2025年6月29日日曜日

洗礼と聖餐

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「洗礼と聖餐」

コリントの信徒への手紙一11章23~34節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑨

関口 康

「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです」(26節)

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典(せいれいてん)を執り行ひ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教を計画したのは私です。誰からも強いられていません。カトリックでは7つ(seven)、プロテスタントでは2つ(two)の「サクラメント」(Sacraments)についてお話しする流れになることはもちろん分かっていました。しかし、いざ向き合うと最も話しにくいテーマであることを痛感いたします。今からでも逃げ出したいです。

逃げたい理由は2つあります。1つは、キリスト教会の歴史の中で「洗礼と聖餐」の理解が非常に多く分かれてきましたが、相互理解や議論のないまま30余派の旧教派が合同して1941年に創立した日本基督教団の中で「これが答えです」と言えるものが存在しないからです。スズメバチの巣に手を差し入れるチャレンジャーになる勇気は私にはありません。

2つ目の理由は、私です。「何人の人に洗礼を授けたか」は牧師の手柄ではありません。しかし、牧師の能力や魅力と無関係であると考えてくださるのは、よほどお優しい方でしょう。人気投票の面がないとは言えません。隠退直前の牧師から〝記念洗礼〟を受ける方がおられるほどです。

私は1990年4月に日本基督教団補教師になり、1992年12月に正教師になりました。補教師と正教師の最も大きな違いは聖礼典を執行できるかどうかです。私は正教師按手から数えると33年目。私が洗礼式をしたのは、幼児洗礼を含めて11名です。私の子どもも含まれます。今日のテーマについて話しづらいと感じるのは、堂々たる成果を披露するというような話にならないからです。

私が洗礼を授けさせていただいた中に、差しさわりのない範囲内でご紹介したい方々がいます。ちょうど20年前の2005年に集中して、多くの方々が受洗を志願なさいました。全員が同い年、しかも私の父と同い年でした。「ナチス台頭の年」生まれ。当時72歳。団塊世代のひと回り上。終戦が小学6年。小学校ではひとりが悪さすると連帯責任論でクラス全員が教師に殴られ、中学入学と同時に民主主義になった世代です。

いま考えると、時代の流れと関係があったようです。全員が「元公務員」という共通点を持っていました。元官僚、元都庁職員、元都立学校長。その中の複数の方からお聞きした言葉は「私は若い頃から洗礼を受けたいと願っていたが、職場で中立を求められた」ということでした。

私の両親も公務員でしたので、その方々のおっしゃることは理解できました。私の父にその能力が無かったと言われれば返す言葉はありませんが、一度も管理職に就きませんでした。ゼネストに反対して父だけ学校に行ったことで教員組合とうまく行かなくなったと、退職後だいぶ経って父から聞きました。日曜日に教会に行く人間は、部活の顧問などもできなかったでしょう。

それでも両親は私と兄を連れて教会に通いましたが、2人とも家ではずっと不機嫌でした。何が悲しくて教会に通っているのだろうと私は子ども心に思っていました。当時は校内暴力全盛期。裏返せば、管理教育全盛期。それが1970年代から80年代までのわが国の事実です。

それから20年後。2005年の日本に何があったでしょうか。ネットで調べてみました。郵政民営化開始、京都議定書発効、クールビズ開始、国内人口の自然減開始。流行語大賞「小泉劇場」。時代が大きく変わりました。

あとふたり紹介させてください。ひとりは2005年でなく何年か後に受洗なさいましたが、やはり同じ世代の方でした。ペンネームを持っておられたスポーツ新聞の元記者でした。「金田(正一)くんや王(貞治)くんとは仲がいいが、長嶋(茂雄)くんはボクよりも若い」と教えてくださいました。お連れ合いの入院を機に、教会に通いはじめられました。教会に通いはじめてちょうど1年後、「私に洗礼を授けてください」と申し出られました。

もうおひとりも、やはり同じ世代の男性でした。「洗礼は大学のころ受けました。その直後から教会に通うのをやめました。教会を50年サボりました。こんな私でいいですか」とおっしゃいました。復帰式を行ってお受け入れしました。ホームに入られるまで、毎週礼拝に通われました。

この方々が今どうしておられるかは分かりません。この方々と出会えたおかげで、私の辞書に「絶望」の2文字がありません。教会には明るい未来しかありません。

職場なのか、どこなのか、何なのかは分かりません。なんらかの力によって拘束されて、洗礼を受けたくても受けられないでいる方々がおられます。個人の決心や意志の強さでどうなるものでもありません。その方々を神が必ず解放してくださいます。その日を信じて待つ思いです。

しかし、「洗礼と聖餐」というテーマを掲げた以上、全く触れずに終わるわけには行きません。

一昨日(6月27日)、東支区壮年委員会の方々が足立梅田教会をご訪問くださり、私が礼拝説教を担当しました。その内容を教会ブログで公開しました。そのとき話したことを繰り返します。

「聖餐式」の原型は「最後の晩餐」であり、それはユダヤ教の「過越祭」として行われたものでした。主イエスがイスカリオテのユダに「浸したパン(または食べ物)を渡した」と聖書に記されています(マタイ26章23節、マルコ14章20節、ヨハネ13章26節)。主イエスが〝何〟にパンを浸したのかを調べたら、2つの可能性があると分かりました。

ひとつは「共に食事をする」という意味しかない「一緒に手を鉢に浸す」という慣用句があったという可能性です。もうひとつは「ハローセト」(Charoset)だったという可能性です。

ハローセトとは、果物やナッツなどを砕いてワインやはちみつを加えたこげ茶色の食べ物です。ユダヤ人は今でも過越祭のたびにハローセトを作ります。その色や質感は、ユダヤ人がエジプトでの奴隷状態の強制労働の中で使ったモルタルやレンガや泥を思い出すものです。

もし後者で正しいなら、「最後の晩餐」を受け継ぐ「聖餐式」は、奴隷状態からの解放の喜びの祝いであることがより明確化されるでしょう。主イエスがユダに「浸したパン」を渡した意味は、主イエスへの裏切りは奴隷状態への逆戻りを意味するが、あなたはそれで本当によいのかという問いかけです。

この私をあらゆる束縛の中から解放してくださった神に感謝し、神を永遠に喜ぶ具体的な場が「聖餐式」ならば、それにあずかる前に、神の恵みのもとに生きる決心と約束を、神と教会との前で言い表わすのはふさわしいことです。

「バプテスマと主の晩餐との聖礼典」は、プロテスタント教会の伝統的な用語を用いていえば、私たちの決心と約束の「しるし」(signs)と「印章」(seals)です(『ハイデルベルク信仰問答』(1563年)英語版(Christian Reformed Church (CRC) 訳)第66問など)。

(2025年6月29日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る

2025年6月27日金曜日

ユダにパンを渡す

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「ユダにパンを渡す」

ヨハネによる福音書13章21~3

日本基督教団東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝

関口 康

「イエスは、『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた」(26節)

今夜の御言葉は、日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所です。主イエスが十字架につけられる前の夜、最後の晩餐でイスカリオテのユダにパンをお渡しになった場面です。

主イエスはパンを浸して取り、ユダにお与えになりました(26節)。パンを「何」に浸したのでしょうか。

マタイ26章23節とマルコ14章20節によると、主イエスはパンを「鉢」(τρυβλίον トルブリオン。英語bowl)に浸しました。しかし、知りたいのは鉢の中身です。可能性が2つあることが分かりました。

(1)第一の可能性

第一は、「一緒に鉢に手を浸す」(Ὁ ἐμβάψας μετ’ ἐμοῦ τὴν χεῖρα ἐν τῷ τρυβλίῳ)という表現は「食事を共にすること」以上の意味を持たない当時の慣用句だったという可能性です(ウォルター・バウアー『新約聖書辞典』の立場)。

高知の「皿鉢(さわち)料理」を思い出します。または「同じ釜の飯を食う」「鍋をつつく」など。食事会をコロナでやめたという人や会社が多いかもしれません。教会も同じです。みんなで分かち合う、協力するという大事な意味があったはず。鍋奉行がいたり。裏切りとはそのような関係性を破壊することを意味する、というメッセージになるでしょう。

(2)第二の可能性

第二は、主イエスはパンを「(☆   )」に浸したという可能性です(H. L. シュトラック、P. ビラベック共著『タルムードとミドラッシュに基づく新約聖書註解』全4巻(1922~1928年)の立場)。

①青野太潮『初期キリスト教思想の軌跡』(新教出版社、2013年、63~64頁参照)によると、主イエスがお生まれになったのがヘロデ大王の没年の紀元前(BCE)4年と同じか紀元前5年。十字架刑はほぼ間違いなく紀元(CE)30年4月7日。これで正しければ、「最後の晩餐」の日付は「西暦30年4月6日」。

②全福音書が教えているのは「最後の晩餐」はユダヤ教の「過越祭」だったということです。ただし、ひとつの解説(J.T.Nielsen, Het Evangelie naar Mattheüs, III, PNT, 1974)によれば、その場合の「過越祭」は広い意味です。 
 
③マタイ26章17節とマルコ14章12節に「除酵祭の第一日」に主イエスが弟子たちに過越祭の場所探しを命じるなど準備を始めたことが記されています。しかし厳密に言えば、その日から始まる1週のうち、「過越祭」は(太陰暦の)ニサン(現行の西暦(グレゴリオ暦)の3月から4月)の14日から15日の夜に祝われ、その直後のニサン15日から21日までが「除酵祭」です。「除酵祭の第一日」には祭りの準備は完了していなければなりませんでしたが、未完了だったということは「初日」ではなく「前日」の意味だろうと考えられます。

④西暦1世紀のユダヤ教が狭義の「過越祭」と「除酵祭」を合わせて「過越祭」と呼んだので、マタイもマルコも両者を区別しません。過越祭は、エジプトでの奴隷状態からの解放の祝いであり、七週祭(ペンテコステ)と仮庵祭と共に、ユダヤ教3大巡礼祭の一つでした。

⑤過越の食事は日没後に始まり、夜遅くまで続きました。それは必ずエルサレムの城壁内で行われなければなりませんでした。当時、エルサレムはイスラエル全部族の共有財産だったため、巡礼者たちは過越を祝うために、誰の家でも訪れる権利がありました。彼らは無料で宿泊場所を与えられ、もし空きがあれば過越を祝うための部屋を自由に利用できました。

⑥過越の食事は夕方に行われます。元々は立って食べましたが(出エジプト記12章11節)、横になって食べます。

⑦「最後の晩餐」が「聖餐式」の原型です。私たちの関心になりうるのは、聖餐式でどんなパンを食べるのかです。普通のパンなのか、無酵母パンなのか。「最後の晩餐」で用いられたのは無酵母のパンでした。主イエスはこのときの過越祭の食事で当時のパレスチナのユダヤ人と同じ行動をとっています。しかしマタイは普通のパンを意味する「アルトス」という語を用いています。無酵母パン(マッツァー)は「アズモス」という別の言葉があります。

⑧過越の食事はコースメニューになっています。ユダヤ法(ハラハー)によれば、メインディッシュは「パン、サラダ、(☆   )、子羊」です。マタイ26章23節は主イエスがパンを「浸した」(ἐμβάψας エムバパス)と過去形で記し、マルコ14章12節は「浸している」(ἐμβαπτόμενος エムバプトメノス)と現在進行形で記しています。食事中は、各人は自分の鉢を目の前に置かなければなりませんでしたが、最初のコースを食べている間、鉢が共用状態であったときのことが描かれていると考えられます。

⑨(☆   )は細かく刻んだ果物とナッツを混ぜ合わせた甘くて濃い色の食べ物です。レシピはたくさんあります。色と質感はイスラエル人がエジプトで奴隷状態にあった際に使用したモルタル、または日干しレンガを作るのに使われた泥を思い起こすものです。名称は「粘土」を意味するヘブライ語「 חֶרֶס へレス」に由来します。

第二の可能性の場合は「鍋をつついた」とか「同じ釜の飯を食った」というよりも宗教的な意味が増すでしょう。主イエスへの裏切りは、人間同士の信頼関係を破壊するだけではなく、神との約束を反故にし、解放を望んでせっかく脱出したあの不自由な関係性への逆戻りを意味する、というメッセージになるでしょう。

主イエスにとってユダの裏切りは、やはり残念なことでした。だからこそ主イエスは「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」(マタイ26章24節)と厳しいことをおっしゃいました。

「どうぞご自由に」など言えるはずがないではありませんか。夫または妻、親または子、友人に裏切られたとき、「どうぞご自由に」と言えますか。人によるかもしれません。しかし、関係が近ければ近いほど、裏切りがもたらす傷は大きいです。

それでも主イエスは、ユダの心も他の弟子たちの心もすべてをご理解なさったうえで、ご自身の意志で、父なる神の御心に従い、十字架への道を進まれました。

主イエスはユダを最後まで愛しておられました。ユダの後任者を選んだのは他の弟子たちです。主イエスはユダを除名していません。ユダの代わりはいません。取り換えがきかない、かけがえのない弟子です。

主イエスは、ユダのためにも、十字架にかかって死んでくださいました。

教会は、よみがえられた主イエスの愛がつくり出した共同体です。主イエスは一度愛した相手を見捨てません。私たちがどれほど心変わりしても、主イエスは私たちを愛し続けておられます。

私たちの教会の聖餐式のパンには、「(☆   )」どころか、マーガリンもジャムも付いていません。しかし、聖餐を受けるたびに、神の愛の約束のしるしであることを思い起こすことが求められています。

(2025年6月27日 東京教区東支区壮年委員会教会訪問礼拝、日本基督教団足立梅田教会)

2025年6月22日日曜日

礼拝と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「礼拝と宣教」

テモテへの手紙二4章1~8節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑧

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」(2節)

「教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝へ」(日本基督教団信仰告白)

日本基督教団信仰告白は「教会」を「公の礼拝を守り、福音を正しく宣べ伝える」団体としています。

「福音を正しく」の「正しく」は公式の英語版で〝aright〟です。教会が語る「正しさ」は聖書の解釈という手続を必ず採りますので、多様性が生じることは避けられません。

突き詰めていえば、私たち人間は神の御心を完全に知ることはできません。謎は残り続けます。神の不可把握性(incomprehensiveness / incomprehensibility of God)の教理と言います。

教会の仕事は「①礼拝」と「②宣教」です。もうひとつ信仰告白に記されている教会の仕事は「③愛のわざ」です。「①礼拝」と「②宣教」と「③愛のわざ」に取り組むのが「教会」です。

「③愛のわざ」は公式英語版では〝works of love〟と訳されています。最も近いのはチャリティ(charity)です。「洗礼と聖餐」は「①礼拝」を構成する要素として位置付けるほうがよいと私は考えます(【チャート】タイプ1)。

しかし、今ご紹介したのとは異なるタイプのチャートを描く人たちもいます。それは「②宣教」について狭い意味の「説教」だけを指すと考える立場です(【チャート】タイプ2)。

【チャート】教会の仕事のとらえかたの2つのタイプ

「福音を正しく宣べ伝え」は、公式英語版で〝preaches the Gospel aright〟と訳されています。プリーチ(preach)ならば、確かに「説教」です。「①礼拝」の中に「(「②宣教」と同義扱いの)説教、洗礼、聖餐」を配置すれば、独立した「②宣教」は不要になり、教会の仕事は「①礼拝」と「(③から繰り上げて)②愛のわざ」の2つになります。

しかし、これはだんだんおかしな話になっていきます。「礼拝」の要素は「説教、洗礼、聖餐」だけですか、「讃美歌」や「祈り」や「献金」はどうでもいいと思われているのですか、と不満を感じる人が現れて当然です。

それと、狭い意味での「説教」とは区別される「②宣教」に否定的な人たちは、とにかく教会の中に社会問題や政治運動の要素が入って来ることに警戒してきました。

私は違います。狭い意味での「説教」とは区別される、社会問題や政治運動を含む「②宣教」が「①礼拝」と「③愛のわざ」と並んで大事です。しかし、そうでない考えの人々がいます。そこで論争が起こります。

「①礼拝」については、教会の内部で自己完結していても問題ありません。信者だけで集まり、信者だけに理解できる言葉で語り合い、互いに励まし合う自己目的的な集会を行うのは、少しも悪いことではありません。

しかし「②宣教」と「③愛のわざ」まで、教会にとって自己目的的であるわけには行きません。教会の外へと開かれた方向性が無いような教会は空虚です。だいたい、内部で自己完結しているような閉鎖的な団体にあえて新しく加わろうとする人はいないでしょう。息苦しくて仕方がないと思われても仕方ありません。

また、日本基督教団は第二次大戦のとき主体的に戦争協力した経緯があります。そのことを反省し、「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」(1967年)を当時の鈴木正久教団議長名で公表しました。

教会だからといって、社会や政治の問題に目をつぶるわけに行かないのです。

教会だからこそ、聖書とキリスト教に基づいて、社会の問題、政治の問題について、何を考え、何を語り、何を行うべきかを示すことが求められています。

私たちの敬愛する北村慈郎牧師は、社会や政治の問題に熱心に取り組んで来られました。

今日の朗読箇所にある「御言葉を宣べ伝えなさい。折(おり)が良くても悪くても励みなさい」(テモテへの手紙二4章2節)の意味をよく考える必要があります。

「折が良くても悪くても」(エウカイロース・アカイロース εὐκαίρως ἀκαίρως)を、英語聖書は16世紀から20世紀まで一貫して〝in season and out of season〟(KJV, RSV, NIV, REB)と訳しています。シーズンの問題になっています。

しかし、これは「暑い夏でも負けずにがんばれ」とか「凍えそうな季節に君は」というような話でしょうか。そうではないでしょう。社会や政治や国、時代や世代の問題が関係しているのではないでしょうか。

私は先週、かなり長い時間を、前回の説教の最後に触れた「教会の外に救いなし」という言葉を遺した西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(西暦200年頃~259年頃?)について調べることに費やしました。

キプリアヌスについての文献

私はこれまでキプリアヌスについて何も知りませんでした。しかし、詳しく調べているうちに、以前皆さんに紹介したことがあるロドニー・スターク著『キリスト教とローマ帝国』(新教出版社、2014年)で取り上げられていた問題に、キプリアヌスの存在が大きくかかわっていたことが分かりました。

スターク説とは、西暦2世紀から3世紀にローマ帝国で大流行した疫病の罹患者への献身的対応とキリスト教宣教の進展との関係についての歴史仮説です。

疫病は、流行のピークにはローマだけで1日に5千人が亡くなったという報告があるほどのひどいものでした(スターク、同上書、101頁)。

その中で「死を恐れない信仰」を持つ特に女性のキリスト者たちが、感染の危険を知りつつ患者の体に触れて看護したことで、互いに愛情が芽生え、結婚して家族になり、しかも出産後の嬰児を選別しないキリスト者の人口が増加したため、西暦4世紀にキリスト教がローマ帝国の国教になった、というものです。

その疫病がアフリカのカルタゴに西暦251年(*252年と記す資料もあります)に襲ったときのカルタゴの司教がキプリアヌスでした。スタークがキプリアヌスの言葉を紹介しています。

「この疫病は恐ろしくて致命的なものと見えはするが、おのおのの正義や心を吟味するために、これほど適切で、これほど必要なことがあろうか。健康な者が病気の者を世話したかどうか。近親者がその親族を愛情込めて愛したかどうか。主人たる者が使用人の疲労や衰弱に同情したかどうか、医師は懇願する患者を見捨てたりしなかったかどうか。この死すべき定めが他に何を与えないにしても、神の僕であるわれわれキリスト者にとって、死を恐れないことを学ぶにつれて、喜んで殉教することを望むようになる。これは訓練であって葬式ではない。これは心に剛毅の栄養を与え、死を軽んじることによって、勝利の栄冠を準備するのである」 

(キプリアヌス『死を免れないことについて』15-20。スターク、同上書、106~107頁から引用)。

ロドニー・スターク『キリスト教とローマ帝国』

キプリアヌスは西暦200年頃生まれ。誕生日は不明。アフリカのカルタゴの比較的裕福な家庭出身。学者として名声を得た後、45歳頃キリスト教に入信。私財を売り払って貧困の人々に施し、教会の長老になりました。

48歳か49歳の頃、カルタゴ司教に選出。入信からの期間が短すぎたため、キプリアヌスの司教推挙に反対する者が多くいましたが(「少なくとも5人の長老が反対した」E. ファーガソン編『初期キリスト教辞典』(英語版、1990年)「キプリアヌス」の項参照)、教会員から厚い支持を得ていました。

キプリアヌスが51歳か52歳(西暦251年か252年)のときカルタゴに疫病が襲いかかりました。58歳(258年9月14日)(*日付はF. L. クロス『教父学概説』(日本聖公会出版事業部、1969年、145頁)参照)、ローマ総督に逮捕されて斬首。司教としてアフリカ最初の殉教者になりました。

殉教前の裁判における遺言の内容は「聖なるキュプリアヌスの行伝」(土岐正策訳)『殉教者行伝 キリスト教教父著作集22』(教文館、1990年、121~128頁)で読むことができます。

100年以上後のアウグスティヌスが「キプリアヌスの著作を聖書とみなしてはならない」(Contra Cresconium, 2. 31, 39, 書簡93. 10. 35参照)と強調しなければならなかったほど、キプリアヌスはアフリカで尊敬されました(F. L. クロス、同上書、146頁参照)。

「宣教」の意味を考えさせられます。狭義の「説教」や「伝道」に収まるものではありません。

(2025年6月22日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る

2025年6月15日日曜日

教会の使命

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「教会の使命」

コリントの信徒への手紙一12章12~26節

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑦

関口 康

「一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです」(26節)

「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白は「使徒信条」の部分を含みます。私たちが今学んでいる部分は「前文」と呼ばれることがあります。「前文」と言うにはあまりに濃い内容なのですが。

今日の箇所から「我らはかく信じ、代々(よよ)の聖徒と共に使徒信条を告白す」の直前までが「教会の教理」(Doctrine of the Church)または「教会論」(Ecclesiology)です。

内容は教会内部の事柄です。教会の外部、たとえば社会や政治や国や文化の問題に日本基督教団信仰告白は触れていません。もっぱら教会の形式(forms)と手段(means)を描いています。

教会の信仰告白は「教会の自己主張」なので、これで問題ありません。信仰告白に外部の事柄を記すことの必然性はありません(*ファン・ルーラー「教会の自己主張」(De pretentie van de kerk)1958年、『著作集』第5A巻(2020年)、180~195頁参照)。

教会の「内」と「外」の区別には不快感があるかもしれません。しかし、線引きをやめると日本の教会は一瞬で消し飛びます。世界人口約81億人の3分の1(約23億人)がキリスト者である中、日本のキリスト教人口は1パーセントです。私たちには「教会を護る」責任があります。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所は「教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集ひなり」です。すべてを私たちに当てはめて考えることが大切です。

「教会」は足立梅田教会です。足立梅田教会は「キリストの体」であり「恵みによって召された者の集い」です。具体的な教会をイメージできないような信仰告白は空虚です。コヘレトと共に「すべては空しい」と言わなくてはなりません(コヘレトの言葉1章2節)。

教会を「キリストの体」と呼んでいる、またはその意味のことが記されているのは、ローマの信徒への手紙12章5節、コリントの信徒への手紙一12章12~27節、エフェソの信徒への手紙1章23節、コロサイの信徒への手紙1章18節です。この中で最も詳しい説明があるのは、今日の朗読箇所の第一コリント12章12節以下です。

これは比喩です。たとえ話です。文学表現です。SFホラー映画のような不気味なイメージを持ち込まないでください。そういうのよりもはるかにリアルに、教会の現実を描いています。

たとえられているのは人間の体です。「体は、ひとつの部分ではなく、多くの部分から成っています。足が、『わたしは手ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。耳が、『わたしは目ではないから、体の一部ではない』と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか」(コリント一12章14節以下)と、「足、耳、目、鼻、手」などを持つ存在が想定されています。

私が気になるのは、足や耳がしゃべりはじめるという、コミカルとさえ言える非現実的な表現をパウロが用いていることの意味です。明らかに非現実的なのに不思議なリアリティがあります。

自分の体の一部または全部が気に入らないと思っている人がおられるでしょう。私がそうです。「もう少し鼻が高ければ、もう少し足が長ければ」と言い出せばキリがありません。

足や耳はしゃべらないかもしれませんが、わたしたちの脳は全力で自分の姿かたちを呪っているかもしれません。足と手、耳と目はけんかしないかもしれませんが、人間の心が、体の一部または全部を呪い、変身したがっているかもしれません。

そのように私たちが心の中で自分の体の〝部分の切り捨て〟を求める思いが、教会の現実にそのまま当てはまります。教会の内部分裂の問題です。「あの人がいるから教会に行けなくなった」「あの人は要らない」「牧師が気に食わない」等々。

そのとき頭(かしら)としてのイエス・キリストが来てくださいます。「あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です」(第一コリント12章27節)。この教えと「キリストは教会の頭(かしら)です」(エフェソ1章22節、コロサイ1章18節)という教えが一対(いっつい)の関係です。キリストは教会の頭(かしら)であり、教会はキリストの体です。

「第一コリント12章12節以下に『教会はひとつの体であり、多くの肢体を持つ』と〝書かれていない〟ことが注目に値する」と書かれた註解を読みました(F. J. Pop, De eerste brief van Paulus aan de Corinthiërs, De prediking van het Nieuwe Testament, 1965)。

そのとおりだと思います。パウロが書いているのは「教会はキリストの体であり、一人一人はその部分である」ということです。キリストがいなくなるとすべてがバラバラです。一致も統制もありません。それで問題ありません。統制など大の苦手です。

教会は、同じ服を着、同じ言葉をしゃべり、同じことをする人たちの集団ではありません。唯一の一致点はキリストです。それ以外は自由人です。それが「教会」です。

信仰告白の今日の箇所でもうひとつの重要な教えは「(教会は)恵みにより召されたる者の集ひなり」です。

これは「召命」が前回までに学んだ「予定、義認、聖化」に並ぶ「恩恵論」の一部であることを教えています。「救済の順序」(オルド・サルティス)の中で「召命」の位置は「予定」と「義認と聖化」の間ぐらいです。

「召命」(しょうめい)は「命(いのち)を召(め)す」。「使命(しめい)」は「命(いのち)を使(つか)う」。似ている言葉ですが、主語が変わります。「召命」の主語は「神」です。「使命」の主語は「人間」です。

注意すべきことは、「召命」(英語Calling、ドイツ語Beruf、ラテン語vocatio)を狭すぎる意味でとらえるのをやめることです。「教職者になること」だけを指すと思われがちです。それは日本基督教団信仰告白の教えに反します。「恩恵による召命」を受けて「教会」のメンバーになったのは全キリスト者です。

「召命」とは、人が救われるために用いられるすべての形式と手段を指します(*「召命とは、それを通して救いの適用が起こる形式と手段である」(De vocatio is de vorm, het middel, waardoor de applicatio salutis geschiedt)、ファン・ルーラー「召命論(De vocatione)」(1961~1970年)『著作集』第4B巻、2011年、312頁)。

この広い意味の「召命」の中に「公の礼拝」も「福音の宣べ伝え」も「洗礼と聖餐の聖礼典」も「愛のわざ」もすべて含まれます。神がこれらの形式と手段を用いて、わたしたちに救いの恵みをもたらしてくださるのです。

西暦3世紀のラテン教父キプリアヌス(Cyprianus [200頃-259頃])が「教会の外に救いなし」(quia salus extra ecclesiam non est)という言葉を遺しました(*キプリアヌス『書簡』73. 21. 2。ファン・ルーラー「教会の自己主張」、同上書、182頁、191頁からの引用)。

「なんと傲慢な!」と反発を招きやすい言葉です。しかし、真理を言い当てています。神が人を救うための恵みの手段は「教会」という形を採るからです。神の声は教会を通して聴こえます。

(2025年6月15日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る

2025年6月8日日曜日

聖霊の働き

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「聖霊の働き」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑥

ローマの信徒への手紙12章1~8節

関口 康

「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」(1節)

「この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ」(日本基督教団信仰告白

今日は「ペンテコステ(聖霊降臨日)」の礼拝です。キリスト教会の歴史的出発をお祝いする日です。

新約聖書によると、死者の中から復活された主イエス・キリストが天に昇られた後、主イエスの弟子たちがひとつの部屋に集まっているところに、父なる神とイエス・キリストのもとから聖霊が降り、弟子たちにとどまりました(使徒言行録1~2章参照)。

「炎のような舌」(使徒言行録2章3節)が弟子たちの上にとどまるなど、聖書に描写されている情景が「ホラー映画のようだ」と感じる向きがあるかもしれません。しかし、それは聖書の読み方の問題です。明らかに文学的表現が用いられています。

「炎のような舌」は、神の御言葉を炎のように熱い思いで力強く宣べ伝える教会がそのとき生み出された、と言いたいだけです。そのように考えながら読めば、意外なほど安心できる当たり前の情景が描かれていることが分かります。

5月4日(日)から「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を続けています。偶然の一致ですが、「聖霊の働き」について記されている箇所がペンテコステ礼拝の日に巡って来ました。まさにふさわしいテーマですので、両者の要素を掛け合わせてお話しいたします。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所も、「この変らざる恵みのうちに」と記されているとおり、「神の恵みの教理」(恩恵論)です。人間の努力や功績によらず、神から一方的に与えられる「賜物」(ギフト)としての「神の恵み」です。

日本基督教団信仰告白では、神の恵みの教理(恩恵論)の中に、最初に選びの教理(予定論)と信仰義認の教理(義認論)が配置され、その次に「聖化論」(Doctrine of Sanctification)が配置されています。「聖化論」の内容は以下のとおり。

日本基督教団信仰告白

英訳(公式)

試訳(暫定訳)

この変らざる恵みのうちに

In this unchangeable grace

この二度と取り消されることのない神の恵みの中で

聖霊は我らを潔めて

(The Holy Spirit accomplishes His work) by sanctifying us

聖霊(なる神)は私たちを聖化し

義の果を結ばしめ

causing us to bear fruits of righteousness

義の実を結ばせ

その御業を成就したまふ

The Holy Spirit accomplishes His work

(聖霊なる神ご自身の)御業を成し遂げてくださいます


この文章の主語は「聖霊」です。三位一体の第三位格としての「聖霊」は、端的に「神」です。聖霊なる神ご自身がお選びになった人に信仰を与え、その人は罪人のままなのに、あたかも罪が無い人であるかのようにみなしてくださること(=義認)までが先週の箇所です。それに続く、その人を「潔め、義の実を結ばしめる」部分が「聖化論」です。

「義認」は「みなし」なので法廷的(forensic)概念であり、「聖化」は実体変化を意味するので実質的(substantial)概念であるなどと言われます。

「義の果」の内容は、日本基督教団信仰告白の文面だけでは不明です。しかし、「聖霊の結ぶ実」は「愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です」とガラテヤの信徒への手紙5章22節に記されています。

これは「キリスト教倫理」と呼べる内容です。神の御心にかなう善き行いを指します。最初は「個人」において実現します。それが「キリストの体なる教会」という形態を獲得し、「社会」や「国」や「世界」へと広がります。キリスト教の二千年の歴史がその事実を物語っています。

しかし、私はこのあたりで話を止めて、考え直す必要があると感じます。「予定、義認、聖化」を「人間の努力や功績の結果」ではなく「神の恵み」としてとらえることは間違っていません。しかし、この論理は人間を要らないものにしている気がしませんか。わたしたちの働きは無視ですか。人間の努力は無用ですか。

聖霊の働きを正確に理解する必要があります。聖霊なる神は、私たち「の代わりに」(instead of)働いてくださる方ではなく、私たち「の中で」(in)、私たち「と共に」(with)、私たち「と一緒に」(together)働いてくださいます。私たちの理性も意志も感情も排除されません。

聖霊なる神は、わたしたちをパートナーにしてくださいます。信仰は「与えられるもの」ですが、信じるのは私たちです。「義の実を結ばせる」のは神ですが、義の実を味わって生きるのは私たちです。

今日朗読していただいた聖書箇所は、ローマの信徒への手紙12章1節から8節までです。この箇所で最も大事な言葉は、最初の「こういうわけで」(1節)であると言われることがあります。どうしてそういうことになるのでしょうか。

ローマの信徒への手紙は、大別すると3部に分かれます。次の通りです。

18

信仰義認の教理
(義認論)

911

選びの教理
(予定論)

1216

君たちはどう生きるか
(キリスト教倫理)


このように見ると分かるのは、ローマの信徒への手紙は、1章から11章までが「神の恵みの教理」で構成され、つまり「神のわざ」で埋め尽くされているのに、12章に入った途端、「人間のわざ」の話になる、ということです。

もう少し噛み砕いていえば、1章から11章まで「人間は何もしないで救われる」と言ってくれていて、「ありがたいお話だ」と思いながら読んでいたら、12章になると「君たちはどう生きるか」の話に切り替わって、「ナニ、結局、人間の努力が求められちゃうわけ?なんだ、つまらない」と、がっかりする人はがっかりする(がっかりしない人もいる)展開になっているのが、ローマの信徒への手紙の全体構造だったりします。

なかには「ローマの信徒への手紙は、1章から8章までだけでいい。9章以下は要らない(予定論が嫌いだから)。12章以下は論外だ(道徳的なことは興味ない)」と言い出す人までいます。実際に出会ったことがあります。

しかし、そんなことを言われても困るわけです。ローマの信徒への手紙の1章から11章までの「恩恵論」(義認論+予定論)と、12章から16章までの「君たちはどう生きるか」を問うてくる「キリスト教倫理」をつなぐ重要な蝶番(ちょうつがい)が、12章1節の「こういうわけで」である、というわけです。

これで私が何を言いたいかというと、「人が救われるのは努力や功績によらない」という教えと「神の御心にかなう生活をめざすこと」は両立する、ということです。

神の恵みによって救われた人たちは、その恵みにふさわしい「義の果(ぎのみ)」(fruits of righteousness)を結びながら、潔められた(=聖化された)生活を営みます。

(2025年6月8日 日本基督教団足立梅田教会 ペンテコステ礼拝)

2025年6月1日日曜日

神の恵み

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「神の恵み」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教⑤

ローマの信徒への手紙5章1~11節

関口 康

「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」(1-2節)

「神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」5回目のテーマは「神の恵み」です。

日本基督教団信仰告白の今日の箇所に記されていることは、大きく分けると2つあります。

第1は、「神は恵みをもて我らを選び」の部分に関することです。これは「選びの教理」(Doctrine of Election)または「予定論」(Doctrine of Predestination)と呼ばれます。

第2は、「ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたまふ」の部分に関することです。これは「信仰義認論」(Doctrine of Justification by Faith)ないし「義認論」(Doctrine of Justification)と呼ばれます。

「予定論」と「義認論」を包括する、もっと大きな枠組みが「神の恵みの教理」(Doctrine of God’s grace)です。「恩恵(おんけい)論」または「恩寵(おんちょう)論」と記される場合もありますが、意味は同じです。

「恵み」(Grace)は、16世紀の日本人クリスチャン(キリシタン)の細川ガラシャさんの名前の由来です。スペイン語グラシア(gracia)で「ガラシャ」。意味は「めぐみ」さんです。ラテン語グラティア(gratia)。ドイツ語グナーデ(Gnade)、オランダ語ヘナーデ(genade)。

聖書と教会の教えの中で「神の恵み」は、決して軽い意味ではありません。私たち人間の救いにかかわるすべては神からの「賜物」(ギフト gift)すなわち「いただきもの」であり、人間の努力や功績で得るものではないという教えです。「信仰」すらも「神のプレゼント(いただきもの)」です。私たちが「信じる努力をする」というようなことではありません。

恩恵論に含まれるのは、予定論と義認論だけではありません。来週のペンテコステ礼拝の説教で取り上げる「聖霊の働き」に関する条文の「この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したまふ」も恩恵論に含まれます。「聖霊の潔めの教理」を「聖化論」(Doctrine of Sanctification)と言います。しかし、今日は「聖化論」は扱いません。

いま申し上げていることは「難しい話である」という印象になっていそうな気がしますが、少しも難しくありません。使徒パウロのローマの信徒への手紙8章30節に書かれていることそのものです。「神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです」(ローマ8章30節)。

これは教会の長い伝統の中で「救いの順序」(オルド・サルティス ordo salutis)と呼ばれてきました。あらかじめ定められた(=予定)者が召し出され(=召命)、義とされ(=義認)、潔められ(=聖化)、栄光を与えられる(=栄光化)のは、すべて神のみわざであって、人間の努力の成果ではないことを訴える教えです。「順序」(英語オーダー order)と言っても、時間の順序(chronological order)ではなく、事柄の順序(logical order)です。

この教えは人間に、徹底した謙遜を要求します。なぜなら、自分の努力や功績を交換条件として差し出して「これだけがんばったのだから、私は救われて当然である」と言い出す人間の主張を、神が完全に拒否するからです。

若くて元気で活発に活動できる頃は、この教えに不満を感じるかもしれません。しかし、加齢や病気で、体も心も思うように動かない。礼拝や教会活動に参加できない。自分は忘れられた存在ではないか、不要な存在ではないかと感じる。それでも「私は救われている」と確信できる根拠があるとすれば、それは「神は恵みをもて我らを選び」というこの教えの他にありません。

しかし、今申し上げている「選びの教理」の取り扱いは、慎重でなければなりません。扱い方を間違えると、ものすごく危険な教理になります。なぜ危険なのかといえば、「神に選ばれた人」がいるということは「神がお選びにならなかった人」もいるという、反面の真理を必ず持つからです(昔のLPレコードの「B面」)。

日本基督教団信仰告白の中に「選ばれていない人もいます」という文字が書かれているわけではありません。しかし、人間の想像力は自分以外のだれにも止めることができません。「神は我らを選び」と書かれているではないか。「選ばれた人」がいるということは「選ばれていない人」もいることを意味しているに違いない、と考える人が当然います。

そのように考えてはいけないわけでもありません。なぜなら、聖書にそのとおりのことが書かれているからです。それはローマの信徒への手紙9章18節です。「神は御自分が憐みたいと思う者を憐れみ、かたくなにされたいと思う者をかたくなにされる」。

「神は独裁者なのか」とお感じの方がおられるかもしれません。ある意味で、そのとおりです。すべては神の自由です。だれを選ぶか、だれを選ばないかは人間が決めることではありません。

今回もファン・ルーラーが何を言っているかを調べました(*A. A. ファン・ルーラー「選びの教理」1941年、「選びの教理」1942年、「予定論の危険性と批判」1945年、「神の選び」1958年。すべて『ファン・ルーラー著作集』4a巻(2011年)の中に収録されています。1941年の「選びの教理」のオリジナルテキストは、なんと全495頁の手書きノート。『著作集』では全250頁(本文184頁+校註66頁))。

『ファン・ルーラー著作集』4a巻(2011年)

ファン・ルーラーによると、選びの教理(予定論)に忠実だった偉人は、キリスト教会の歴史の中で3人しかいません。それはアウグスティヌス(354-430)、トマス・アクィナス(1225-1274)、カルヴァン(1509-1564)の3人だけです(ファン・ルーラー、同上書、743頁)。

なぜこんなに少ないかというと、選びの教理(予定論)は、それを言った人が嫌われる仕組みになっているからです。「神によって選ばれた人がいるということは、神がお選びにならなかった人もいるという意味だろう。なんでそんなひどいことを言うのか」と、それを言った人が責められます。決まってそういう反応が返ってきます。

それで、多くの教師が選びの教理(予定論)を口にすること自体を避けるのです。言ったその人が責められるからです。言うのに勇気が必要です。勇気だけの問題ではない気がしますが、言えない雰囲気にされてしまいます。

予定論は、厳密に言えば、二重予定論(double predestination; praedestinatio gemina)です。「選び」(election)と「棄却(または遺棄)」(reprobation)の両面があります。

「棄却(遺棄)の教理はこの世の悪の問題を非常に深く考え抜いたものである」とファン・ルーラーが述べています(拙訳「神の選び」1958年参照)。具体例を挙げていませんが、おそらく戦争犯罪者の問題です。

かのナチスの独裁者も洗礼を受けたキリスト者でした。彼もまた「救いへと選ばれた人」であることに変わりないでしょうか。「すべての人が救われる」でしょうか。これは戦後のヨーロッパの教会において深刻な問題でした。

神は愛に満ちたお方です。しかし、同時にご自身の義に対して忠実で厳しいお方です。白いものを黒と言ったり、善悪の基準を逆転させたりしない方です。「この世の悪の問題」は、あいまいに片づけられてはなりません。

(2025年6月1日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」目次に戻る