教会合同運動 日本基督教連盟は1925年以来、教会合同の機運促進と調査につとめ、1929年 9 月には「日本基督教諸派合同基礎案」、1937年 1 月には「日本基督公会規約(試案)」が発表され、検討と修正が加えられていた。1939年 4 月からは各派の選出による教会合同委員会が発足し、1940年10月には「合同教会案」が作成されるに至った。
宗教団体法 1899年以来政府の懸案であった宗教統一立法が1939年 3 月23日、第74回帝国議会において「宗教団体法」として成立した。これは同年 4 月 8 日、法律第77号として公布され、勅令第855号により1941年 4 月 1 日から施工された。1940年 6 月12日に文部省はキリスト教各派の代表者に教団認可の基準として、教会数50、信徒数5,000を内示した。
教会合同の宣言 1940年10月17日、東京青山学院校庭において皇紀2600年奉祝全国基督教信徒大会が開かれ 2 万人が参加した。この大会宣言の 1 項に「吾等は全基督教会合同の完成を期す」とあった(宣言草案の「基督信徒の大同団結を完成せんことを期す」が直前に変更された)。
教会合同準備委員会 教会合同準備委員会は1940年10月18日から1941年 6 月23日までの間に 9 回開催された。・・・
創立総会 1941年 6 月24日、25日、東京の富士見町教会において、日本基督教団創立総会が開催され、日本基督教団が成立した。
統理者の伊勢神宮参拝 1942年 1 月11日、冨田統理は鈴木浩二総務局長を帯同して伊勢神宮に参拝し、新教団発足の報告と今後の発展の「希願」を行った。
第 6 部、第 9 部の受難 1942年 6 月26日、第 6 部および第 9 部所属の教職96名が治安維持法違反という理由で検挙された。起訴された者81名、実刑を受けた者19名、内獄死者 3 名、保釈後死亡 4 名。第 6 部、第 9 部の201教会と63伝道所は、宗教団体法第16条および治安警察法第 8 条 2 項の規定により解散処分を受けた。教団は文部省の内示により解散を命じられた教会主管者および廃止された伝道所代表者に自発的辞任を勧告し、その他の両部教師に謹慎を命じた。
日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書翰 1944年のイースターに教団統理者の名で発表をし、日本文は同年11月20日に発行された。
軍用機献納 1943年11月24日、25日に開催された第 2 回教団総会の決議により軍用機献納運動が展開され、1944年10月までに717,629円85銭に達して軍に献納された。
教団の憲法・規則 1946年 5 月 1 日、2 日開催の常議員会は、宗教法人令発令に伴い前年末より準備が進められていた教団憲法および規則の原案を一応承認し、その中で教団総会を組織するために必要な条項を発効させた。
第 3 回教団総会 1946年 6 月 7 日、8 日に東京の富士見町教会で開催され、教団規則(原案)による議員300名によって組織された。
新日本建設キリスト運動 1946年 6 月 9 日青山学院で宣告基督教大会が開催され、約4,000人が参加した。以後 3 年間、「全日本へキリストを」を標語、「300万救霊」を目標として、新日本建設キリスト運動が全国に展開された。
会派問題 戦後教団を離脱した諸教会は旧教派を再建し、あるいは新教派を結成したが、1947,8年頃から教団内に旧教派関係有志グループ活動がおこり、その中から会派の公認も要求されるようになった。第 5 回教団総会はこの問題の処理を機構改革委員会にゆだね、同委員会は第 6 回教団総会に「会派問題についての報告」(のちに会派問題報告書とよばれた)を提出して受理された。しかし1951年 1 月以降、旧日本基督教会系の一部が教団を離脱するようになったので、同年 2 月会派問題特別委員会が設けられた。
日本基督教団信仰告白 1954年10月26日から28日まで富士見町教会で開催された第 8 回教団総会で信仰告白原案を採択し、ここに教団信仰告白が制定された。またあわせて生活綱領が決定された。
沖縄キリスト教団 1957年 3 月26日開催の総会において沖縄キリスト教会は沖縄キリスト教団と改称し、また宗教法人沖縄キリスト教団規則を制定した。
神奈川教区発足 1965年 4 月 1 日から発足した。
第 2 次大戦下における日本基督教団の責任についての告白 1967年 3 月26日のイースターに鈴木正久議長名で発表した。
日本・沖縄両教団の合同 1966年の日本基督教団夏期教師講習会参加者の声により、第14回日本基督教団総会に「日本基督教団と沖縄キリスト教団との関係について研究開始要望の建議」が提出され、常議員会に付託された。常議員会は鈴木正久総会議長と佐伯倹総務局長を1967年 2 月 2 日から 6 日まで問安使として沖縄に送り、そこで「沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同決意に関する声明」が両教団で作成された。そして同年 2 月20日から22日まで開催された日本基督教団常議員会と 2 月15日開催の沖縄キリスト教団定期総会の承認を得て、これが発表された。それから合同の準備が具体的に進められ、1968年10月21日から24日まで開催の第15回日本基督教団総会は「沖縄キリスト教団との合同に関する件」を、同年10月24日開催の第19回沖縄キリスト教団総会は「日本キリスト教団との合同に関する件」をそれぞれ可決した。沖縄では議決直後直ちに「第 1 回日本キリスト教団沖縄教区総会」に切りかえられた。合同式典は1969年 2 月25日夜東京の銀座教会で、沖縄教区設立式は同年 3 月21日那覇中央教会で挙行された。
万博キリスト教会館問題 第15回教団総会では「日本万国博『キリスト教館』建設に参加並びに募金に関する件」が否決された後、「日本万国博キリスト教館に関する件」(出展賛成、推進運動支持)が可決されたが、1969年に入ると大阪、兵庫、京都、さらに東京の各教区で反対運動がおこってきた。1969年 9 月 1 日午後 1 時半から 2 日午前 8 時過ぎにかけて、常任常議員会メンバー 9 名と反対運動諸団体の約150名とが白熱の討論を展開し、飯清議長は教団臨時総会招集の決意を表明するに至った。1969年 9 月 8 日の第15総会期第 5 回常議員会は飯議長の判断を可と認め、臨時総会の準備に入った。一方、常議員16名による「第15回教団総会議案第55号『日本万国博キリスト教館に関する件』の議決を再検討するための臨時総会の開催要求」が提出され、教規第16条④⑶により開催要求が成立した。第16回教団総会は1969年11月25日、26日、東京山手教会で開催されたが、開会後討論集会に切りかえられ、万博問題をめぐる討論がなされた。万博関係の議案は上程されず、飯議長の「討論の総括」と松田定雄沖縄教区議長の「沖縄返還に関する抗議文」朗読をもって終わった。
教師検定問題 1969年春季補教師検定試験において関西学院神学部の推薦取り消しによって合格保留となった受験者の出たことに端を発し、同年秋季検定試験は試験延期の要望提出者と教師検定委員会委員長との話し合いがつかなかったので中断された。教団の教職制度、検定の基準としての信仰告白、認可神学校の基準などが問われ、試験が延期される中で小川貞勝委員長以下 7 名の教師検定委員は辞表を提出、1971年 3 月31日の第15総会期第29回常任常議員会で辞任を承認された。同常任常議員会は常議の中から教師検定委員を選任し、菊地吉弥氏を委員長とする新委員会は、1971年 6 月22日開催の同期第19回常議員会の承認を得て「教師検定試験実施にあたって教師検定委員会の見解」を発表し、説明会、懇談会を開いた上で、1971年 8 月から 9 月にかけてレポート方式により学科試験を実施し、 2 ヶ所で面接試験を行った。以後1973年秋まで検定試験が行われたが、この間試験実施に対して各方面から質問、抗議がなされた。
東京神学大学問題 教授会は万博問題に関する「 9 ・ 1 ~ 2 集会」の倫理性を批判して「 9・ 3 教授会声明」を発表したが、学生自治会は声明の撤回を要求した。この問題をめぐって全学討論集会の開催がはかられたが、開催方法についての交渉が不調に終わり、11月24日には全学バリケード封鎖が行なわれた。1970年に入って 2 回開かれた予備集会も全学討論集会の開催に至らず、大学は同年 3 月11日朝、機動隊を導入し封鎖を解除した。これに対して支持または抗議の声が上がり、その春の各教区総会でも教授、学生をまじえて論議や決議がなされた。授業は 3 月17日から再開されたが、登録のよびかけに応じなかった学生約70名は(教授会から除籍され)結局大学を去ることになり、また 3 名の学生が起訴された。
第 2 回決議と第 5 回決議 第17回、第18回教団総会は、1973年秋季教師検定試験合格者承認を決議するに至らなかったが、1975年 4 月14日、15日に開かれた第18総会期第 2 回常議員会は懸案の合格承認を、「さまざまな立場の切り捨てが起こらないような方法で教師検定試験の準備にとりかかる」ということを含めて決議した。この議決によって選任され、組織された教師検定委員会(菅隆志委員長)は議決の理解、試験の基準についての意見の対立のため、活動を凍結した。1976年 2 月23日より25日に開催された第 5 回常議員会は、この問題について「教団信仰告白を基準とし、教憲教規に」もとづいて試験を実施する」ことを第 1 項目とする決議した。教師検定委員会はこの決議について一致できず、全員辞任した。そこで新たに選ばれた教師検定委員は後宮俊夫氏を委員長とし、第 2 回議決と第 5 回議決をふまえつつ関係各方面と懇談を重ねて準備をすすめ、1976年秋、 3 年ぶりに教師検定試験を実施した。
沖縄教区への問安使派遣 1978年 7 月10日、11日開催の第19総会期第 4 回常議員会の決議にもとづき、中嶋正昭総幹事と徳永五郎社会員長は、同年 8 月21日から31日まで沖縄教教会および関係諸団体を訪問した。両氏は 9 月18日付の報告書を常議員会に提出し、沖縄教区も問安使と沖縄教区の対話から得た成果を報告した。
3 委員会合同委員会 教師養成や教師検定等教師に関する問題の根本的な検討のため、教師・教師検定・信仰職制の 3 委員会が、1984年 7 月 2 日と 3 日、教団会議室で合同委員会を開催した。 3 委員会の他、問題提起をしてきた教区、問題意識をもつ人など47名が参加した。
「合同」特設委員会 1985年 1 月17日、18日開催の第23回総会期第 2 回常議員会は、第23回教団総会の「日本基督教団と沖縄キリスト教団との合同のとらえなおしと実質化の推進に関する決議」により、「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同に関する委員会」(「合同」特設委員会)を設置した。
東京教区総会 1990年 9 月23日および10月10日に、19年ぶりで、第48回東京教区総会が開催された。
全教区揃っての教団総会 第27回教団総会は、1992年11月10日から12日に、箱根小涌園で開催されたが、これには23年ぶりに東京教区選出の議員も出席した。
第33回教団総会 2002年10月、東京池袋のホテルメトロポリタンで開催され、議長に山北宣久、副議長に小林眞、書記に鈴木伸治を選挙した。靖国・天皇制問題情報センター、(性差別問題特別委員会、)会堂融資組合の廃止を決定、教団名称変更議案ほか、いわゆる「とらえなおし関連議案」は廃案となった。
戒規免職問題(審判委員会) 2010年 9 月15日、審判委員会が結審し、北村慈郎氏の免職が決定。
第37回教団総会 2010年10月26日~28日、第37回教団総会を東京池袋ホテルメトロポリタンで開催。議長に石橋秀雄、副議長に岡本知之、書記に雲然俊美を選出。この総会がら常議員選挙が全数連記になり、現在に至る。