を想像していた方がおられたでしょうか。これからどうなるかは、だれにも分かりません。知る必要がないことです。
神が72年、この教会の歴史を続けてくださいました。これからも神が、この教会の歴史を続けてくださいます。この教会の歴史が続いていくことが「神の存在証明」です。
(2025年 9 月 7 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「安息の家」
マタイによる福音書12章43~50節
関口 康
「だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(50節)
今日の説教題の「安息の家」とは「教会」のことです、と言いたいです。しかし、教会についての感想やとらえ方は、人それぞれです。そう思えないという方もおられるでしょう。
それは私も分かるので、少し遠慮して「教会はあなたの安息の家でありたいと願っています」と申し上げておきます。
しかし、「教会」については抽象的なことを言うだけでは意味がありません。足立梅田教会の話をします。
来週 9 月 7 日(日)は足立梅田教会創立72周年記念礼拝です。来週の説教題を「教会の歴史はこれからも続く」にしました。
足立梅田教会は「持続可能な教会(SDC)」(Sustainable Development Church)であると、私は確信しています。しかし、「目標」(Goals)は必要です。目標については来週お話しします。
今日の聖書箇所の最初に「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出て来たわが家に帰ろう』と言う」(43~44節)とあります。「霊」の話として書かれていますが、明らかに「人間」についてのたとえ話です。
「悪霊」や「悪魔」の本来の住み家は「砂漠」であるという思想があったことがイザヤ書34章14節などで確認できます。また、悪霊が人間に憑依したり人間から出て行ったりする描写が聖書に繰り返し出てきます。現代的な心理学などない時代の物語です。
たとえ話のあらすじは次のとおり。
悪霊が人間から出て行って、古巣の砂漠に戻りました。しかし、砂漠には安住の地が見つからなかったので、「出て来たわが家」である人間の心に戻ることにしました。
すると、そこは空き家になっており、掃除までされて整えられていました(44節)。空き家ならいいだろうと、悪霊が自分よりも悪い 7 つの悪霊仲間を連れてきて住み着いたら、前よりも悪くなりました(45節)。
とても気になるのは、このたとえで主イエスが何を言おうとされているかです。悪霊は最初から出て行かなかったほうがよかったかのようです。悪霊が出て行ったばかりに、空き家ができて、掃除までされていたから、そこが悪の巣窟になって前より悪くなったというのであれば、悪霊が出て行かずに住み続けていればそうならなかった、という話にならないでしょうか。
それはいくらなんでもまずいでしょう。悪霊に取りつかれたままのほうが良かったと主イエスがお考えになるはずがありません。宣教活動の柱として「福音の宣べ伝え」と共に「悪霊払い」を行われたこととの整合性が取れません。
このたとえ話の大事なポイントは、人間から悪霊が「出て行った」と言われている意味は、悪霊の自由意志による選択の結果ではなく、聖霊の力によって〝追い出された〟と理解すべきであることです。「悪霊は初めから出て行かなければよかった」という理屈は成立しません。
しかし、悪霊が追い出された後の人間の心に「空白」ができることを主イエスはご存じです。「空き家」は心の「空白」です。この教えの最も大事な意味は、人間の心の「空白」を放置してはならないということです。
東京神学大学での私の最大の恩師である大木英夫教授が当時の学生相手に繰り返しお話しになったのは、先生が終戦直前まで陸軍幼年学校の生徒だったこと、生粋の皇国少年だったこと、しかし敗戦によって心に「空白」ができたこと、その「空白」をイエス・キリストが埋めてくださったこと、でした。
かつては熱心な信仰の持ち主だった人が、信仰を失ったら、その後は何も信じられなくなったという話をよく耳にします。その「空白」を悪魔が狙っています。それが主イエスの教えです。
それならば、どうすればよいのでしょうか。この問いのひとつの答えが、次の段落(46~50節)に記されています。
「イエスがなお群衆に話しておられるとき」(46節)という言葉が、今日の箇所の2つの段落(43~45節、46~50節)が内容的に続いていることを教えています。
まだお話し中の主イエスのところに「その母と兄弟たち」が訪ねて来ました。「話したいことがあって外に立っていた」(40節)と記されています。これで分かるのは、彼らが訪ねて来た目的は、主イエスの説教を聞くことではなかったということです。
血縁の家族は「部外者」ではありません。しかし、だいぶ距離をとられています。「我々は信者ではありませんから」と言われているかのようです。「参加者」(participant)ではなく「傍観者」(bystander)です。
「参加者」(participant)は「全体の部分(a part)になった人」を意味します。「自分は全体ではない」とか「一部分にすぎない」という一種の屈辱を伴う可能性があります。
「参加」(participation)には「勇気」(courage)が必要であると、ハーヴァード大学神学部などで教えた神学者パウル・ティリッヒ(Paul Tillich [1886-1965])が主張しました。
母親や弟たちに対して主イエスがおっしゃった言葉は、ある意味で突き放すような内容でした。「わたしの母とはだれか。わたしの兄弟とはだれか」(48節)。そして弟子たちのほうを指して「ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人が、わたしの兄弟、姉妹、また母である」(49~50節)。
同じ出来事を描いた並行記事が、マルコ( 3 章31~35節)とルカ( 8 章19~21節)の各福音書にあります。ルカ 8 章21節には「わたしの母、わたしの兄弟とは、神の言葉を聞いて行う人たちのことである」と記されています。「わたしの天の父の御心を行うこと」とは「神の言葉を聞いて行うこと」であることが分かります。そうする人々の集まりが「教会」です。
しかし、それでは、その「教会」とはもう少し具体的に言うと何でしょうか。
私は岡山朝日高校の「倫理・社会」の授業で学びました。ドイツの社会学者フェルディナント・テンニース(Ferdinand Tönnies [1855-1936])が、共同体のあり方を「ゲマインシャフト」(Gemeinschaft)と「ゲゼルシャフト」(Gesellschaft)に区別したことで有名になりました。
この議論が「教会」とは何なのかを理解するために役に立ちます。中高生の皆さんは、そのうち学校の教室で習いますので、この機会にぜひ覚えてください。
「ゲマインシャフト」(Gemeinschaft)とは、地縁や血縁や友情などで自然的に発生する共同体のあり方を指します。家族や友達関係などが該当します。
それに対して「ゲゼルシャフト」(Gesellschaft)とは、共通の目的や利益をもって人為的に形成される共同体のあり方を指します。会社や政治団体などが該当します。
「教会」は「ゲマインシャフト」のほうだろうか、それとも「ゲゼルシャフト」のほうだろうかと考えてみることが大切です。「実は両面ある」というのが今日の結論です。
「教会」の中の自然発生的な地縁や血縁や世襲を否定すべきではありません。幼児洗礼の制度はそれの典型です。しかし、地縁や血縁から追い出された人や、その関係を失った人にとっては、「教会」こそが新しい人生の土台となるでしょう。
「教会はゲマインシャフトなのか、それともゲゼルシャフトなのか」というこの問いは、教会の歴史の初めからある「ユダヤ人キリスト者」と「異邦人キリスト者」の対立の問題に通じます。「世襲の信者」と「新来者」がなんとなくギクシャクすることは、教会の歴史の中で絶えたことがありません。
「教会」は血縁や地縁で守られている面があります。しかし、それだけでは閉じていくだけで、先細りになります。新しい仲間を広く受け入れなくてはなりません。
「教会」は「自国民ファースト」ではありません。職業、経済力、体や心の機能、ジェンダー等の違いについて、教会が自動的に無差別であるとは言えません。「差別しない努力」が求められます。私たちはだれでも受け入れられる「安息の家」を目指しています。
(2025年 8 月31日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「伝わらない思い」
マタイによる福音書 10章16~25節
関口 康
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(16節)
今日の箇所は、先週の箇所の続きです。主イエスが使徒派遣に際して語られた言葉です。10章の終わりまで続きます。これら一連の言葉から読み取ることができる、12人の使徒に対して持っておられた主イエスの思いは「心配」です。
主イエスの言葉を聞いて使徒たちの内心に反発があったかどうかは描かれていません。「弟子は師にまさるものではない」(24節)とも語られていますので。
「先生は我々のことを見下げたいだけなのか」とでも反発を抱いてくれる弟子がいたら主イエスはむしろお喜びになったでしょう。凶悪な存在が蠢(うごめ)く危険領域へと愛する弟子たちを派遣する主イエスの心境はどういうものだったかを想像することが大事です。
「殉教」を意味する「証しする」という言葉が、18節に出てきます。「わたしのために総督や王の前に引き出されて、彼らや異邦人に証しすることになる」(18節)。これは使徒たちが殉教するであろうことの主イエスの見通しです。
しかし、だからといって主イエスは使徒の殉教を望んでおられません。むしろ「逃げること」を望んでおられます。23節に「一つの町で迫害されたときは、他の町へ逃げて行きなさい」とあるとおりです。
イエス・キリストはどの弟子に対しても、わたしたちに対しても、「自分と一緒に死んでほしい」とも「私のために死んでほしい」とも願われる方ではありません。正反対です。「私がひとりで死ぬから、どうかみんな逃げてくれ」と願う、それがまことの救い主イエス・キリストです。
主イエスご自身も使徒たちも、これから危険なところへ出かけていくのですが、ここで大事なことは、私たちが非武装であることです。完全に丸腰です。拳銃もライフルも持ちません。戦車も戦闘機も戦艦も乗りません。それを無力と言うなら完全に無力です。だからこそ、こう言われました。
「わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに羊を送り込むようなものだ。だから、蛇のように賢く、鳩のように素直になりなさい」(16節)。
蛇について「賢く」と訳されている言葉(聖書協会共同訳も「賢く」)は複数の意味を持っています。蛇と言われるとどうしても「怖い」というイメージを持つ人が多いと思います。蛇は獲物を見つけると突進してきて毒牙で噛みついてきます。口に入りさえすれば何でも吞み込めるようで、牛ほどの大きな獲物でも丸呑みします。「ヘビはモチを詰まらせるか」というネットの記事があって、それには笑ってしまいましたが、笑いごとではないかもしれません。
もうひとつ「蛇」に対して私たちがどうしても否定的なイメージを抱く理由として、創世記3章に登場する、エバとアダムをそそのかす「蛇」を思い出すから、という点を挙げることができるでしょう。
創世記3章に登場する「蛇」は、たしかに悪の象徴です。しかし、今日の箇所で主イエスが引き合いに出しておられる「蛇」は違います。
「賢い」という翻訳は「ずる」を付けて「ずる賢い」と言いやすいので悪いイメージにつながりやすいです。しかし、それでは、主イエスは「蛇のように凶暴な人になりなさい」と言われたでしょうか。「危険な状況の中で強くしぶとく生きるには、人をだませるぐらいのずる賢い人間になることも必要悪である」というような悪人化のすすめをなさったでしょうか。
そんなことを主イエスが言うわけがないのです。そうではなく、主イエスは「蛇のように賢く」という言葉を肯定的な意味で語っておられます。なぜそう言えるのかについて、以下、説明いたします。
「蛇」が「用心深い」とは何を意味するのかについて、興味深い説明があることを知りました。スイスのローザンヌ大学神学部などで新約聖書学教授を勤めたピエール・ボナール教授(Prof. Dr. Pierre Bonnard [1911-2003])の説です(ボナール教授はフランス語圏のプロテスタント教会への影響力の強さにおいてカール・バルトと肩を並べる存在でした)。
ボナール教授の説明によると、蛇にはまぶたがなく、常に目覚めている(ように見える)ので「蛇のように」の意味は「用心深い」であるということです。もうひとつ、蛇は獲物を捕食すると寄り道せずに自分の巣にストレートに帰るので、「蛇のように」は「シンプルであること」を意味するということです。
蛇にまぶたがないことを、お恥ずかしながら私は知りませんでした。目の表面に透明なうろこがあって目を保護しているそうです。蛇は目を閉じることがありません。しかし、それをもって蛇を「用心深い」とするのは、あくまでイメージです。ヘビも動けば疲れますから休息しないわけがありません。目を開けたまま寝ているのでしょう。
「鳩のように素直であれ」のほうはどうでしょう。聖書協会共同訳は「素直」ではなく「無垢」と訳しています。これもあくまでイメージです。
「鳩」と言えば「騙されやすい」と否定的な意味でとらえる解釈もあるようです。しかし、ここで主イエスが言われているのは、これも肯定的な意味です。「鳩」は純粋さ、純真さ、単純さ、正直さ、オープンさ、抑制されていなさ、傷つけられていなさ、損なわれていなさ、堕落(または腐敗)していなさの象徴です。
「あなたがたは地方法院に引き渡され、会堂で鞭打たれる」(17節)とあります。主イエスは「最高法院」に引き渡されました。使徒たちは「地方法院」(συνέδρια シュネドリア)に引き渡されます。「最高法院」も「地方法院」も、ギリシア語原文は同じシュネドリアです。文脈によって訳し分けられているようです。
「最高法院」は、70人の議員と議長1名を加えた71名で構成されていたユダヤ社会の最高権力者集団でした。「地方法院」は、120人以上の成人男子が住む都市に存在した、23人の議員で構成された、最高法院の地方支部でした。
ユダヤ人の間での鞭打ち刑は、普通の革紐で作られた鞭で行われました。ローマ法の鞭打ち刑は3種類ありました。
①自由民(freemen)に対しては、数本を束にした木製の笞(stick)が使用されました。
②軍隊内では、棍棒(rod)が使用されました。
③奴隷に対しては、多くの釘(spikes)を先端に付けた皮の鞭(scourges)、または多くの骨片(羊の指の関節)や鉛玉を鎖状につないだ鞭(whip)が用いられました。
主イエスに対して行われた鞭打ち刑は、③でした。
ユダヤの鞭打ち刑は、会堂(シナゴーグ)で会堂員によって執行されました。
その場に、地元の地方法院(シュネドリア)の議員が、3名立ち会いました。
1人目が、申命記28章58節以下、29章8節、詩篇78編38節を朗読しました。
2人目は、むち打ちの数を数えました。その際、申命記25章3節「40回までは打ってもよいが、それ以上はいけない」に基づき、40から1を引いた回数(39回)を執行人に打たせました。使徒パウロがⅡコリント11章24節で「40から1を引いた鞭を打たれた」と証言しています。
3人目が、むち打ちごとに命令を下しました。
「神の罰」としての鞭打ち刑は、神の言葉としての律法(トーラー)に基づき、宗教施設としての会堂(シナゴーグ)で行われる、一種の宗教的行為でした。
しかし、そのような時代は、終わらせなくてはなりません。
私たちはどこまでも、言論(ことば)で思いを伝えます。
(2025年8月24日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「使徒派遣」
マタイによる福音書10章5~15節
関口 康
「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8節)
今日の箇所に描かれているのは、イエス・キリストが多くの弟子の中から12人の弟子をお呼びになり、彼らに「使徒」と名付け、「権能」を与え、宣教の働きへと派遣なさった場面です。
イエスが12人の弟子に与えた「権能」(ギリシア語ἐξουσία エクソウシア)は、英語のauthority(オーソリティ)です。「権能」の定義は難しいです。主イエスと同じステージに立って同じことができるようになるための許認可のようなことです。
「同じことができる」の意味は、働きのスタートラインにつかせていただくことです。主イエスと同等の能力がすでに備わり、同等の結果を出すことができるということではありません。
12人の弟子に主イエスが「使徒」(英語Apostle アポッスル)と名付けられました。「十二使徒」(δώδεκα ἀποστόλων ドーデカ・アポストーロン)の名簿は、マタイ(10章2~3節)、マルコ(3章16~19節)、ルカ(6章14~16節)の各福音書にあります。この名簿に「徴税人マタイ」や「イエスを裏切ったイスカリオテのユダ」の名前があります。
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| 「12人の使徒」作画・関口 康 |
「使徒」と呼ばれる存在は、この12人と、イスカリオテのユダの後任として選ばれたマティア、そして後に使徒となったパウロだけです。しかし、主イエスから使徒に与えられた「権能」は、彼らの代で終了したわけでありません。
使徒の働きの本質は「宣教」、すなわち福音をあまねく宣べ伝え、神のみわざを地上で行うことです。その「権能」を継承するための制度化が、キリスト教会の歴史の中で行われました。
それは、たとえば日本基督教団の教師検定制度のようなものになりました。旧約聖書・新約聖書の語学や解釈、2000年のキリスト教会の歴史、キリスト教の現代的な理解や様々な議論、説教やカウンセリングなどの試験に合格すれば、「権能」が授けられるようになりました。
もうひとつ大事なことは「12」という数字です。なぜ使徒は「12人」でしょうか。間違いなく、古代イスラエル王国が「12部族」で構成されていたことと関係あります。アブラハム、イサク、ヤコブと3代続く族長の3代目のヤコブに、神が「イスラエル」という名を与え、ヤコブの12人の子どもたち(創世記35章23~26節など)が、イスラエル12部族の祖先になりました。
使徒の時代にはユダ族とベニヤミン族の2部族だけが残存していて、ユダヤ地方を形成していました。しかし、ユダヤ人たちの自己理解においては、あくまで自分たちはモーセとダビデの時代から続く12部族の連合体としてのイスラエル王国を受け継ぐ存在であると信じていました。
5節以下の主イエスの言葉の中に「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」とあります。この「失われた羊」は「ユダ族とベニヤミン族を除く10部族」だけを指すと狭く受け取るべきではありません。しかし、イスラエルには多くの「失われた羊」がいるという事実を、彼ら自身が強く自覚していたと考えることは可能です。
ところで、「イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」という主イエスの教えの意味は何でしょうか。ユダヤ人は神を信じる民です。その人々に福音を宣べ伝えるというのは、すでに神を信じている人々に「神を信じてください」と言っているのと同じです。
それは、私たちの文脈に置き換えて言えば、かつて教会生活を熱心になさっていた方々や、他の教会でつまずいて教会生活ができなくなっておられる方々へのアプローチから取り組みなさいと言われているのと同じです。かつて熱心だったことがあるからこそ、「二度と信じまい、二度と教会に足を踏み入れまい」と心に誓っておられる方々がおられるかもしれません。
主イエスは「異邦人の道に行ってはならない。またサマリア人の町に入ってはならない」(5節)とも言われています。異邦人とサマリア人は当時のユダヤ人にとって軽蔑と差別の対象でした。主イエスは差別主義者なのでしょうか。そのように誤解されそうな危険な発言です。
しかし、この件は冷静に考えることが大切です。使徒たちの働きに「範囲」や「限界」が設けられたと考えることができないでしょうか。
どんな仕事にも役割分担があり、仕事の範囲があります。使徒は人間です。時間と空間の枠の中で生き、体力にも気力にも限界があります。限界を超えると過労死の原因になります。使徒たちにはユダヤ人伝道という働きがあり、他の人々には異なる働きがあるのです。
8節以下に具体的な指示が細かく記されていますが、大事なことはひとつです。それは、使徒たちの働きは「無償」であるということです。「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8節)というのが至上命令です。
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| 「使徒派遣」作画・関口 康 |
これは今日の教会にも当てはまります。教会の教師と役員の働きは「無償」です。これは理想主義ではありません。有償にするとたちまち格付けランキング競争が始まるでしょう。この牧師の説教の日の入場料はいくら。あの牧師よりも上か下か。座る席まで変わって来るでしょう。礼拝堂の前から順に「S席、A席、B席」。
毎週日曜の礼拝で「席上献金」をどのタイミングで行うかの議論で「説教後にすると金額が変動するので説教前のほうがいい」という意見があるのをご存じでしょうか。おひねりの感覚なら、そうなるでしょう。教会がそんなふうになってよいでしょうか。
そもそも牧師の給与は「説教の回数×〇〇円」ではありません。講演料をいただいているのではありません。特別礼拝の講師に謝礼を支払うこととそれは意味が違います。
「無牧(=定住牧師がいないこと)の教会は、他の教会から来てくださるいろんな牧師の説教を週替わりで聞けて、定住牧師とその家族の生活を支える必要がないので安上がりである」と言う人々に出会ったことがあります。反論したことはありませんが、私はいちいち傷ついています。定住牧師の存在が本当に必要かどうかは、自分自身で証明するしかなさそうです。
「神の言葉は無償である」という点はユダヤ教も同じ考えでした。律法学者がトーラーの知識を私利私欲に用いるのは間違っている。トーラーは土を掘るスコップではないし、金銭を得る手段ではないと、ラビ文書に記されています。
それでは、使徒、律法学者、牧師は、どのようにして生きていけばよいのでしょうか。主イエスの教えは次のとおりです。
「帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には、袋も二枚の下着も、履物も杖も持って行ってはならない。働く者が食べ物を受けるのは当然である」(9~10節)。
この教えの趣旨は、禁欲や苦行のすすめではありません。任務遂行に遅れをとらないようにするために「何も持たないこと」が求められています。旅に必要な最低限の物資があれば、それで十分です。旅の食料は供給されます。
牧師の給与の話にしてしまいますと、その趣旨は「食費」であるということです。食費以上を要求する人は「偽預言者」であると『十二使徒の教訓(ディダケー)』11章6節に記されています(説教「人生の土台」2025年7月27日参照)。
飢え死にしない程度で大丈夫です。最終的には、神が天からマナを降らしてくださるでしょう(出エジプト記16章)。
(2025年8月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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説教「孤独な人々と生きる」
マタイによる福音書 9 章 9 ~13節
関口 康
「ファリサイ派の人々はこれを見て弟子たちに『なぜあなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか』と言った。イエスはこれを聞いて言われた。『医者を必要とするのは丈夫な人ではなく病人である』」(11-12節)
10月12日(日)に北村慈郎牧師をお迎えして「特別礼拝・講演会」を行うことになりました。主題は「これからの教会と日本基督教団」でお願いしますとお伝えして、快諾を得ました。
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| 画像をクリックすると特別礼拝のページにジャンプします |
このテーマについては、ご著書『自立と共生の場としての教会』(新教出版社、2009年)の中にほぼ記していますと北村先生が教えてくださいました。古書店に注文し、一昨日届きました。
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| 北村慈郎著 『自立と共生の場としての教会』 (新教出版社、2009年) |
「今年も皆さんに暑中見舞いをお送りします」と言いながらまだ送れていないことを申し訳なく思っています。10月12日特別礼拝の案内をどうしても書きたかったので遅くなりました。立秋を過ぎましたので「残暑見舞い」になります。ご理解いただけますと幸いです。
北村先生の『自立と共生の場としての教会』(2009年)の内容については著者ご自身からお話を伺える運びになりましたので、私が先回りして取り上げるのはやめておきます。しかし、予習のためにヒントを出します。
第 1 章の冒頭に、北村先生が目指してこられた「教会のあり方」について 3 つのポイントが挙げられています(21~23頁)。穴埋め問題の答えは10月12日(日)に発表します。
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Ⅰ 共に生きる場としての教会の担い手は(① )であること。 Ⅱ 牧師は本質的には(② )が、現実的には(③ )であること。 Ⅲ 教会員ひとりひとりが(④ )していく(⑤ )が大切であること。 |
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a. 主イエスが食事された「家」(10節)はマタイの家。宴会に大勢招けるほど資産家だった。 b. 「徴税人」はギリシア語の知識が不可欠。「徴税人マタイ」はギリシア語使い。 c. 「マタイ」は「神からの賜物」を意味するヘブライ語「Mattatjah」または「Mattatjahoe」の略語Mattai、Matja、Matjah等に由来し、ユダヤ地方出身者であることを示している。 d. マタイ福音書の著者は、ヘブライ語、アラム語、律法、預言者、ユダヤの伝統に精通している。 |
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説教「平和のためにできること」
マタイによる福音書 8章 5~13節
関口 康
「そして、百人隊長に言われた。『帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。』ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた」(13節)
説教題を「平和のためにできること」としたのは、毎年8月第一主日が日本基督教団の定める「平和聖日」だからです。今日をその日にすることを1962年の教団総会で決議しました。
そして、1967年には鈴木正久教団議長名で「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(戦責告白)を公表しました。その趣旨は次の通り。
①日本基督教団は、大日本帝国政府が戦争遂行の必要から諸宗教団体の統合と戦争への協力を国策として要請したことを契機に成立した。
②「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきでなく、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対して正しい判断をなすべきだった。
③しかし、我々は教団の名においてあの戦争を是認し、支持し、勝利のために祈り努めることを内外にむかって声明することによって、「見張り」の使命をないがしろにする罪を犯した。
④我々は心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、特にアジアの諸国とその教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞に心からのゆるしを請う。
この文章に基づいて「平和のためにできることは何か」の答えを探すとすれば、「見張りの使命を怠らないこと」です。「見張り」と言っても諜報活動ではありません。公開されている情報をよく見ることです。それだけでもかなりのことが分かります。
自衛隊の海外派遣は現時点ですでに行われていることです。憲法上問題ないと裁判所が判断しています。問題はその先です。
自衛隊を「日本防衛軍」、自衛官を「軍人」、陸上・海上・航空各自衛隊を「陸軍、海軍、空軍」、幕僚長を「参謀長」、護衛艦を「駆逐艦」等にするという名称変更案を外務省発行の外交専門誌『外交』16号(2012年)で公表したのは、私の中学の同級生です。2022年に再会して話す機会がありました。
いま私が申し上げたいのは「準備はすべて整っている」ということです。だからこそ、日本国の戦争への直接参加には、絶対に反対しなくてはなりません。
戦争は、必然でも運命でもなく、人間が意志をもって実行することです。戦争の全責任は人間にあります。しかし、ほとんどの人は巻き込まれただけです。戦争で利益を得る可能性があるのは、ごく少数の権力者だけです。ほとんどの人が犠牲になります。そのことを先の戦争の体験者がたはよくご存じのはずです。
どうしても私は、複数の学校(小中高)で聖書の授業をすることが許された、トータルで6年間の日々を思い起こします。授業の中で何度も言ったのは「日本が戦争に巻き込まれたら、戦地に行くのは君たちであって私ではない。『教え子を戦地に送らない』という言葉を教室の授業の中で言わなくてはならない状況にしてしまったことを申し訳なく思う」ということでした。
今日の聖書の箇所は、日本基督教団聖書日課の今日の箇所です。今年5月9日(金)信濃町教会での「東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会」で私が奨励を担当したときに取り上げたのと同じ箇所です。奨励の内容は教会ブログで公開しました。もしよろしければ併せてお読みください。
これは、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムで、ローマ軍の「百人隊長」が自分の「僕」の病気を治してほしいと主イエスに懇願し、主イエスがその「僕」をおいやしになった物語です。
並行記事はマルコ以外の2つの福音書にあります(ルカ7章1~10節、ヨハネ4章43~54節)。比較すると違いが分かります。マタイとヨハネは百人隊長自身が主イエスのもとを訪ねたことを記していますが、ルカはそうではなく、百人隊長自身は主イエスを訪ねず、使いの者を送っています(ルカ7章3節、6節、10節)。
この物語の理解のポイントは、この「百人隊長」と「僕」をどうとらえるかです。「百人隊長」はローマ軍の職名ですが、ローマ人だったことを必ずしも意味しません。カファルナウムは北の国境に近く、外国からの流入者が多かったため警戒視されて軍隊が配置されました。この「百人隊長」はシリア人の傭兵だったのではないかと考えられています。
しかし、この人は確かにローマ軍の兵士でした。いち兵卒から登り詰めて「百人隊長」の地位を得た人であり、ルカによると「ユダヤ人のために会堂(シナゴーグ)を建ててくれた人」として尊敬されています(ルカ7章5節参照)。明らかに資産家です。
このように、地位も名誉も資産も体力もあり、ユダヤを支配する側のローマ軍にいたこの人が、ユダヤ人として生涯を送られた主イエスに助けを求めたこと自体が驚くべきです。
この物語を理解するもうひとつのポイントは「僕」です。マタイはこの人を、通常の「奴隷」を意味するドゥーロス(δοῦλος)ではなく、「自分の子どものように愛する僕」を意味するパイス(παῖς)と呼んでいます。
この「パイス」について、5月9日(金)連合祈祷会で司会を担当された尊敬する先輩牧師が教えてくださったことを聞いて、ひっくり返りました。
最近の解釈によると、この「パイス」は軍人にあてがわれた性的奴隷であると考えられていて、その点からこの箇所を読み直すと、当時の感覚では使い捨てとされていたパイスが病気になったことを悲しみ、彼の助けを求めた百人隊長のその願いに主イエスがお応えになったと理解できるということでした。
初めて耳にする解釈で驚きましたが、可能性は十分あるでしょう。戦争が生み出す闇です。
ところで、主イエスは百人隊長から「ひと言おっしゃってください」(8節)と求められて、どんな「ひと言」をおっしゃったでしょうか。マタイとヨハネで共通しているのは「帰りなさい」(マタイ8章13節、ヨハネ4章50節)だけです。つまり「帰りなさい」が「ひと言」です。
しかし、「どこ」に帰るのでしょうか。原文には「どこ」は明記されていません。近年の解釈によれば「家」です。1989年の英語聖書Revised English Bible(REB)と、1972年のオランダ語新共同訳聖書(Groot Nieuws Bijbel)が「家に帰りなさい」(Go home; Ga naar huis)です。
REBの訳はカッコいいです。〝Go home; as you have believed, so let it be.〟ビートルズです。
地元を離れて傭兵生活をしていた百人隊長にとって「家に帰りなさい」という言葉は二重の意味を持ったはずです。病気の僕(パイス)と住む家だけではなく、家族が住む地元の家が重なって見えたのではないでしょうか。「あなたを必要としている人のもとに帰りなさい」と言われた気がしたのではないでしょうか。
戦争は、身近な人、大切な人との絆を破壊します。人を人とせず、効率と生産性と利益の追求がすべてであるかのように教育し、不利益になるものを容赦なく叩き壊します。
「平和のためにできること」の最適解は「家に帰ること」(Go home)です。愛し合う「家」に、いやしがあります。
(2025年8月3日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
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旧約 |
イザヤ9章14節 イザヤ28章7節 エレミヤ6章13節 8章10節 エレミヤ23章11節 エゼキエル13章3節 |
「偽りを教える預言者」 「濃いぶどう酒を飲んでよろめき迷う預言者」 「利を貪り、人を欺く預言者」
「汚れた預言者」 「自分の霊の赴くまま歩む愚かな預言者」 |
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新約 |
マタイ24章11、24節 使徒言行録13章6節 使徒言行録20章29節 ローマ16章17節 Ⅱテモテ3章5節 Ⅱペトロ2章1節 Ⅰヨハネ4章1節 黙示16章13節、19章20節、20章10節 |
「偽預言者」 「バルイエスという預言者」 「群れを荒らす残忍な狼ども」 「学んだ教えに反して不和やつまずきをもたらす人々」 「信心を装いながら信心の力を否定しようとする人々」 「異端を持ち込み贖い主を拒否する偽教師」 「偽預言者」 「偽預言者」 |
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他 |
十二使徒の教訓(ディダケー)11章7~12節 |
下記参照 |
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①滞在は1日、長くて2日であるべきなのに、3日滞在する(5節) ②パン以外は何も要求すべきでないのに、金銭を要求する(6節) ③食事を注文して食べる(9節) ④真理を人々に教えるが、自分は実行しない(10節) ⑤金銭あるいは他の何かを要求する(12節) |
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「狭い門から入りなさい」
マタイによる福音書 7章1~14節
関口 康
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者は多い」(13節)
今日も先週に引き続き「山上の説教」の一節です。
「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである」(1a節)
裁判制度を否定する言葉ではありません。マタイによる福音書において「裁く」(クリネイン κρίνειν)(クリナイ κρίναιの現在形不定詞)の意味は、「悪意をもって非難する、酷評する、批判する」です。
他人への非難を禁じる理由は「あなたがたも裁かれないようにするため」(1b節)です。「あなたがたは自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる」(2節)。互いに裁き合わないようにすることは、主イエスが教えてくださった新しい生き方です。
学校や会社や社会の中で厳しいことを言わなくてはならない場面があることは否定できません。しかし、費用対効果(コストパフォーマンス)のために、生産性のために、成績のために、効率と成果を求められ、結果が出ないと非難され、疲れてメンタルが壊れて生きるのがつらくなっている方々を多く見かけます。
人の心を壊して得る利益で、だれが得するのでしょうか。もっと人にやさしい社会を目指せないものでしょうか。
人が裁き合う姿の愚かさについて、主イエスは、独特のユーモアと皮肉をこめて次のようにおっしゃいました。
「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(4~5節)
互いに裁き合わないようにする件は、神と人間の出会いはどのようにして起こるかをどのように理解するかの問題にかかわります。
主イエスにとって「神との出会い」とは、人間や地上的事物とは無関係に空中に浮かんだスピリチュアルな存在のようなものとの接触ではなく、常に隣人との出会いにおいて起こることです。神との出会いは隣人との出会いにおいて起こります。あなたが隣人とどのように付き合うかが、神があなたとどう付き合うかと関係します。
主の祈りの第5の願いは「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」(6章12節)です。私たちが隣人の罪(負い目)を赦すとき、神が私たちの罪(負い目)を赦してくださいます。
「神聖なものを犬に与えてはならず、また真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう」(6節)
この箇所は説明しづらいです。明らかな差別語・不快語が含まれているからです。しかし、語り手である主イエスの真意をお伝えしたいので取り上げます。
「犬」と「豚」は、西暦1世紀のパレスティナのユダヤ人の軽蔑の対象でした。ただし、飼い犬は大事にされました。軽蔑されたのは野犬です。豚は、汚れた動物とされていました。
問題は、「犬」と「豚」が特定の人々の比喩として持ち出されていることです。犬のような人。豚のような人。こういう言い方を私は我慢して聞いていられません。
しかも、この言葉が教会の歴史の中でどのように用いられてきたかを知る例として、西暦1世紀末から2世紀初頭までの間に書かれた『十二使徒の教訓(ディダケー)』(佐竹明訳、使徒教父文書、聖書の世界、別巻4、新約Ⅱ、講談社、1974年)に「聖餐式」との関係で引用されている箇所があります。
「主の名をもって洗礼を授けられた人たち以外は、誰もあなたがたの聖餐から食べたり飲んだりしてはならない。主がこの点についても、『聖なるものを犬に与えるな』と述べておられるからである」(ディダケー9章5節、同上書、24頁)。
私たちはこういう言葉から目をそらすことはできません。教会は「洗礼を受けていない人」を「犬」呼ばわりしていました。ディダケーは正典(canon)としての旧新約聖書と同等ではありませんが、教会の重要な文書です。
しかし、重要なことをまだ言えていません。主イエスがそのような人たちに「神聖なるもの」や「真珠」を投げ与えてはならないと言われた意味です。
それは、強制してはいけない、ということです。自分にとってどれほど大切なものであっても、それを嫌がっている相手に押し付けてはいけない、ということです。
多くの言葉で相手を説き伏せるよりも、黙るほうがよい場合があります。伝わらない思いを無理に伝えようとしなくてもよい場合があります。
信じてもらいたい人に信じてもらえないとき、大切なことを伝えることは不可能だと思えば、他の人に任せればよいし、神に委ねればよいのです。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(7節)
この三つの文は祈りが聞き届けられることについて語っています。
求める(ask)、探す(seek)、門をたたくこと(knock)の頭文字を集めると、ask(求める)になります。
特にノックは、祈りのイメージとして重要です。門を叩くことで門が開き、祈ることで与えられます。
「パンを欲しがる自分の子供に石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」(9~10節)
これは疑問文になっていて、答えが隠されています。こういうひどいことをする悪い親がいないことが前提になっています。現実の親子関係はもっと深刻ではないでしょうか。
しかし、この言葉は、たとえひどい親の元で育てられても、神はその人の真の親であることを教える言葉であると読むこともできます。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(12節)
これは黄金律(Golden Rule)と呼ばれます。類似している教えは、ギリシアにもローマにもユダヤにもありましたが、どれも否定形です。
「あなたが憎むことを誰にもしてはならない」
「隣人にして欲しくないことを隣人にもしてはならない」
「あなたの欲しないことを隣人にしてはならない」
否定形の教えならば、万国共通だれでも理解できる普遍的な真理になります。しかし、主イエスの教えのように肯定形で言うと、難しい教えになります。なぜでしょうか。
他者の状況に個人的に共感する必要性がより強調されるからです。
この個人的な共感こそ、主イエスが教えてくださった新しい人間関係の土台です。
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者は多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか」(13~14節)
2つの道のイメージは旧約聖書からあります。申命記11章26節以下、同30章15節以下、エレミヤ記21章8節。
モーセは「祝福の道か、呪いの道か」を民に問いました。エレミヤは「命の道か、死の道か」を民に問いました。中間はありません。どちらかを選ばなくてはなりません。
主イエスの「狭い門か、広い門か」の問いかけも趣旨は同じです。これは一般論ではありません。関係あるのは「わたしに従いなさい」という主イエスの呼びかけだけです。
わたしの道は、狭い門から入り、細い道を通るので、「通る者は少ない(少数者である)」と言われています。
広い道と広い門は、わざわざ選んで入ったり通ったりするものではなく、そこにあります。そこを通るために労苦も犠牲も不要ですし、「通って」いるのかどうか分かりません。
「道」や「門」と呼ぶ必要すらありません。それはどこにも通じていないし、過程(プロセス)も終点(ゴール)もないからです。
(2025年7月20日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)
マタイによる福音書 6章25~34節
関口 康
「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(25節)
先週まで10週連続で「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を行いました。教理説教には、2千年の教会の物語としての側面があります。そろそろイエスさまにご登場いただきたいです。今日は主イエスの「山上の説教」の一節を取り上げます。
説教原稿をブログで公開すると、各記事のアクセス数が分かります。教理説教の「教会論」の回のアクセス数が一向に増えません。最も多いのが「贖罪論」で、次が「三位一体論」。キリスト教についての関心はあることが分かります。しかし、「教会」は人気がありません。汚名を返上したいです。私が生きている間は無理かもしれません。
今日の箇所の中心聖句は「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな」(25節)です。核心は「思い悩むな」です。そして、そのための解決策として主イエスが教えておられることが、今日の説教題の「空の鳥を見なさい」です。新共同訳聖書どおりだと「空の鳥を〝よく〟見なさい」です。
私の話ですみません。私は今、牧師館でひとり暮らしをしています。基本的に自炊です。外食やコンビニ食に頼る日もありますが、そればかりだと生活が成り立ちません。自炊は錬金術なので、工夫次第でどうにでもなります。教会の皆さんの献金だけで生活を支えていただいている身です。不満を言いたいのではありません。しかし、余裕があるとは言えません。
そういう私でも、衣食住について「思い悩むな」と言われると考え込んでしまいます。「自炊は錬金術です」だとか言えるのは、ひとり暮らしだからです。「もうどうなってもいいや」と思っているからです。扶養すべき家族がいる方や、自分が経営している、または勤務している学校や施設やNPO等で食事を提供する立場にいる方は反発するでしょう。いくらなんでも無責任すぎるでしょう。
しかし、ここで言われている「思い悩む」(μεριμνᾶω メリムナオー)とは、否定的な思考が恒常化し、肯定的な思考の余地を失っている状態です。悪い結末しかありえないような未来予想の証拠ばかりがあふれるほどあって、否定的な情報でメモリがいっぱいでフリーズしている状態、と言えば伝わるでしょうか。
そういうとき、主イエスは「空の鳥をよく見なさい」(26節a)とおっしゃいます。ただ「見る」だけでなく「よく見る」(ἐμβλέπω エンブレポー)。その意味は「凝視する、観察する、考察する」です。鳥をよく見ると何が分かるのかというと、「鳥は種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない」のに「あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる」(26節b)という事実です。
しかも、ここでマタイが記しているのは一般的な「鳥(とり)」ですが、ルカの並行記事(12章24節)には「烏(からす)」と記されています(*J. M. ロビンソンのQ資料研究書『イエスの福音』(加山久夫、中野実訳、新教出版社、2020年、92頁)でも「烏(からす)」です)。
加えて、ルカが用いている言葉は、普通のカラス(crow クロウ)ではなくワタリガラス(raven レイヴン)です。
カラス(crow)はゴミ置き場荒らしをするので現代人には嫌われがちです。ワタリガラス(raven)はユダヤ人にとって汚れた動物です(レビ記11章15節、申命記14章14節)。マタイによる福音書がユダヤ教徒とユダヤ人キリスト者に向けて書かれたため、普通のカラス(crow)にしているという解説があります。
可能性の高さを比較すると、主イエスが「よく見ること」を勧めておられる鳥(とり)は、おそらくワタリガラス(raven)です。
「野の花」(28a節)についても「注意して見る」ことが勧められています。この「花」はユリ(lily)を意味する言葉ですが、「野の」(野生の)が付いているので、雑草化しているものです。
それを見ると何が分かるかというと、「野の花」は「働きもせず、紡ぎもしない」のに美しく、「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった」(28b~29節)ことが分かるというわけです。
主イエスが勧めておられるのは、好きなもの、自分の側にいると思えるもの、味方してくれそうな相手ではなく、自分が苦手なもの、多くの人から嫌われているもの、踏みつけられたり軽んじられたりしている側のものを見てごらん、ということです。
そちらの存在にも神の創造のみわざが働き、大空を自由に羽ばたいたり、美しく咲きほこったりしているのだから、あなたがたも同じだし、それ以上に神がなんとかしてくださるので、希望をもって生きて行こうではないか、という励ましの言葉です。
素直な気持ちになれないときにこの言葉を読むと、鳥や花と比較されて、あの子たちより人間はましだろうと言われてもちっともうれしくないし、そもそも比較の対象がおかしいと、反発しか感じないかもしれません。
しかし、目の前が真っ暗になるような絶望的な状況の中で、それまでと同じことを繰り返すのではなく、視点や見るものや見方を変えてみることが打開策になることはありうるでしょう。
そして、目指すべき目標は「何よりもまず、神の国と神の義を求めること」であると主イエスは言われます。「そうすれば他のものは(おまけのように)ついてくる」と。
ご参考までに、33節の英訳を3種類並べます。
|
King James
Version (1611) |
But seek ye first
the kingdom of God, and his righteousness; and all these things shall be
added unto you. |
|
Revised Standard
Version (1952) |
But seek first
his kingdom and his righteousness, and all these things shall be yours as
well. |
|
Revised English
Bible (1989) |
Set your mind on
God’s kingdom and his justice before everything else, and all the rest will
come to you as well. |
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| 日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会 (日本基督教団信濃町教会 東京都新宿区信濃町30番地) |
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| 教会堂外見 |
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| 礼拝堂前方 |
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| 礼拝堂後方 |
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| 集会案内板 |
奨励「信仰とは何か」
マタイによる福音書8章5~13節
日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会
関口 康
「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)
この聖書箇所を選んだことに特別な意図はありません。日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所を参考にしました。ただし、それはヨハネの並行記事で、話しにくさを感じましたので、マタイに変更しました。
「これは史実でない」と『NTD新約聖書註解』マタイの著者、エドゥアルト・シュヴァイツァー教授(Eduard Schweizer [1913-2006])が書いておられます。しかしそのシュヴァイツァー先生も、8節から10節までの主イエスと百人隊長の対話の部分は「Q資料」にあっただろうと認めておられますので、そこだけは歴史的な根拠があると堂々と言ってよさそうです。
イエス・キリストがガリラヤ湖畔の町カファルナウムにおられたとき、「百人隊長」が近づいてきました。「百人隊長」は古代ローマ軍の職名ですが、ローマ人だったとは限りません。ひとつの可能性として言われているのは、異邦人の傭兵だったのではないかということです。
マタイ福音書では、その人自身が主イエスのもとに行き、「僕」のために助けを求めています。マタイが「僕」という意味で用いているギリシア語「パイス」は、ルカの並行記事(7章1~10節)では「ドゥーロス」です。「ドゥーロス」はあからさまに「奴隷」です。しかし「パイス」は自分の子どものように愛する対象を意味します。その事実を活かし、聖書協会共同訳(以下「SKK訳」)は「子」と訳しています。
百人隊長のパイス(自分の子どものように愛していた僕)は、新共同訳では「中風」(SKK訳「麻痺」)を起こし、家で寝込んで(SKK訳「倒れて」)ひどく苦しんでいました。そのことを百人隊長自身が主イエスに伝え、助けを求めました。
その願いを受けて、主イエスは「わたしが行って、いやしてあげよう」と応じてくださる姿勢を表してくださいました。しかし、J. M. ロビンソンのQ資料研究書『イエスの福音』(加山久夫、中野実訳、新教出版社、2020年)によると、主イエスの「わたしが行って、いやしてあげよう」(7節)は、Q資料では「わたしが行って、彼をいやすのか?」という拒否反応でした。それを17世紀の英語聖書(1611年刊行のキング・ジェームズ・ヴァージョン)が肯定的な反応のように訳したことで、意味が逆転してしまいました(ロビンソン、141頁以下)。
しかし、新共同訳聖書どおりだと主イエスは好意的な反応を示されましたが、それを百人隊長が断ります(8節)。このときの百人隊長の返事の中に、彼の《信仰》が明確に表現されました。
百人隊長は言いました。
「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕(パイス。SKK訳「子」)はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下(ドゥーロス。SKK訳「僕」)に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」(8~9節)。
百人隊長の言葉に主イエスは感心し(SKK訳「驚き」)、「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)と評価されました。そして主イエスが百人隊長に「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」とおっしゃったら、ちょうどそのとき、僕(パイス。SKK訳「子」)の病気がいやされました(13節)。
* * *
さて、問題です。主イエスは、百人隊長の返事のどの点を評価なさったのでしょうか。
この答えが分かれば、私たちも同じように言えば、イエスさまからほめていただけるでしょう。主イエスが称賛するほどの模範的な《信仰》があるならば、全キリスト教に影響するでしょう。
第一の可能性は、主イエスが軍隊調の命令と服従の関係で信仰をとらえ、百人隊長がそのような《信仰》を持っていることが分かったので高く評価された、というとらえ方です。
これは私が思いつくかぎりの最悪の可能性です。手と指を前にまっすぐ突き出すナチス式敬礼は、古代ローマ軍の敬礼から受け継いだとナチスが主張しました。そういうことをこの百人隊長もしていたと思います。あれでいいでしょうか。
第二の可能性は、ひとつの註解書に記されていたことです。Fernheilung(フェルンハイルンク)をどのように訳せばよいでしょうか。「遠隔治療」でしょうか。言葉を発するだけで、祈るだけで、遠くの人の病気が治る。そのような《信仰》を百人隊長が持っていることをイエスが高く評価なさった、という説明です。ユダヤ教のタルムードに「遠隔治療」の類似例があるそうです。
厚生労働省のホームページに「遠隔医療(リモート医療)」についての説明があることを知りました。医療の現場ではそういうのが日進月歩で進んでいるようです。しかし、インターネットは電気信号です。きわめて物理的な手段です。何の物理的な媒体もないわけではありません。
教会はどうでしょうか。「出会い」や「ふれあい」は教会に無くてはならないものでしょうか。「握手」や「ハグ」が必要でしょうか。体に触らないと「愛」が伝わらないでしょうか。
もし皆さんの中にそういうことをなさっている教会の方がおられるとしたら申し訳ありませんが、私はそういうのが苦手です。私はだれにも触りません。私は「非接触牧師」です。
しかし、そういう私も、教会員のお宅や病床には可能なかぎり訪問したいと考えています。対外的な働きが続いたりすると、訪問がおろそかになって心苦しいです。
ですから、今日の箇所を「リモートワーク」の話としてとらえてよければ、私は救われた気持ちになります。「うちに来ないでください。祈ってくださるだけで結構です」とか「すべてリモートで大丈夫です」と言ってもらえれば、気がラクになります。これでよろしいでしょうか。
第三の可能性は、私にとって最も納得できる説明です。それは最初にご紹介したエドゥアルト・シュヴァイツァー教授の説明です。次のように記されています。
「いずれにしてもここには(中略)神の行動をあてにしている信仰がはっきりと現れている」(281頁)。
シュヴァイツァー先生のおっしゃるとおりです。《信仰》とは「神を信じること」です。そして「神の行動をあてにすること」です。シンプルですが、ベストの答えです。
「ミッシオ・デイ」(神の宣教)も、「神の行動」を信じることにおいて、今申し上げていることと趣旨は同じです。そもそも「宣教」は神ご自身のみわざなのであって、人間の働きではありません。
「ミッシオ・デイ」(神の宣教)を悪く言う論調に接しました。なぜそういうことを言うのか、私は理解に苦しみます。
そもそも皆さんは「神」を信じていますか。このような失礼なことを、あえて問わなくてはなりません。
「神を信じる」と言いながら、いつのまにか「私」や「私たち」や「自分の教会」の努力をそのように呼んでいるだけになっていませんか。だからこそ、自分の働きを認めてもらえないという不満の理由になったりしていませんか。「神のみわざ」は人間の手柄ではありません。
シュヴァイツァー先生の説明には、続きがあります。
「この物語は(中略)決して自分の力で獲得したのではない、ないしは、それを自分の力で獲得することはできないと知っているものに対して救いを開く」(254頁)。
百人隊長は、自分の子どものように愛する僕(パイス)の病気を自分の力では治してあげることができないことを悟り、自分の無力さに打ちのめされ、人間になしえないことをなさる「神」を信じました。
これが《信仰》です。
(2025年5月9日 東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会、於 日本基督教団信濃町教会)
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) |
説教「復活と宣教」
マタイによる福音書28章11~29節
関口 康
「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19-20節)
復活したイエス・キリストを目撃した婦人たちは他の弟子たちに報告するため、また同じ光景を見たローマ兵たちは祭司長たちに報告するため、どちらもエルサレムに向かいました(11節)。
報告を聞いた祭司長たちは、長老たちと相談して兵士たちに多額の金を与えました(12節)。最高法院(サンヘドリン)の人々が賄賂を使い、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」とローマ兵たちに言わせました。
祭司長たちが言った「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」(14節)の意味は次のとおりです。見張番の居眠りは重罪でした。通常なら処刑です。しかし、ユダヤ人からの委託任務に就いていただけの兵士を処刑するわけにいかないとピラトならきっと考えるだろうから、うまく交渉してあげるという理屈です。
兵士たちは金を受け取って「教えられたとおりにした」(15節)は「学ぶ」(ディダスケイン)を意味する動詞(エディダクセーサン)です。これは軽蔑の表現であるという解説を読みました。兵士たちは、自分たちより上位の人の命令を復唱し、「学習した」(ディダスケイン)のです。
「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(15節)の「今日」はマタイ福音書が記された紀元1世紀後半を指します。
古代教父ユスティノス(紀元100年頃~164年頃)の著作『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(全142章)(西暦155年頃)「序論」(1~10章)の一部(1~9章)の日本語版(三小田敏雄訳)があります(『キリスト教教父著作集Ⅰ ユスティノス』教文館、1992年、197~269頁)。
残念ながらまだ日本語版がない69章7節に、ユダヤ人はイエスを「魔術師」で「詐欺師」であると考えていたと記されています(訳者解説、同上書252頁参照)。
また「弟子たちはイエスが十字架から降ろされた後、夜中に墓に埋められていた彼を盗み出し、『イエスが死から蘇って、天に昇った』と言って人々を騙した」(同108章2節)と紀元2世紀のユダヤ人たちがイエスについて言い伝えていたことを、ユスティノスが証言しています(J. T. Nielsen, Mattheüs, deel 3, G. F. Callenbach, 1974, p. 186)。
2 世紀半ばの外典『ペトロによる福音書』(『聖書の世界 別巻3・新約Ⅰ 新約聖書外典』講談社(1974年)収録)にも興味深い記述があります。以下、引用します。
「夜中に、兵隊が二人ずつ当番で夜警をしていると、天で大きな声がした。そして天が開いて、二人の人がそこから降りて来るのが見えた。彼らは強く輝いていた。そして墓に近づいて来た。すると墓の入口においてあった石がおのずと転がりはじめて、何ほどか脇に退いた。こうして墓が開き、二人の若者は中にはいって行った。
(見張番の)兵隊はこれを見て、百卒長と長老達を起こした。彼らもまた見張のためにそこに一緒にいたのである。兵隊達が見たことを彼らに話しているうちに、また墓から、今度は三人の人が出て来るのが見えた。そのうちの二人が一人を支え、そのあとから十字架がついて来た。二人の頭は天までとどき、二人が手を引いている三人目の人の頭は天をつきぬけていた。
そして天から声が聞こえた、『あなたは(冥府で)眠っている人々にも宣教しましたか』。すると十字架が答えて、『はい』と言うのが聞こえた。彼らは互いに、ピラトのもとに行ってこれらのことを報告しよう、と相談しあった。そしてまだ相談しているうちに、再び天が開け、一人の人が降りて来て、墓の中にはいった。
百卒長と共にいた者達はこれを見、夜ではあったが、見張っていた墓をあとにして、急いでピラトのもとに行き、見たことを一切報告した。そして大いにこわがって、『本当にあれは神の子だった』と言った。
ピラトは答えて言った。『余は神の子の血には責任はない。それはお前達がよしとしていたことだ』。
そこで彼ら(ユダヤ人の長老たち)は皆すすみ出て、ピラトに、見たことを一切人に話さないようにと百卒長と兵隊達に命じてくれ、と頼んで、言うには、『我々には神の前で最大の罪を負う方がまだよいので、(神の子の復活を認めたりして)ユダヤ国民の手に落ち、(彼らのうらみを買って)石で打ち殺されたりはしたくない』。それでピラトは百卒長と兵隊とに、何も言わないように命じた」(田川建三訳、同上書40~41頁)。
「どちらが正しいかは分かりません」と大学の聖書学者やキリスト教学者のような人は言うかもしれません。しかし、教会の私たちはそういう言い方はしません。イエスさまが「どのように」復活したかは聖書に記されていません。しかし、復活したことは明言されています。
イスカリオテのユダ以外の11人の弟子たちは、天使と主イエスご自身が促した通り「ガリラヤ」に行き、「山」に登りました(16節)。
この山を地理的に特定するのは、観光目的以外は無意味です。「山上の説教」(マタイ5~7章)に見られるように、イエス・キリストが登る「山」には特別な意味があります。「ガリラヤの山」は、これから宣教へと遣わされる世界を見渡せるどこかです。「世界宣教の原点」です。
「そしてイエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(17節)と記されています。この「疑う者」は誰でしょうか。これは弟子たちの中の「だれか」というより「弟子たち全員」です。信仰と疑いはコインの両面です。どの弟子も、わたしたちも、疑いと迷いの中で主イエスの存在と教えに従って生きていきます。
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(18節)。これは荒れ野の誘惑のときサタンが、もし私にひれ伏すならお前に与えようと言ったものです(4章8節)。イエスさまは悪と手を結ぶことなく、父なる神から一切の権能を授かりました。
イエスさまは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と彼らにお命じになりました(13節)。
「すべての民」とは「ユダヤ人」+「異邦人(=ユダヤ人ではない人)」を合わせた「すべて」のことであって、全人口を指していません。
そして「弟子にしなさい」の中身が「洗礼を授けなさい」(バプティゾンテス)と「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい(ディダスコンテス)」の2つです。
この「教えなさい」は、番兵たちが賄賂をもらって「学習した(ディダスケイン)」と同じ言葉ですが、中身は大違いです。
「洗礼」は教会の仲間に加わることの約束です。「約束にすぎない」と言えなくはありません。洗礼はいわば瞬間的なことです。洗礼の後に続く「学ぶこと、教えること」は一生がかりです。
「学ぶこと」は「守ること」を求めます。「知識はありますが、守ったことがありません」というわけに行きません。「教えを守る」とはイエスさまの教えを実践し、生活することです。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(30節)という言葉で、本書は締めくくられています。
マタイによる福音書には最初(1章23節)と最後(28章30節)に「インマヌエル」が語られています。「神がわたしたちと共にいる」という意味です。
それが「世の終わりまで」続きます。終わりがいつかは分かりません。しかし、私たちの救い主は、世界が終わるまで、いつも近くにいて、慰めと力を与えてくださいます。
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| 日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9) *生成AIのChatGPTにフェルメール風に描いてもらいました! |
説教「キリストの復活」
マタイによる福音書28章1~10節
関口 康
「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』」(10節)
イースターおめでとうございます。今日は世界中の教会で、イースター礼拝が行われています。イースターは、イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする日です。
こういうことを言うと「あなたはおめでたい人だ」と言われかねません。「死んだ人がお墓の中から出てきたことの何がめでたいのか。恐怖しか感じない」と顔をこわばらせて言う人がいても、おかしくありません。
教会の看板に今日の説教題として「キリストの復活」と書いていただきました。「復活」などと言わないで、少しぐらいは遠慮して、もっと多くの人に受け入れてもらえそうなことを貼り出すほうがよいかもしれないと、私も考えないわけではないということを打ち明けておきます。
イエス・キリストの復活が「どのように」起こったのかは聖書には記されていません。しかし、4つの福音書に、イエス・キリストの復活は起こったと明言されています。聖書に基づいて説教することになっている教会は、イエス・キリストの復活を宣べ伝えることから逃げることはできません。
教会が「復活」を宣べ伝えるのは、聖書に書かれているからです。聖書に書かれていなければ、必然性はありません。
クリスマスの聖書箇所も同じです。結婚する前のマリアに赤ちゃんが、というあの話です。もし聖書に書かれていなければ、必然性はありません。
奇跡についても同様です。まるで聖書は、ハードルをどんどん高くしてなるべく信じにくくしているかのようです。
信じにくい要素はまだあります。クリスマス礼拝のときも言いましたが、私は天使が苦手です。天使が嫌いだと言っているのではありません。会ったことがないので、どのように説明してよいかが分からないのです。人間でもなく神でもなく、両者の中間に位置するように聖書に描かれている謎の存在。その苦手な天使が、クリスマスの聖書箇所にも、イースターの聖書箇所にも登場するので、困ってしまいます。
そのことは特にマタイ福音書とルカ福音書ではっきりしています。各書の最初と最後に、天使が登場します。イエスさまがお生まれになったときと、復活なさったときに現れます。天使はまるで「狂言回し」です(「歌舞伎・狂言などで、主人公ではないがその狂言の進行に重要な役割をつとめる者」広辞苑第4版)。
しかし、私はいまネガティブな話をしているつもりはありません。クリスマスとイースターの聖書箇所に共通点があると説明している註解書を読みました。どこに共通点があるかというと、「ガリラヤに行くこと」を天使が人間にすすめる言葉です。
今日の箇所では、そのことが7節に記されています。5節から7節までお読みします。
「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」』」。
ここで言われているのは、ガリラヤに行けばイエス・キリストに会える。だからガリラヤに行きなさい、という意味です。
他方、クリスマスの聖書箇所で「ガリラヤ」の名前が出てくるのがマタイ福音書2章22節です。ヘロデ大王による幼児虐殺から逃れるために家族揃ってエジプトに避難した主イエスの父ヨセフの夢に天使が現れ、お告げがあったので、「ガリラヤ地方に引きこもった」(マタイ2章22節)と記されています。ガリラヤに行きなさいと神が天使を通してヨセフに伝えたということです。
このように、クリスマスの天使もイースターの天使も、イエス・キリストの存在と「ガリラヤ」を結びつける役割を果たしている点で共通しています。
この場合の「ガリラヤ」は、広い意味です。「周辺」という意味のヘブライ語「ガーリール」に由来します。主イエスの生誕地ベツレヘムは、首都エルサレムに近いので「ガリラヤ」ではありません。しかし、その後の成長期に過ごしたナザレも、宣教活動を開始したカファルナウムも、「ガリラヤ」です。
「ガリラヤ」は田舎であり、地方であり、分裂王国時代には北王国であり、他国からの流入者の割合が多い「多様な」地です。辺境ゆえに政治と宗教の権力者から見下げられてきた「より多くの慰めが必要な」地です。その「ガリラヤ」でイエスさまは宣教されました。
これらのことで分かるのは、今日の箇所で、天使と復活されたイエスさまご自身が弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と促しておられるのは、「あなたの原点に立ち返りなさい」と言われているのとほとんど同じ意味であるということです。
昨年9月8日の「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」で説教してくださった北村慈郎牧師と、先々週4月12日に「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」の総会で私が講演させていただいた日本基督教団紅葉坂教会(横浜市)でお会いしました。
北村先生は、わたしたちの70周年記念礼拝のときも、先々週の会で私を紹介してくださるときも、「私の原点は足立梅田教会です」と多くの人の前でおっしゃいました。「私のガリラヤ」とはおっしゃいませんでしたが、きっとそのお気持ちを持っておられます。「ガリラヤに行きなさい」というすすめには「あなたの原点に立ち返りなさい」という意味があるからです。
イエス・キリストが「どのように」復活されたのかは聖書に記されていないと申しました。墓の中で目を開き、体を起こし、立ち上がり、歩いて墓穴から出てくるイエス・キリストを描写するスペクタクル(視覚的)な記述は、どこにもありません。とはいえ、「どのように」についても触れられている箇所がある、ということをご紹介しておきます。
天使が婦人たちに伝えた言葉は「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ」(6節)です。秋川雅史(あきかわまさふみ)さんの「千の風になって」という歌を思い出します。「私のお墓の前で泣かないでください。ここに私はいません。眠ってなんかいません」。イエスさまは「千の風」にはなりませんが、「お墓の中にはいない、眠ってもいない」という点は、あの歌のとおりです。
しかし、この天使の言葉の中に、イエス・キリストの復活が「どのようにして」起こったのかという問いと結び付けることができる点があります。それは「かねて言われていたとおり」という言葉です。見過ごされやすい言葉ですが、重要な意味があります。
イエス・キリストは「わたしは復活する」と弟子たちの前で何度もおっしゃいました。イエス・キリストの復活は「ご自身の言葉通りになった」事実です。これが「どのように」の答えです。弟子たちにとっては、イエスさまがおっしゃったとおりのことが実現したのだから、それで十分なのです。
足立梅田教会は健在です。日本基督教団もまだ死んでいません。ですから「復活」という言葉は当てはまりません。しかし、生命の危機を感じるときは「ガリラヤに行くこと」が大切です。「原点に立ち返ること」です。「あなたのガリラヤ」にイエス・キリストがおられます。
(2025年4月20日 日本基督教団足立梅田教会 イースター礼拝)