2024年8月25日日曜日

全地よ、喜びの叫びをあげよ

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「全地よ、喜びの叫びをあげよ」

詩編98編1~9節

関口 康

「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え」(4節)

今日の説教の準備は難しかったです。詩編98編について書かれた解説書がなかなか見つかりませんでした。

浅野順一先生の全11巻ある『浅野順一著作集』(創文社)の第4巻(1982年)が「詩篇研究」ですが、詩編98編の解説はありませんでした。

私が1980年代後半の東京神学大学で旧約聖書緒論を教わった左近淑先生の『詩篇研究』(新教出版社、初版1971年、復刊1984年)の中にも、詩編98編の解説はありませんでした。

ハイデルベルク大学のヴェスターマン教授(Prof. Dr. Claus Westermann [1909-2000])の『詩編選釈』(大串肇訳、教文館、2006年)にも詩編98編の解説はありませんでした。

やっと見つけたのはドイツの聖書註解シリーズ『ATD(アーテーデー)旧約聖書註解』第14巻「詩編90~150篇」です。この中に詩編98編の解説がありました。

著者はテュービンゲン大学神学部の旧約聖書学者アルトゥール・ヴァイザー教授(Prof. Dr. Artur Weiser [1893-1978])です。しかし解説はかなり古風でした。歴史的な読み方への踏み込みが足りない感じでした。

私が愛用しているオランダ語の聖書註解シリーズにも、詩編98編の解説が見つかりました。最初に調べれば良かったですが、オランダ語がすらすら読めるわけではないので、最後にしました。De Prediking van het oude testament(旧約聖書説教)というシリーズですが、学問的な聖書註解です。

詩編98編の解説を書いたのはタイス・ブーイ博士(Dr. Thijs Booij)です。1994年に出版された『詩編 第3巻(81~110編)』です。

“Thijs Booij (1933) studeerde aan de Vrije Universiteit Amsterdam theologie”(タイス・ブーイ(1933年)はアムステルダム自由大学で神学を学んだ)という記述がネットで見つかりました。1933年生まれだと思います。今も生きておられたら91歳です。

ブーイ先生の解説に私は納得できました。手元にこれ以上の材料はありませんので、ブーイ博士の解説に基づいて詩編98編について説明し、今日的意味を申し上げて今日の説教とさせていただきます。

私は学問をしたいのではありません。聖書を正確に読みたいだけです。自分が読みたいように読むことが禁じられているとは思いません。しかし、たとえば今日の箇所に「新しい歌を主に向かって歌え」と記されていますが、これはどういう意味でしょうか。「作詞家と作曲家に新しい歌を作ってもらって、みんなで歌いましょう」という意味でしょうか。

その理解で正しいとして「新しい歌」でなければならない理由は何でしょうか。「古い歌は時代遅れなので歌うのをやめましょう」ということでしょうか。この詩編が何を言いたいのかを知るために、歴史的な背景を調べる必要があるのではないでしょうか。

ブーイ博士の解説に第一に記されているのは「詩編98編は詩編 96 編と強く関連している」ということです。

「どちらも主(ヤーウェ)の王権について語り、万民の裁判官として来られる主を敬うよう被造物に呼びかける讃美歌である。主の王権については『王なる主』(6 節)として言及されている。主は王として地を裁くために来られる。詩編 98 編はティシュリ月の祝祭を念頭に置いて作曲された。

主の王権は多くの文書の中でシオンと神殿と結びついている。この曲が宗教的な目的以外の目的で作曲されたとは考えにくい。ユダヤ人の伝統では、主の王権はティシュリ月の初日の新年の祝賀と結びついている。」(Ibid.)。

「ティシュリ月」とはユダヤの伝統的なカレンダーです。太陰暦の7月であり、太陽暦の9~10月であり、農耕暦の新年の初めです。ブーイ博士の説明を要約すれば、ユダヤ人の「新年」は秋に始まり、新年祭のたびに「主(ヤーウェ)こそ王である」と宣言する儀式が太古の昔から行われていて、その儀式で歌うために作られた讃美歌のひとつが詩編98編だろう、ということです。

同じ新年祭の儀式で歌われた、時代的にもっと古い讃美歌は詩編93編であるとのことです。詩編93編は、言葉づかいやリズムの格調が高く儀式にふさわしいというのが、そうであると考える理由です。

ブーイ博士が第二に記しているのは「詩編 98 編のもうひとつの特徴は、第二イザヤとの強い親和性(verwantschap)にある」ということです。

「第二イザヤ」(Deuterojesaja; Tweede Jesaja)とは、南ユダ王国で前8世紀に活動した預言者イザヤ(イザヤ書1章から39章までの著者)とは別人です。

イザヤ書44章28節の「キュロス」が前6世紀のペルシア王の名前です。その名前を前8世紀のイザヤが知っていたとは考えにくいというのが、第一と第二を区分する、わりと決定的な理由です。

「第二イザヤ」は、40章から55章までを記した前6世紀のバビロン捕囚とそれに続く時期に活動した預言者です。「第三イザヤ」は56章から66章までの著者です。第二イザヤと同じ前6世紀の人ですが、聖書学者の目でヘブライ語の聖書を読むと文体や思想が全く違って見えるそうです。

詩編98編と第二イザヤの「親和性」についてのブーイ博士の説明に基づいて作成した表は次の通り。

第二イザヤ(イザヤ4055章)

詩編98

4210節a

新しい歌を主に向かって歌え。

1節b

新しい歌を主に向かって歌え。

5210節a

 

主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。

2節b

 

主は恵みの御業を諸国の民の目に現し

 

5210b

 

地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ

3節b

 

地の果てまですべての人はわたしたちの神の救いの御業を見た。

4423

 

天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。

4

 

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。

529

 

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。

5節b

 

琴に合わせてほめ歌え。琴に合わせ、楽の音に合わせて。

5512節b

山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく

8

潮よ、手を打ち鳴らし、山々よ、共に喜び歌え。

ブーイ博士によると「これらの類似点は、詩編98編の作者が第二イザヤの預言に精通し、そこから当時の出来事を理解していたという意味で説明しうる。詩編98編は前538年以降のイスラエルの復興を歌っている。バビロン捕囚からの解放後の初期のものと考えられる」とのことです。

「当時の出来事」とはバビロン捕囚(前597~538年)です。

ブーイ先生の解説の紹介はここまでにします。これで分かるのは、「新しい歌」の「新しさ」とは、国家滅亡という究極の喪失体験(バビロン捕囚)を経て、そこから解放されて国家再建を目指す人々に求められる、心の入れ替えを意味する、ということです。

もはや古い歌(讃美歌)で十分でないのは、主が前代未聞の奇跡を起こしてくださったからです。

わたしたちはどうでしょうか。世界はどうでしょうか、日本はどうでしょうか。足立梅田教会はどうでしょうか。

足立梅田教会に限らせていただけば、最近起こった出来事は牧師が交代したことです。以前と今と何も変わっていないでしょうか。

もし変わったとして、どのように変わったかは私が言うことではありません。もし「新しい時代の訪れ」を感じるなら「新しい歌を歌うこと」が求められています。

1954年版の讃美歌はやめて「讃美歌21」に取り換えましょう、という程度の意味ではありません。「歌は心」です(淡谷のり子さん)。根本的な心の入れ替えが必要です。

神の御業が更新されたなら、わたしたちにも「新しい思い」が必要です。喜びと感謝をもって共に前進しようではありませんか。

(2024年8月25日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年8月18日日曜日

モーセの契約

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「モーセの契約」

出エジプト記34章1~9節

関口 康

主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう』」(1節)。

みなさんはモーセをどれくらいご存じでしょうか。再び旧約聖書学の視点でお話しいたします。ユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」が、キリスト教聖書の最初の5巻と同じです。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。五書の著者はモーセであるとキリスト教会の長い歴史の中で信じられてきたからです。

しかし、そのように今日主張する人は、よほど極端な立場の人か、中身を読んでいない人です。最も単純な理由は、申命記34章5節に「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と記されていることです。自分の死を自分で書ける人はいないだろうというわけです。それだけでなく、中身を読めば読むほど五書をひとりの著者が書いたと考えることが不可能であることを示す証拠が次々と見つかりました。

それで現在考えられているのは、いわゆるモーセ五書は全く異なる時代や文化的背景の中で成立した4つほどの資料が組み合わされてできたものであるということです。資料名を古い順に言えば、「ヤーヴィスト資料(J)」(前10~9世紀、南ユダ王国で成立)、「エローヒスト資料(E)」(前8世紀、北イスラエル王国で成立)、「申命記資料(D)」(前7世紀 北王国で核の部分が書かれ、南王国で成立)、「祭司資料(P)」(前6~5世紀、バビロン捕囚とそれに続く時期)です。

これで分かるのは、五書が最終形態に至ったのは、「祭司資料(P)」が成立する紀元前6世紀以降である、ということです。しかし、モーセが活躍したのはエジプトの王(ファラオ)がラメセス2世だった頃なので、前1250年頃(前13世紀)です。全く異なる時代です。

創世記以外の4巻(出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の内容はすべて「モーセの生涯」です。創世記の内容は、1章から11章までが「神話」、12章から50章までが三代続く「族長物語」(アブラハム、イサク、ヤコブ)と「ヨセフ物語」です。

創世記は、続く4巻と無関係でなく、モーセの生涯の「前史」としての意味があります。「なぜユダヤ人のモーセがエジプトにいたのか」についての説明が創世記に書かれています。

モーセの生涯にとって最も決定的な意味を持つのは、直前のヨセフとの関係です。アブラハムの子であるイサクの子であるヤコブに12人の子どもがおり、11番目の子がヨセフです。ヨセフは父の溺愛を受け、10人の兄がヨセフに嫉妬し、ヨセフをエジプトに下る奴隷商人に売り飛ばし、ヨセフがエジプトに行くことになりました。しかし、ヨセフがエジプトで出世して王(ファラオ)に仕える司政官になり、エジプトを大飢饉の危機から救った英雄になりました。

そのとき、カナンにいたヨセフの父ヤコブ、ヨセフの10人の兄、そしてヨセフの後に生まれた12番目の子が飢饉の危機にあり、エジプトに助けを求めて来ました。自分をエジプトに売った兄たちが自分にひれ伏すのを見たヨセフは、最初は意地悪な対応をしますが、我慢できなくなって自分はあなたがたがエジプトに売り渡したヨセフであると告白します。そしてヨセフの計らいで父ヤコブと11人の兄弟がエジプトに移住することになりました。

しかし、その頃のエジプトとユダヤ人の良好な関係は、時代の流れの中で失われていきました。ヨセフのことをもはや知らない時代のエジプト王(ファラオ)が、国内に増え過ぎたユダヤ人に自分の国を乗っ取られると危機感を抱き、ユダヤ人に奴隷労働を課し、ユダヤ人家庭に生まれる男子をすべてナイル川に投げ込めと命令を出しました。

しかし、その命令に逆らって、生まれた子を生かすことにした父アムラムと母ヨケベドが、その子を葦で編んだかごに入れ、ナイル川のほとりの葦の中に隠しました。川に水浴びに来たファラオの娘がそのかごを見つけ、抱き上げました。

その様子を見ていた、その子の実の姉ミリアムがファラオの娘のところに駆け寄り、その赤ちゃんに乳をあげる乳母を紹介しましょうかと言いました。ファラオの娘は了解し、ミリアムが連れて来たのが、実の母ヨケベド。ファラオの娘が赤ちゃんにつけた名前が「モーセ」でした。

モーセはエジプトの王宮でファラオの子どもと等しい教育を受けました。しかし、ユダヤ人を虐待するエジプト人の姿を見て、憤慨し、殺してしまいます。殺人罪でエジプトを追われる身となり、シナイ半島のミディアンへ逃亡し、そこで妻ツィポラと結婚し、子どもが与えられて幸せな生活を送っていました。

しかし、エジプトで奴隷労働を強いられているユダヤ人たちへの思いがモーセの中で強くなりました。そのとき、主なる神がモーセに現れ、ユダヤ人たちをエジプトから、元いたカナンの地まで連れ帰る仕事をあなたがしなさいと命令しました。

それで、モーセはエジプトに戻ってファラオと交渉し、ついにファラオが折れて、ユダヤ人を去らせることを許可しました。しかし、実際にユダヤ人が出て行こうとするとエジプト軍の戦車600台がユダヤ人を追い、紅海の前まで追い詰めました。モーセが杖をあげると、紅海が真っ二つに割れて海の中に道ができ、ユダヤ人たちが通って向こう岸にたどり着きました。エジプト軍が全員紅海に入ったときモーセが杖を下げると海が元に戻り、エジプト軍が全滅しました。

しかし、そこまでして苦労してエジプトを脱出したユダヤ人たちが、430年間にわたるエジプトでの奴隷労働に慣れてしまい、奴隷的な意味で命令に従うことはできても、自分の意志と主体性をもって立つことができませんでした。自由になったはずの彼らが、砂漠には水がない、食べ物もないと不平不満を言いました。「お前のせいでこうなった、どうしてくれる」とモーセに食ってかかりました。

そこでモーセは神から示されてシナイ山に登り、山の上で二枚の石板を切り出し、十の戒めを石板に刻みました。それがモーセの十戒(出エジプト記20章、申命記6章)です。

しかし、問題はその先です。今日の箇所に描かれているのは、モーセが二枚の石板をシナイ山から民のもとに持ち帰ったとき、民はモーセが自分たちを捨てて逃げ去ったと思い込み、モーセと主なる神に頼ることをやめ、金で子牛の形の偶像をつくり、それをみんなで拝んでいました。

それを見たモーセは激怒し、二枚の石板を投げつけて破壊し、金の子牛を火で焼いて粉々にして水の上にまき散らして、民に飲ませました。それで、反省したユダヤ人たちに、神がもう一度、二枚の石板を与えてくださった、というのが今日の箇所の内容です。

今日の結論は単純です。主なる神はご自身の民を奴隷状態の暴力やあらゆる苦しみの中から救い出す、強い意志を持っておられます。人間は奴隷状態のままでいてはいけない、自由に生きなければならないと、神が強く望んでおられます。人間は自分の都合次第で、どんな相手でも裏切ります。しかし、主なる神は一度かわした約束をご自身のほうから破ることはありえない方です。

だからこそ、神はその民に何度でも石板を与えてくださいます。民は神への信頼を忘れ、金の子牛の偶像を拝み、モーセは怒ってその石板を叩き割ってしまいました。しかし、神は何度でも民に悔い改めの機会を与え、何度でも十戒を石板に書くように、モーセに命じました。モーセの十戒は、神がその民との間でかわしてくださった、不変の愛の約束です。

イエス・キリストにおいて示された神の愛も、同じ形をしています。わたしたちは欠けが多く、どうしようもなく罪深い存在です。しかし、イエス・キリストにおいて神はわたしたちを何度でも赦してくださり、どこまでも愛し続けてくださいます。神がわたしたちを救う意思は、不変で確実です。人間は変わっても、神は変わりません。

(2024年8月17日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年8月12日月曜日

ヨブの苦難

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教動画

※以下の説教は、動画で話したこととは内容が違います。動画を見てほしいです!

説教「ヨブの苦難」

ヨブ記29章1~17節

関口 康
 
「ヨブは言葉をついで主張した。 どうか、過ぎた年月を返してくれ。神に守られていたあの日々を」(1-2節)

私は一昨日の8月9日(金)から順天堂大学病院(正式名称「順天堂大学医学部附属順天堂医院」)に入院しています。この説教の原稿は病室で書いています。代読してくださる方に特別な感謝を申し上げます。

今日のテーマはヨブ記です。内容に入る前に、もう少し広い視点からヨブ記の位置づけを考えておくほうが内容を理解しやすくなると思いますので、そのようにします。

ヨブ記はユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」、第二部「預言者」(ネビイーム)、第三部「諸書」(ケトゥビーム)という三部構成の中の、最後の「諸書」の中にあります。

「諸書」の中に聖書学者たちが「知恵文学」と呼んでいる書物が4つあります。箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、詩編の一部です。詩編「の一部」と言ってもごくわずかで、聖書学者たちがそうだと断定するのは1編、32編、34編の3つくらいです。

箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、詩編の一部がなぜ「知恵文学」と呼ばれるのかと言いますと、これらの書物に共通する「特徴」があるからです。その「特徴」はいくつかありますが、その中で最もきわだったものは「応報思想」です。

「応報思想」の考え方は非常に単純です。「善い行いをした人は善い報いを得る。悪い行いをした人は悪い報いを得る」というものです。

「善い行い」または「悪い行い」のほうを原因と呼び、「善い報い」または「悪い報い」のほうを結果と呼ぶとすれば、原因と結果の関係(因果関係)がねじれていないのが応報思想です。

原因と結果との関係がねじれ、善い行いをした人が悪い報いを得ることがあってはならないし、悪い行いをした人が善い報いを得るようなこともあってはなりません。それは「世界の秩序が狂うこと」を意味します。

しかもそれは、あくまで聖書の世界の話です。「善い行い」の最たるものは「神を信じ、神の掟に従って生きること」です。それを忠実に守る人は善い報いを得られます、幸せな人生を送ることができますと、そのことを歌っているのが詩編1編です。

逆も然りです。「悪い行い」の最たるものは「神に背き、神の掟に従わずに生きること」です。そのような人は不幸な人生を送るであろう。このことも詩編1編に歌われています。詩編1編は典型的な知恵文学です。

そのように教える「知恵文学」の中に「ヨブ記」が位置づけられます。しかし、ここまでお聴きくださったみなさんの中で、ヨブ記を一度でもお読みになったことがある方は、「その説明は変だ」とお思いになるのではないかと予想します。

もう少し旧約聖書をご存じの方も、次のようにお感じではないでしょうか。

「箴言というのが、神を信じる人は善い報いを得るが、神に背く人は悪い報いを得る、というような応報思想で貫かれているという話はよく分かる。しかし、ヨブ記とコヘレトの言葉は正反対ではないか。」

ヨブ記の主人公ヨブは、神を信じ、神の掟に忠実に従って生きていました。しかし、それにもかかわらず、激しい不幸に見舞われ、家族を失い、財産を失い、自分の体の全身にできものができて、親しい友人たちがヨブを慰めに来たとき、それがヨブだと分からないほど変わり果てた姿になったという話です。

そのヨブ記のどこが「知恵文学」(応報思想)なのでしょうか。

この問題について、今年3月で定年退職されましたが、東京神学大学で長いあいだ旧約聖書の教授だった小友聡(おとも・さとし)先生が、明確な答えを出してくださいました。

小友先生によると「知恵文学」には2種類あり、成立年代が全く違います。時代が古いほうは「楽観的知恵文学」であり、その典型が箴言です。箴言はイスラエル王国が最盛期であった紀元10世紀から近い時代に成立しました。

「善いことをすれば善い報いがあります。受験をがんばればいい大学に入れて、いい就職ができて、いい財産を築けて、いい家庭を作れる。不幸な人は、がんばらなかったからだ」というような楽観的な言葉が通用する時代は、政治や経済が上向きで、調子がいいときだ、というわけです。

しかし、小友先生はそこで「待った」をかけます。

現実の社会をまじめに生きている人たちが本当に善い報いを得ていますか、全くそうなっていないではありませんかと。現実は正反対で、まじめに生きている人は報われず、ずる賢い人たちこそ出世レースに勝ち残るというような話は、いくらでもあるではありませんかと。

現実に照らすと、「知恵文学」の特徴である「応報思想」には明らかに限界があるのです。ヨブ記とコヘレトの言葉は「応報思想には明らかに限界があること」を教えるために書かれた「悲観的知恵文学」です、というのが小友先生の説明です。

「悲観的知恵文学」としてのヨブ記とコヘレトの言葉は、イスラエル王国が滅亡した紀元前6世紀の「バビロン捕囚」の後に書かれました。社会全体が暗く、努力する人が報われない時代背景を反映している書物です。

さて、ここからヨブ記の解説に集中します。

ヨブは少しも悪いことをしなかったのに悪い報いを得ました。それでヨブは絶望しました。「わたしの生まれた日は消えうせよ」(3章3節)とまで言いました。

3人の友人がヨブを慰めに来ました。しかし、その言葉が慰めになっていません。彼らがヨブに言っているのが「応報思想」だったからです。

しかもそれは「善い行いをした人は善い報いを得る」のほうではなく「悪い行いをした人は悪い報いを得る」のほうでした。

「ヨブさん、あなたは自分が忘れているだけで、悪いことをしたのだ。だから今の結果になったのだ。その罪を思い出して悔い改めなさい」と、そういう言葉で彼らはヨブを説得しようとしました。それでヨブは、ますます怒り、心を閉ざすことになりました。

「応報思想の限界を教えること」がヨブ記の目的であると考えると、よく分かる話だと思いませんか。

わたしたちも、そのような「信仰的な言葉」で、だれかの心を深く傷つけていないか、自分の胸に手を当ててよく考えてみるべきです。

(2024年8月11日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年7月29日月曜日

善いサマリア人

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「善いサマリア人」

ルカによる福音書10章25~37節

関口 康

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(26節)。

(※以下の内容は、午前9時からの「教会学校」と、10時半からの「聖日礼拝」とで重複しないように連続でお話ししたことを、ひとまとめにしたものです。)

今日の聖書箇所は「善いサマリア人のたとえ」です。内容に入る前に「サマリア人」についてお話しします。

サマリア人と他のユダヤ人のルーツは同じですが、サマリア人は他のユダヤ人からバッシングやハラスメントを受けていました。なぜ差別されたかといえば歴史と関係あります。要するに別の国だった時代がありました。その年代は紀元前926年(928年説あり)から722年(721年説あり)までです。

その後、サマリアが中心の北イスラエル王国が隣国アッシリアによって滅ぼされました。そのときの北王国の難民の生き残りが「サマリア人」です。紀元前597年(596年説あり)には南ユダ王国のほうも隣国バビロニアによって滅ぼされました。

私は今「差別は仕方ない」という意味で言っていません。差別が起こった原因を述べているに過ぎません。要するに歴史が関係あります。別の国だった時代がありました。その時代に、両国の思想や文化の違いが生まれました。両国とも別の国によって滅ぼされましたが、その後も仲良くできない関係であり続けました。

さて今日の箇所です。前半と後半に分かれます。前半はイエスとある律法学者との対話、後半はイエスご自身がお語りになった「善いサマリア人のたとえ」です。

律法学者が主イエスに「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と質問しました。主イエスの答えは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という教えと、「隣人を自分のように愛しなさい」(英語でLove your neighbor as yourself)という教えを実行すればよい、というものでした。

しかし、この答えに律法学者は満足しませんでした。カチンとくるものがありました。自分を正当化しなければならないという思いがわいてきました。彼は自分は完璧な人間でありたいと願っていたのだと思います。「神」を愛することについては任せてほしいと胸を張って言えたでしょう。しかし、「隣人」を愛することについては躊躇がありました。

もし「隣人」の意味が全世界の全人類を指しているということであれば、「それは不可能です」と答えざるをえません。なぜなら世界には、愛しうる人もいれば、愛しえない人もいるからです。それが世界の現実です。

「隣人を自分のように愛すること」を実行することについてはやぶさかではありません。忠実に実行します。ですから、その「隣人」の定義を教えてください。「隣人」の範囲を決めてください。出題範囲を教えてもらえないテストなど受けられませんと、この律法学者は主イエスに反発しているのです。

その問いへの主イエスの答えが「善いサマリア人のたとえ」でした。たとえ話の内容自体は難しくありません。ある日、エルサレムからエリコまでの直線距離20キロの下りの山道で強盗に襲われて半殺しされた人が道端に倒れていました。その人の前を「祭司」と「レビ人」が通りかかったのに、2人ともその人を助けないで立ち去りました。

「祭司」はユダヤ教の聖職者、「レビ人」は祭司を助ける人たちです。神と教会に仕える立場にある人たちです。その人たちが、目の前で死にそうになっている人をなぜ助けないのでしょうか。倒れている人はユダヤ人であると想定されていると思います。祭司やレビ人の「隣人」の範囲にいると思います。それなのになぜ。

3人目に通りかかった人が、サマリア人でした。他のユダヤ人たちから差別されていた人です。その人が、半殺しにされて倒れていた人を助けてあげました。「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と主イエスがお尋ねになりました。「その人を助けた人です」と彼は答えました。

全世界の全人類を助けることはひとりの力では無理です。しかし、自分の目の前で倒れているひとりの人を助けることは絶対に不可能ということはないはずです。

「何になりたいかではなくだれに必要とされているかが大切である」とコメディアンの萩本欽一さんが言ったそうです。その言葉と似ているとも言えますが、違うとも言えます。

「善きサマリア人のたとえ」の心は、そこに困っている人がいるなら、そこでつべこべ言わないでとにかく助けることが大事なのであって、「私はだれに必要とされているか」ということなどを特に意識しなくても、あなたのことを必要だと思ってくれる人が現われるかもしれませんよ、というくらいです。

 * * *

先週の礼拝後、1階で今日数年ぶりの再開となる教会学校の打ち合わせを兼ねて、かき氷の練習と試食会をしていたとき、その前日に私がアマゾンに注文した本を宅配業者が届けてくれました。それは三宅香帆さんという方の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年)という今年の4月に発売されたばかりの本です。

著者の情報を何も知らずに買いましたが、三宅さんは私の息子と同い年のようで、1994年高知県出身とのことです。京都大学大学院卒業後、会社勤めをしたそうですが、働いているうちに、それまで大好きだった本を読むことができなくなったそうです。そこで「本を読むために会社を辞める」という一大決心をなさり、文筆業に専念することになさった方です。

この本をまだお読みになっていない方のために、踏み込んだ説明はしないでおきます。それよりも、私がなぜこの本を買おうと思ったかをお話しします。それは、この本のタイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問は、私自身が長年抱いてきた謎そのものだったからです。同じことを考えてくれる人がいて良かったと思いました。

しかし、私は牧師です。本が読めなくなることがあるのか、それだと仕事が成り立たないのではないかと、心配されるかもしれません。

私の中で「聖書を読むこと」は「読書」に含まれません。それが私の仕事ですから。私にとって「聖書」は、会社員の方が業務上取り扱っておられる書類と同じです。「働いていると聖書が読めなくなる」ということは、私に限ってはありません。読めなくなるのは、それ以外の本です。

正直に言います。言った後に後悔するかもしれませんが。私は「小説」を読む能力が子どもの頃からありません。絶望的にその能力が欠落しています。お医者さんに診てもらえば何か病名をつけてもらえるかもしれないと思うほどです。

小学校から高校まで国語の授業で、いろんな文学や小説を読め読めと言われて、実際に読もうとするのですが、さっぱり分かりません。「村上春樹の小説を読んだことがない」と言ったら呆れられたことがあります。そのときの冷たい反応で私もだいぶ反省しまして、「小説を読む力がない」と公言しないようにしてきました。隠すほどのことではありませんが。

それを私は自分の恥だと思っていて、苦にしていますので、なんとか克服したいと願っているのですが、どうしようもなくて、いろいろ考えて最近始めたことは、ネットでテレビドラマや映画を大量に観ることです。動画ならよく理解できるので、動画を先に頭に入れておけば、小説の文字を追うだけで理解できるようになるかもしれないと考えました。聖書もそっちのけで映画やドラマばかり観ているようで申し訳ないのですが。

なぜ今この話をしているのかといえば、今日の聖書箇所と関係づけたがっているからです。

三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中で私が特に重要だと思いましたのは、「情報」と「知識」を区別しておられることです。「情報」は「知りたいこと」を意味する。しかし「知識」は「知りたいこと」に「ノイズ」が加わるというのです。

「ノイズ」は要するに「雑音」。なんらかの疑問を持ち、専門書や辞典やネットなどを調べることで答えを得るために集めるデータが「情報」です。しかし「知識」には「情報」以上のものが加わります。今まで考えたことも悩んだこともなかったようなこと、現時点の自分にとってまだ問題になっておらず、関心すら持っていない「余計なこと」が加わる。それが「ノイズ」であって、「情報」に「ノイズ」が加わって初めて「知識」になる、というのが三宅さんの説明の大意です。

興味深い説明だと思いましたが、同時にぞっとしました。断罪された気持ちでした。私が小説を読む力が無い理由が分かった気がしたからです。私が小説を読むことができないのは「情報」だけが欲しくて「ノイズ」を嫌っていたからかもしれないと。

聖書とキリスト教についての「情報」は受け容れることができるし、それが自分の仕事だと思っている。しかし、それ以外のすべては「ノイズ」なので、私を巻き込まないでほしいと距離を置く。そんな牧師はダメでしょう。人に寄り添うことができないではありませんか。

勘の良い方は、これから私が言おうとしていることにすでにお気づきだと思います。主イエスの「善いサマリア人のたとえ」に登場する祭司とレビ人が、傷ついた人の前を素通りしてしまうのはなぜなのか。その謎を解くためのヒントが見つかった気持ちでいます。

三宅香帆さんは「仕事をしていると本が読めなくなる」理由を「ノイズ」に求めておられます。エルサレムからエリコに下る道を通っていた祭司とレビ人が、死にそうになって倒れていた人の前を素通りしたのは、その人を「ノイズ」だと認識したからではないでしょうか。

3人の通行人のうちこの人を助けた唯一の存在が、サマリア人でした。この人は能力が高い人だと思います。傷口への対処法を知り、救助から看護依頼までスムーズで、2デナリ(1デナリは1日の労働賃金なので2デナリは今の2万円)の宿泊費を差し出し、不足分が発生すればそれも自分に請求してほしいとまで言う。心に余裕があり、常に広い視野を持ち、他人を助けることに躊躇がありません。こういう人はモテると思います。

「隣人愛の教えを実行するのは難しい」といえば、そのとおりです。しかし、不可能であると言って拒否するのではなく、可能なことから取り組んでいけばよいと思います。

互いに愛し合うことができるわたしたちひとりひとりになり、そのような教会を目指すことが求められています。

(2024年7月28日 日本基督教団足立梅田教会 教会学校・聖日礼拝 連続説教)

2024年7月22日月曜日

信念はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「信念はあるか」

ローマの信徒への手紙14章13~23節

関口 康

「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい」(13節)

今日の説教のタイトルは「信念はあるか」です。一般的な意味です。「信仰はあるか」と問うていません。私の意図にいちばん近いのは「ポリシー」です。

説明は不要でしょう。「有言実行」「首尾一貫」「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」(岡山県出身の彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏の言葉)などに言い表された人間の意志や感情です。

「いつ、どこで、だれが」をさらすのは控えますが、最近の事例です。「引っ越して何か月か経ちました。借家にひとりでいるとコトコト音がします」と始まる。私なら「それはネズミか地震ですね」とすぐ答えてしまいますが、「もしかして幽霊が」と悩みはじめる方々がおられます。

方角、日にち、場所、食べ物などの迷信もそうです。「迷信」と呼ぶ時点で価値判断が入っています。それを信じている人にとっては、迷信どころか真理そのものです。

「土用の丑(うし)の日にウナギを食べる」というのも迷信です。なぜ「丑の日」なのでしょうか。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。だから何なのでしょう。厄年、還暦、星座、血液型などもそうです。聖書の教えからすると、どれもこれも異教です。

目くじらを立てる意味で申し上げていません。私は自分が「へび年のさそり座生まれ」であることは知っています。テレビや雑誌の占いをじっと見てしまいます。学校でこの話をすると生徒に怪訝な顔をされます。真に受ける子がいて申し訳ないです。

今日の箇所は、14章の最初から始まっている話題の結論部分です。そのテーマは「信仰の弱い人を受け入れなさい」というものです。

「信仰の弱い人」を受け入れるのは「信仰の強い人」の側です。弱い人が強い人を受け入れることは不可能です。体重の問題に少し通じます。通常は、体重の重い人のほうが、軽い人を背負ったり抱えたりするはずです。その逆は難しいでしょう。筋肉の強さの問題は別です。

しかし、そこに「強い」か「弱い」かという力関係を表わす区別が持ち込まれると混乱が起こる危険があります。「弱い」と言われただけで、見下げられている気分になる人が出てきます。

パウロが言おうとしている「信仰の強い人」の意味は、神以外のすべての存在から自由であり、何ものにも束縛されない人のことです。「信仰の弱い人」はその逆です。いろんな束縛から自由でない人です。

その具体例がいくつか14章以下で取り上げられています。「何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べている」(2節)。動物を屠殺してその肉を食べるようなことはしないし、できない人がいます。

別の例も挙げられています。「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます」(5節)。

私の話をすることをお許しください。私は「すべての日は同じ」です。牧師34年目、盆・暮れ・正月と全く無縁の人生を送ってきたことと間違いなく関係あります。

「教会暦」に関してすら、私は「すべての日は同じ」です。レント(受難節)の断食なども、私自身はしたことがないし、だれかに勧めたこともありません。

しかし、ローマの信徒への手紙14章でパウロが問題にしているのは、わたしたちが自分はそうであると思っているからと言って、自分の立場を、特に教会の中で、自分の近くにいる人たちに強制してはいけない、ということです。

よく分かる話です。納得できます。しかし、この文脈に「強い」か「弱い」かというような混乱を招く価値観が割り込んで来て、しかも明らかにパウロ自身は「強い人」の側に立って語り続けるのでややこしくなるのですが、「信仰の弱い人」には他の人に自分の立場を押し付けがたる傾向がある、というのがパウロの言い分の前提です。

「すべてが同じ」である人にとっては、だれかに何かを押し付ける具体的なものがそもそも何もありません。「制限はない」と言っている人のほうが、「制限がある」と言っている人よりも「許容範囲が広い」とは言えるでしょう。

「強い人」か「弱い人」かという区分よりは「広い人」か「狭い人」かのほうが、争いが少なくなるでしょうか。ますます混乱するでしょうか。

「弱い人」が自分の立場を周りに押し付けたがるのは、孤立を恐れるからではないでしょうか。自分の考えに自信を持てないので、周りを巻き込んで多数派になろうとする。「強い人」は強い確信があるので孤立が怖くない。しかし、それはそれで人を傷つけるものがあるので、話は単純ではない。

結論は「もう互いに裁き合わないようにしよう」(13節)です。そして「つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないようにしよう」(同上節)です。

日本の教会で昔から問題にされてきたのが禁酒禁煙の問題です。賀川豊彦先生のような方が禁酒運動に熱心に取り組みました。私の父の受洗のきっかけは「賀川伝道」でした。だからかどうかは分かりませんが、私の両親も禁酒禁煙主義者でした。私の出身教会の牧師もそうでした。

私が東京神学大学に入学したとき「禁酒禁煙」の誓約書を書かされました。1984年4月です。今どうなっているかは知りません。教会で問題にされるときは健康問題だけではありません。神の前での生き方の問題にされます。

私は禁酒禁煙に関して自分がどうしているかについて、人前で言ったり書いたりしたことはありません。「人前で言ったり書いたりしたことがない」だけです。私の両親はすでに二人とも亡くなりましたが、親の前で一度も、私がどうしているかを話したことがありません。

そうしてきたことをずるいと思っていません。嫌がる人がいると知りながら、からかいや冷笑を伴う挑発的な態度をとるのを控えて来ただけです。私の話を先にしてから言うのは順序が逆ですが、パウロの意図はいま私が申し上げたことと同じです。

「信念はあるか」と問わせていただきました。肉や酒やたばこなどをすべて断つという誓いを一生貫きますかと問うていません。あるいは、早寝早起き、ジョギング、英会話の勉強などを毎日欠かさずすること、など。多くの人は守り切れないでしょう。

もし誓うなら、一生守れそうなことを誓おうではありませんか。それは「嫌がる人がいることを知りながら、故意に嫌がらせするようなことは決してしない」という誓いです。これなら守れるでしょう。成熟した人間(おとな)らしい態度だと言えます。

パウロはここまではっきり言っています、「キリストは、その兄弟のために死んでくださったのです」(15節)と。

「その兄弟」とは、宗教的な理由で動物の肉を食べず、野菜だけを食べる人です。キリストがその兄弟のために、ご自身の貴い命を差し出して死んでくださったのだから、せめてその兄弟の前で肉料理を食べるのを我慢することぐらいできるでしょうという意味です。冗談でも言っているかのような気分になりがちですが、これは真剣かつ深刻な話です。

食事、方角、日にち、場所などの問題は先祖代々受け継いできたものであったり、地域の歴史や風土に関係していたりします。それを重んじている人たちにとっては感性の問題です。生理的な、肌感覚の、きわめてデリケートな問題です。ずけずけ物を言い、ずかずか土足で踏み込んで良いようなことではありません。

だからこそ、「デリケートな問題に対してはデリカシーを持つべきである」というのが今日の箇所の教えの意味であると申し上げておきます。

これをわたしたちの「ポリシー」にする。それは不可能な話ではなく、可能な話です。互いの感性を重んじ合うことが、互いの存在を重んじ合うために大事です。

(2024年7月21日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)