ラベル コリントの信徒への手紙一 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル コリントの信徒への手紙一 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年9月21日日曜日

教会の一致

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「教会の一致」

コリントの信徒への手紙一 1 章10~17節

関口 康

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(10節)

先週の礼拝で「復活の体」の話をしました。今日は「教会の一致」についてお話しします。先週と今週とで共通点があると思っています。両方とも、教会にいる私たちこそが疑わしいと思っていることです。

私たちは「復活の体を見てみたい(見たことがない)」という疑問と同じぐらい、「一致している教会を見てみたい(見たことがない)」という疑問を持っています。

私が牧師(最初は「伝道師」)になったのは1990年です。今年で36年目です。これまでの経歴は教会ブログの「牧師紹介」で公開しています。転任が多かったです。「転々としてきた牧師」が悪い評価になりがちなことは、よく分かっています。しかし、同世代の牧師たちの中では、私の転任回数は平均的なほうです。世代が関係していると思います。日本の教会の歴史の中で大規模な世代交代が行われました。

これまで働かせていただいた教会を悪く言うつもりはありませんが、私の転任の理由はすべて「教会分裂を回避するため」でした。私が分裂の原因だったことがないとは言いませんが、赴任する前から分裂していた教会に赴任したケースが多かったです。

どの教会でも同じ現象が起こりました。例外はありません。今日の箇所に書かれているとおりのことが起こりました。今日の箇所を読むと私の古傷が痛みます。身を切る思いでお話しします。話し終わるまで立っています。急に倒れたりしませんのでご安心ください。

今日の箇所に記されているのは、コリントの教会が分裂しているという知らせを聞いたパウロが「教会を分裂させてはいけない」と強く訴えている言葉です。

コリントは、ギリシアのアテネから西に85キロほど、高速道路経由で 1 時間です。私は一度だけ現地に行ったことがあります。その教会が分裂しているという知らせを、パウロは「クロエの家の人たちから知らされました」(11節)と書いています。

この言葉の意味を考えたことがありませんでしたが、今回調べて分かったことをご紹介します。「クロエ」という名はギリシア神話に登場する女神デメテルの愛称です。このデメテルは金髪で美しい女神として描かれています。その「女神デメテル」の愛称と同じ「クロエ」という女性名を持つ方とその家族の人々がコリント教会にいました。

「クロエ」について、ポップ先生(François Jacobus Pop [1903–1967])(※注)というオランダ人の聖書学者が書いた註解書(De eerste brief van Paulus aan de Korintiërs, De Prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1965)に興味深いことが書かれていました。

「使徒が情報源を明示していることは注目に値する。彼は普段はそうしないからである。コリントの人々からも尊敬されている信頼できる人々から情報を得たと示唆しているのだろうか」。

「確かに」と思いました。教会の内部の問題を外部に持ち出して訴えた人の名前が公開されれば、たちまちその人が教会の中で非難の的になるでしょう。そうなることを承知のうえでパウロが「クロエ」の名前を書いたのだとしたら、この女性はコリント教会の中で強い影響力を持っていたに違いありません。

コリント教会の分裂状態を象徴的に描いているのが12節の言葉です。

「あなたがたはめいめい『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」(12節)

これが私も体験したことです。どの教会でも例外なく目撃した現象はこれでした。ポップ先生の註解書に、この 4 つのグループのスローガン「私はだれそれさんにつく」の名前の順序に意味があると書かれていました。

「パウロ」はコリントの最初の伝道者であり、コリント教会の創立者です(4章15節)。ただし、パウロは西暦50年頃から 1 年半しかコリントにいませんでした。

「アポロ」はパウロの次にコリントに赴任した 2 代目の伝道者です。アポロ牧師のときに教会員が増えました。雄弁で有能な、人気ある説教者でした。しかし、パウロとアポロは教えの内容に違いがありました。それが「パウロ派」と「アポロ派」の対立を生みました。

「ケファ」は使徒ペトロです。ペトロは当時の「教団」の中心に位置するエルサレム教会の説教者でした。コリント教会の中で「パウロ派」と「アポロ派」が争うのを憂いた人たちがペトロの権威に頼ろうとしました。

「ここまでは理解できる」とポップ先生が書いておられます。おっしゃるとおりです。私も同意します。これは理解できる話なのです。わたしたち人間には感情があります。相手が誰であれ、牧師であれ、好き嫌いや親しみの気持ちで近づいたり離れたりするのは当然のことです。個人的にお世話になったかどうかは大事な要素です。そのことを互いに認め合うことができさえすれば、「パウロ派」と「アポロ派」と「ペトロ派」は共存可能なのです。

ところが、「キリストにつく」と主張する第 4 のグループが現れたとき、教会分裂が修復不可能なレベルに達しました。なぜでしょうか。ポップ先生は次のように記しておられます。

「キリストにつくと主張する人々の行動は、他のグループよりも教会の安定と一致にとってさらに危険なものであった。なぜなら、パウロにつくと主張する人も、アポロやケファにつく人々も、キリストに属していることを認めることができたからである。しかし、キリストにつくと主張する者が現れると、他の人々に自分たちはキリストについていないと考えているという印象を与えずにはいられない。さらに悪いことに、彼らはキリストの名をパウロ、アポロ、ケファの名と同列に扱った。キリストを教会全体の頭とする代わりに、彼らはキリストをひとつのグループの頭とした」

これは感動的な解説です。全くおっしゃるとおりです。「キリストにつく派が最もタチが悪い」という解説に初めて接したという意味ではありません。私が東京神学大学で学んでいた1980年代後半に、山内眞先生(1940-2025)がそのようにチャペル説教で説明なさった記憶があります。忘れかけていた遠い記憶に確証が与えられました。

「キリストにつく派」が最もタチが悪いことは事実です。「(創立者を重んじる)パウロ派」も「(現在の牧師を重んじる)アポロ派」も「(教団の権威を重んじる)ペトロ派」も、キリストに従う意思を持っています。その意味では彼らも「キリスト派」であることに変わりありません。しかし、その 3 つのグループと対立する形で「キリスト派」が登場すると、教会の分裂が修復不可能になります。3 つのグループを、まるでキリストに従っていないかのように侮辱することを意味してしまうからです。

ここで大事なことは、「キリストにつく」という主張を、水戸黄門の印籠のように持ち出してはならないということです。「教会は人間のものではなく、キリストのものです」と。そんなやり方は、何の解決にもならないし、教会に最も深刻な亀裂を生じさせるのです。

パウロの結論は12章12節以下に記されていることです。ひとつの体の中に多くの部分があるのだから、目が手に、頭が足に「お前は要らない」と言えないだろうというあの話です。

「トムとジェリー」の主題歌を覚えておられますか。「トムとジェリー、仲良くケンカしな」。

教会が分裂して立ち行かなくなって、教会をやめてしまったり教会堂を失ったりすると、町の人たちからキリスト教そのものへの信用を失って、その地で二度と伝道ができなくなります。教会を分裂させてはいけません。

「仲良くケンカする」トムとジェリー方式がうまく行けば「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)になることができるでしょう。

(2025年 9 月21日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

※注

フランソワ・ヤコプス・ポップ氏(François Jacobus Pop [1903–1967])はオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK))の牧師。1945年から1965年まで「教会と世界研究所」(Het instituut Kerk en Wereld)の指導的立場にありました。

特に、オランダの2つの改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK)とGereformeerde Kerken in Nederlands (GKN))の分裂を終わらせるために1961年4月24日に結成された「18人の会」(Groep van Achttien)を主導する推進役として活躍しました。

彼らを中心とする運動が「共に道を歩むプロセス」(Samen op Weg-proces)へと発展し、2004年5月1日に教会合併が行われ、オランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland (PKN))が設立されました。

ポップ牧師について
https://www.trouw.nl/voorpagina/de-achttien-f-j-pop-1903-1967~bcb1a34e/

18人の会について
https://nl.wikipedia.org/wiki/Groep_van_Achttien_(PKN)

2025年9月14日日曜日

復活の体

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「復活の体」

コリントの信徒への手紙一15章35~49節

関口 康

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(36節)

今日はパウロのコリントの信徒への手紙一を開きました。内容に入る前にこの手紙の著者パウロについてお話しします。それが今日の箇所の内容にも関係します。

パウロは「使徒」です。しかし、彼は「生前の」主イエスが直接お選びになった12人のひとりではありません。使徒の名簿(マタイ10章 2 ~ 4 節、マルコ 3 章16~19節、ルカ 6 章14~16節)の中にパウロの名前はありません。パウロは13人目の使徒です。ただし、ユダの自死(マタイ27章 3 ~10節、使徒 1 章18~19節)とマティアの補充(使徒 1 章21~26節)を経ていますので「12-1+1+1=13」です。

しかし、パウロは、まだ「サウロ」と名乗っていた頃、復活の主イエスと出会いました。「姿を見た」とは書かれていません。書かれているのは「突然、天からの光がパウロの周りを照らし、彼は地に倒れ、「『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(使徒 9 章 5 節)です。パウロは復活の主イエスを目で見ておらず、「声を聞いた」だけです。

パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねたら「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(同上節)と答えが返って来ました。その日から3日間、その光の輝きのためにパウロの目が見えなくなりました(使徒22章11節)。

その後、主イエスの弟子のアナニアと出会ったとき、パウロの目は見えるようになり、アナニアから洗礼を受けてキリスト者になりました。復活の主はアナニアにも「パウロのもとに行け」とお命じになりました(使徒 9 章10節)。

洗礼を受けてキリスト者になったパウロは伝道者になり、「使徒」を名乗るようになりました。使徒言行録14章の4節と14節に「バルナバとパウロ」が「使徒」と呼ばれ、バルナバが14人目の使徒であるように読めますが、そのことが記されているのはその箇所だけです。

パウロが自分を「使徒」と呼んでいるのは彼の書簡です(ローマ  1 章 1 節、コリント一 1 章 1 節、ガラテヤ 1 章 1 節)。彼が自分を「使徒」と呼ぶのは、12人の使徒と「権能」(authority)において「同等」(equal)であると主張することを意味します。

パウロは「生前のイエス」を知りません。それどころか、彼は熱心なキリスト教迫害者でした。洗礼を受けた後も、教会の人々にすぐには信用してもらえませんでした(使徒 9 章26節)。そのパウロが、それでも自分には12人の使徒と同等の権能が与えられていると言えたのは「イエス・キリストが復活し、今ここに生きておられること」以外に根拠はありません。

ここまでで私が申し上げたいのは、イエス・キリストの復活の事実は、パウロの「使徒」としての自覚と深い関係にあった、ということです。

今日の箇所に記されているのは、そのパウロが「イエス・キリストの復活」と「死者の復活」を信じることができない人々から受けた反論に対する応答です。

15章12節に「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」とあるように、「復活など信じられない」という反発は当時からあったことが分かります。

その人々が「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」見せてみろよとパウロに突っかかって来たのでしょう。その問いにパウロが答えているのが今日の箇所です。

皆さんの中に「復活を信じられない人の気持ち」が全く理解できないとお感じの方がおられるでしょうか。私は理解できます。「私もほとんど信じられません」と言いたいほどのレベルです。「牧師さんにそういうことを言われると困ります」と思われるでしょうか。「死者はどんなふうに復活するのか(見せてみろよ)」という問いは、私も共有しています。

その問いへのパウロの答えが「愚かな人だ」(36節)なのは困ります。「ばかものめ」ですから。乱暴な言い方をされると、みんなつまずいてしまいます。もう少しソフトに答えてほしいです。

言い方の問題はともかく、パウロは 2 つのたとえを用いて、反論に答えています。

第 1 の答えは、穀物のたとえです。

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です」(36~37節)。

第 2 の答えは、名付けが難しいたとえです。

「神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります」(38~41節)。

これは現代の自然科学の知識を前提にして読むと、かえって全く理解不可能です。パウロが西暦1世紀の人であることを忘れてはいけません。パウロが言おうとしているのは、どちらかといえば文学や哲学に近いことです。無理に言葉にすれば「命の同一性と差違のたとえ」です。

たとえば、私と皆さんは同じ「人間」です。しかし、だからといって「私たちは水とたんぱく質とカルシウムと脂肪のかたまりです」的に一緒くたにされるのは、いくらなんでも嫌でしょう。

あるいはまた、「ねずみ」も「へび」も「人間」も「命」であることに変わりなくても、「あなたはねずみと同じです」と言われると抵抗があるでしょう。

神がすべての存在を創造されたとき、「個性を創造された」と言えるほどに、それぞれが別々の存在として造られました。それが聖書の教えです。

しかしまた、命の連鎖的な関係性があることも事実です。「食物連鎖」をご存じでしょう。植物を昆虫が食べ、昆虫を鳥や獣が食べ、鳥や獣を人間が食べる。

それは「水の循環」にも似ています。海や川の水が蒸発して雲になり、雨が降り、川になり、人と生き物を潤し、再び川になり、海に戻る。同じだけど違う。形を変えながら受け継がれていく何か。

ここで私たちが注意すべきことは、「蘇生(そせい)」と「復活(ふっかつ)」の区別です。英語だとどちらもresurrection(レザレクション)ですが、日本語では意味が全く違います。

「蘇生」とは「仮死状態から息を吹き返すこと」つまり「死んでいない」のですが、「復活」は死を必ず経由します。だからこそ「復活」には奇跡の要素があり、信じるか信じないかの問題になります。「蘇生」は信じるか信じないかの問題ではありません。

しかし、私たちにとって信じるのが難しい「死者の復活」と、現代的な意味での「食物連鎖」や「水の循環」は「同じです」(42節)とパウロが言ってくれています。もしこういう信じ方でもよいのであれば、私には「復活」が少しぐらいは理解可能になります。

福音書には「死んだイエスが墓から出てくる」場面が確かに描かれていますので、信じられるかどうかのハードルが高くなりますが、それも「復活」についてのひとつの信じ方です。

私たちが信じるべきことは、イエス・キリストは、十字架の上でご自身の命をささげられたからこそ、今ここにおられ、私たちに御言葉を語りかけてくださっている、ということだけです。

(2025年 9 月14日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年7月6日日曜日

信仰・希望・愛

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「信仰・希望・愛」

コリントの信徒への手紙一13章8~13節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑩(最終回)

関口 康

「信仰と希望と愛、この三つはいつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である」(13節)

「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」(日本基督教団信仰告白)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」は今日で最終回です。

厳密に言えば、使徒信条は日本基督教団信仰告白に含まれます。間髪入れず「使徒信条に基づく教理説教」を始めることも考えました。しかし、いったん休止します。

そもそも教理説教というスタイルに馴染みがない方は、同じ調子の説教が続くとお疲れになるでしょう。マンネリ化は逆効果です。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「愛のわざに励みつつ、主の再び来りたまふを待ち望む」です。最後に厳しいことを言います。皆さんにではなく、教団に言いたいことです。

日本基督教団信仰告白は、『日本基督教団教憲教規および諸規則』という冊子の中に印刷されています。表紙をめくると、タイトル、目次。本文の最初に「信仰告白」、次に「教憲」全12条。そして「生活綱領」「日本基督教団成立の沿革」「教規」の順に印刷されています。

日本基督教団事務局編
『日本基督教団教憲教規および諸規則』

なぜ印刷の話をするのかといえば、「信仰告白」と「教憲」が外見上区別されていることを確認したいからです。それは信仰告白が教憲の中に含まれるかどうかについて議論の余地があることを意味しています。

(1)日本基督教団教憲の第1条に「本教団はイエス・キリストを首(かしら)と仰ぐ公同教会であって、本教団の定める信仰告白を奉じ、教憲および教規の定めるところにしたがって、主の体たる公同教会の権能を行使し、その存立の使命を達成することをもって本旨とする」と記されています。この線に沿うとしたら、信仰告白と教憲は別ものです。

(2)しかし、たとえば外国教会の規則を翻訳して用いることから出発した日本キリスト改革派教会は「教会の憲法(*「教憲」と同義)は信仰規準・教会規程の二部から成る。信仰規準は日本キリスト改革派教会信仰規準の前文を付したウェストミンスター信仰告白・大教理問答書・小教理問答書から成る」と規定しています。この立場に立てば、信仰告白は教憲です。

「憲法」と聞くと「日本国憲法」を思い浮かべる方が多いでしょう。憲法改正の議論の中で繰り返し聞くのは、「憲法は権力者の側を縛るものであり、権力を制限することによって国民の権利を保障するためにある」という主張です。私はもちろん、そのとおりだと思っています。

同じことが日本基督教団の教憲にも当てはまります。「信仰告白は教憲と同等の権威を有する」という理解をもし日本基督教団が否定しないとすれば、信仰告白が制限しているのは教団執行部の権限です。信仰告白に最も拘束されるべきは教団執行部です。

私がいま申し上げたことを踏まえていただいたうえで日本基督教団信仰告白の今日の箇所をご覧になると、「愛のわざに励みつつ、主の再び来たりたまふを待ち望む」という一文の主語である「教会」の第一義は「日本基督教団」でなければならないことがお分かりになるでしょう。

ここから先が、今日の問題です。

「日本基督教団が愛のわざに励む」とは、具体的に何を意味するのでしょうか。日本基督教団はどのような「愛のわざ」に励んでいるでしょうか。

私が知っている1960年代から90年代前半までの日本基督教団は、社会活動の面で今よりはるかに熱心で活発でした。しかしその後、日本基督教団は社会活動関連の委員会や組織をあからさまに解体したり縮小したりしはじめました。

それとも「愛のわざに励みつつ」だけは別扱いなのでしょうか。「愛のわざはあくまで個人的なものです」とか「それは各個教会の取り組みであって教団単位ですることではありません」とか言って、個人や各個教会に責任をなすりつけたいのでしょうか。

「愛のわざに励まない日本基督教団」だとしたら信仰告白違反です。

「教憲」の前文に「信仰告白」の文章を書き写したような内容が記されています。「この教会は(中略)代々主の恩寵と真理とを継承して、福音を宣べ伝え、聖礼典を守って、主の来たりたもうことを待ち望み、その聖旨をなし遂げることを志すものである」とあります。

「愛のわざに励みつつ」は、無意識か意識的かは分かりませんが、なぜか除外されています。

日本基督教団信仰告白の中に「愛のわざに励みつつ」という一文を加えたのがどなたなのかを私は知りませんが、とても素晴らしい仕事をなさったと絶賛したいです。

この一文を日本基督教団がどのように定義しているかを調べるために、1959年改訂版の日本基督教団信仰職制委員会編『日本基督教団信仰問答』を確認しました。

日本基督教団信仰職制委員会編
『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)

「愛」という字がかろうじて見つかる説明は、問39「教会とは何であるか」の答えの中の「教会は(中略)共に礼拝を守り、互に愛の交わりをなすべきものである」だけでした。

「(教会内の)愛の交わり」と「(教会の)愛のわざ」(公式英語版 works of love)は、明らかに別の概念です。『日本基督教団信仰問答』(1959年改訂版)は日本基督教団信仰告白の「愛のわざに励みつつ」については説明していません。

教会が励むべき「愛のわざ」とは、教会の内から外へと向かう方向性を持つ、信仰のあるなしにかかわらず広く人類において共有されうる愛に基づく社会貢献のことです。

私は昨年3月の足立梅田教会への赴任以来、副業先を見つけることができていません。教会から世の中へと出ていく方向の「愛のわざ」について体験的に語る資格は今の私にはありません。

しかし、その働きがあるときにこそ不思議な出会いがあることを、2018年度の1年間アマゾンの倉庫で肉体労働をしたときにも、2019年度からの5年間学校で非常勤講師をしていたときにも、体験しました。

教会に来てくれそうな人を探して勧誘するために働いたわけではありません。そういうのはすぐに見抜かれるでしょう。職場での私の態度や働きを見て信頼してくださった方々が友達になり、結果的に教会にも来てくれました。いまだに連絡関係があります。

私たちは、夫婦や親子の中に信仰を持つ者と信仰を持たない者がいる場合、おこづかいの金額やごはんの盛りつけなどで差別するでしょうか。

私たちは、会社や学校や社会の中で教会に来てくれそうな人とだけ友達になり、そうでなさそうな人とは友達にならない、というようなことをするでしょうか。

そういうのをカルト宗教というのです。もし仮にそのようなことをした場合、それがどのような悪い結果を生み出すかを、私たちは知っているはずです。

今日の聖書箇所で使徒パウロが「信仰・希望・愛」の3つを並べて、この中の「最大」は「愛」であると書いています(13節)。

このときパウロは「信仰よりも希望よりも愛が大切である」と比較級で考えていなかったと言い切れるでしょうか。教会の中で「信仰よりも大事なものがある」と言い出すことには勇気が必要です。パウロはそのことを大胆に言っています。

「(教会が)愛のわざに励む」とは、教会自身が教会の外部の人々に対する活動へと献身することです。しかし、日本基督教団の「教憲」も「信仰問答」も、このことから腰が引けているようにしか見えません。日本基督教団の最初期から「愛のわざに励むこと」に消極的な人々がいたのかもしれないと思えてきます。

日本基督教団の最近の執行部に近い人たちの文章を読むと、「ヒューマニズム」を敵視する言葉がやたら目立ちます。ヒューマニズムは「人間中心主義」なので「神中心主義」であるべき我々としては受け容れることができない、というような単純な三段論法でヒューマニズムを否定するようなことを言ったり書いたりします。この場合のヒューマニズムは博愛主義の意味です。

はたして、ヒューマニズムはキリスト教の敵でしょうか。私はそうは思いません。丸腰の一個人としてのキリスト者が日常生活を営むために、すべての人と良好な関係を築くことができる有効な土台はヒューマニズムです。

(2025年7月6日、日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る

2025年6月29日日曜日

洗礼と聖餐

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「洗礼と聖餐」

コリントの信徒への手紙一11章23~34節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑨

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(26節)

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典(せいれいてん)を執り行ひ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教を計画したのは私です。誰からも強いられていません。カトリックでは7つ(seven)、プロテスタントでは2つ(two)の「サクラメント」(Sacraments)についてお話しする流れになることはもちろん分かっていました。しかし、いざ向き合うと最も話しにくいテーマであることを痛感いたします。今からでも逃げ出したいです。

逃げたい理由は2つあります。1つは、キリスト教会の歴史の中で「洗礼と聖餐」の理解が非常に多く分かれてきましたが、相互理解や議論のないまま30余派の旧教派が合同して1941年に創立した日本基督教団の中で「これが答えです」と言えるものが存在しないからです。スズメバチの巣に手を差し入れるチャレンジャーになる勇気は私にはありません。

2つ目の理由は、私です。「何人の人に洗礼を授けたか」は牧師の手柄ではありません。しかし、牧師の能力や魅力と無関係であると考えてくださるのは、よほどお優しい方でしょう。人気投票の面がないとは言えません。隠退直前の牧師から〝記念洗礼〟を受ける方がおられるほどです。

私は1990年4月に日本基督教団補教師になり、1992年12月に正教師になりました。補教師と正教師の最も大きな違いは聖礼典を執行できるかどうかです。私は正教師按手から数えると33年目。私が洗礼式をしたのは、幼児洗礼を含めて11名です。私の子どもも含まれます。今日のテーマについて話しづらいと感じるのは、堂々たる成果を披露するというような話にならないからです。

私が洗礼を授けさせていただいた中に、差しさわりのない範囲内でご紹介したい方々がいます。ちょうど20年前の2005年に集中して、多くの方々が受洗を志願なさいました。全員が同い年、しかも私の父と同い年でした。「ナチス台頭の年」生まれ。当時72歳。団塊世代のひと回り上。終戦が小学6年。小学校ではひとりが悪さすると連帯責任論でクラス全員が教師に殴られ、中学入学と同時に民主主義になった世代です。

いま考えると、時代の流れと関係があったようです。全員が「元公務員」という共通点を持っていました。元官僚、元都庁職員、元都立学校長。その中の複数の方からお聞きした言葉は「私は若い頃から洗礼を受けたいと願っていたが、職場で中立を求められた」ということでした。

私の両親も公務員でしたので、その方々のおっしゃることは理解できました。私の父にその能力が無かったと言われれば返す言葉はありませんが、一度も管理職に就きませんでした。ゼネストに反対して父だけ学校に行ったことで教員組合とうまく行かなくなったと、退職後だいぶ経って父から聞きました。日曜日に教会に行く人間は、部活の顧問などもできなかったでしょう。

それでも両親は私と兄を連れて教会に通いましたが、2人とも家ではずっと不機嫌でした。何が悲しくて教会に通っているのだろうと私は子ども心に思っていました。当時は校内暴力全盛期。裏返せば、管理教育全盛期。それが1970年代から80年代までのわが国の事実です。

それから20年後。2005年の日本に何があったでしょうか。ネットで調べてみました。郵政民営化開始、京都議定書発効、クールビズ開始、国内人口の自然減開始。流行語大賞「小泉劇場」。時代が大きく変わりました。

あとふたり紹介させてください。ひとりは2005年でなく何年か後に受洗なさいましたが、やはり同じ世代の方でした。ペンネームを持っておられたスポーツ新聞の元記者でした。「金田(正一)くんや王(貞治)くんとは仲がいいが、長嶋(茂雄)くんはボクよりも若い」と教えてくださいました。お連れ合いの入院を機に、教会に通いはじめられました。教会に通いはじめてちょうど1年後、「私に洗礼を授けてください」と申し出られました。

もうおひとりも、やはり同じ世代の男性でした。「洗礼は大学のころ受けました。その直後から教会に通うのをやめました。教会を50年サボりました。こんな私でいいですか」とおっしゃいました。復帰式を行ってお受け入れしました。ホームに入られるまで、毎週礼拝に通われました。

この方々が今どうしておられるかは分かりません。この方々と出会えたおかげで、私の辞書に「絶望」の2文字がありません。教会には明るい未来しかありません。

職場なのか、どこなのか、何なのかは分かりません。なんらかの力によって拘束されて、洗礼を受けたくても受けられないでいる方々がおられます。個人の決心や意志の強さでどうなるものでもありません。その方々を神が必ず解放してくださいます。その日を信じて待つ思いです。

しかし、「洗礼と聖餐」というテーマを掲げた以上、全く触れずに終わるわけには行きません。

一昨日(6月27日)、東支区壮年委員会の方々が足立梅田教会をご訪問くださり、私が礼拝説教を担当しました。その内容を教会ブログで公開しました。そのとき話したことを繰り返します。

「聖餐式」の原型は「最後の晩餐」であり、それはユダヤ教の「過越祭」として行われたものでした。主イエスがイスカリオテのユダに「浸したパン(または食べ物)を渡した」と聖書に記されています(マタイ26章23節、マルコ14章20節、ヨハネ13章26節)。主イエスが〝何〟にパンを浸したのかを調べたら、2つの可能性があると分かりました。

ひとつは「共に食事をする」という意味しかない「一緒に手を鉢に浸す」という慣用句があったという可能性です。もうひとつは「ハローセト」(Charoset)だったという可能性です。

ハローセトとは、果物やナッツなどを砕いてワインやはちみつを加えたこげ茶色の食べ物です。ユダヤ人は今でも過越祭のたびにハローセトを作ります。その色や質感は、ユダヤ人がエジプトでの奴隷状態の強制労働の中で使ったモルタルやレンガや泥を思い出すものです。

もし後者で正しいなら、「最後の晩餐」を受け継ぐ「聖餐式」は、奴隷状態からの解放の喜びの祝いであることがより明確化されるでしょう。主イエスがユダに「浸したパン」を渡した意味は、主イエスへの裏切りは奴隷状態への逆戻りを意味するが、あなたはそれで本当によいのかという問いかけです。

この私をあらゆる束縛の中から解放してくださった神に感謝し、神を永遠に喜ぶ具体的な場が「聖餐式」ならば、それにあずかる前に、神の恵みのもとに生きる決心と約束を、神と教会との前で言い表わすのはふさわしいことです。

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典」は、プロテスタント教会の伝統的な用語を用いていえば、私たちの決心と約束の「しるし」(signs)と「印章」(seals)です(『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)英語版(Christian Reformed Church (CRC) 訳)第66問など)。

(2025年6月29日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る

2025年6月15日日曜日

教会の使命

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「教会の使命」

コリントの信徒への手紙一12章12~26節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑦

関口 康

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(26節)

「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白は「使徒信条」の部分を含みます。私たちが今学んでいる部分は「前文」と呼ばれることがあります。「前文」と言うにはあまりに濃い内容なのですが。

今日の箇所から「我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に使徒信条を告白す」の直前までが「教会の教理」(Doctrine of the Church)または「教会論」(Ecclesiology)です。

内容は教会内部の事柄です。教会の外部、たとえば社会や政治や国や文化の問題に日本基督教団信仰告白は触れていません。もっぱら教会の形式(forms)と手段(means)を描いています。

教会の信仰告白は「教会の自己主張」なので、これで問題ありません。信仰告白に外部の事柄を記すことの必然性はありません(*ファン・ルーラー「教会の自己主張」(De pretentie van de kerk)1958年、『著作集』第5A巻(2020年)、180~195頁参照)。

教会の「内」と「外」の区別には不快感があるかもしれません。しかし、線引きをやめると日本の教会は一瞬で消し飛びます。世界人口約81億人の3分の1(約23億人)がキリスト者である中、日本のキリスト教人口は1パーセントです。私たちには「教会を護る」責任があります。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」です。すべてを私たちに当てはめて考えることが大切です。

「教会」は足立梅田教会です。足立梅田教会は「キリストの体」であり「恵みによって召された者の集い」です。具体的な教会をイメージできないような信仰告白は空虚です。コヘレトと共に「すべては空しい」と言わなくてはなりません(コヘレトの言葉1章2節)。

教会を「キリストの体」と呼んでいる、またはその意味のことが記されているのは、ローマの信徒への手紙12章5節、コリントの信徒への手紙一12章12~27節、エフェソの信徒への手紙1章23節、コロサイの信徒への手紙1章18節です。この中で最も詳しい説明があるのは、今日の朗読箇所の第一コリント12章12節以下です。

これは比喩です。たとえ話です。文学表現です。SFホラー映画のような不気味なイメージを持ち込まないでください。そういうのよりもはるかにリアルに、教会の現実を描いています。

たとえられているのは人間の体です。「体は、ひとつの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか」(コリント一12章14節以下)と、「足、耳、目、鼻、手」などを持つ存在が想定されています。

私が気になるのは、足や耳がしゃべりはじめるという、コミカルとさえ言える非現実的な表現をパウロが用いていることの意味です。明らかに非現実的なのに不思議なリアリティがあります。

自分の体の一部または全部が気に入らないと思っている人がおられるでしょう。私がそうです。「もう少し鼻が高ければ、もう少し足が長ければ」と言い出せばキリがありません。

足や耳はしゃべらないかもしれませんが、わたしたちの脳は全力で自分の姿かたちを呪っているかもしれません。足と手、耳と目はけんかしないかもしれませんが、人間の心が、体の一部または全部を呪い、変身したがっているかもしれません。

そのように私たちが心の中で自分の体の〝部分の切り捨て〟を求める思いが、教会の現実にそのまま当てはまります。教会の内部分裂の問題です。「あの人がいるから教会に行けなくなった」「あの人は要らない」「牧師が気に食わない」等々。

そのとき頭(かしら)としてのイエス・キリストが来てくださいます。「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(第一コリント12章27節)。この教えと「キリストは教会の頭(かしら)です」(エフェソ1章22節、コロサイ1章18節)という教えが一対(いっつい)の関係です。キリストは教会の頭(かしら)であり、教会はキリストの体です。

「第一コリント12章12節以下に『教会はひとつの体であり、多くの肢体を持つ』と〝書かれていない〟ことが注目に値する」と書かれた註解を読みました(F. J. Pop, De eerste brief van Paulus aan de Corinthiërs, De prediking van het Nieuwe Testament, 1965)。

そのとおりだと思います。パウロが書いているのは「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分である」ということです。キリストがいなくなるとすべてがバラバラです。一致も統制もありません。それで問題ありません。統制など大の苦手です。

教会は、同じ服を着、同じ言葉をしゃべり、同じことをする人たちの集団ではありません。唯一の一致点はキリストです。それ以外は自由人です。それが「教会」です。

信仰告白の今日の箇所でもうひとつの重要な教えは「(教会は)恵みにより召されたる者の集ひなり」です。

これは「召命」が前回までに学んだ「予定、義認、聖化」に並ぶ「恩恵論」の一部であることを教えています。「救済の順序」(オルド・サルティス)の中で「召命」の位置は「予定」と「義認と聖化」の間ぐらいです。

「召命」(しょうめい)は「命(いのち)を召(め)す」。「使命(しめい)」は「命(いのち)を使(つか)う」。似ている言葉ですが、主語が変わります。「召命」の主語は「神」です。「使命」の主語は「人間」です。

注意すべきことは、「召命」(英語Calling、ドイツ語Beruf、ラテン語vocatio)を狭すぎる意味でとらえるのをやめることです。「教職者になること」だけを指すと思われがちです。それは日本基督教団信仰告白の教えに反します。「恩恵による召命」を受けて「教会」のメンバーになったのは全キリスト者です。

「召命」とは、人が救われるために用いられるすべての形式と手段を指します(*「召命とは、それを通して救いの適用が起こる形式と手段である」(De vocatio is de vorm, het middel, waardoor de applicatio salutis geschiedt)、ファン・ルーラー「召命論(De vocatione)」(1961~1970年)『著作集』第4B巻、2011年、312頁)。

この広い意味の「召命」の中に「公の礼拝」も「福音の宣べ伝え」も「洗礼と聖餐の聖礼典」も「愛のわざ」もすべて含まれます。神がこれらの形式と手段を用いて、わたしたちに救いの恵みをもたらしてくださるのです。

西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(Cyprianus [200頃-259頃])が「教会の外に救いなし」(quia salus extra ecclesiam non est)という言葉を遺しました(*キプリアヌス『書簡』73. 21. 2。ファン・ルーラー「教会の自己主張」、同上書、182頁、191頁からの引用)。

「なんと傲慢な!」と反発を招きやすい言葉です。しかし、真理を言い当てています。神が人を救うための恵みの手段は「教会」という形を採るからです。神の声は教会を通して聴こえます。

(2025年6月15日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る