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2025年12月5日金曜日

再び信じる決心を

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「再び信じる決心を」

マタイによる福音書 1 章18~25節

関口 康

(2025年12月 7 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月30日日曜日

終末と希望

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「終末と希望」

テサロニケの信徒への手紙一 5 章 1 ~11節

関口 康

「主はわたしたちのために死なれましたが、それは、わたしたちが目覚めていても眠っていても、主と共に生きるようになるためです」(10節)

説教題として最初に考えたのは「たとえ世界が滅びても」でした。近年、日本の小説やテレビや映画のタイトルやセリフに見かけるようになりました。この言葉には続きがあります。

「たとえ明日世界が滅びようとも、今日われらはなおリンゴの木を植えるだろう」(Und wenn morgen die Welt unter ginge, so wollen wir doch heute noch unser Apfelbäumchen pflanzen)

これは16世紀の宗教改革者マルティン・ルター(Martin Luther [1483-1546])の言葉として紹介されてきました。しかし、これが本当にルターの言葉かどうかに議論があります。マルティン・シュレーマンの『ルターのりんごの木』棟居洋訳、教文館、2015年)をぜひお読みください。シュレーマンの結論は「これはルターの言葉ではない」です。

シュレーマン『ルターのりんごの木』2015年

今日はテサロニケの信徒への手紙一を開きました。使徒パウロの手紙です。紀元50年ごろに書かれたもので、「現存するパウロの最古の手紙」であるだけでなく、「新約聖書の最古の文書」です(ヴィリー・マルクスセン『新約聖書緒論』(渡辺康麿訳、教文館、1984年、78頁参照)。

古文書の成立年代推定には根拠が必要です。そのひとつは「わたしたちは以前フィリピで苦しめられ、辱められた」( 2 章 2 節)や「テモテがそちらからわたしたちのもとに今帰って来て」( 3 章 6 節)という描写を使徒言行録や他のパウロ書簡と比較して見えてくる結論です。

もうひとつは、パウロの教えの「初期」と「後期」に変化があることを認めて、どちらなのかを見分けることです。

 4 章13節から始まる話題は、世界の終末においてイエス・キリストが再び来られることについてです。パルーシア(παρουσία)と言い、「再臨」や「来臨」と訳されます。

パウロは、自分が生きている間にパルーシアが起こると、この手紙を書いたころは本気で信じていました。しかし、そうならないことが分かってトーンダウンし、やがて「再臨」について書かなくなります。それがパウロの変化です。

しかし、このような「聖書の歴史的批評的な読み方」に苦痛や反発を感じる方々が、現在世界24億人と言われるキリスト者の中にいます。聖書の言葉はすべて文字通りに実現すると信じている人々がこの箇所を説明するために用いる言葉が「携挙」(rapture)です。

まさに文字通り、世界の終末に信仰の先達とその時点で生きている人が空を飛び、彼方から飛んで来られる主イエスと空中で出会い、共に雲に包まれて携挙されます。まさにスペクタクル。

しかし、そのような非科学的なことが起こるはずはないと考えるキリスト者も大勢います。

先々週11月20日(木)五反田にあるゲンロンカフェで「宗教国家アメリカはどこへいく」というテーマで、新潮選書『アメリカの新右翼』の著者・井上弘貴氏と、中公新書『福音派』の著者・加藤喜之氏と、政治学者・三牧聖子氏の鼎談が開催されたので観覧しました。聖書の「終末論」がアメリカ社会を分断している、というのです。

『福音派』『アメリカの新右翼』

青土社(せいどしゃ)の雑誌『現代思想』11月号の特集が「終末論を考える」であると相生教会の本竜晋牧師から教えていただき、それも購入しました。なんと驚くべきことに、「終末論」が現代思想のトレンドであることが分かりました。

『現代思想』11月号 特集「終末論」を考える

 4 章16節以下について、ルターが「1532年 8 月22日付け」の文書で説明しています。

「これはたとえ話(verba Allegorica)です。子どもや単純な人に分かるように華々しい領主の行列にたとえています」(Martin Luther, Weimarer Ausgabe, 36, S. 268. M. H. Bolkestein, De brieven aan de Thessalonicenzen, Prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1970, p. 118からの再引用)。 

ルターが言ってくれているとおり、これは「たとえ話」(verba Allegorica)です。私たちは空を飛ばなくても大丈夫です。4 章17節は、後半に「このようにして、わたしたちはいつまでも主と共にいることになります」と記されているとおり、 5 章10節の「わたしたちが目覚めていても眠っていても主と共に生きるようになる」と趣旨が同じです。

あなたと主イエスの関係は永遠であり、生きているときも死んでからも同じように主イエスが共にいてくださるという慰めの言葉が語られていると分かれば、それで十分なのです。

マルティン・ルター

「それならば、今死んでも同じではないか。早くイエスさまにお会いしたい」と私たちは考えません。人生がつらいのは分かります。しかし、私たちは、たとえ明日世界が滅びようと、地味で地道な日常生活を営み続けます。そうする他ないではありませんか。

そして、私たちはパウロの教えに従って「信仰と愛を胸当てとして着け、救いの希望を兜としてかぶり、身を慎んで」( 8 節)いようと思います。

「信仰、希望、愛」の組み合わせは、本書 1 章 3 節やコリントの信徒への手紙一13章13節にもあります。ここで大事なことは、私たちが身に着けることをすすめられているのは「胸当て」と「兜」、つまり自分を守るための防具だけであるということです。攻撃するための武器はありません。「信仰」や「愛」を武器にして他者を攻撃してはいけません。

さて、ここで少し話題の方向が変わります。今日は「終末と希望」についてお話ししています。「終末」が「たとえ明日世界が滅びようとも」に当たり、「希望」は「今日われらはなおりんごの木を植えるだろう」に当たると考えていただきたいです。

すべての命あるものに終わりがあるように、世界も必ず終わりを迎えます。そのとき「教会」は何をすべきでしょうか。私たちの「りんごの木」は何でしょうか。

ファン・ルーラーは「教会はそれ自体で目的でもある」(De kerk is ook doel in zichzelf)と教えました。日本で学生運動が盛んだった1960年代に、ヨーロッパの大学でも「世界同時革命」を呼びかける学生が多くいました。

そのころ流行した神学思想の中に「目標は世界の未来である。教会は手段に過ぎない」と教え、「教会」を「革命の拠点」としてとらえるものがありました。

その教えに反対するために、ファン・ルーラーが1960年に「教会はそれ自体で目的でもある」という講義をドイツで行いました(『ファン・ルーラー著作集』第5A巻、ブーケンセントルム社、2020年、232~247頁)。

『ファン・ルーラー著作集』第5A巻(2020年)・第5C巻(2023年)


その講義の趣旨は、教会が自己目的化し、内向きになるのがよろしくないことは理解できるが、それでは教会自身には目的も目標もないのかというと、そうではない、ということです。

オランダの教会も同じですが、日本のプロテスタントは「教会に行く」といえば「説教を聴きに行くこと」と同じ意味だった時代が長かったと思います。その後、聖餐式の価値が認められてきましたが、そのあたりで止まってしまいました。

ファン・ルーラーが「教会の目的」として強調しているのは「讃美歌」です。「礼拝」にみんなで集まり、共に歌い、共に祈る交わりそのものに、他に代えがたい価値があることを強調しています。私も大賛成です。

何よりファン・ルーラーにとって「宗教改革」(Reformatie)とは「大掃除」(grote schoongemaak)でした。それは「革命」ではありませんでした。

これもたとえ話ですが、「部屋の掃除をするのが面倒くさいから、家を壊して建て直す」というなら「革命」かもしれませんが、それは暴力です。「掃除」は「革命」ではありません。そこにすでにあるものを、ホコリを払って磨いて活用するだけです。それは人間に対する見方にも通じます。プロテスタント教会は「革命」を求めず「改革」を続けます。

教会だけが「目的」ではありません。神の創造のみわざの目的は、人間をキリスト者にすることではありません。教会だけが残ることが世界の目的ではありません。教会は社会との共存を求めます。科学技術の進歩の恩恵にあずかっています。

しかし、現実はどうでしょう。人工知能の進歩によって今後奪われる職種は 2 万と言われます。「超富裕層」(3000万ドルあるいは45億円以上)は30万人、世界人口の0.005パーセントです。大多数は「貧困層」です。どうしてこれほどバランスが崩れてしまったのでしょうか。科学技術は人類を幸せにしたでしょうか。

「本当の自由は何か」「善き未来とは何か」は全人類の真剣な問いです。これらの問いに真剣に取り組んでいるルドガー・ブレグマン『希望の歴史』上・下巻(野中香方子訳、文藝春秋社、2021年)と、敬愛する水島治郎先生の『オランダは、「自由の国」だったのか』(NHK出版、2025年)を推薦いたします。

『オランダは、「自由な国」だったのか』『希望の歴史』

教会は社会の問題を考える場でもあります。たとえば、もし聖書の「終末論」の間違った解釈が戦争の原因になっているとしたら、教会がそれを無視できるはずがないではありませんか。

最後にもう一度、ファン・ルーラーの言葉を紹介します。

「キリスト教の視点からすれば、いかなる否定的なことに対しても、人類は肯定的にしか立ちません。たとえ世界が滅びても、その滅亡を人類は共に乗り越えます。最後の瞬間でさえ、別の世界へ逃げません」(「聖書の未来待望と地上の視点」(Bijbelse toekomstverwachting en aards perspectief) 『ファン・ルーラー著作集』第5C巻、ブーケンセントルム社、2023年、952頁)

私もファン・ルーラーと同じ思いです。私たちは「ここではない、どこか」へ逃げても、人間が罪から逃れられないかぎり、破局の現実はどこまでも追いかけてきます。

現実に踏みとどまって、身近なところから「改革」しようではありませんか。それは「革命」ではありません。忍耐強く、部屋を片付けていくのです。そうするだけで、自由に使える生活空間が広がります。それが私たちの「希望」です。

(2025年11月30日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月23日日曜日

あなたの宝 収穫感謝日礼拝

このイラストは人工知能Copilotに描いてもらいました
日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「あなたの宝」収穫感謝日礼拝

マルコによる福音書10章17~31節

関口 康

「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(25節)

今日は収穫感謝日です。午前 9 時からの教会学校で収穫感謝会を行いました。コロナ明けから年 4 回を目標に再開した教会学校ですが、当日までどなたが出席してくださるか分からないので、全年齢向けの「収穫感謝クイズ」を考えました。楽しんでいただけたと思います。問題と答えをブログに書いておきますので、みなさんもぜひどうぞ。

今日の聖書の箇所は、収穫感謝日と直接的な関係はありません。しかし、話題の中心は「お金」の問題なので、間接的な関係はあります。「お金」の問題も「収穫」の問題も「生活」の問題であり、「人生」の問題です。

新約聖書の 4 つの福音書のうち、マタイ、マルコ、ルカが、このときの様子を描いています。非常に生き生きと詳細に描写されているため、目撃証言があったのかもしれません。登場人物は「金持ち」です。リッチパーソンです。

この人が主イエスのもとに走り寄ってひざまずき、「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか」(17節)と質問しました。すると、主イエスは「なぜ、わたしを『善い』と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない」(18節)と、冷たさを感じる言葉で突き放されました。

この拒絶についていくつかの解釈があることが分かりました(*ヴィンセント・テイラーによると 6 つ)。私が最も説得力を感じたのは、「イエスはこの答えによって金持ちのへつらいを正そうとした」という解釈です。

「へつらい」とは、お世辞を言うこと、言葉や態度で相手に媚びることです。それらはすべて、人がお金持ちになるために必要な手段かもしれません。しかし、主イエスは逆質問することで自分の言葉を説明させ、言葉巧みに他人の地位や権力を利用しようとする自分の軽薄さに気づかせようとしておられます。「私にお世辞は通用しない」とおっしゃっているようでもあります。

ところで、この人は「永遠の命」を受け継ぐ方法を主イエスに尋ねています。永遠の命とは文字通り「永遠に生きること」なので「復活」を指します。それは死も苦しみも悲しみも克服された命なので「救い」とほとんど同じ意味です。

ユダヤ人の理解によれば、永遠の命は「受け継ぐ」ことができる賜物です。それで、この人は主イエスに、「永遠の命を受け継ぐために何をすればよいか」を尋ねています。しかし、この質問の表現がこの人自身の思考パターンを露呈しています。それは「永遠の命を受け継ぐために人は必ず何かをしなければならない」という考え方です。

しかも、この人は「金持ち」でした。お世辞を言いながら近づく相手に取り入る手段は「お金」でしょう。もしそれで正しいなら、この人が主イエスに尋ねているのは自分の救いに必要な金額です。「要するにいくらですか」です。多すぎもせず少なすぎもしない「相場」はいくらですかと尋ねたいのです。

この人はお金は持っています。それは生涯かけての血のにじむ努力の証拠でしょう。私のように一生懸命がんばって来た者を救わない神はありえないでしょう。私の救いはいくらですか。まさかタダではないでしょう。貧しい人でも手に入る安っぽいものではないでしょう。がんばった私とがんばらなかった人たちが同じということは、まさかないでしょう。私の救いはいくらですか。いくら払えばもらえますか。お金ならいくらでもあります。ずばり金額を教えてください。そのように言おうとしています。

主イエスは、これで二度目ですが、この人の言い分を拒絶なさいました。冷たい感じがするかもしれませんが、私たちに全く理解できないことではないはずです。

私たちもまた、教会生活を続けている中で、いろんな人に出会います。牧師の私にも「要するにいくらですか」と相場を尋ねる方が現れます。金に物を言わせるタイプの人が登場します。そうなると、教会のわたしたちはとても困ります。「そういう問題ではありません」とはっきり言わなくてはならない場面に実際に立ち会います。

主イエスがこの人にお求めになったのは、モーセの十戒の「第二の板」(第五戒から第十戒まで)の「隣人愛」の教えを守ることです(19節)。するとこの人が「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と返して来たので(20節)主イエスはこの人を見つめ、慈しんで「あなたに欠けているものがひとつある。行って、持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。(中略)それから、わたしに従いなさい」とおっしゃいました(21節)。

主イエスがこの人にお求めになったのは、「隣人愛」の教えを学び、それを実践することです。「隣人愛」とは、先週学んだボンヘッファーの言葉を繰り返せば「他者のために存在すること」です。

あなたは自分の宝を「他者」と分け合っていないからリッチなのです。自分のものを抱え込み、積み上げ、守り抜くけれども、他者のためには用いようとしない。「他者を愛すること」ができない人は、神の戒めを守ったことになりません。そのことを、主イエスは教えておられます。

私は今このことをお話ししながら、平気な顔をしていません。私にはお金がないので、自分のものを売り払ってだれかに施すとしたら、毎日の食生活が成り立ちません。切り詰めて生きているつもりですが、これでもまだ贅沢しているように見える要素があるかもしれません。

「あなたはそれでも『他者のための存在』であると言えるのか、自分のことしかしていないではないか。牧師だとか言って、世のためにも人のためにも何の役にも立っていないではないか」と責められていることも自覚しています。申し訳ない気持ちでいっぱいです。

この人は主イエスの言葉に傷つき、悲しみながら立ち去りました。主イエスのほうも、この人を追いかけません。

弟子たちの中に「せっかくリッチな人が来てくれたのに、先生が傷つけるようなことを言うからいなくなった。もったいない」と思った人がいたかもしれません。教会も財政難のときには同じことを考える可能性があります。

しかし、そこに譲れない線があるのです。金に物を言わせようとする人は、信仰の交わりを壊します。イエス・キリストの教会はそういう理屈で動きません。

それは「教会とは何か」という問題でもあります。教会は、あなたの宝をガードするための「砦」(とりで)なのか。それとも、いろんなタイプの方々を広く受け入れ、互いに助け合い、分かち合うための、開かれた「広場」なのか。その開かれた広場の中での出会いこそが、あなたの宝なのか。

主イエスがおっしゃっている「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい」(25節)という、ジョークとは言えませんがユーモアの要素を多く含んでいるたとえは、それが絶対に不可能であることを示すためのものです。それ以外の意味はありません。

ラクダが針の穴を通ることは絶対に不可能です。同じように、金持ちは金持ちのままでは救われません。「他者のための存在」になることが求められています。それは、あなたの宝を「他者」のために用い、分け合うことです。

救いはお金では買えません。裕福な人だけが手に入れることができ、貧しい人には手に入らないものではありません。

「人が救われるのは人間の努力や功績によってではなく、信仰によること」を主イエスは教えておられます。この教えを使徒パウロも受け継いでいます。

(2025年11月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月16日日曜日

人の罪を赦す

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「人の罪を赦す」

コロサイの信徒への手紙 3 章12~17節

関口 康

「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい」(13節)

私事(わたくしごと)から始めることをお許しください。今日は私の60歳の誕生日です。先週11月 9 日(日)11月定例役員会で、私の 3 年任期を無期にしていただくことが承認されました。風来坊として生きてきましたが、夢と希望とロマンにあふれる年齢ではありません。そろそろ腰を据えて働かせていただく所存です。

今日はコロサイの信徒への手紙を開きました。先週エフェソの信徒への手紙について申し上げたのと同じことを言わなくてはなりません。 1 章 1 節に「使徒パウロ」が書いた手紙であると記されていますが、パウロの名を借りただれかが書いたものであると考えられるようになりました。そのような議論があることを踏まえたうえで、今日も「パウロが」と言わせていただきます。

もうひとつ先週と同じことを言わなくてはなりません。今日の箇所に記されていることも一般論ではなく、教会内部の事柄です。教会生活の中で「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けること」を求めています。そして、イエス・キリストがあなたがたの罪を赦してくださったように、あなたがたも互いに罪を赦し合いなさい、と呼びかけています。

今日の説教題「人の罪を赦す」の意味は、イエス・キリストが私たちの罪を赦してくださることだけではありません。それだけではなく(not only)、私たち自身が、自分以外の人の罪を赦すことをも(but also)意味しています。

それは私たちにとっては難しい課題です。「見ざる言わざる聞かざる」と目も口も耳もふさいでイヤイヤながら「あなたの罪を赦したくないが、そうしろと言われるので仕方ない」と言いたくなる心境に陥りやすいのは理解できます。しかし、「互いに罪を赦し合う」という課題が免除されることはありません。だからこそ、私たちにとって教会は「訓練」の場所になるのです。

「互いに罪を赦し合う場」がこの世界の中に存在するのはありがたいことです。「追いつけ追いこせ引っこ抜け」(ソルティー・シュガー「走れコウタロー」1970年の歌詞)と競争し続ける社会の中で互いに足を引っ張り合う人生の結末はこの世の地獄です。「互いに罪を赦し合うという難しい課題に生涯かけて取り組んでいる教会の仲間に加わることを検討してみるのも悪くないかもしれません」というくらいの言い方をしておきます。

私たちに求められている「互いに罪を赦し合うこと」は、バラやイガグリやハリセンボンのように鋭いとげや針を突き出して「寄るな触るな近づくな」と周囲を威嚇し、だれも寄せ付けようとしない生き方の正反対です。私たちは、共に生きる人々と良好な関係を保つための「あり方」を身に着ける必要があります。

そのためにパウロ( 1 章 1 節)がすすめているのは、「古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着けること」( 9 ~10節)です。ここで「造り主」とは、イエス・キリストのことです。 1 章16節に「天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、王座も主権も、支配も権威も、万物は御子において造られたからです。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」と記されています。

「イエス・キリストが天地万物の創造者である」という教えには、人に誤解や恐怖を与える要素があります。三位一体の教義なしには決して理解できません。しかしそれもひとつの真理です。今日の箇所の「造り主の姿に倣う新しい人」の意味は「イエスの模範に従う人」です。

先週11月10日(月)映画「ボンヘッファー」をヒューマントラストシネマ有楽町(千代田区)で鑑賞しました。普通の映画館で「ボンヘッファーが始まります」とアナウンスされ、コーラ片手に大きなスクリーンでボンヘッファーを見る日が来るのを予想していませんでした。

ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer [1906-1945])

映画「ボンヘッファー」をご覧になっていない方々のために、内容には触れないようにします。ディートリヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer [1906-1945])は、医師の家庭に生まれ、 テュービンゲン大学とベルリン大学の各神学部で学び、米国に留学し、牧師になり、神学教授になりました。しかし、ナチスに抵抗しクーデターを企てるグループに属していたことが発覚して逮捕され、処刑されました。ただし彼は直接的な暴力行為に関与していません。ボンヘッファー(を演じている俳優)がピストルを持っているように見える写真を中心に置き、副題にassassin(暗殺者)と書いているこの映画のポスターは、誤解を招きます。

映画「ボンヘッファー」パンフレット(左)
『ボンヘッファー説教全集 1 』(右)

1945年 4 月 9 日に39歳で処刑されるまで、ベルリン北部のテーゲル(Tegel)の独房から両親や友人宛に書いた手紙が「獄中書簡集」として出版されました(原著ドイツ語版1951年、日本語版1964年)。「獄中書簡集」を含むボンヘッファーの多くの著作が多くの言語に訳され、読まれてきました。日本語版も多くあり、足立梅田教会の初代・第 3 代牧師の藤村靖一先生も、第 2 代牧師の北村慈郎先生、その後の牧師がたもボンヘッファーの影響を強く受けられたと思います。

ボンヘッファーの(of)/についての(on)著作(関口康蔵書)

私が1984年 4 月に東京神学大学に入学して最初に熱心に読んだ本が、ボンヘッファーの『共に生きる生活』(森野善右衛門訳、新教出版社、1975年)でした。神学生としての奉仕教会として出席した日本基督教団桜ヶ丘教会(杉並区下高井戸)や鳥居坂教会(港区六本木)の教会学校や青年会で『共に生きる生活』を読むことを提案したのは私です。

ボンヘッファーの「獄中書簡」に「ある書物の草案」と題する文章が収録されています(村上伸訳、増補新版、1988年、437~440頁)。それは、ボンヘッファーが当時の教会を痛烈に批判し、新しい教会のあり方を提案している文章です。

「第一章(中略)教会の事柄などのためには一生懸命になるが、人格的なキリスト教信仰はほとんどない。イエスは視野から消えている。社会学的には、広範な大衆への感化力はない。中産もしくは上流階級の事柄だ。難解な伝統的思想によって大変な重荷を負わせている。決定的なのは、自己防衛を事とする教会だということ。他者のための冒険は何一つしない」

「第二章(中略)神に対するわれわれの関係は、『他者のための存在』における、つまり、イエスの存在にあずかることにおける新しい生である」

「第三章(中略)教会は、他者のために存在する時にのみ教会である。新しく出発するためには、教会は全財産を窮乏している人々に贈与しなければならない。牧師は、ただ教会員の自由意志による献金によってのみ生活し、場合によってはこの世の職業につかなければならない。教会は、人間の社会生活のこの世的な課題に、支配しつつではなく、助けつつ、そして仕えつつあずからなければならない。教会は、あらゆる職業の人々に、キリストと共に生きる生活とは何であり、『他者のために存在する』ということが何を意味するかを、告げなければならない」

「第四章(中略)教会は、人間的な『模範』(それはイエスの人間性にその起源を持っているし、パウロにおいては非常に重要である!)の意義を過小評価してはならないだろう。概念によってではなく『模範』によって、教会の言葉は重みと力を得るのである」

私の受け取り方が間違っているようならお詫びします。足立梅田教会は「ボンヘッファー的な」教会です。大好きです。これからもよろしくお願いいたします。

(2025年11月16日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月9日日曜日

自分を見つける

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「自分を見つける」

エフェソの信徒への手紙 4 章25~32節

関口 康

日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(16節)

今日の朗読箇所は、エフェソの信徒への手紙 4 章25節から32節までです。

この書簡の著者が使徒パウロかどうかについては、議論があります。原本は残っておらず、あるのは写本だけです。筆跡鑑定などはできません。思想や文体で判断するほかありません。

学問的に誠実に語ろうとする説教者がたは「使徒パウロは」とは言わず「エフェソ書の著者は」と言います。「エフェソ書の著者は」は早口言葉のようで舌が回りません。今申し上げたことをすべて踏まえたうえで、 1 章 1 節の記述に基づいて「使徒パウロは」と言わせていただきます。

今日の箇所を理解するうえで見落としてはならない点は、これらはすべて「教会」の内部の話であるということです。一般論ではなく、教会員同士の関係の問題です。「わたしたちは互いに体の一部なのです」(25節)は「キリストは教会の頭であり、教会はキリストの体である」(ローマ12章 5 節、コリント一12章12~27節、エフェソ 1 章23節、コロサイ 1 章18節)という教えなしには、決して理解できません。

しかし、教会内部のあり方は、内部だけにとどまらず、外へと広がっていきます。教会の中で身に着けた「新しい生き方」は、見せつけたり押し付けたりしなくても、身近な人々から順に感化を及ぼしていきます。

「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい」(25節)

この教えはモーセの十戒の第九戒「隣人に関して偽証してはならない」(出エジプト記20章16節)の尊重を求めています。十戒の教えを尊重することは律法主義ではありません。信仰義認の教えと十戒の尊重は矛盾しません。

「真実」は「偽り」の対義語です。「真実を語る」の意味は「ありのままの事実を正直に語る」です。恥部を暴露し、ののしり、あざ笑い、追い詰め、切り捨てるためにそうするのではありません。それは教会のすることではありません。「多くの部分があっても一つの体」としての教会においては「目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません」(コリント一12章20~22節)とパウロが書いているとおりです。

「受洗者は年にひとりでよいので、最後までひとりも脱落しないように祈っていく」(『足立梅田教会の歩み』1989年、14頁、50頁)と初代牧師・藤村靖一先生がお定めになった足立梅田教会の基本方針を受け継ぎ、互いの罪や弱さを赦し合う教会であることを貫いていけば持続可能な教会(Sustainable Development Church)になります。

今日最もお話ししたいのは26節です。

「怒ることがあっても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(26節)

この言葉を最初に読んだとき激しい衝撃を受けました。東京神学大学に入学したばかりの頃で、1980年代の後半です。当時は口語訳聖書でした。口語訳では「怒ることがあっても、罪を犯してはならない。憤ったままで、日が暮れるようであってはならない」でした。とんでもなく偉大なことが言われている気がして、それ以来、私の座右の銘になりました。

カール・バルト(Karl Barth [1886-1968])の「エフェソ4・21~32による説教」という題の説教(1943年10月31日、バーゼル大聖堂)が日本語で読めることが分かりました(『カール・バルト説教選集』第10巻、蓮見和男訳、日本基督教団出版局、1993年、136~149頁)。

カール・バルト説教選集(日本基督教団出版局)

実際に読んでみたら、とても長い説教でしたが、カール・バルトは25節の説明をしているだけで、26節以下には触れていませんでした。がっかりしました。

ドイツ語の新約聖書註解Das Neue Testament Deutsch (NTD)(ダス・ノイエ・テスタメント・ドイッチュ(エヌテーデー))のエフェソ書註解(日本語版1979年)のハンス・コンツェルマン(Hans Conzelmann [1915-1989])の解説は素晴らしかったです。

下段の黒ラベルが新約聖書註解で「NTD」(ドイツ語なので「エヌテーデー」)
上段の赤ラベルが旧約聖書註解で「ATD」(アーテーデー)

コンツェルマンによると、この箇所( 4 章16節)の背景に、詩編 4 編 5 節「おののいて罪を離れよ。横たわるときも自らの心と語り、そして沈黙に入れ」があります。ここまでは他の註解書にも記されていました。しかし、この後のコンツェルマンの解説に、私はとても驚きました。

「『怒っても罪を犯すな』という表現は注目に値する。ふつうの説明ではこうである。人は常に怒りを抑えることができるとは限らない。怒りは正に人間的現象であり、その限りで怒ることは許される。しかしそのために罪を犯し、怒りをぶちまけることがあってはならない、と。 

けれども、このような意味での容認は、31節と27節とに照らして正しくないことが明らかである。27節は、悪魔の接近は避けられないのだから、せめてそれに引き込まれないように、という意味のものでは決してない。むしろ端的に、悪魔とぶつかったら、断然それと戦え、と言っているのである。 

その意味で26節もまた、怒ることを無条件に禁止するのである(マタイ五22がそうである)。(中略)怒ることそれ自体が罪である」(同上頁)。

「次の文(26節後半)も明らかに容認ではなくて戒めである。すなわち、日が暮れるまでは怒ってもよいというのではなく、怒りの中にとどまることが禁止されるのである(ヤコ一19、20参照)。 

(中略)人はどのようにして怒りを根絶できるかと問うであろう。その場合、人はキリストにある存在を仰がなければならないのである」(同上頁)。

註解書を調べてよかったです。私が予想した可能性をすべて否定されました。ビジネス雑誌などでよく見かける「アンガーマネジメント」の話をすべきだろうかと心理学の本を読んでみましたが、そういう話ではないことが分かりました。

どうやらポイントは「教会を大切にする思い」です。

大規模な教会のことは私には分かりません。「家族的な」規模の教会では、交わりを破壊しないために、決して言ってはならない言葉や、決して顔や態度に出してはならない感情があります。

教会は失敗が許される場所です。しかし、問題は失敗の仕方です。

何十年も続いて来た教会だろうと、ただ一度「牧師が教会員を怒鳴りつけた」だけで壊れるのが教会です。

しかし、他人をわざと怒らせようとする困った人がいないとは限りません。平気でうそをつく、約束を守る気がない、他人との関係を常に上下でとらえ、すきあらば他人を見下げる、さげすむ、からかう、一方的な中傷誹謗、言いがかり、セクシャルハラスメント等。

その場合は、怒った人の側だけ責められるのもどうかと思います。どうしたらいいでしょうか。

今日の説教題は「自分を見つめる」といったん決めて「め」を「け」にして「見つける」にしました。「見つめる」と自省の念ばかり湧くのが私たちではないでしょうか。自分を責めて、反省して、自分の罪を自覚して「怒り」が収まるなら良いのですが、収まりません。

「自分を見つめる」のは、特に私たちにとっては、かえって逆効果かもしれません。「私は人間であり、人間は罪人なので、怒りを抑えられないのは当然である。そのように神が人間を創造なさったのである」というような理屈で自己正当化しはじめると、始末に負えません。

「怒り」を別の罪に置き換えても結論は同じです。窃盗、強盗、詐欺、不倫。「神が人間をそのように創造したのだから、人間が罪を犯すのは当然である」と言い出しかねません。それこそが「悪魔にすきを与えること」(27節)です。その道を私たちが選ぶことはできません。

「自分を見つける」にしたのは、暴力によらずに悪を退ける意志をイエス・キリストから与えられている自分を「見つける」ほうが大事だと思ったからです。

強烈なパンチを食らうと目の前が真っ暗になり、自分を見失います。ボクシング選手がゴングが鳴ってコーナーに戻って最初にすることは、バケツの水をかぶって頭を冷やすことです。少しは周りが見えるようになるでしょう。燃える頭を早く冷やして、冷静になり、イエス・キリストがいつも共にいてくださる自分を取り戻すことが大事です。

そして「日が暮れるまで怒ったままでいてはいけません」(26節)という今日の御言葉を思い出して、夕陽を見つめながら、大晦日の夜にするように、カウントダウンしようではありませんか。日没が怒りのタイムリミットです。

カッカしているときはインターネットでのやりとりもやめて「沈黙すること」(詩編 4 編 5 節)が大事です。

アルコールもおそらく逆効果です。冷たい水かお湯を飲むほうが「沈黙」に向いています。

(2025年11月9日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年11月3日月曜日

悲しみを乗りこえて 墓前礼拝

足立梅田教会墓地(埼玉県越生町 地産霊園内)

説教「悲しみを乗りこえて」

ヨハネの黙示録21章 3 ~ 4 節

関口 康

「神は自ら人と共にいて、その神となり、彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない。最初のものは過ぎ去ったからである」

ヨハネの黙示録の言葉を読みました。何千年も前から言い伝えられて来た「この世」と「来世」の関係をどのようにとらえ、信じていたかが分かります。

一言でいえば「この世」と「来世」は地続きであるということです。両者は途切れておらず、「この世」は消去されるのではなく、虚無になるのではなく、むしろ評価されます。善い行いをしたら善く評価されます。犯した罪に対しては悪く評価されます。しかし、悪いほうについては、神の前で悔い改めれば、その罪を赦していただけます。

言い方を換えれば、「この世」は未完成のままであるということです。「来世」という続きがあるのですから、「この世」だけで終わりません。

これはありがたい教えです。「この世」がすでに完成しているとすれば、これから生まれる命は余計なものです。これ以上子どもを産んだり育てたりする必要はありません。それはありえない話ですし、失礼な話です。

自分の人生は自分のものであり、他のだれのものでもないと考えることは間違ってはいません。しかし、だれともかかわらずに孤立して生きていくよりも、互いに協力し、助け合い、愛し合うほうが楽しいです。

新しい命の誕生に出会うのはうれしいことです。「この世」に生まれた命は、例外なく、人生の途中で挫折と悲しみを体験します。苦しいことは無いほうが助かります。だれでもそのように言いたいです。しかし、苦境や逆境の中でこそ、私たちは目覚ましく成長します。挫折や悲しみには意味があります。

「この世」でたくさん流した涙は、「神」が「ことごとくぬぐい取って」くださいます。流したことがない涙がぬぐい取られることはありません。つらくて悲しい人生を味わいつくした人々に、喜びと平安の時が訪れるのです。

先輩たちが私たちに模範を示してくださいました。信仰をもって生きるとき、苦労の多い人生を前向きに引き受けることができることを、その身をもって証ししてくださいました。

(2025年11月3日 日本基督教団足立梅田教会 墓前礼拝 埼玉県越生町)

2025年11月2日日曜日

永遠の救い 永眠者記念礼拝

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「永遠の救い」永眠者記念礼拝

ガラテヤの信徒への手紙 4 章12~20節

関口 康

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(19節)

今日は永眠者記念礼拝です。足立梅田教会は今年 9 月13日に創立72周年を迎えました。当教会に関係する永眠者が現在55名です。埼玉県越生町の地産霊園内の教会墓地に納骨されている方々は17名です。ご遺族のうえにイエス・キリストによる慰めがありますようお祈りいたします。

今日の聖書箇所は先週と同じ使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙です。永眠者記念礼拝に適した箇所ではないかもしれません。

先週は 2 章11節から14節まででした。パウロがペトロを面と向かって叱りつけたときのやりとりが描かれていました。今日の箇所は、パウロがガラテヤの人たちに、調子は厳しいですが愛をこめて諭している言葉です。

パウロの性格に問題がないとは言えませんが、どちらの箇所にも、彼の中に決して譲れない線があることによって生じる激しい感情表現があらわれています。

今日の箇所の冒頭の「わたしもあなたがたのようになったのですから、あなたがたもわたしのようになってください」(12節)の意味は、コリントの信徒への手紙一 9 章19節から23節まで(以下引用)と読み比べると理解可能になります。

「わたしはだれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。ユダヤ人に対してはユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。(中略)すべての人に対してすべてのものになりました。何とかして何人かでも救うためです。福音のためなら、わたしはどんなことでもします。それは、わたしが福音に共にあずかる者となるためです」(コリント一 9 章19~23節)。

「それは日和見主義である」とお感じになる方がおられるかもしれません。あるいは、風見鶏、アメーバなど。行く先々で、相手と調子を合わせて、自分を変える。福音を宣べ伝えるという目的を果たすために何でもする。

パウロもパウロで「わたしはだれに対しても自由な者ですが」「わたし自身はそうではないのですが」という言葉を挿入しながら書いていますので、「私にとっては心にも無いことだが、これが私の仕事なので、仮面をかぶって演技して相手に合わせてあげている」と言いたい要素があったかもしれません。しかし、それはやや意地悪すぎる見方です。

これから申し上げるのは私個人の反省です。まだ若かった、牧師として駆け出しの頃は、この箇所のようなパウロの言葉に抵抗がありました。私は自分が誘惑に弱い人間であることを自覚していますので、つい身構えてしまい、「郷に入っては郷に従うべきだと分かっていても、朱に交われば赤くなり、ミイラ取りがミイラになりかねないので、深入りせずに距離を取るほうがよい」と考えてきたところがあります。

しかし、そのような感覚が次第に変わって来ました。私なりに苦労したからだと思います。自分が志したこと、計画して始めようとしたことはすべて破綻しました。私の実力が足りないせいだと言われれば返す言葉がありません。自分なりに目標を立てて積み上げようとしたことはひとつも実りませんでした。守るべきものがひとつも無くなりました。

50を過ぎた頃から、それまで出会ったことも話したことも無かった方々と出会い、志したことも願ったこともなかったことに取り組むようになりました。それが楽しくなりました。自分で積み上げようとしても積み上がらないなら、「もうどうなってもいいや」と思えますし、「どうにでもして」かもしれません。自分の意志ではなく神の御心だけがなる、ということを自分の体で体験しました。

足立梅田教会は「自由な」教会だと思います。悪い意味ではありません。各教会の永眠者記念礼拝は、永眠者個々人の思い出を振り返るときでもありますが、その教会の歴史そのものを振り返るときでもあります。

初代・第 3 代牧師の藤村靖一先生は当教会の72年の歩みの中で34年 6 か月と、約半分の歴史を担われました。その藤村先生が、青山学院高等部聖書科専任教諭と当教会の牧師の務めとを両立されました。

どちらの働きも重いです。「一方がメイン、他方はサブ」という差はつけられません。どちらかに心が偏り、他方にいるときは仮面をかぶって演技しているだけだと思っておられたら、すぐ見抜かれたでしょう。学校の藤村先生も全力。教会の藤村先生も全力。どちらにも縛られない、まさに「自由」を体得しないかぎり不可能な働きです。

第 2 代牧師の北村慈郎先生、また第 4 代以降の木村和基先生、三上章先生、福田実先生、高橋陽一先生もきっとそうです。私個人は北村先生以外のどなたとも面識がありませんので想像の域を超えませんが、おそらくどなたも、固定した道徳観念で皆さんを縛ろうとする説教はなさらなかったでしょう。今の足立梅田教会の「自由な」姿に接してそう思います。

自由な教会だからこそ、私も自由でいられます。私が失礼なことを言ったりしたりした場合は注意していただきたいですが、気遣いが要らない、「気の置けない」教会なので助かっています。

13節以下に記されているのは、ガラテヤの人々が以前パウロに示してくれた優しさに対する感謝です。

「知ってのとおり、この前わたしは、体が弱くなったことがきっかけで、あなたがたに福音を告げ知らせました。そして、わたしの身には、あなたがたにとって試練ともなるようなことがあったのに、さげすんだり、忌み嫌ったりせず、かえって、わたしを神の使いでもあるかのように、受け入れてくれました」(13~14節)

パウロが何の病気にかかったかについては、彼の書簡では明言されていません。今日の箇所に「あなたがたは、できることなら、自分の目をえぐり出してでもわたしに与えようとしたのです」(15節)に基づいて、目の病気だっただろうと考えられます。それほどまでにあなたがたは私のことを愛し、大切にしてくれたのに、なぜ私の教えを受け入れて自由になろうとしてくれないのですかと、パウロは言いたいわけです。

19節に記されていることが、パウロにとっての宣教の究極目標です。

「わたしの子供たち、キリストがあなたがたの内に形づくられるまで、わたしは、もう一度あなたがたを産もうと苦しんでいます」(19節)

それは「キリストが人の心の中に形づくられる」ことです。「キリストが形をなすこと」(Christ Taking Form)です。

それは、聖書に基づく説教を通して、わたしたちがイエス・キリストを知ることです。最初はぼんやりと、次第にはっきりとイエス・キリストが個々人の心の中にお住まいになり、人生の明確な土台を得て生きられるようになることです。それが永遠の救いです。

しかしそれは、個人のレベルにとどまりません。人の集まりが教会です。社会や世界も人の集まりです。最初は「キリストが形をなす」(Christ Taking Form)のは個人の心の中です。しかし、個人が集まって教会となり、社会となり、世界となっていきます。そのようにして、世界の中でキリストが形をなす(Christ Taking Form in the World)ようになります。

キリストが増えたり減ったりするイメージは気になりますが、「聖霊とはほとんどキリストのことである」と考えれば納得できます。聖霊の本質は自由であり、強制ではありません。

(2025年11月 2 日 日本基督教団足立梅田教会 永眠者記念礼拝)

2025年10月26日日曜日

宗教改革の教会

マルティン・ルター(左)とジャン・カルヴァン(右)

説教「宗教改革の教会」

ガラテヤの信徒への手紙 2 章11~14節

関口 康

「ケファがアンティオキアに来た時、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです」(11-12節)

日本基督教団の教会暦で、毎年10月31日が「宗教改革記念日」です。近い日曜日の今日の礼拝を「宗教改革記念礼拝」としました。

なぜ毎年「10月31日」が「宗教改革記念日」なのかについては、以前もご紹介した私の高校時代の世界史教科書『詳説世界史(再訂版)』(山川出版社、1981(S56)年)に頼ることにします。そのほうが、専門書から引用するよりも、皆さんが高校時代にお習いになったことを思い出していただけるでしょう。

文部省検定済教科書『詳説 世界史(再訂版)』(山川出版社、1979年版)

「16世紀はじめ、教皇のレオ10世(*現在の教皇はレオ14世)はルネサンス文芸を愛好し、サン=ピエトロ(*聖ペトロ)大聖堂の改築資金調達のため、免罪符(贖宥状)を発売した。このころローマ教会の腐敗ははなはだしく、免罪符の販売はたんなる教会の金集めの手段となり、ことに皇帝権力の弱いドイツでは教皇庁の搾取をおさえることができないため、その弊害がはなはだしかった。そこで1517年免罪符の販売人がドイツへやってきたとき、司祭であり、ヴィッテンベルク大学の教授でもあったマルティン=ルター(Martin Luther [1483-1546])は、魂の救済はただ福音の信仰のみによるとの確信から、免罪符販売を攻撃する九十五ヶ条の論題を発表した」(同上書、166~167頁)。

「九十五ヶ条の論題」が発表された日付そのものは教科書には書かれていませんが、それが「1517年」の「10月31日」でした。それで、その日が「宗教改革記念日」になりました。

その後、ルターの宗教改革が大きく行き詰まる時が訪れました。

1524年から1525年にかけて、ルターの影響を受けた宗教改革者トーマス・ミュンツァー(Thomas Müntzer [1489-1525])がドイツ南西部の農業従事者を率いて、圧政を強いる支配者層を相手に「農民戦争」(Bauernkrieg; Peasants' War)を起こしました。

「戦争」と言っても、農民たちの武器は農具(鋤(すき)、鍬(くわ)、鎌(かま)など)を作り変えただけの貧しいものでした。日本の江戸時代の「百姓一揆」のようなものだったと考えるべきです。支配者側の抵抗により、彼らは虐殺され、鎮圧されました。

その中でルターは、高校世界史の教科書どおり、「キリスト教徒の内面的自由を主張する反面、現世の権力は神により設けられたとみる立場から、農民の暴動をはげしく非難」しました(同上書、168頁)。

ルターにとっては、「信仰義認」の教えも、キリスト教そのものも「心の中の問題」を解決する道であって、直接的な意味で個人の生活のあり方や社会や政治を問うたり変えたりする行動原理ではなかったのです。

そのため、ドイツ南西部の農民からすれば権力者側にいるとしか見えないルターとルター派は、その地域の人々から支持されなくなり、多くの人がカトリック教会にとどまりました。ルター派は、ドイツ以北のヨーロッパ諸国に広まりました。

16世紀の宗教改革者でもうひとり忘れてはならない人物が、フランス人のジャン・カルヴァン(Jean Calvin [1509-1564])です。以下も高校世界史の教科書の引用です。一般向けに書かれたものとして、よくまとまっています。

「ドイツに少しおくれてスイスにも宗教改革がおこった。ツヴィングリ(Huldrych Zwingli [1484-1531])は改革説をとなえてその先駆をなしたが、フランス人カルヴィンがジュネーヴに移って、福音主義に基づく新教をとなえて多くの信者をえた。かれは教皇の権威を否定しただけでなく、司教制を廃して信徒の代表である長老の制度を設け、奢侈(しゃし)(*ぜいたく)や浪費をいましめて勤労をすすめ、カトリックの教えと異なって勤労の結果としての営利事業や蓄財を認めた。そこでこの教えは成長しつつあった市民階級の利益に合致し、スイスの支配的宗教になるとともに、産業市民層の発達した各地にひろまった。この教派はスコットランドではプレスビテリアン(Presbyterians 長老派)、イングランドではピューリタン(Puritans 清教徒)、フランスではユグノー(Huguenots)とよばれた」(同上書、168頁)

オランダでは「ヘーゼン」(Geusen)と呼ばれました(「ゴイセン」は誤記です)。その意味は「物乞い」です。彼らもまた、ドイツの農民と同じように、圧政を強いる支配者側に搾取される側の、弱く貧しい人々でした。

カルヴァンの教えは「心の中の問題」ではなく「生活の問題」であり、「道徳や倫理の問題」であり、「社会や政治の問題」に取り組むものでした。だからこそ、社会や政治や宗教の構造の中で搾取され、貧困と弱さの中に追いやられた人々にカルヴァンの教えが支持され、国境を越えて広がっていきました。

「プレスビテリアン」も「ユグノー」も「ピューリタン」も「ヘーゼン」も、呼び名が違うだけで、すべてカルヴァンの流れの人々です。

日本に来た最初期のアメリカ人のプロテスタント宣教師たちの教えが「ピューリタン的」と評されました。横浜に来たJ. C. ヘボン宣教師が長老教会(プレスビテリアン・チャーチ)の人で、S. R. ブラウン宣教師が改革派教会(リフォームド・チャーチ)の人でした。

足立梅田教会の創立は1953年です。開設時は「美竹教会梅田伝道所」でした。美竹教会の創立者である浅野順一牧師(青山学院大学神学部教授、旧約聖書学者)は、旧日本基督教会から日本基督教団に合流した方でした。

足立梅田教会の創立者である藤村靖一牧師(青山学院高等部聖書科専任教諭)の出身教会である東北学院教会(現「仙台広瀬河畔教会」)も、戦前は旧日本基督教会でした。

このように考えると、足立梅田教会は、比較するとルターの流れよりはカルヴァンの流れ(改革派、長老派)のほうに近いと言えます。

今日の聖書箇所に使徒パウロが描いているのは、パウロ自身が使徒ペトロを面罵する場面です。ペトロの行動が、信仰義認の教理を打ち消す方向に働いていることをパウロが見抜き、そんなことをされては困ると抗議しなくてはならなくなったからです。

ルターが「ガラテヤ大講解」(講義:1531年、出版:1535年) 2 章11節に記しています。

「パウロはペテロを激しく攻撃したわけではない。彼を十分敬って扱っている。だが、ペテロの権威のゆえに義認の条項の偉大さが危うくされているのを見たので、ペテロの権威などを意に介さずに、この義認の条項を安全に保ち、守ろうとしたのである。われわれもこのように行っている」(『ルター著作集』第 2 集第11巻、ガラテヤ大講解・上、徳善義和訳、聖文舎、1985年、161頁)。

ルターの言うとおりです。たとえ使徒ペトロの権威であろうと、もし真理を重んじないならば、そのような人を恐れる思いは、「宗教改革の教会」にはありません。

(2025年10月26日 日本基督教団足立梅田教会 宗教改革記念礼拝)

2025年10月19日日曜日

未来をひらく 久保哲哉牧師

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「未来をひらく」

聖書 創世記11章24節~12章 4 節

講師 久保哲哉牧師(聖学院中学校・高等学校宗教主任)

「アブラハムは主の言葉に従って旅立った」(12章4節)

信仰の父アブラハムは「主の言葉に従って旅立った(創世記12:4)」とあります。主なる神の言葉に直ちに従うアブラハムの姿が印象的です。私たちもこの信仰の姿勢を見習いたいものです。

ただし、アブラハムが選んだ「従う」道は、他の進路が主なる神によって「閉ざされた」結果、彼の前に残された唯一の道であったとも見ることができます。

もし、アブラハムの父が存命で、跡取り息子があって、経済的にも恵まれた状態であれば、アブラハムはこの神の声に聞き従う、ということはなかったでしょう。興味深いことに、わたしたちの神は、道を閉ざすことによって、救いに至る道を残すお方であることがここからわかります。人間の目には不思議に見えますが、わたしたちの神はただ「未来を閉ざす」方ではないのです。

主なる神は、わたしたちが窮地のときにこそ、手を差し伸べてくださるお方です。御言葉によって御心を示してくださるお方です。私たちの神は、厳しくも、優しい神なのです。

世界には疫病・自然災害・戦争など、色々な苦難が起こります。しかし、そのようなときにこそ、神が未来をひらいてくださるのです。この「信仰」を与えられた私たちは、希望をもってそのひらかれた未来を生きるのです。

私たちの歩みは力弱く、遅々として進まないものでありますけれども、開かれた神の国への道を、平和への道を、聖なる者としての道を進みゆくことができますように。

(2025年10月19日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

救いの時を共に祝おう 金町教会説教

日本基督教団金町教会(東京都葛飾区東金町3-17-6)

説教「救いの時を共に祝おう」

マタイによる福音書25章1~13節

日本基督教団金町教会説教

関口 康(足立梅田教会牧師)

「だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから」(13節)

おはようございます。はじめまして。足立梅田教会の関口です。

最初に申し上げたいのは、お詫びの言葉です。申し訳ありません。「お前はだれだ」と思っておられる方が多いはずです。今日の説教者がなぜ私なのかを言わないと、説教を始めてはいけない気持ちです。

事実経過を申し上げます。 9 月 9 日(火)午後 3 時から東支区教師会委員会を富士見町教会で行いました。私は委員のひとりです。委員会は 7 名で構成されていますが、出席 4 名、欠席 3 名でした。そのとき「10月19日(日)金町教会の説教者を探しています」と募集がありましたので「私でよろしければ」と立候補しました。それだけです。

金町教会の建物には今年 3 月 4 日(火)夜に東支区祈祷会が行われたとき初めて来ました。その後、 7 月 3 日(木)午前中に東支区教師会委員会の会計担当者の引き継ぎ会を金町教会で行いました。私がこの建物に来たのは、その 2 回だけです。

しかし、私が「金町」という地名を認識したのは21年前です。2004年 4 月。当時の私は日本基督教団ではない別の教派の教会の牧師として松戸に住んでいました。2015年12月までその教会の牧師でした。その後、柏市のマンションに2018年 2 月までいました。松戸にいたときも、柏に移ってからも、JR最寄り駅は常磐線の北小金駅でした。私は2004年から2018年までの14年間「常磐線ユーザー」でした。

2018年 3 月からは日本基督教団昭島教会(東京都昭島市)の牧師になりましたが、単身赴任でした。家族は柴又に 3 年住みました。その後彼らは転居しましたが、柴又にいた頃は毎日のように金町駅を利用していました。

そういうわけで、私は常磐線の「金町」から「北小金」までの区間がとても懐かしいです。特に私の子どもたちにとっては、小中高大学時代をここで過ごした、まさに故郷(ふるさと)です。私にとっても、第二の故郷です。

ついでにいえば、私の父は群馬県前橋市の農家の 3 代目の次男ですが、松戸の千葉大学園芸学部に入学しましたので、父も学生時代(1950年代)にこのあたりをうろうろしていたと思います。

みなさんとお近づきになりたくて、詳しく申し上げています。よろしくお願いいたします。

今日の聖書箇所に記されているのは、イエスさまのたとえ話です。内容に入る前に、先回りして申し上げておきたいことがあります。

私は1965年11月生まれで、来月ちょうど60歳です。1990年 4 月から牧師(最初は伝道師)としての働きを始めましたので、35年目です。その中で、イエスさまのたとえ話についても繰り返し説教してきました。

すると、毎回必ずというわけではありませんが、イエスさまのたとえ話の説教をすると時々、「関口牧師の説教にはイエスさまが出てこない」と言われます。イエスさまのたとえ話の説教をしているのに「イエスさまが出てこない」と。

その方々がおっしゃることの意味は分かるのです。イエスさまのたとえ話があまりに厳しすぎて受け入れられないと思っておられるのです。

イエスさまがたとえ話を使って話されたのはオブラートに包んで厳しいことを伝えるためです。イエスさまのたとえ話が厳しいのは当たり前なのです。しかし、そのたとえ話に込められた意味を説明すると、厳しい教えを受け入れられない方々が「イエスさまが出てこない」とおっしゃるのです。

イエスさまは、このたとえ話の語り手としてしっかり登場しておられます。たとえ厳しい教えでも、イエスさまご自身がお話しになっていることですから、従うことが求められています。そのことをどうかご理解くださいますようお願いいたします。

このたとえ話はシンプルです。単純で分かりやすい話です。10人の女性が、それぞれともし火(ランプ、たいまつなど)を持って、男性たちを迎えに行くことになりました。

「10」という数字は、聖書においては特別な意味を持つことがあります。完全数を表わすケースがあります。たとえば、モーセの十戒の戒めの数の「10」です。ユダヤ人たちの脱出前にエジプトに起こった災いの数の「10」です。今日の箇所の女性の「10人」は「すべての人」を表わしている可能性が十分あります。それは、だれにでも当てはまる普遍的な教えとして語られている可能性です。

10人のうち半分の 5 人は「愚か」で、残りの半分の 5 人は「賢い」と言われています。「賢い」ほうの 5 人は「壺に油を入れて持っていた」( 4 節)が、「愚かな」ほうの 5 人は「油の用意をしていなかった」( 3 節)。

「ところが、花婿の来るのが遅れた」( 5 節)というのは、よくある話です。当時のパレスチナでは、花婿が遅刻するのは当たり前だったそうです。文化の一種です。

私たちは遅刻を許さない文化圏に属していると思います。しかし、私たちとは反対に、遅刻しないほうがおかしいとされる文化圏もあります。英国では15分ほど遅刻するのが当たり前で、約束通りの時刻や早めに行くと怒られるそうです。

そのようなことを先週10月15日(水)東京外国語大学の岡田昭人(おかだあきと)教授の講演で聴きました。異文化コミュニケーションの専門家です。『教養としての「異文化理解」』日本実業出版社、2025年)という本を最近出版なさった方です。私の前任地の昭島教会の方でもあり、親しくさせていただいています。

遅刻するのが当たり前という文化圏の中では、客人が遅刻してくることをあらかじめ想定したうえで、そのための準備をしていなかったことのほうが悪い、ということになるのだと思います。油の準備をしていた 5 人が「賢い」、準備していなかった 5 人が「愚か」と言われているのは、そういうことです。

待てど暮らせど客人たちは来ない。待っていた人たちはとうとう全員眠ってしまいました。客人がやっと到着したときは真夜中の真っ暗闇。「花婿だ。迎えに出なさい」( 6 節)という叫び声で飛び起きました。

油の用意があった「賢い」 5 人は、ともし火に油を足して、すぐ行動することができました。

油の用意をしていなかった「愚かな」 5 人は、消えそうなランプに不安を覚え、「賢い」 5 人から油を分けてもらいたがって「分けてあげるほどはありません。店に行って、自分の分を買って来なさい」( 9 節)と拒否され、油を買いに行っている間に花婿が到着し、「賢い」 5 人だけ婚姻の席に入り、「愚かな」 5 人はドアの内側に入れてもらえませんでした。

厳しい言葉です。しかし、イエスさまがおっしゃっていることは、私たちにできないことではありません。「愚かさ」は病気ではありません。変えることができない運命でもありません。完璧な準備は求められていません。準備するかしないかは、あなた次第です。

このたとえ話は「天の国は次のようにたとえられる」( 1 節)という言葉で始まっています。しかし、永遠の天国の話としてだけ受け取る必要はありません。もっと広い意味でとらえることができます。教会の中で起こることや、私たち一人一人の日常生活の中で起こることにも当てはめて考えることができます。

私たちは明日も分からぬ人生を送っています。教会も同じです。「神に委ねる」「お祈りする」は 100% 正しい態度です。しかし、まだできることがあります。それは「準備すること」です。

先々週10月 4 日(土)私が卒業した岡山の高校の京浜地区同窓会があり、高校の大先輩の東京大学名誉教授の地震予知の専門家、榎原雅治(えばらまさはる)教授の講演をうかがいました。「いつどこでどのように起こるというレベルでの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去に起きた地震は必ず起こる」と教えていただきました。

教会も同じです。これからの教会がどうなっていくかは、だれにも分かりません。悲劇的な出来事すら起こらないとは限りません。しかし、何があっても耐えられるように、そして耐え抜いた先に、救いの時を共に祝うことができるように、備えることが大切です。

(2025年10月19日 日本基督教団金町教会 主日礼拝)

2025年10月12日日曜日

世にある教会 北村慈郎牧師

北村慈郎牧師(2025年10月12日 足立梅田教会)

説教「世にある教会」

出エジプト記19章 1 ~ 6 節、ヨハネによる福音書17章 6 ~19節

北村慈郎牧師

「あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」(ヨハネ17章18節、口語訳)

今日は、礼拝後に「これからの教会と日本基督教団」という題でお話しすることになっていますので、この礼拝では、ヨハネによる福音書17章のイエスの「大祭司の祈り」と言われているところから、「教会とは何か」について、聖書の語りかけを聞きたいと思います。

ヨハネ福音書17章の「大祭司の祈り」と言われていますイエスの祈りは、大きく三つの部分に分けることができます。 1 ~  5 節(イエスの栄光のための祈り)、 6 ~19節(後に残される弟子たちのための祈り)、20~26節(全教会のため、教会一致のめための祈り)です。
 
今日の17章 6 ~19節は、大祭司イエスが、後に残される弟子たち(教会)のために祈られた執り成しの祈りであります。ここには、イエスとその弟子たちとの間の深い生命のつながりが言い表され、また残されて世にある弟子たち(教会)の生命がどこから来るのか、その使命がどこにあるのかが明らかに示されています。

このところは、教会が真にキリストの教会として、雄々しく主にあって立ち、生きることができるようにというイエスの祈りが、弟子たちのために心をこめてなされていて、大きな慰めと励ましを受ける箇所であります。
 
まず11節を読んでみますと、「わたしは、もはや世にはいません。彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」(新共同訳)と、言われています。
 
この11節によって、なぜイエスが弟子たちのために祈られるのかが、示されていると思います。イエスは、ここで言っておられるように、今地上での働きを終えて、父なる神の御許に帰ろうとしておられます。しかし、彼にこれまで付き従って来た弟子たちは、彼のあとについて行くことができません。彼らは依然として、この地上に残らなければなりません。イエスは、そのことが弟子たちにとってはどういうことであるか、どういうことを意味するかということを、よく御存知です。
 
彼は15章19節で、やはり弟子たちについて「あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである」(新共同訳)。と言われました。これが、弟子たちがこれから生き続けなければならないこの世であります。弟子たちを憎む、そういうこの世に、イエスは弟子たちを残して行かなければなりません。それゆえにイエスは、彼らのために、父なる神に向かって、「聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい」と祈られるのです。
 
イエスは先ず「聖なる父よ」と呼びかけられます。すなわち、この世に打ち勝つ力と浄らかさを持ち給う父なる神に、彼は呼びかけ給います。そして、その神に対して、「わたしに賜わった御名によって彼らを守ってください」と祈られます。

しかし、ここに言われている「御名によって守る」とは、どういうことでしょうか。私たちの場合には、名前というものは、しばしば一種の符丁に過ぎません。一人の人間を他の人間から区別するための符丁のようなものに過ぎません。

しかし、聖書の人たちにとっては、「神の御名」というのは、決して単なる符丁ではありませんでした。それは、いわば神の本質そのものでありました。その一例は、17章 6 節ですが、そこでイエスが、「世から選び出してわたしに与えてくださった人々に、わたしは御名を現しました」(新共同訳)と言っておられるのも、イエスが父なる神の本質を顕し給うたということ――神の御意志を顕し給うたということに他なりません。

11節でも、彼は、そのような神の本質である神の御名が、弟子たちを、この世において守って下さるようにと祈られます。これからの弟子たちのこの世での歩みにおいて、どうしても予想しなければならない世の憎しみや迫害、艱難や試練の中で、神の御名が彼らを守って下さるようにと、イエスは祈られるのです。
                        
このイエスの祈りには、イエスの弟子たち、すなわちキリスト者はどのような者なのかということが明確に示されています。それは、イエスの弟子たち(キリスト者)は世にありながら、しかし世のものではない、ということです。このイエスの祈りの中でそのことが繰り返し示されています( 6 ,  8 , 14, 16節)。
 
 6 節ではイエスの弟子たちは「世から選び出して(神が)わたしに与えてくださった人々」と言われていますから、イエスの弟子たちは世にありながら、しかし世のものではなく、イエス・キリストのものであるというのです。「わたしが世に属していないように、彼ら(弟子たち)も世に属していないのです」という言葉が、ここで二度くり返し語られています(14, 16節)。
 
イエスの弟子たち(キリスト者)は、イエスを信じ、イエスが宣教された神に国の福音を信じる者として、この世のことが全てであるかのように、目に見えるものに惑わされ、この世の動きに一喜一憂するような生活をすべきではありません。人からの誉れではなく、イエスとイエスの父なる神からの誉れをめざして生きることに徹するべきなのです。
 
そこで大祭司イエスの弟子たちのための祈りには、弟子たちが、世にありながら、しかし世のものとしてではなく、キリストのものとして生きることに徹するように、という期待と祈りがなされているのであります。
 
イエスはまた、15節でこのように祈っています。――「わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、悪い者から守ってくださることです」(新共同訳)と。

イエスが祈られたことは、残された弟子たちが、この世を捨て去ることではなく、しかしまた、この世に対して憎しみをもって憎しみ返すことでもなく、この世にあって弟子たちが、悪しき者から守られ、悪より救い出されることでありました。

そのことは、イエスが弟子たちに祈りの範例として示された主の祈りの第 6 の祈りの内容でもあります。「我らをこころみにあわせず、悪より救い出したまえ」(マタイ 6 章13節)。

すなわち、この世を離れることではないが、しかしまたこの世に埋没し、この世にならって、キリストのものであることを見失うことのないように、味を失った塩(マタイ 5 章13節)となることのないように、という二重の期待が、この祈りの中にはこめられているのであります。
 
この世は私たちにとってしばしば、「死の陰の谷」(詩編23編 4 節)のように苦しく、生き難い世であります。「悪しき世」の力は大きく、喜びよりもむしろ苦しみの方が多いかも知れません。しかしイエスは弟子たちに、あくまでこの罪と悪の世にふみとどまって、そこでキリストのものとして生き抜くようにと祈られるのです。
 
リュティはこのように述べています。「キリストはその教団のために祈りたもうが、しかしそれは、彼らがこの世に留まり、そこで耐え抜くことである。彼らが悪い状況の中にあって、自ら悪くならぬこと、不正な環境の中にあって、自ら不正な者とならぬこと、偽りにみちた仕事の中にあって、自ら偽り者とならぬこと、誘惑に満ちた社会の中にあって眠らぬことである」(リュティ『我は初めなり、終わりなり』井上良雄訳、122~123頁)。
 
そのためにイエスはこのようにも祈ります。――「真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります(17節、口語訳)――。

聖別とは、一面においてこの世より選び別たれることではありますが、しかし聖別の祈りは同時に、より積極的な面を含んでいます。すなわち、教会のこの世における使命のための派遣の祈りとなるのです。

「あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました」(18節、口語訳)。聖別は派遣となり、つまり聖別は使命のための祈りとなるのであります。
 
私たちは何によって聖別されるのでしょうか。それは、真理によって、イエス・キリストの言葉によってであります。自分で自分を聖別することはできません。イエス・キリストの言葉を受け、それを真理として信じ、受け入れ、それに従うことにおいて、私たちは聖別されるのです。

聖別とは、きよめ別って、この罪の世から離れさせることではなく、むしろイエス・キリストの言葉をもってこの世の中へと一歩ふみ出すように働く力であります。

聖別は、世への派遣のための、使命のための選びです。イエス・キリストから罪の赦しを受ける時、私たちは同時に、イエス・キリストから世へとつかわされるための言葉を聞き、そのための祈りを受けるのです。
 
これらのイエスの祈りは、もちろん弟子たちのための祈りですが、しかし、この祈りは、私たちのための祈りとしても、聞くことができます。

イエスは私たちのためにも、このように祈り給うということを、知らなくてはならないと思います。イエスは、私たちのためにも、私たちが世にあって守られて歩み続けることができるようにと、祈り給います。

しかしそれだけではありません。イエスは単にそのような、いわば消極的なことだけでなく、もっと積極的なことについても、私たちのために祈り給うということを、知らなければならないと思います。すなわち、私たちが世と区別された者として――聖別された者として、世の前に示されるということ、そのためにも、イエスは祈り給います。
 
イエスの弟子たちは、大祭司イエスの聖別の祈りを受け、み言葉を持ち運ぶ使者として、この世に派遣されます。そこにキリスト者として生きる意味があります。この世より取り去られることでなく、この世にあって悪の力から守られて、「善をもって悪に勝つ」(ローマ21章21節)ことができるように祈られているのです。
 
キリストの派遣(使命)に生きるとは、どういうことでしょうか。それは有名になることではなく、大きくなることでもありません。勲章をもらったり、高い地位についたりすること、それらはすべてこの世からのものです。キリスト者は、小さくとも、この世を超えたもっと高いものを目ざし、高きにいます方を指し示す指となる、それが私たちの使命であり、願いでもあります(森野善右衛門)。
 
弟子たちのために祈られたイエスが、私たちのためにも祈って下さっていることを覚えたいと思います。そして「世にありながら、しかし世のものではない」キリストのものとして、私たちもイエスの言葉の真実を証言していくことができますように。 
 
主が私たち一人ひとりをそのように導いてくださいますように!

祈ります。

神さま、今日も礼拝に集うことができましたことを心から感謝いたします。

あなたは私たち全てにイエスを遣わし、イエスに倣って生きるようにと招いて下さっています。どうかそのあなたの招きに従って生きることができますように、私たち一人一人をお導き下さい。

そしてこの世にありながら、この世のものではなく、イエス・キリストのものとしてこの世を生き抜くことができますようにお導き下さい。

この世にあって様々な苦しみの中にあります方々を支え導いてくださいますように。また、高ぶる人間の高慢を打ち砕いてください。あなたの平和と和解によって世界を包んでください。

この祈りをイエスさまのお名前によってお捧げいたします。 アーメン

(2025年10月12日 日本基督教団足立梅田教会 特別礼拝)

2025年10月5日日曜日

愛の内に歩みなさい

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「愛の内に歩みなさい」

エフェソの信徒への手紙 5 章 1 ~ 5 節

関口 康

「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)

先週は東京教区東支区の講壇交換日でした。当教会に亀戸教会の堀川樹牧師をお迎えしました。私は大島元村教会と波浮教会の合同礼拝で説教しました。私は昨年 6 月に伊豆大島に初めて行きましたが、日曜日ではありませんでした。教会の方々とお会いするのは、先週が初めてでした。



ジェット船で東京竹芝から大島岡田港へ(2025年 9 月27日)

加えて先週、と言っても昨日ですが、私にとっての「人生初」が 2 つありました。大島での説教を合わせると「 3 つ」。来月60歳の私にとって、 1 週間で「人生初 3 つ」は刺激的でした。

昨日の 1 つめの「人生初」は、カトリック教会の司祭(神父)の説教を初めて聞いたことです。カトリック松戸教会(千葉県松戸市)で毎月行われている「松戸朝祷会」に、私は松戸の改革派教会の牧師だった頃、出席していました。足立に来てから出席を再開しました。プロテスタントの牧師たちの奨励は聴きましたが、カトリックの司祭の奨励は聴いたことがありませんでした。しかし、ついに昨日、高瀬典之司祭の奨励を初めて聴きました。

カトリック松戸教会(千葉県松戸市松戸1126)

特に印象に残ったのは「10月 3 日」がアッシジのフランシスコ(フランチェスコ)(1182-1226)が亡くなった日で、昨日「10月 4 日」がカトリック教会の「聖フランシスコの日」だと教えていただいたことです。

そして高瀬司祭は、フランシスコの名前と伝統的に結び付けられて来た「平和の祈り」の中の「絶望のあるところに希望を」という祈りと、ローマの信徒への手紙 5 章 5 節「希望はわたしたちを欺くことがありません」を結び付けて希望に満ちたメッセージを語ってくださいました。

平和の祈り


司会者 平和の祈りを致しましょう!

司会者 主よ!わたしをあなたの平和の道具としてください。


一同 憎しみのあるところに、愛を

   争いのあるところに、許しを

   分裂のあるところに、一致を

   疑いのあるところに、信仰を

   誤りのあるところに、真理を

   絶望のあるところに、希望を

   悲しみのあるところに、喜びを

   闇には、光をもたらす者としてください。

 

司会者 主よ!慰められるよりも、慰めることを

 

一同 理解されるよりも、理解することを

   愛されるよりも、愛することを、わたしが求めますように。

   わたしたちは与えることによって、受け、

   許すことによって、赦され、

   自分を捨て死ぬことによって、

   永遠の命を頂くことができるからです。アーメン

(朝祷会賛美選集『希望Ⅱ』より転載)

昨日のもう 1 つの「人生初」は私の母校・岡山朝日高校の京浜地区同窓会主催の講演会に初めて出席したことです。私の高校の先輩の、東京大学名誉教授で地震予知総合研究振興会副主席主任研究員の榎原雅治先生の講演をうかがいました。テーマは「過去の災害を知る――諸学の連携で解明する歴史地震」でした。

講演「過去の災害を知る」榎原正治教授
(2025年10月 4 日、岡山朝日高校京浜同窓会)

特に印象に残ったのは、「何年何月何日にどこでどんな地震が起きる」というレベルの地震予知は不可能だが、地震には周期性があるので、過去の地震の記録を歴史学的見地から調べる必要があるということ。

しかし、公式記録として残っているのは豊臣以後のものであり、それ以前の資料は、幕府が滅亡したため後代に受け継がれていないこと。かろうじて残っているのは、貴族の日記や詩歌、民間の何らかの記録、そして地層。まさか漢文や百人一首の勉強が地震予知につながるとは、考えたことがなかったので、とても驚きました。

百人一首と地震予知の関係は何か

その中で、「明応南海地震」(16世紀)の発生年代については「寺社造営件数」によって証明したということを、榎原教授が教えてくださいました。なぜ「寺社」なのかといえば、民間の記録は何も残っていないからとのこと。「寺社」すなわち「宗教」が歴史の記録係としての役割を果たせたようだと分かり、私はとても励まされました。

今日の聖書の箇所に「あなたがたは神に愛されている子供ですから、神に倣う者になりなさい」(1節)と記されています。パウロの他の手紙の中に「神に」ではなく「わたしに倣う者になりなさい」と記されている箇所が複数あります。それはコリントの信徒への手紙一 4 章16節、同11章 1 節、フィリピの信徒への手紙 3 章17節、テサロニケの信徒への手紙 1 章 6 節、同 2 章14節です。

「わたしに倣う者になりなさい」と言われると反発を感じる方がおられるのではないでしょうか。しかし、パウロには躊躇がありません。これは理解できない話ではありません。

たとえば、学校の教師が生徒の前で模範的でない言動を繰り返したら必ず批判されるでしょう。それと同じです。説教者が「私はキリストに従いませんが、皆さんは従ってください」と言うと「そんな話には説得力がありません」と必ず返ってくるでしょう。

先ほど挙げた第一コリント11章 1 節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」の論理構造が重要です。それが今日の「キリストがわたしたちを愛して、御自分を香りのよい供え物、つまり、いけにえとしてわたしたちのために神に献げてくださったように、あなたがたも愛によって歩みなさい」( 2 節)につながります。

「キリストに倣う」とは、今ここにいる私たちに十字架にかけられて死ぬことが求められているわけではありません。そうではなく、「キリストに倣う」とは、イエス・キリストが十字架の上で示してくださった「神の愛の自己犠牲的なあり方」に倣うこと、学ぶこと、真似ることです。

この点を私が強調するのは、私が主イエスの「山上の説教」や「たとえ話」について説教すると、決まって「イエスさまが出てこない」と言い出す人たちが現れるからです。鼻先 3 センチの距離にイエスさまがおられるのに。「イエスさまが出てこない」などとどうして言われなくてはならないのでしょうか。

その批判の意味は、「関口の説教には主イエスの十字架と復活による赦しの教えがない」ということでしょう。実際にそう言われました。

しかし、主イエスは「山上の説教」や「たとえ話」の中で、厳しい戒めや裁きをお語りになっています。それらはすべて、私たちに従うことを求めています。主イエスの十字架と復活が、主イエスの厳しい戒めを無効化するわけではありません。主イエスは、復活前も、復活後も、同じひとりの方です。

パウロが今日の箇所の 3 節以下に記しているのは、2 節の「愛によって歩みなさい」という教えの具体的な事例です。

「あなたがたの間では、聖なる者たちにふさわしく、みだらなことやいろいろの汚れたこと、あるいは貪欲なことを口にしてはなりません。卑わいな言葉や愚かな話、下品な冗談もふさわしいものではありません。それよりも、感謝を表しなさい」( 3 ~ 4 節)。

私は説教の中で「性」に関する事柄を取り上げるのがとても苦手です。完全に逃げ腰であることをお許しください。言葉の辞書的な意味を述べることで勘弁してください。

「みだらなことやいろいろの汚れたこと」とは、売春・買春のことです。ユダヤ教の律法学者の解釈によれば、律法で必ずしも明確に禁じられていない売春・買春は、ユダヤ教では許容されていました。パウロはそのような解釈に真っ向から反対しています。

「貪欲なこと」とは、金銭を愛することです。パウロは貪欲(金銭への愛)をモーセの十戒の第十戒「隣人の家を欲してはならない」への違反だけでなく、第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」への違反(偶像礼拝)とも見なしています( 5 節)。

「卑わいな言葉」(モロロギア)は古代ギリシアの喜劇と関係あります。そういう話が好きな人々が笑って楽しむ言葉です。「愚かな話」(エウトラペリア)は「ほのめかし」や「におわせ」です。セクシャル・ハラスメントです。

当時のギリシア人にとっては「卑わいな言葉」(モロロギア)も「愚かな話」(エウトラペリア)も、楽しい仲間づくりのための手段でした。しかし、パウロにとっては、どちらも厳しく非難すべき対象でした。これは私の感覚と完全に合致します。

すぐにお分かりいただけることです。もし仮に私が説教の中で「卑わいな言葉」(モロロギア)や「愚かな話」(エウトラペリア)を用いて受けを狙うようなことをしたらどうなるかを考えてみていただくと分かります。とんでもない結果になることが目に見えています。

「礼拝感覚」が身についてくると、調子に乗って面白おかしく卑猥な話をするようなことはできなくなります。

このように考えると、今日の箇所の「愛」の意味は、ほとんど「デリカシー」のことであることが分かってきます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイによる福音書11章28節)という主イエスの呼びかけに応えて集まる先は教会です。教会に集まる人々は、みんな疲れています。重荷を負っています。休みたくて教会に来ています。

極端な考えの人が総理になることが決まり、政治の絶望感がいよいよ深まりました。地震災害の不安は尽きません。

不安定で不安な時代の中で、教会こそが、想像力を働かせて、相手の状況をおもんぱかり、互いに労わり合うことが求められています。

(2025年10月 5 日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年9月28日日曜日

ここにも確かにおられる主 堀川樹牧師

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「ここにも確かにおられる主」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(足立梅田教会礼拝)

マタイによる福音書13章53~58節

堀川 樹 牧師(日本基督教団亀戸教会牧師)

「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけである」(57節)

今日与えられた箇所には、故郷に帰られたイエスさまが村の人々から敬われなかったという出来事が記されています。この時、キリストがおっしゃった「預言者は故郷では敬われない」という言葉は、一つの格言、ことわざのように、教会以外でもしばしば用いられます。

しかしながら考えてみると、この箇所の内容は本来ならばあまり望ましくないものです。キリストは自分の故郷に帰って伝道したにもかかわらず、受け入れられず、人々の不信仰ゆえに「そこではあまり奇跡をなさらなかった」(58節)と言うからです。

イエスさまによる郷里伝道は言ってみれば失敗に終わったと言うのです。これまでマタイによる福音書はキリストの力ある働きと権威に満ちた教えを書き記してきました。そしてキリストによる宣教は大きく進んでいました。その流れにくさびを打ち込むかのようにこの箇所が記されているのです。それではこの故郷での出来事にはどういう意味があるのでしょうか。

キリストはここで何を私たちに語ろうとしているのでしょうか。私たちもこの箇所から神の御心を聞きとりたいと思うのです。

まずここに、会堂でキリストの教えを聞いた人々は「驚いた」(54節)と記されています。この「驚く」という言葉はあまり多く使われず、強い意味が込められています。単なる驚きではなく、衝撃的な驚きを意味する言葉です。実はこの言葉はマタイでは 7 章28節にも使われていました。山上の説教の結びの箇所、キリストが説教を語り終えた直後です。

「イエスがこれらの言葉を語り終えられると、群衆はその教えに非常に驚いた。律法学者のようではなく、権威ある者としてお教えになったからである」。

この「非常に驚いた」が同じ言葉です。山上の説教を聞いた人々は、キリストの教えに非常に驚いた。キリストが律法学者のようではなく、それを遥かに越えた神の権威をもって語るお姿に衝撃を受けたのです。そしてその結果、大勢の群衆がキリストに従ったのです。

それでは同じようにキリストの教えを聞いて「非常に驚いた」ナザレの人々はどうだったでしょうか。彼らも衝撃を受け「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)との問いが芽生えています。この問いは「イエスの知恵と力の源は何か」「イエスとは何者か」を問う、信仰的な問いです。山上の説教の群衆たちがキリストに神の権威を感じたのと共通します。ですからナザレの人々もこの驚きの後、イエスを信じてもよさそうです。むしろそれが自然な流れです。しかし彼らは「イエスにつまずいた」(57節)のです。

ナザレの人々はイエスのことを知りすぎていたのです。彼らは大工ヨセフのせがれイエスのことを幼い頃からよく知っていました。小さな村ですので家族ぐるみで付き合いがあり、お互いの素性もよく知っていたのです。「姉妹たちは皆、我々と一緒に住んでいるではないか」(56節)と言われているのは、イエスの妹達がナザレの村の男たちに嫁いでいたということなのかもしれません。

そんな親しい間柄のイエスが、久しぶりに帰ってきたと思えば、神の権威に満ちて説教を語り出し、また奇跡を行っている。イエスさまのことを知りすぎていた彼らは、主イエスに対する「このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう」(54節)という驚きが、信仰ではなく、つまずきになってしまったと言うのです。

身近なところから起こるねたみ、嫉妬、そこから生まれるつまずきが私たちにあるのではないでしょうか。ナザレの人々は小さい頃からよく知っているイエスの権威あふれる言葉を聞いて、よく知っているゆえにねたみ、つまずいたと言うのです。私たちの最も身近なところで起こりうる罪の姿であり、そしてこのねたみによってキリストが十字架にかけられることになったことを思わされるのです。

旧約聖書の創世記 4 章に出てくる、カインは自分の弟アベルをねたみによって殺しました。そしてこのマタイによる福音書27章では、キリストを十宇架にかけるためにユダヤ人たち引き渡したのは「ねたみ」(マタイ27章18節)によると記されています。

そしてそこからさらに一歩進んで、私たちは気付かされることがあります。それはこのキリストを受け入れなかった故郷ナザレの現実とは、キリストを拒絶したこの世の現実であり、私たち一人一人の現実であるということです。

お気づきの方もおられるかもしれません。このマタイの箇所にナザレという言葉は一言も出てきません。「故郷」と記されているだけです。便宜上付けられている新共同訳聖書の小見出しに「ナザレでは受け入れられない」とあることから私たちはこれを「ナザレ」での出来事と限定して考えてしまいがちですが、マタイは「ナザレ」とは記していません。ただ「故郷」と記すのです。すなわち故郷とはナザレだけに留まらない。私たち一人一人にとっての故郷であり、私たち一人一人にとっての家のことでもあるのです。

私たちも自分の故郷、自分の家というものを持っています。その私の故郷、自分の家にキリストがやってくる。そこも本来はキリストのものだからです。はたしてその時、私たちはその神を、私たちのただ中に来られるキリストを受け入れて生きることができるのか。このお方を神とあがめて生きることができるのか、問われているのです。むしろ私たちはナザレの人々のように、キリストを、その御言葉を自分の価値観、自分の常識を振りかざして受け入れず、キリストの対してつまずいてしまうのではないでしょうか。ご自分のところに来た、キリストを拒絶しているのではないでしょうか。

すなわちこの出来事はキリストの十字架を指し示す箇所です。「預言者はその故郷、家で敬われない」と言うのは、ご自分の民のところに来られたキリストが受け入れられず、拒絶され、十字架につけられて殺されるという受難のお姿を指し示しているのです。

キリストが私たちの故郷、私たちの家という最も身近なところまで来て、出会って下さっているにもかかわらず、キリストを受け入れず、つまずき、キリストを十字架にかけてしまった私たちの罪の現実を心に刻みたいのです。

しかしキリストはそのような私たちの罪の贖いのために自ら苦しみを受けられ、十字架の道を歩まれました。このキリストの深い愛を、神の救いのご計画を心に刻み、悔い改めと感謝の思いを持って歩みたいのです。

(2025年 9 月28日、東京教区東支区講壇交換、日本基督教団足立梅田教会、主日礼拝)

仲間を赦さない家来のたとえ 大島元村教会・波浮教会合同礼拝


竹芝客船ターミナル(東京都港区海岸1丁目)

東海汽船ジェット船「セブンアイランド大漁」

まもなく出航。シートベルト着用完了

レインボーブリッジとお台場

ジェット船は速い

大島岡田港到着

大島岡田港とジェット船

大島元村教会 遠景

大島元村教会 玄関

大島元村教会 講壇

礼拝後の愛餐会 おいしかったです!

帰りは大島元町港から(天候によって港が変わる)

帰りのジェット船も「セブンアイランド大漁」

説教「仲間を赦さない家来のたとえ」

日本基督教団東京教区東支区講壇交換(大島元村教会・波浮教会合同礼拝)

マタイによる福音書18章21~35節

関口 康

「あなたがたの一人一人が心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう」(35節)

(説教公開準備中)


(2025年 9 月28日、日本基督教団大島元村教会・波浮教会合同礼拝、東支区講壇交換)

2025年9月21日日曜日

教会の一致

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「教会の一致」

コリントの信徒への手紙一 1 章10~17節

関口 康

「兄弟たち、わたしたちの主イエス・キリストの名によってあなたがたに勧告します。皆、勝手なことを言わず、仲たがいせず、心を一つにし思いを一つにして、固く結び合いなさい」(10節)

先週の礼拝で「復活の体」の話をしました。今日は「教会の一致」についてお話しします。先週と今週とで共通点があると思っています。両方とも、教会にいる私たちこそが疑わしいと思っていることです。

私たちは「復活の体を見てみたい(見たことがない)」という疑問と同じぐらい、「一致している教会を見てみたい(見たことがない)」という疑問を持っています。

私が牧師(最初は「伝道師」)になったのは1990年です。今年で36年目です。これまでの経歴は教会ブログの「牧師紹介」で公開しています。転任が多かったです。「転々としてきた牧師」が悪い評価になりがちなことは、よく分かっています。しかし、同世代の牧師たちの中では、私の転任回数は平均的なほうです。世代が関係していると思います。日本の教会の歴史の中で大規模な世代交代が行われました。

これまで働かせていただいた教会を悪く言うつもりはありませんが、私の転任の理由はすべて「教会分裂を回避するため」でした。私が分裂の原因だったことがないとは言いませんが、赴任する前から分裂していた教会に赴任したケースが多かったです。

どの教会でも同じ現象が起こりました。例外はありません。今日の箇所に書かれているとおりのことが起こりました。今日の箇所を読むと私の古傷が痛みます。身を切る思いでお話しします。話し終わるまで立っています。急に倒れたりしませんのでご安心ください。

今日の箇所に記されているのは、コリントの教会が分裂しているという知らせを聞いたパウロが「教会を分裂させてはいけない」と強く訴えている言葉です。

コリントは、ギリシアのアテネから西に85キロほど、高速道路経由で 1 時間です。私は一度だけ現地に行ったことがあります。その教会が分裂しているという知らせを、パウロは「クロエの家の人たちから知らされました」(11節)と書いています。

この言葉の意味を考えたことがありませんでしたが、今回調べて分かったことをご紹介します。「クロエ」という名はギリシア神話に登場する女神デメテルの愛称です。このデメテルは金髪で美しい女神として描かれています。その「女神デメテル」の愛称と同じ「クロエ」という女性名を持つ方とその家族の人々がコリント教会にいました。

「クロエ」について、ポップ先生(François Jacobus Pop [1903–1967])(※注)というオランダ人の聖書学者が書いた註解書(De eerste brief van Paulus aan de Korintiërs, De Prediking van het Nieuwe Testament (PNT), 1965)に興味深いことが書かれていました。

「使徒が情報源を明示していることは注目に値する。彼は普段はそうしないからである。コリントの人々からも尊敬されている信頼できる人々から情報を得たと示唆しているのだろうか」。

「確かに」と思いました。教会の内部の問題を外部に持ち出して訴えた人の名前が公開されれば、たちまちその人が教会の中で非難の的になるでしょう。そうなることを承知のうえでパウロが「クロエ」の名前を書いたのだとしたら、この女性はコリント教会の中で強い影響力を持っていたに違いありません。

コリント教会の分裂状態を象徴的に描いているのが12節の言葉です。

「あなたがたはめいめい『わたしはパウロにつく』『わたしはアポロに』『わたしはケファに』『わたしはキリストに』などと言い合っているとのことです」(12節)

これが私も体験したことです。どの教会でも例外なく目撃した現象はこれでした。ポップ先生の註解書に、この 4 つのグループのスローガン「私はだれそれさんにつく」の名前の順序に意味があると書かれていました。

「パウロ」はコリントの最初の伝道者であり、コリント教会の創立者です(4章15節)。ただし、パウロは西暦50年頃から 1 年半しかコリントにいませんでした。

「アポロ」はパウロの次にコリントに赴任した 2 代目の伝道者です。アポロ牧師のときに教会員が増えました。雄弁で有能な、人気ある説教者でした。しかし、パウロとアポロは教えの内容に違いがありました。それが「パウロ派」と「アポロ派」の対立を生みました。

「ケファ」は使徒ペトロです。ペトロは当時の「教団」の中心に位置するエルサレム教会の説教者でした。コリント教会の中で「パウロ派」と「アポロ派」が争うのを憂いた人たちがペトロの権威に頼ろうとしました。

「ここまでは理解できる」とポップ先生が書いておられます。おっしゃるとおりです。私も同意します。これは理解できる話なのです。わたしたち人間には感情があります。相手が誰であれ、牧師であれ、好き嫌いや親しみの気持ちで近づいたり離れたりするのは当然のことです。個人的にお世話になったかどうかは大事な要素です。そのことを互いに認め合うことができさえすれば、「パウロ派」と「アポロ派」と「ペトロ派」は共存可能なのです。

ところが、「キリストにつく」と主張する第 4 のグループが現れたとき、教会分裂が修復不可能なレベルに達しました。なぜでしょうか。ポップ先生は次のように記しておられます。

「キリストにつくと主張する人々の行動は、他のグループよりも教会の安定と一致にとってさらに危険なものであった。なぜなら、パウロにつくと主張する人も、アポロやケファにつく人々も、キリストに属していることを認めることができたからである。しかし、キリストにつくと主張する者が現れると、他の人々に自分たちはキリストについていないと考えているという印象を与えずにはいられない。さらに悪いことに、彼らはキリストの名をパウロ、アポロ、ケファの名と同列に扱った。キリストを教会全体の頭とする代わりに、彼らはキリストをひとつのグループの頭とした」

これは感動的な解説です。全くおっしゃるとおりです。「キリストにつく派が最もタチが悪い」という解説に初めて接したという意味ではありません。私が東京神学大学で学んでいた1980年代後半に、山内眞先生(1940-2025)がそのようにチャペル説教で説明なさった記憶があります。忘れかけていた遠い記憶に確証が与えられました。

「キリストにつく派」が最もタチが悪いことは事実です。「(創立者を重んじる)パウロ派」も「(現在の牧師を重んじる)アポロ派」も「(教団の権威を重んじる)ペトロ派」も、キリストに従う意思を持っています。その意味では彼らも「キリスト派」であることに変わりありません。しかし、その 3 つのグループと対立する形で「キリスト派」が登場すると、教会の分裂が修復不可能になります。3 つのグループを、まるでキリストに従っていないかのように侮辱することを意味してしまうからです。

ここで大事なことは、「キリストにつく」という主張を、水戸黄門の印籠のように持ち出してはならないということです。「教会は人間のものではなく、キリストのものです」と。そんなやり方は、何の解決にもならないし、教会に最も深刻な亀裂を生じさせるのです。

パウロの結論は12章12節以下に記されていることです。ひとつの体の中に多くの部分があるのだから、目が手に、頭が足に「お前は要らない」と言えないだろうというあの話です。

「トムとジェリー」の主題歌を覚えておられますか。「トムとジェリー、仲良くケンカしな」。

教会が分裂して立ち行かなくなって、教会をやめてしまったり教会堂を失ったりすると、町の人たちからキリスト教そのものへの信用を失って、その地で二度と伝道ができなくなります。教会を分裂させてはいけません。

「仲良くケンカする」トムとジェリー方式がうまく行けば「持続可能な教会」(Sustainable Development Church)になることができるでしょう。

(2025年 9 月21日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

※注

フランソワ・ヤコプス・ポップ氏(François Jacobus Pop [1903–1967])はオランダ改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK))の牧師。1945年から1965年まで「教会と世界研究所」(Het instituut Kerk en Wereld)の指導的立場にありました。

特に、オランダの2つの改革派教会(Nederlandse Hervormde Kerk (NHK)とGereformeerde Kerken in Nederlands (GKN))の分裂を終わらせるために1961年4月24日に結成された「18人の会」(Groep van Achttien)を主導する推進役として活躍しました。

彼らを中心とする運動が「共に道を歩むプロセス」(Samen op Weg-proces)へと発展し、2004年5月1日に教会合併が行われ、オランダプロテスタント教会(Protestantse Kerk in Nederland (PKN))が設立されました。

ポップ牧師について
https://www.trouw.nl/voorpagina/de-achttien-f-j-pop-1903-1967~bcb1a34e/

18人の会について
https://nl.wikipedia.org/wiki/Groep_van_Achttien_(PKN)

2025年9月14日日曜日

復活の体

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「復活の体」

コリントの信徒への手紙一15章35~49節

関口 康

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか」(36節)

今日はパウロのコリントの信徒への手紙一を開きました。内容に入る前にこの手紙の著者パウロについてお話しします。それが今日の箇所の内容にも関係します。

パウロは「使徒」です。しかし、彼は「生前の」主イエスが直接お選びになった12人のひとりではありません。使徒の名簿(マタイ10章 2 ~ 4 節、マルコ 3 章16~19節、ルカ 6 章14~16節)の中にパウロの名前はありません。パウロは13人目の使徒です。ただし、ユダの自死(マタイ27章 3 ~10節、使徒 1 章18~19節)とマティアの補充(使徒 1 章21~26節)を経ていますので「12-1+1+1=13」です。

しかし、パウロは、まだ「サウロ」と名乗っていた頃、復活の主イエスと出会いました。「姿を見た」とは書かれていません。書かれているのは「突然、天からの光がパウロの周りを照らし、彼は地に倒れ、「『サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』と呼びかける声を聞いた」(使徒 9 章 5 節)です。パウロは復活の主イエスを目で見ておらず、「声を聞いた」だけです。

パウロが「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねたら「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(同上節)と答えが返って来ました。その日から3日間、その光の輝きのためにパウロの目が見えなくなりました(使徒22章11節)。

その後、主イエスの弟子のアナニアと出会ったとき、パウロの目は見えるようになり、アナニアから洗礼を受けてキリスト者になりました。復活の主はアナニアにも「パウロのもとに行け」とお命じになりました(使徒 9 章10節)。

洗礼を受けてキリスト者になったパウロは伝道者になり、「使徒」を名乗るようになりました。使徒言行録14章の4節と14節に「バルナバとパウロ」が「使徒」と呼ばれ、バルナバが14人目の使徒であるように読めますが、そのことが記されているのはその箇所だけです。

パウロが自分を「使徒」と呼んでいるのは彼の書簡です(ローマ  1 章 1 節、コリント一 1 章 1 節、ガラテヤ 1 章 1 節)。彼が自分を「使徒」と呼ぶのは、12人の使徒と「権能」(authority)において「同等」(equal)であると主張することを意味します。

パウロは「生前のイエス」を知りません。それどころか、彼は熱心なキリスト教迫害者でした。洗礼を受けた後も、教会の人々にすぐには信用してもらえませんでした(使徒 9 章26節)。そのパウロが、それでも自分には12人の使徒と同等の権能が与えられていると言えたのは「イエス・キリストが復活し、今ここに生きておられること」以外に根拠はありません。

ここまでで私が申し上げたいのは、イエス・キリストの復活の事実は、パウロの「使徒」としての自覚と深い関係にあった、ということです。

今日の箇所に記されているのは、そのパウロが「イエス・キリストの復活」と「死者の復活」を信じることができない人々から受けた反論に対する応答です。

15章12節に「キリストは死者の中から復活した、と宣べ伝えられているのに、あなたがたの中のある者が、死者の復活などない、と言っているのはどういうわけですか」とあるように、「復活など信じられない」という反発は当時からあったことが分かります。

その人々が「死者はどんなふうに復活するのか、どんな体で来るのか」見せてみろよとパウロに突っかかって来たのでしょう。その問いにパウロが答えているのが今日の箇所です。

皆さんの中に「復活を信じられない人の気持ち」が全く理解できないとお感じの方がおられるでしょうか。私は理解できます。「私もほとんど信じられません」と言いたいほどのレベルです。「牧師さんにそういうことを言われると困ります」と思われるでしょうか。「死者はどんなふうに復活するのか(見せてみろよ)」という問いは、私も共有しています。

その問いへのパウロの答えが「愚かな人だ」(36節)なのは困ります。「ばかものめ」ですから。乱暴な言い方をされると、みんなつまずいてしまいます。もう少しソフトに答えてほしいです。

言い方の問題はともかく、パウロは 2 つのたとえを用いて、反論に答えています。

第 1 の答えは、穀物のたとえです。

「あなたが蒔くものは、死ななければ命を得ないではありませんか。あなたが蒔くものは後でできる体ではなく、麦であれ他の穀物であれ、ただの種粒です」(36~37節)。

第 2 の答えは、名付けが難しいたとえです。

「神は、御心のままに、それに体を与え、一つ一つの種にそれぞれ体をお与えになります。どの肉も同じ肉だというわけではなく、人間の肉、獣の肉、鳥の肉、魚の肉と、それぞれ違います。また、天上の体と地上の体があります。しかし、天上の体の輝きと地上の体の輝きは異なっています。太陽の輝き、月の輝き、星の輝きがあって、それぞれ違いますし、星と星との間の輝きにも違いがあります」(38~41節)。

これは現代の自然科学の知識を前提にして読むと、かえって全く理解不可能です。パウロが西暦1世紀の人であることを忘れてはいけません。パウロが言おうとしているのは、どちらかといえば文学や哲学に近いことです。無理に言葉にすれば「命の同一性と差違のたとえ」です。

たとえば、私と皆さんは同じ「人間」です。しかし、だからといって「私たちは水とたんぱく質とカルシウムと脂肪のかたまりです」的に一緒くたにされるのは、いくらなんでも嫌でしょう。

あるいはまた、「ねずみ」も「へび」も「人間」も「命」であることに変わりなくても、「あなたはねずみと同じです」と言われると抵抗があるでしょう。

神がすべての存在を創造されたとき、「個性を創造された」と言えるほどに、それぞれが別々の存在として造られました。それが聖書の教えです。

しかしまた、命の連鎖的な関係性があることも事実です。「食物連鎖」をご存じでしょう。植物を昆虫が食べ、昆虫を鳥や獣が食べ、鳥や獣を人間が食べる。

それは「水の循環」にも似ています。海や川の水が蒸発して雲になり、雨が降り、川になり、人と生き物を潤し、再び川になり、海に戻る。同じだけど違う。形を変えながら受け継がれていく何か。

ここで私たちが注意すべきことは、「蘇生(そせい)」と「復活(ふっかつ)」の区別です。英語だとどちらもresurrection(レザレクション)ですが、日本語では意味が全く違います。

「蘇生」とは「仮死状態から息を吹き返すこと」つまり「死んでいない」のですが、「復活」は死を必ず経由します。だからこそ「復活」には奇跡の要素があり、信じるか信じないかの問題になります。「蘇生」は信じるか信じないかの問題ではありません。

しかし、私たちにとって信じるのが難しい「死者の復活」と、現代的な意味での「食物連鎖」や「水の循環」は「同じです」(42節)とパウロが言ってくれています。もしこういう信じ方でもよいのであれば、私には「復活」が少しぐらいは理解可能になります。

福音書には「死んだイエスが墓から出てくる」場面が確かに描かれていますので、信じられるかどうかのハードルが高くなりますが、それも「復活」についてのひとつの信じ方です。

私たちが信じるべきことは、イエス・キリストは、十字架の上でご自身の命をささげられたからこそ、今ここにおられ、私たちに御言葉を語りかけてくださっている、ということだけです。

(2025年 9 月14日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)