2025年5月25日日曜日

キリストによる贖罪

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「キリストによる贖罪」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教④

ローマの信徒への手紙3章21~26節

関口 康

「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです」(25節)

「御子は我ら罪人の救ひのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖ひとなりたまへり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」4回目のテーマは「キリストによる贖罪」です。

「贖罪(しょくざい)」に該当する英語は、意味の狭さや特殊性の強さの順で、アトンメント(atonement)、リデンプション(redemption)、サルベーション(salvation)などです。

アトンメントが「つぐない、罪滅ぼし」など色濃く宗教的な意味で用いられることが多く、リデンプションは中ぐらい、サルベーションは「社会救済」などの一般的な意味でも使われます。

贖罪の教理に関して日本基督教団信仰告白に記されていることを、若干補いながら口語的に言い直すと、次のようになります。

「三位一体の第二位格である神の御子、イエス・キリストは、わたしたち罪人の救いのために人間になり、十字架にかかり、歴史上ただ一回限り、ご自身を完全なる犠牲として父なる神へと献げ、わたしたちの贖いとなりました」。

いくつか論点を挙げていきます。

(1)「我ら罪人」の「我ら」は「全人類」を指し、「我ら罪人」は「全人類は罪人であること」を意味します。

(2)「神の御子が人となったこと」には「罪人の救いのため」という明確な目的がありました。逆に、もし人類のだれひとり罪を犯さなかったなら、御子が人となる必然性はありませんでした。

(3)人間は、自分の自由意志において神に背くことによって、罪を犯しました。神が人間の内部に罪の性質を仕込んで、人間に罪を犯させたのではありません。罪の責任は100パーセントあなたにあります。神のせいにしてはいけません。

(4)神は、罪を犯した人間を何とかして救いたいという意志を持っておられます。しかし、それと同時に神はご自身の義に忠実なお方なので、罪を犯した人間を罰せずにおきません。

(5)ユダヤ教では、動物を犠牲の供え物として焼き殺すことによって人間の罪に対する神の怒りをなだめる儀式を行います。しかし、人間の罪はあまりにも大きすぎるので、動物の犠牲の命だけでは、つぐないとしては不足しています。だからといって、人間の命を差し出すことは、人間を滅ぼすことになるので、人間の救いになりません。

(6)そこで、神は「神でもあり同時に人間でもある」ご自身の御子イエス・キリストの命を贖罪とされることによって、神ご自身の義が充足されつつ、同時に人間を救う道を開かれました。

いま申し上げたことは、西暦11世紀から12世紀初頭まで活躍したカンタベリーのアンセルムス(1033-1109)の著書である『クール・デウス・ホモ 神は何故に人間となりたまひしか』(日本語版:長沢信寿訳、岩波文庫、1948年)のアウトラインと軌を一にします。このような教えを、伝統的に「充足説」(satisfaction theory of atonement)と言います。

アンセルムス『クール・デウス・ホモ』岩波文庫版

はっきり言えることは、日本基督教団信仰告白はアンセルムスの贖罪論を受け継いでいるということです。なぜそう言えるかというと、「御子は我ら罪人の救ひのために人と成り」という観点は「神はなぜ人間になったのか」という、まさにアンセルムスの問いに答えようとしているからです。別の言い方をすれば「御子の受肉の目的は何か」という問題でもあります。

しかし、このアンセルムス型の贖罪論が非常に多くの批判を浴びて来たことについては、黙っているわけには行かないと思っています。

よく言われる批判は、「人間の罪を軽視する教えである」というものです。なんだかんだ理屈をつけて、結局、人間の罪を見逃すだの赦すだのいう甘い教えである、というようなことがしばしば語られます。

もうひとつご紹介したい批判は、「刑死や殉死を美化する教えである」というものです。人類の身代わりに死んでくださったあのキリストのように、特攻隊員はお国のために我々の身代わりに命を投げ出した、というような話へのすり替えがなされることは確かにありえます。

これらの批判に対して私たちは謙虚に傾聴すべきであると私個人は考えています。そのうえで、私はアンセルムス型の充足説で満足しています。甘い人間ですので。神のみゆるしなしに生きて行けないものを感じますので。御子の贖いによって神の義が充足されたので、私たちが神に償う必要はもはやないという教えは、私にとってはありがたいです。

「イエス・キリストによる贖罪によって、わたしたちは(   )から救われる」という穴埋め問題の答えを考えることが贖罪論において重要です。救いには「救い出されること、救出されること」の意味がありますので、「何から」(From what ?)という問いが重要な意味を持ちます。

ファン・ルーラーが7つの選択肢(穴埋め問題の「語群」)を挙げています(「イエスの苦しみの意味」(1956年)、『A. A. ファン・ルーラー著作集』2011年、233-243頁)。

 ①死  ②悪魔とその力  ③律法

 ④この世  ⑤我々自身  ⑥力としての罪

 ⑦負い目(罪悪感)としての罪

ファン・ルーラーが最適解としているのは「⑦負い目(罪悪感)」(オランダ語 schuld スフルト)です。ぜひ思い出していただきたいのは、マタイ6章とルカ11章の「主の祈り」の第5の祈りが、新共同訳聖書から「負い目」と訳されるようになったことです。聖書協会共同訳も「負い目」。

「負い目」という意味は、文語訳の主の祈りで「我らに罪を犯す者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」と祈っているときには認識できません。「負い目」とは「罪悪感」のことです。そのように最近の聖書で翻訳されるようになりました。

「負い目」(罪悪感)は私たちが常に感じていることです。「ああ、昨日あの人を傷つけてしまった。今日もやってしまった」と罪悪感を抱かない日は無いと思うほどの私たちです。そういうことを少しも感じずに生きることに、かえって問題を感じるほどです。

しかし、「負い目」(罪悪感)は放置していると、澱(おり)のように私たちの心と体にたまっていきます。そのうちあふれて、私たちが壊れて行きます。

私たちの「負い目」(罪悪感)を神によって取り除いていただけることも、十分な意味で「罪の赦し」であり、「贖い」です。日本基督教団信仰告白が言う「我ら罪人の救ひ」そのものです。毎週の礼拝の中で、日々の祈りと賛美と信徒の交わりの中で、「負い目」(罪悪感)からの救いが起こります。

この穴埋め問題に正解はありません。自分で答えを考えることが大切です。とはいえ、危険度が高い選択肢が含まれていることに気づく必要があります。

「④この世」と「⑤我々自身」という選択肢は危険です。「この世の中から救い出されること」が救いなら、私たちはどこへ行けばよいのでしょうか。「自分自身という罪深い存在から救い出されること」が救いなら、「私は生きていてはいけない」という考えに陥らないでしょうか。

「②悪魔とその力」という選択肢も危険です。自分に当てはめるならともかく、自分以外のだれかを「悪魔」呼ばわりして、その人が消えうせることを求める考えに陥らないでしょうか。

(2025年5月25日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月18日日曜日

三位一体の神

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「三位一体の神」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教③

ヨハネによる福音書1章14~18節

関口 康

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(18節)

「主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せらるる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたまふ」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」第3回目のテーマは「三位一体の神」です。

なぜ教会は「さんいいったい」ではなく「さんみいったい」と読むのでしょうか。その理由は、音便(おんびん)です。音便とは「発音上の便宜(べんぎ)」です。言いやすさ、読みやすさ。平安時代から「三位」は「さんみ」と読まれていたそうです。

「三位一体」は、英語でTrinity(トリニティ)。ドイツ語Trinität(トリニテート)。オランダ語Triniteit(トリニテイト)。ラテン語trinitas(トリニタス)。古典ギリシア語τριάς(トリアス)。

「三角形」(triangle)など「トリ」(tri)が「3」です。3つのものの一体性(unity)を意味するtri-unity(トリ・ユニティ)からのtrinity(トリニティ)です。

その意味は、1つの神性(one divine nature)の内部に3つの位格(three persons)があるということです。御父(おんちち)なる神、御子(みこ)イエス・キリスト、聖霊(せいれい)なる神を「三位一体の神」とするのが「正統教義」です。この教義を受け入れない人たちは「異端」とみなされてきました。それが歴史の事実です。

ご参考までにご紹介したいのは、私が岡山県立岡山朝日高等学校のたしか2年生のときに授業を受けた「世界史」の教科書、『詳説世界史(再訂版)』(山川出版社、1979(S54)年版)です。公立学校ですので聖書の授業などはありえないし、キリスト教的な要素が全くない学校でしたが、そういう学校の世界史の教科書に「三位一体論」についてかなり詳しく書かれていました。

文部省検定済教科書『詳説 世界史(再訂版)』(山川出版社、1979年版)

少し長いですが、以下引用します。

「313年、当時〔ローマ〕帝国西半部を支配していたコンスタンティヌス帝はミラノでキリスト教を公認した。さらに324年かれが帝国を統一して独裁者となると、キリスト教は全帝国の公認宗教となった。ところが当時教会には神学上の見解の対立があったから、帝は325年ニケーアに公会議(宗教会議)をひらき、のちにアタナシウス(Athanasius [295?-373])が確立した三位一体説を正統教義とし、キリストの神性を否定するアリウス派(Arius)を異端とした。その後ユリアヌス帝(Jurianus [位361-363])は古典文化と異教の復興を企て、キリスト教徒をおさえたが成功せず、392年、テオドシウス帝はついにキリスト教を国教とし、他の宗教を厳禁するにいたった」(45-46頁)

最近どうなっているかは分かりませんが、私が高校生だった45年前の日本の公立高校の生徒たちが「三位一体」について学んだのはこのような内容でした。そのイメージは「ローマ帝国の独裁者が全領土の住民に強制した宗教」です。こういう知識のある人たちは、教会の前を通るたびに首を傾(かし)げているでしょう。もう少し続きを読みます。

「ニケーアの公会議で敗れたアリウス派は北方のゲルマン人のあいだにひろまったが、その後も公会議はしばしばひらかれ、さまざまの学説が異端とされた。そのなかで5世紀にキリストの神性を十分に認めないとの理由で異端とされたネストリウス派(Nestorius)は、ペルシアをへて中国まで伝わり、唐代に景教と呼ばれた」(46頁)

歴史の説明をするだけで終わりそうなので、ここまでにします。45年前の公立高校で教えられていたキリスト教の「正統派」に対するもうひとつのイメージは、「イエス・キリストが神であることを認めない人々を異端呼ばわりして追い出す宗教」です。高校生たちはこういうのを丸暗記して共通一次試験を受けることになっていましたので必死で覚えました。

そして、ここで私が申し上げることができるのは、私たち日本基督教団は「三位一体の神」への信仰告白において「アリウス派」(ホモイウースオス派、ὁμοιούσιος)ではなく「アタナシウス派」(ホモウーシオス派、ὁμοούσιος)のほうの「正統教義」を継承していることを明らかにしている、ということです。これが歴史の事実です。

しかし、誤解なきように。「三位一体の神」はアタナシウスの発明ではありません。「三位一体」という用語は聖書の中にはありません。だからといって、聖書の中に神が三位一体であることを信じる根拠はないとは言えません。三位一体の教理の核心は「イエス・キリストは神である」という信仰告白です。それは新約聖書の核心部分です。今日の朗読箇所にもその信仰が告白されています。後の神学者たちが、聖書の教えを要約して、神を「三位一体」と呼んだにすぎません。

ヨハネによる福音書の「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった」(1章1節)の「言(ことば)」(ロゴス)は、イエス・キリストです。「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(1章14節)の「肉」(サルクス)は、人間を意味します。この箇所で告白されている信仰は「イエス・キリストは人間となった神である」ということです。

「人間となった神」は御子イエス・キリストであり、その方は御父と同質(ホモウーシオス)であると信じることが三位一体の教理の核心部分です。そのような信仰を、私たちは日本基督教団信仰告白において継承しています。

「神となった人間」つまり「神格化された人間」はたくさんいます。決して珍しくありません。私は先週、かなり意識的に集中して戦争映画を観ました。ひとり暮らしの暇つぶしで観たというのとは違う気持ちでした。すべてインターネットで配信されているものです。

先週観たのは「ルバング島の奇跡 陸軍中野学校」(主演:千葉真一、1974年)、「二百三高地」(主演:仲代達也、1981年)、「大日本帝国」(主演:丹波哲郎、1982年)、「ミッドウェイ」(出演:豊川悦司他、2019年)。戦後の復興期の政界を描いた「小説吉田学校」(主演:森繁久彌、1983年)も観ました。

戦争映画は嫌いです。殺し合いの映像がリアルですし、どの映画も長く、観るだけで疲れます。しかし、今日の説教の準備のために観なければならない気がしました。私は1965年生まれです。戦後の焼け跡を見たことがなく、「天皇が神とされた」日本を体験的に全く知りません。当時の人々の証言を何度聞いても、本を読んでも、写真を見ても、想像力が追い付かず、リアルな映像が浮かんできません。そのため、映画に助けてもらう必要があると思いました。

登場人物の中に日本人のクリスチャンが何人か描かれていることが分かりました。「二百三高地」(1981年)の小賀武志(あおい輝彦さん)や松尾佐知(夏目雅子さん)、「大日本帝国」(1982年)の江上孝(篠田三郎さん)や柏木京子(こちらも夏目雅子さん)。その人々が静かに抵抗しながら結局戦争に巻き込まれていく姿が描かれていることに興味を惹かれました。

イエス・キリストを「人間となった神」であると信じることは、その真逆の存在である「神格化された人間」に対する根本的な抵抗を意味します。イエス・キリストの時代のローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスもその後の皇帝たちも神格化され、皇帝礼拝の対象になりました。

「三位一体」という正統教義は「ローマ皇帝によって全領土の住民に強制された宗教」であるという面が無いとは言えない一方で、「神になりたがるすべての権力者に抵抗する宗教」である面もあります。

(2025年5月18日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月11日日曜日

聖書と生活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「聖書と生活」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教②

テモテへの手紙二4章1~8節

関口 康

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです」(2節)

「されば聖書は聖霊によりて、神につき、救ひにつきて、全き知識を我らに与ふる神の言にして、信仰と生活との誤りなき規範なり」(日本基督教団信仰告白

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」の2回目です。私は1冊の本を書こうとしているわけではありません。教会ブログで公開しているのは説教原稿です。実際の礼拝では、もっと多くのことをお話ししています。礼拝に来てくださっている方々にご理解いただけば、目標達成です。ご意見があればぜひご来会ください。お待ちしております。

前回から「聖書とは何か」についてお話ししています。ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の文章を参考にしつつ、聖書が「ユダヤ人によって書かれた書物」であることが「外部の真理」であることを意味し、聖書の教えを受け入れることが過去の歩みとは異なる方向への「転換」をもたらし、「回心」をもたらすということをお話ししました。

今日は前回の続きです。今日取り上げるのは「旧新約聖書は、神の霊感によりて成り」という条文です。聖書の霊感(れいかん)の教理と言います。

証拠聖句はテモテへの手紙二3章16節「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ」です。「霊感」と聞くと「霊感商法」を連想する人が多い時代になりました。しかし「霊感」とはインスパイア(inspire)のことです。名詞形はインスピレーション(inspiration)です。ごく普通の文脈で用いられています。

聖書が「神の霊感によって成った」とは「神の霊」すなわち「聖霊」の導きの下に100パーセント人間によって書かれたことを意味します。それ以外の意味はありません。

「神の霊は、神ご自身ではない」と考えられることもありますが、それは誤解です。神の中から噴き出した気体(?)や、流れ出た液体(?)のようなものを想像するのは間違いです。

次回は三位一体の神について学びます。「神の霊」は「父、子、聖霊なる三位一体の神」としての「聖霊」ですので、端的に「神」(God)です。聖書の霊感の教理も、「聖書は〝聖霊なる神〟の導きによって(人間によって)書かれた」と言っているだけです。

ですから、この教えは決して難しい話ではありません。むしろ、すっきりした気持ちになれるほど、聖書は100パーセント人間によって書かれた書物であると、何の躊躇もなく説明することができます。そこに魔術の要素はありません。

「その説明で大丈夫ですか。我々が今まで教えられてきたことと違うのですが」とお思いの方がおられるでしょうか。「聖書は神さまが書いたものであって、人間が書いたものではない」でしょうか。この「聖書は人間によって書かれたものではない」という考え方は、私は最も危険だと考えています。

ある朝、マタイは目を覚ましました。すると、机の上にイエス・キリストの生涯を描く福音書が置いてありました。パウロも目を覚ましたら、同じように、いろんな教会や個人に宛てた手紙が机の上に置いてありました。しかし、彼らにはそれを書いた記憶がありません。彼らが寝ている間に、意識を失っている間に、聖書のすべてが書かれましたというようなことは起こりませんでした。それはオカルトの世界です。

聖霊なる神は、人間の中で、人間と共に、人間を活かし用いて、働いてくださいます。人間の理性も感情も判断力も、人間の真・善・美も、活かされたままです。聖霊はわたしたちの身代わりに死んでくださることはないし、私たちの身代わりに聖書を書いてくださったりもしません。聖霊が働いてくださっている間、人間は眠っているわけではないし、気絶しているわけでもないし、サボっているわけでもないのです。その点を間違うと、全キリスト教がオカルト化します。

そういうことではなく、聖書の霊感の教理は、(三位一体の)聖霊なる神ご自身が私たち人間に接触し、私たち人間へと影響・感化を及ぼし、浸透し(沁みていき)、私たち人間に感銘・感動を与えてくださる過程を経て「インスパイア」された人間が聖書を記した、と言っています。

しかし、そこでストップです。神は聖書の著者の人間性も歴史性も排除しません。そこでもし人間性の排除が起こるなら、それを「洗脳」というのです。私たちが聖書を読むときに、当時の歴史について調べたり考えたりする必要があるのは、聖書は100パーセント人間が書いた書物だからです。

日本基督教団信仰告白が聖書について書いている「誤りなき規範」の「誤りなき」の意味は、「無謬性」(インフォーリビリティ:Infallibility)のことだと考えるのが妥当です。「無謬性」は「無誤性」(インエランシー:inerrancy)との比較で考えるのが理解しやすいです。

インフォーリビリティ(無謬であること)は「フォール(堕落)していない」という意味です。インエランシーは「エラー(誤記)がない」という意味です。日本基督教団信仰告白が肯定しているのは前者(「聖書は堕落していない」)のほうであって、後者(「聖書は誤記がない」)のほうではありません。

聖書に「誤記」はあります。しかし、「堕落していない」とは「神のみこころにかなっている」ということです。その意味は、聖書に記された言葉を読んで、その教えを信じたとしても、その教えに基づいて生活したとしても、それによって罪を犯すことにはならないので大丈夫です、ということです。

だからこそ、聖書は「信仰と生活の誤りなき規準」なのです。

(2025年5月11日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年5月9日金曜日

信仰とは何か

日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会
(日本基督教団信濃町教会 東京都新宿区信濃町30番地)

教会堂外見
礼拝堂前方
礼拝堂後方
集会案内板

奨励「信仰とは何か」

マタイによる福音書8章5~13節

日本基督教団東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会

関口 康

「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)

この聖書箇所を選んだことに特別な意図はありません。日本基督教団聖書日課『日毎の糧』の今日の箇所を参考にしました。ただし、それはヨハネの並行記事で、話しにくさを感じましたので、マタイに変更しました。

「これは史実でない」と『NTD新約聖書註解』マタイの著者、エドゥアルト・シュヴァイツァー教授(Eduard Schweizer [1913-2006])が書いておられます。しかしそのシュヴァイツァー先生も、8節から10節までの主イエスと百人隊長の対話の部分は「Q資料」にあっただろうと認めておられますので、そこだけは歴史的な根拠があると堂々と言ってよさそうです。

イエス・キリストがガリラヤ湖畔の町カファルナウムにおられたとき、「百人隊長」が近づいてきました。「百人隊長」は古代ローマ軍の職名ですが、ローマ人だったとは限りません。ひとつの可能性として言われているのは、異邦人の傭兵だったのではないかということです。

マタイ福音書では、その人自身が主イエスのもとに行き、「僕」のために助けを求めています。マタイが「僕」という意味で用いているギリシア語「パイス」は、ルカの並行記事(7章1~10節)では「ドゥーロス」です。「ドゥーロス」はあからさまに「奴隷」です。しかし「パイス」は自分の子どものように愛する対象を意味します。その事実を活かし、聖書協会共同訳(以下「SKK訳」)は「子」と訳しています。

百人隊長のパイス(自分の子どものように愛していた僕)は、新共同訳では「中風」(SKK訳「麻痺」)を起こし、家で寝込んで(SKK訳「倒れて」)ひどく苦しんでいました。そのことを百人隊長自身が主イエスに伝え、助けを求めました。

その願いを受けて、主イエスは「わたしが行って、いやしてあげよう」と応じてくださる姿勢を表してくださいました。しかし、J. M. ロビンソンのQ資料研究書『イエスの福音』(加山久夫、中野実訳、新教出版社、2020年)によると、主イエスの「わたしが行って、いやしてあげよう」(7節)は、Q資料では「わたしが行って、彼をいやすのか?」という拒否反応でした。それを17世紀の英語聖書(1611年刊行のキング・ジェームズ・ヴァージョン)が肯定的な反応のように訳したことで、意味が逆転してしまいました(ロビンソン、141頁以下)。

しかし、新共同訳聖書どおりだと主イエスは好意的な反応を示されましたが、それを百人隊長が断ります(8節)。このときの百人隊長の返事の中に、彼の《信仰》が明確に表現されました。

百人隊長は言いました。

「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕(パイス。SKK訳「子」)はいやされます。わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下(ドゥーロス。SKK訳「僕」)に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします」(8~9節)。

百人隊長の言葉に主イエスは感心し(SKK訳「驚き」)、「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない」(10節)と評価されました。そして主イエスが百人隊長に「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように」とおっしゃったら、ちょうどそのとき、僕(パイス。SKK訳「子」)の病気がいやされました(13節)。

* * *

さて、問題です。主イエスは、百人隊長の返事のどの点を評価なさったのでしょうか。

この答えが分かれば、私たちも同じように言えば、イエスさまからほめていただけるでしょう。主イエスが称賛するほどの模範的な《信仰》があるならば、全キリスト教に影響するでしょう。

第一の可能性は、主イエスが軍隊調の命令と服従の関係で信仰をとらえ、百人隊長がそのような《信仰》を持っていることが分かったので高く評価された、というとらえ方です。

これは私が思いつくかぎりの最悪の可能性です。手と指を前にまっすぐ突き出すナチス式敬礼は、古代ローマ軍の敬礼から受け継いだとナチスが主張しました。そういうことをこの百人隊長もしていたと思います。あれでいいでしょうか。

第二の可能性は、ひとつの註解書に記されていたことです。Fernheilung(フェルンハイルンク)をどのように訳せばよいでしょうか。「遠隔治療」でしょうか。言葉を発するだけで、祈るだけで、遠くの人の病気が治る。そのような《信仰》を百人隊長が持っていることをイエスが高く評価なさった、という説明です。ユダヤ教のタルムードに「遠隔治療」の類似例があるそうです。

厚生労働省のホームページに「遠隔医療(リモート医療)」についての説明があることを知りました。医療の現場ではそういうのが日進月歩で進んでいるようです。しかし、インターネットは電気信号です。きわめて物理的な手段です。何の物理的な媒体もないわけではありません。

教会はどうでしょうか。「出会い」や「ふれあい」は教会に無くてはならないものでしょうか。「握手」や「ハグ」が必要でしょうか。体に触らないと「愛」が伝わらないでしょうか。

もし皆さんの中にそういうことをなさっている教会の方がおられるとしたら申し訳ありませんが、私はそういうのが苦手です。私はだれにも触りません。私は「非接触牧師」です。

しかし、そういう私も、教会員のお宅や病床には可能なかぎり訪問したいと考えています。対外的な働きが続いたりすると、訪問がおろそかになって心苦しいです。

ですから、今日の箇所を「リモートワーク」の話としてとらえてよければ、私は救われた気持ちになります。「うちに来ないでください。祈ってくださるだけで結構です」とか「すべてリモートで大丈夫です」と言ってもらえれば、気がラクになります。これでよろしいでしょうか。

第三の可能性は、私にとって最も納得できる説明です。それは最初にご紹介したエドゥアルト・シュヴァイツァー教授の説明です。次のように記されています。

「いずれにしてもここには(中略)神の行動をあてにしている信仰がはっきりと現れている」(281頁)。

シュヴァイツァー先生のおっしゃるとおりです。《信仰》とは「神を信じること」です。そして「神の行動をあてにすること」です。シンプルですが、ベストの答えです。

「ミッシオ・デイ」(神の宣教)も、「神の行動」を信じることにおいて、今申し上げていることと趣旨は同じです。そもそも「宣教」は神ご自身のみわざなのであって、人間の働きではありません。

「ミッシオ・デイ」(神の宣教)を悪く言う論調に接しました。なぜそういうことを言うのか、私は理解に苦しみます。

そもそも皆さんは「神」を信じていますか。このような失礼なことを、あえて問わなくてはなりません。

「神を信じる」と言いながら、いつのまにか「私」や「私たち」や「自分の教会」の努力をそのように呼んでいるだけになっていませんか。だからこそ、自分の働きを認めてもらえないという不満の理由になったりしていませんか。「神のみわざ」は人間の手柄ではありません。

シュヴァイツァー先生の説明には、続きがあります。

「この物語は(中略)決して自分の力で獲得したのではない、ないしは、それを自分の力で獲得することはできないと知っているものに対して救いを開く」(254頁)。

百人隊長は、自分の子どものように愛する僕(パイス)の病気を自分の力では治してあげることができないことを悟り、自分の無力さに打ちのめされ、人間になしえないことをなさる「神」を信じました。

これが《信仰》です。

(2025年5月9日 東京教区東支区・北支区合同連合祈祷会、於 日本基督教団信濃町教会)

2025年5月4日日曜日

聖書と教会

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「聖書と教会」

日本基督教団信仰告白に基づく教理説教①

テモテへの手紙二3章10~17節

関口 康

「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」(16節)

「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり」(日本基督教団信仰告白

今日から「日本基督教団信仰告白に基づく教理説教」を始めます。全10回の予定です。

私は昨年3月より足立梅田教会にいます。これまでは基本的に「教会暦説教」をしてきました。聖書箇所も日本基督教団聖書日課『日毎の糧』から選んできました。

「教会暦説教」には長所と短所があります。長所はクリスマス、イースター、ペンテコステなどの行事に合わせた説教ができることです。短所は毎年同じ話になりがちなことです。出口がない円をぐるぐる回っている感じです。

「教理説教」には出口があります。聖書の教えを歴史的な順序で説明しますので、「初め」も「終わり」もあるからです。ただし、それは現代的な意味の「歴史」とは異なります。私たちの場合は「天地創造」(創造論)から「神の国の完成」(終末論)までを描く「神のみわざの歴史」です。

「抽象論だ」「おとぎ話だ」と日本に限らず世界中で嘲笑を受けて来ました。このことについては実際の説教を聞いていただかないかぎり理解してもらえませんので、これ以上は言いません。

日本基督教団信仰告白が「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は」から始まり、「聖書とは何か」という問いに答えることから出発しているのは、わたしたちがかくかくしかじかのことを信じると言っているのは、そのように聖書に書かれているからであると述べようとしています。

「あなたたちは聖書に書かれていることを全部信じるというのか。たくさん間違いがあることは学問的に証明されている」と言われます。おっしゃるとおりと思いますが、問題は何をもって「間違い」と言うかです。現代の科学技術を駆使した歴史学や考古学の観点から矛盾や間違いを指摘されるのはありがたいことです。だからといって信じることをやめるかどうかはダイレクトに結びつきません。

日本基督教団信仰告白の「旧新約聖書は(中略)教会の拠るべき唯一の正典なり」の「正典」は、一般的に言えば「経典」ですが、わざわざ「正典」と呼ぶのはCanonという決まった用語の翻訳だからです。Canonは「はかり、物差し、規準」などの意味です。

したがって、この条文の意味は、日本基督教団は「聖書というはかり」に収まる範囲のキリスト教信仰を共有しているということです。この「はかり」を超えて主張されることになれば、異端または別の宗教であると判定せざるをえないということです。

20世紀オランダのプロテスタント神学者ファン・ルーラー(Arnold Albert van Ruler [1908-1970])が聖書について述べた複数の文章が『ファン・ルーラー著作集』第2巻(原著オランダ語版、2008年)に収録されていることが分かりました。「聖書の権威と信仰の確かさ」(1935年)、「信仰の土台としての聖書」(1941年頃)、「聖書の権威と教会」(1968年)、「聖書の扱い方」(1970年)など。

これらのファン・ルーラーの文章すべてに一貫していたのが「私たちは聖書に書かれていることだから信じている」という主張の線です。また「聖書の権威」と「信仰の確かさ」は両方あって初めて成り立つ、ということも繰り返し主張されていました。

たとえば、創世記3章にエバと蛇が会話する場面が出てきます。民数記22章にはバラムがロバと会話する場面が出てきます。こういう箇所を読んで「蛇やロバが人間と会話できるはずがない。聖書に書かれていることはウソばかりだ」と言い出すのは聖書の本質が分かっていないからだとファン・ルーラーは言います。「聖書」には、歴史、文学、書簡、詩歌など、さまざまな文学形式で記されている文書が収められています。

また、ファン・ルーラーが書いていることの中でこのたび私が最も感銘を受けたのは、〝聖書がユダヤ人によって書かれたものであることは、私たちゲルマン人にとって、自分たちの内側には真理が無かったことを意味する〟と彼が主張しているくだりです。

以下、ファン・ルーラーの説明を要約してご紹介いたします。

本など他にもたくさんあるのに、聖書を「本の中の本」と呼ぶのはなぜだろう。古い本を読んで我々ゲルマン人の魂の本質を知りたいだけなら、ヴァイキング時代を描いた北欧神話『エッダ』に手を伸ばすほうがよいのではないかと思うのに、そうしないで聖書を読もうとすることに、我々はもっと違和感を抱くべきであるとファン・ルーラーは言います。あまりに慣れすぎて我々はその違和感を認識できないのだ、と。

我々ゲルマン人が「外部からもたらされた救い」によって「改宗」したのは「クローヴィス」の頃だと書いています。それはフランク国王クローヴィス1世(西暦466~511年)が、妻のひとりがキリスト者だったことで自分自身も西暦496年にキリスト教に改宗したことを指しています。

その「クローヴィスの改宗」こそ、ゲルマン人にとっての「転換」であり、最も深い自己意識と決別したことを意味する。それは「いまだに完全には癒えていない我々の魂の傷」であり、だからこそ「国家社会主義〔ナチス〕はその転換を覆そうとしたし、現代の西洋社会はその転換を超克したいと望んでいる」とファン・ルーラーが書いています(「聖書の扱い方」1970年参照)。

ファン・ルーラーの文章を読んで私が考えさせられたのは、1549年フランシスコ・ザビエル来日から476年、ベッテルハイム宣教師の沖縄伝道開始1846年から179年、ヘボン、ブラウン両宣教師の横浜到着1859年から166年を経ても日本の大半の人々に「転換」が起こらないのは、「外部の真理」によって転換させられることを恐れているからだ、ということです。

今申し上げたことは、日本基督教団信仰告白に明記されていません。しかし「聖書」は「日本にとっての外部の真理」であるという点が勘案されるべきです。そのことが認識されないかぎり「改宗」が起こることはありません。私の父も母も戦後に洗礼を受けてキリスト者になりました。1945年の敗戦という事実を突きつけられて「我々の内側には真理は無かった」と思い知らされたからだと思います。

「外部から持ち込まれた真理」によって、まず自分自身が変えられ、それを広く宣べ伝えるのが「教会」ですから、「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」からは嫌われます。違和感を示されることが多いです。

だからこそ逆に、教会は「身内で固まりたい人たち」や「民族主義的な人たち」から排除された人たちにとっての「避けどころ」(シェルター)や「出口」になり、そこに新しい共同体が生まれます。「日本人」という概念の今日的な意味は、少なくとも私には明確には分かりません。

「キリスト教は敵国の宗教だ」と言われた時期が長かったと思います。しかし、キリスト教の起源は、アメリカでもヨーロッパでもなく、アジアです。

オランダ人のファン・ルーラーが1970年の時点で「聖書」は「外部の真理」だと言っているのですから、私が申していることも「今この瞬間に日本列島に在住している私たち」にとってだけ「外部」だという意味ではありません。実はユダヤ人にとっても「外部」でした。究極的には神ご自身が人間にとっての「外部」です。「改宗」のために「外部の真理」が必要なのです。

(2025年5月4日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

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2025年4月27日日曜日

復活と宣教

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「復活と宣教」

マタイによる福音書28章11~29節

関口 康

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」(19-20節)

復活したイエス・キリストを目撃した婦人たちは他の弟子たちに報告するため、また同じ光景を見たローマ兵たちは祭司長たちに報告するため、どちらもエルサレムに向かいました(11節)。

報告を聞いた祭司長たちは、長老たちと相談して兵士たちに多額の金を与えました(12節)。最高法院(サンヘドリン)の人々が賄賂を使い、「弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った」とローマ兵たちに言わせました。

祭司長たちが言った「もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう」(14節)の意味は次のとおりです。見張番の居眠りは重罪でした。通常なら処刑です。しかし、ユダヤ人からの委託任務に就いていただけの兵士を処刑するわけにいかないとピラトならきっと考えるだろうから、うまく交渉してあげるという理屈です。

兵士たちは金を受け取って「教えられたとおりにした」(15節)は「学ぶ」(ディダスケイン)を意味する動詞(エディダクセーサン)です。これは軽蔑の表現であるという解説を読みました。兵士たちは、自分たちより上位の人の命令を復唱し、「学習した」(ディダスケイン)のです。

「この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている」(15節)の「今日」はマタイ福音書が記された紀元1世紀後半を指します。

古代教父ユスティノス(紀元100年頃~164年頃)の著作『ユダヤ人トリュフォンとの対話』(全142章)(西暦155年頃)「序論」(1~10章)の一部(1~9章)の日本語版(三小田敏雄訳)があります(『キリスト教教父著作集Ⅰ ユスティノス』教文館、1992年、197~269頁)。

残念ながらまだ日本語版がない69章7節に、ユダヤ人はイエスを「魔術師」で「詐欺師」であると考えていたと記されています(訳者解説、同上書252頁参照)。

また「弟子たちはイエスが十字架から降ろされた後、夜中に墓に埋められていた彼を盗み出し、『イエスが死から蘇って、天に昇った』と言って人々を騙した」(同108章2節)と紀元2世紀のユダヤ人たちがイエスについて言い伝えていたことを、ユスティノスが証言しています(J. T. Nielsen, Mattheüs, deel 3, G. F. Callenbach, 1974, p. 186)。

2 世紀半ばの外典『ペトロによる福音書』(『聖書の世界 別巻3・新約Ⅰ 新約聖書外典』講談社(1974年)収録)にも興味深い記述があります。以下、引用します。

「夜中に、兵隊が二人ずつ当番で夜警をしていると、天で大きな声がした。そして天が開いて、二人の人がそこから降りて来るのが見えた。彼らは強く輝いていた。そして墓に近づいて来た。すると墓の入口においてあった石がおのずと転がりはじめて、何ほどか脇に退いた。こうして墓が開き、二人の若者は中にはいって行った。 

(見張番の)兵隊はこれを見て、百卒長と長老達を起こした。彼らもまた見張のためにそこに一緒にいたのである。兵隊達が見たことを彼らに話しているうちに、また墓から、今度は三人の人が出て来るのが見えた。そのうちの二人が一人を支え、そのあとから十字架がついて来た。二人の頭は天までとどき、二人が手を引いている三人目の人の頭は天をつきぬけていた。 

そして天から声が聞こえた、『あなたは(冥府で)眠っている人々にも宣教しましたか』。すると十字架が答えて、『はい』と言うのが聞こえた。彼らは互いに、ピラトのもとに行ってこれらのことを報告しよう、と相談しあった。そしてまだ相談しているうちに、再び天が開け、一人の人が降りて来て、墓の中にはいった。 

百卒長と共にいた者達はこれを見、夜ではあったが、見張っていた墓をあとにして、急いでピラトのもとに行き、見たことを一切報告した。そして大いにこわがって、『本当にあれは神の子だった』と言った。 

ピラトは答えて言った。『余は神の子の血には責任はない。それはお前達がよしとしていたことだ』。 

そこで彼ら(ユダヤ人の長老たち)は皆すすみ出て、ピラトに、見たことを一切人に話さないようにと百卒長と兵隊達に命じてくれ、と頼んで、言うには、『我々には神の前で最大の罪を負う方がまだよいので、(神の子の復活を認めたりして)ユダヤ国民の手に落ち、(彼らのうらみを買って)石で打ち殺されたりはしたくない』。それでピラトは百卒長と兵隊とに、何も言わないように命じた」(田川建三訳、同上書40~41頁)。

「どちらが正しいかは分かりません」と大学の聖書学者やキリスト教学者のような人は言うかもしれません。しかし、教会の私たちはそういう言い方はしません。イエスさまが「どのように」復活したかは聖書に記されていません。しかし、復活したことは明言されています。

イスカリオテのユダ以外の11人の弟子たちは、天使と主イエスご自身が促した通り「ガリラヤ」に行き、「山」に登りました(16節)。

この山を地理的に特定するのは、観光目的以外は無意味です。「山上の説教」(マタイ5~7章)に見られるように、イエス・キリストが登る「山」には特別な意味があります。「ガリラヤの山」は、これから宣教へと遣わされる世界を見渡せるどこかです。「世界宣教の原点」です。

「そしてイエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた」(17節)と記されています。この「疑う者」は誰でしょうか。これは弟子たちの中の「だれか」というより「弟子たち全員」です。信仰と疑いはコインの両面です。どの弟子も、わたしたちも、疑いと迷いの中で主イエスの存在と教えに従って生きていきます。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている」(18節)。これは荒れ野の誘惑のときサタンが、もし私にひれ伏すならお前に与えようと言ったものです(4章8節)。イエスさまは悪と手を結ぶことなく、父なる神から一切の権能を授かりました。

イエスさまは「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」と彼らにお命じになりました(13節)。

「すべての民」とは「ユダヤ人」+「異邦人(=ユダヤ人ではない人)」を合わせた「すべて」のことであって、全人口を指していません。

そして「弟子にしなさい」の中身が「洗礼を授けなさい」(バプティゾンテス)と「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい(ディダスコンテス)」の2つです。

この「教えなさい」は、番兵たちが賄賂をもらって「学習した(ディダスケイン)」と同じ言葉ですが、中身は大違いです。

「洗礼」は教会の仲間に加わることの約束です。「約束にすぎない」と言えなくはありません。洗礼はいわば瞬間的なことです。洗礼の後に続く「学ぶこと、教えること」は一生がかりです。

「学ぶこと」は「守ること」を求めます。「知識はありますが、守ったことがありません」というわけに行きません。「教えを守る」とはイエスさまの教えを実践し、生活することです。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(30節)という言葉で、本書は締めくくられています。

マタイによる福音書には最初(1章23節)と最後(28章30節)に「インマヌエル」が語られています。「神がわたしたちと共にいる」という意味です。

それが「世の終わりまで」続きます。終わりがいつかは分かりません。しかし、私たちの救い主は、世界が終わるまで、いつも近くにいて、慰めと力を与えてくださいます。

(2025年4月27日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月20日日曜日

キリストの復活

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにフェルメール風に描いてもらいました!

説教「キリストの復活」

マタイによる福音書28章1~10節

関口 康

「イエスは言われた。『恐れることはない。行って、わたしの兄弟たちにガリラヤへ行くように言いなさい。そこでわたしに会うことになる』」(10節)

イースターおめでとうございます。今日は世界中の教会で、イースター礼拝が行われています。イースターは、イエス・キリストがよみがえられたことをお祝いする日です。

こういうことを言うと「あなたはおめでたい人だ」と言われかねません。「死んだ人がお墓の中から出てきたことの何がめでたいのか。恐怖しか感じない」と顔をこわばらせて言う人がいても、おかしくありません。

教会の看板に今日の説教題として「キリストの復活」と書いていただきました。「復活」などと言わないで、少しぐらいは遠慮して、もっと多くの人に受け入れてもらえそうなことを貼り出すほうがよいかもしれないと、私も考えないわけではないということを打ち明けておきます。

イエス・キリストの復活が「どのように」起こったのかは聖書には記されていません。しかし、4つの福音書に、イエス・キリストの復活は起こったと明言されています。聖書に基づいて説教することになっている教会は、イエス・キリストの復活を宣べ伝えることから逃げることはできません。

教会が「復活」を宣べ伝えるのは、聖書に書かれているからです。聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

クリスマスの聖書箇所も同じです。結婚する前のマリアに赤ちゃんが、というあの話です。もし聖書に書かれていなければ、必然性はありません。

奇跡についても同様です。まるで聖書は、ハードルをどんどん高くしてなるべく信じにくくしているかのようです。

信じにくい要素はまだあります。クリスマス礼拝のときも言いましたが、私は天使が苦手です。天使が嫌いだと言っているのではありません。会ったことがないので、どのように説明してよいかが分からないのです。人間でもなく神でもなく、両者の中間に位置するように聖書に描かれている謎の存在。その苦手な天使が、クリスマスの聖書箇所にも、イースターの聖書箇所にも登場するので、困ってしまいます。

そのことは特にマタイ福音書とルカ福音書ではっきりしています。各書の最初と最後に、天使が登場します。イエスさまがお生まれになったときと、復活なさったときに現れます。天使はまるで「狂言回し」です(「歌舞伎・狂言などで、主人公ではないがその狂言の進行に重要な役割をつとめる者」広辞苑第4版)。

しかし、私はいまネガティブな話をしているつもりはありません。クリスマスとイースターの聖書箇所に共通点があると説明している註解書を読みました。どこに共通点があるかというと、「ガリラヤに行くこと」を天使が人間にすすめる言葉です。

今日の箇所では、そのことが7節に記されています。5節から7節までお読みします。

「天使は婦人たちに言った。『恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。「あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる」』」。

ここで言われているのは、ガリラヤに行けばイエス・キリストに会える。だからガリラヤに行きなさい、という意味です。

他方、クリスマスの聖書箇所で「ガリラヤ」の名前が出てくるのがマタイ福音書2章22節です。ヘロデ大王による幼児虐殺から逃れるために家族揃ってエジプトに避難した主イエスの父ヨセフの夢に天使が現れ、お告げがあったので、「ガリラヤ地方に引きこもった」(マタイ2章22節)と記されています。ガリラヤに行きなさいと神が天使を通してヨセフに伝えたということです。

このように、クリスマスの天使もイースターの天使も、イエス・キリストの存在と「ガリラヤ」を結びつける役割を果たしている点で共通しています。

この場合の「ガリラヤ」は、広い意味です。「周辺」という意味のヘブライ語「ガーリール」に由来します。主イエスの生誕地ベツレヘムは、首都エルサレムに近いので「ガリラヤ」ではありません。しかし、その後の成長期に過ごしたナザレも、宣教活動を開始したカファルナウムも、「ガリラヤ」です。

「ガリラヤ」は田舎であり、地方であり、分裂王国時代には北王国であり、他国からの流入者の割合が多い「多様な」地です。辺境ゆえに政治と宗教の権力者から見下げられてきた「より多くの慰めが必要な」地です。その「ガリラヤ」でイエスさまは宣教されました。

これらのことで分かるのは、今日の箇所で、天使と復活されたイエスさまご自身が弟子たちに「ガリラヤに行きなさい」と促しておられるのは、「あなたの原点に立ち返りなさい」と言われているのとほとんど同じ意味であるということです。

昨年9月8日の「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」で説教してくださった北村慈郎牧師と、先々週4月12日に「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、ひらかれた合同教会をつくる会」の総会で私が講演させていただいた日本基督教団紅葉坂教会(横浜市)でお会いしました。

北村先生は、わたしたちの70周年記念礼拝のときも、先々週の会で私を紹介してくださるときも、「私の原点は足立梅田教会です」と多くの人の前でおっしゃいました。「私のガリラヤ」とはおっしゃいませんでしたが、きっとそのお気持ちを持っておられます。「ガリラヤに行きなさい」というすすめには「あなたの原点に立ち返りなさい」という意味があるからです。

イエス・キリストが「どのように」復活されたのかは聖書に記されていないと申しました。墓の中で目を開き、体を起こし、立ち上がり、歩いて墓穴から出てくるイエス・キリストを描写するスペクタクル(視覚的)な記述は、どこにもありません。とはいえ、「どのように」についても触れられている箇所がある、ということをご紹介しておきます。

天使が婦人たちに伝えた言葉は「あの方はここにはおられない。かねて言われていたとおり復活なさったのだ」(6節)です。秋川雅史(あきかわまさふみ)さんの「千の風になって」という歌を思い出します。「私のお墓の前で泣かないでください。ここに私はいません。眠ってなんかいません」。イエスさまは「千の風」にはなりませんが、「お墓の中にはいない、眠ってもいない」という点は、あの歌のとおりです。

しかし、この天使の言葉の中に、イエス・キリストの復活が「どのようにして」起こったのかという問いと結び付けることができる点があります。それは「かねて言われていたとおり」という言葉です。見過ごされやすい言葉ですが、重要な意味があります。

イエス・キリストは「わたしは復活する」と弟子たちの前で何度もおっしゃいました。イエス・キリストの復活は「ご自身の言葉通りになった」事実です。これが「どのように」の答えです。弟子たちにとっては、イエスさまがおっしゃったとおりのことが実現したのだから、それで十分なのです。

足立梅田教会は健在です。日本基督教団もまだ死んでいません。ですから「復活」という言葉は当てはまりません。しかし、生命の危機を感じるときは「ガリラヤに行くこと」が大切です。「原点に立ち返ること」です。「あなたのガリラヤ」にイエス・キリストがおられます。

(2025年4月20日 日本基督教団足立梅田教会 イースター礼拝)

2025年4月13日日曜日

十字架への道

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)
*生成AIのChatGPTにゴッホ風に描いてもらいました!

説教「十字架への道」

マタイによる福音書27章32~56節

関口 康

「同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、イエスを侮辱して言った。『他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう』」(41-42節)

今日の朗読箇所はローマ軍の兵士たちがキレネ人シモンにイエスの十字架を無理に担がせた場面から始まります(32節)。一説によれば、死刑囚が運ぶのは十字架の横木だけで、縦の木は死刑場にあらかじめ立っていました。しかし、横木だけでもひとりで運ぶには重すぎたので、手伝う人が必要でした。

ゴルゴタとは「頭蓋骨」(新共同訳「されこうべ」)を意味するアラム語に由来します(33節)。過去の死刑囚の頭蓋骨が常に散乱していた、という意味ではありません。頭蓋骨の形をした岩があったと言われています。ゴルゴタの正確な位置についても諸説あります。

主イエスがゴルゴタに着くと、ローマ兵たちがイエスに「苦いものを入れたぶどう酒」をこれも無理に飲ませようとしました(34節)。マルコ福音書(15章23節)は「没薬を混ぜたぶどう酒」としています。「没薬」は鎮痛剤です。死刑の苦しみを緩和するためです。

しかし、イエスさまはその液体を舌で確認したうえで拒否されました。考えられる理由は、完全に意識を保ったまま最期を迎えることを望まれたということです。ゴルゴタまで木材を運ぶのに必要な力とは異なる力です。イエスさまは酩酊や麻酔なしの、その意味で〝完全な〟死の苦しみをお引き受けになりました。

イエスが十字架につけられる場面の描写は、「彼らはイエスを十字架につけると」(35節)だけで終わりです。克明な状況描写や心理描写は記されていません。ローマ兵たちが「くじを引いてその服を分け合った」(35節)のは、イエスが衣服なしに、つまり「裸」で十字架につけられたことを意味します。3月30日の特別礼拝で荻窪教会の小海基牧師がイザヤ書20章1~6節に基づいて「裸の預言者」についてお話しくださったことを思い出します。

マタイが十字架刑そのものについては何も描いていないのは、描くのを躊躇(ためら)っているように見えるほどです。その一方で、マタイが克明に描いているのは、イエスの十字架の周りにいた人々の〝嘲笑〟です。

明らかにマタイは読者に対し、そのことに強い関心を持たせようとしています。苦しむイエスを見ながら笑う人々の顔をよく見てほしいと願っています。「その一人一人の顔は、鏡にうつったあなた自身の顔かもしれません」ということに気づいてもらいたいのです。

十字架刑の開始時刻は「午前九時」とマルコ福音書(15章25節)だけが記しています。イエスの頭の上の罪状書きに「これはユダヤ人の王イエスである」と書かれていました(37節)。これはイエスが木材を運んでいるときは首にかけられていた札でした。

この罪状書き自体が嘲笑であり、軽蔑でした。衣服をはいで裸にして、木材に釘ではりつけて、罪状書きの札に上から指差させて「これが(フートス・エスティン)、こんなやつが、ユダヤ人の王、だってさ」と笑っています。これはピラトがイエスの尋問を始めたときに最初に言った「お前がユダヤ人の王なのか」(27章11節)と同じ言葉です。からかっているだけです。

2人の「強盗」も十字架につけられます(38節)。「強盗」(レスタイ)と呼ばれていますが、政治犯の可能性があります。「強盗」の一人はイエスさまの右に、もう一人は左に。

先週の説教箇所(マタイによる福音書20章20~28節)で、ゼベダイの子ヤコブとヨハネの母親がイエスさまに、2人の息子の「一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(20章21節)とお願いしました。右と左は部下です。真ん中がかしらです。「ユダヤ人の王」が真ん中の「強盗の頭」として十字架につけられました。これもひどい嘲笑なのです。

「そこを通りかかった人々」が、頭を(おそらく横に)振りながらイエスさまを罵りました。「神殿を打ち倒し、三日で建てる者、神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(40節)。

これは3月9日の礼拝で取り上げた「悪魔の誘惑」が関係します。「神の子ならやってみろ」は、主イエスが荒れ野で誘惑をお受けになったときの悪魔の言葉です(マタイ4章3節、6節)。荒野の誘惑の物語では、「神の子なら」神殿の屋根から「飛び降りたらどうだ」(4章6節)と続きます。今日の箇所では「十字架から降りて来い」と続きます。やれるものならやってみろ、できるわけがないだろう、と嘲笑しているのです。

通行人に続いて、「祭司長、律法学者、長老」がイエスさまを侮辱します。この 3 つの立場の人々がユダヤの最高法院(サンヘドリン)を構成していましたので、「サンヘドリンが侮辱した」と言っても過言ではありません。

この人々が「他人は救ったのに、自分は救えない」(42節)と言いました。興味深いのは、ここに来てサンヘドリンが「イエスは他人を救った」と認めている点です。

彼らにとってはイエスのいやしも奇跡もすべてインチキでなければなりませんでした。しかし、今日の箇所では「他人は救った」と認めています。大きな前進です。そのうえで彼らは、「他人は救えるのに、自分は救えない」という言葉でイエスさまを侮辱しました。

彼らも宗教者です。「宗教者だって人間なのだから、他人に尽くすことばかり考えず、自分のことを優先してもよいのでは」と言いたかったのかもしれません。イエスさまにはその選択肢だけはありませんでした。

イエスさまは、右と左にはりつけにされた「強盗たち」からも罵(ののし)られました。十字架の上でイエスさまは3度嘲笑されました。第1に通行人(39節)、第2にサンヘドリンの議員(41節)、第3に強盗(44節)。どれも「嘲笑」を意味しつつ微妙にニュアンスが違うギリシア語の動詞が3つ使い分けられています。

強盗のひとりがもうひとりの強盗をたしなめたという話は、ルカ福音書(23章39~43節)に描かれていますが、マタイ福音書には描かれていません。

イエスさまが息を引き取られたのは「三時ごろ」(46節)でした。9時から始まったので6時間後です。そのとき「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれました(46節)。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味のアラム語です。居合わせた人々の耳に「エリ」が「エリヤ」に聞こえ、預言者エリヤを呼んでいると言い出す人がいました(47節)。

イエスさまは十字架上で絶望されました。しかし、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」は、明らかに旧約聖書の詩編22編の引用です。詩編は歌なので、イエスさまは十字架の上で歌われたと言えなくありません。

詩編22編の最後の言葉は希望のメッセージです。「わたしの魂は必ず命を得、子孫は神に仕え、主のことを来たるべき世に語り伝え、成し遂げてくださった恵みの御業を民の末に告げ知らせるでしょう」(詩編22編30~32節)。

イエスさまが辞世の句として引用した詩編22編は、漠然としたあきらめ(諦念)や避けられないさだめ(運命)の絶望的な受け入れではなく、神との積極的なつながりを語るものでした。

イエスさまはアルコールも鎮痛剤も拒否なさり、完全な意識と痛覚をお持ちになったままで死の瞬間を迎えました。冷たくなったイエスさまの口から「恐れるな」「勇気を出せ」という言葉が語られることはもはやありません。

しかし、百人隊長たちが「本当に、この人は神の子だった」と言いました(54節)。彼らは軍人です。人間の強さに関心があります。その彼らにとってイエスさまの強さは異次元でした。彼らはフィジカル(肉体的・物理的)な強さとは全く異なる「本当の強さ」を、イエス・キリストに見出したのです。

(2025年4月13日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年4月6日日曜日

十字架の意味

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「十字架の意味」

マタイによる福音書20章20~28節

関口 康

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい」(26-27節)

ユダヤ人は「十字架刑」を執行しませんでした。ユダヤの極刑は石打ち刑でした。十字架刑を最初に発案した、または少なくとも最初に使用したのはペルシア人でした。ゾロアスター教の神に聖なるものとして献げた大地が被処刑人の体で汚されてはならない、という理由でした。

ギリシアで十字架刑は、国内では行われませんでしたが、アレクサンドロス大王と彼の後継者がカルタゴ人の処刑に使いました。カルタゴからローマ人に伝わり、重犯罪者の処刑方法になりました。ローマの属州では、秩序と安全の維持のため最も強力で最も残酷な手段とされました。

ローマにとっての「不穏な」属国ユダヤでは、十字架刑の例が無数にあります。一度に二千人のユダヤ人を十字架に引き渡した例もあります。西暦70年の「エルサレム攻囲戦」のときには、毎日あらゆる身分のユダヤ人が500人またはそれ以上捕らえられて町の中で十字架につけられたため、最後は十字架に使う木材もそれを立てる場所も足りないほどでした(以上、ヨーゼフ・ブリンツラー著『イエスの裁判』大貫隆、善野碩之助訳、新教出版社、1988年、356~357頁参照)。

十字架刑の主たる目的は「さらす」ことです。日本でも「さらし首」は明治初期まで行われていました。まだ150年前ぐらいですので、決して他人ごとではありません。『写真集「甦る幕末」オランダに保存されていた800枚の写真から』(朝日新聞社、1986年)に当時の写真があります。

十字架の高さは遠くから見えるように人間の身長よりも少し高いか、それ以上でした。死刑囚の首に死刑の理由(causa poenae)を記した看板がかけられました。体を支えるために、途中に取り付けられた木片を足置きか腰掛けにすることもあったようですが、古い報告書にそのような木片についての言及はありません。

十字架刑がローマで初めて廃止されたのは、西暦313年の「ミラノ勅令」によってローマ帝国でキリスト教を公認したコンスタンティヌス大帝(西暦270~337年)の治世になってからでした。

今日の箇所で「ゼベダイの息子たちの母」が2人の息子と一緒に、イエスさまのもとに来て、ひれ伏して、あることをお願いしました。「ゼベダイの息子たち」とは、主イエスの最初の弟子になった4人のうちの「ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ」(マタイ4章21節)の2人です。

彼らの母が言いました。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」(21節)。これは神の国、つまり天国の話です。要するに、「天国でイエスさまがナンバーワンになられたときは、うちの子たちをナンバーツーとナンバースリーにしてください」というお願いです。

イエスさまが「あなたがたは自分が何を願っているか分かっていない」(22節a)と言われていますが、これは決して怒りや非難の言葉ではありません。この後すぐに「このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか」(22節b)と続きます。イエスさまとしては「わたしが飲もうとしている杯は十字架刑なのですよ?本当に大丈夫ですか?」と心配してくださっているのです。そのイエスさまの質問への答えは、2人とも「できます」。ますます心配になるパターンです。

ゼベダイの子たちはその杯を実際に飲みました。ヤコブは西暦44年ごろ殉教しました。ヨハネについては、殉教したという記録もあれば、エフェソで46歳で自然死したという記録もあります。いずれにしても、イエスさまの質問に対する彼らの答えは決して軽いものでも簡単に言えるものでもありませんでした。彼らは主イエスと共に、苦しみの道を歩む意志を持っていました。

イエスさまはそのことも分かっておられます。「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになる」(23節a)と認めてくださいました。しかし「わたしの右と左にだれが座るかは、わたしの決めることではない」(23節b)ともおっしゃいます。それは神さまが決めてくださることですと、主イエスは最高の権威を天の父である神にお委ねになりました。

すると、他の10人の弟子が腹を立てました。ヤコブとヨハネに嫉妬したのではなく、彼らがイエスさまの弟子の中でナンバーワンとナンバーツーを狙っているということは、つまり我々10人のことを下に見ているからだろうと感じたのだと思います。だから彼らは腹を立てました。狭い仲間内の順位争いです。

そこでイエスさまは、彼らみんなを呼び寄せて説教されました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」(25~26節)。

世界の支配者がいばりちらし、権力を行使する。そういうことをする人がいることを、あなたがたは知っています。あなたがた自身はそうであってはなりません。これは、相手と同じになってはいけないという意味です。

イエスの弟子になりたい人に対しては、世の中の価値観とは正反対の基準が適用されることになります。その基準が「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になりなさい」(27節)です。いちばん上になりたければいちばん下になりなさい、ということです。

イエスさまのこの教えの中で「偉くなりたい」「一番になりたい」という人の思いは、少しも否定されていません。むしろ肯定されています。「仕える者」の意味は「奴隷」です。つまりイエスさまは「いちばんになって偉くなりたい人は、すべての人に奉仕する者になりなさい」と言われています。

「奉仕すること」はギリシア人にとって価値が低いことと考えられていました。ギリシア人の「男らしさ」の基準は「支配すること」と「奉仕しないこと」でした。イエスさまの弟子になれるかどうかの条件は、その正反対です。「奉仕」の心があるかどうかです。

イエスさまご自身も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための、贖いの代価として自分の命を与えるために来てくださいました。イエスさまは、十字架の上でご自身の命を献げることは「奉仕」であると理解しておられ、「人の子」すなわちイエスさまは「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(28節)と明言されました。

この「身代金」が誰に支払われるかは分からないように記されています。テロリストに屈するようなことをしてはならないのはごもっともです。しかし、「身代金」の本来の意味は、捕らえられているだれかを解放するために支払われるお金のことです。身代金を支払う者は、その身代金を支払われた人を解放し、新しい人生を始められるようにします。

つまり、主イエスがご自身のことを指して言われた「多くの人の身代金」という表現は、ご自身が意識的に人間を罪と罪悪感から解放するために命をささげようとしたことを示しています。

このように、イエスさまの弟子になることは、世間では当たり前とされていることの逆です。「自動的に」または「生まれつき」または「努力によって」または「反省によって」得られるものではありません。神の恵みによって起こる「回心」を経ることが必要です。

わたしたちに求められているのは「奉仕」の心です。イエスさまと同じように、十字架の上で命を献げることまでは求められていません。神を愛し、隣人を愛し、共に生きるすべての人々に「仕える」心をもって生きるとき、主イエス・キリストはわたしたちと共におられます。

(2025年4月6日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年3月23日日曜日

受難の予告

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「受難の予告」

マタイによる福音書16章13~28節

関口 康

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(24節)

今日の箇所で、イエスさまが弟子たちに「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」とお尋ねになっています(13節)。

この内容の質問はこのときが初めてです。「人の子」は主イエスご自身です。この質問の意図は、ご自身についての評価を問うておられるということです。私は人々にどう見られているのか、どんなうわさがあるかを教えてほしいということです。

しかしそれは、たとえばイエスさまが疑心暗鬼になって自分の評判を調査させたというようなこととは違います。そうではなくて、伝道活動の「効果測定」です。種を蒔いたら蒔きっぱなしで、「あとは野となれ山となれ」と放置するのではなく、伝道の結果責任を負おうとしておられるのです。

「フィリポ・カイサリア地方に行ったとき」(13節)と場所が特定されているのは、イエスさまの質問内容と関係あるからです。フィリポ・カイサリアの位置は巻末付録の聖書地図「6」で確認できます。ガリラヤ湖よりもさらに北です。

「カイサリア」は「カイザルの」、すなわち「ローマ皇帝のもの」という意味です。イエスさまがお生まれになったときのローマ皇帝アウグストゥス(本名オクタヴィアヌス)がヘロデ大王に与えた町です。そして「フィリポ」はヘロデ大王の息子の名前です。アウグストゥスがヘロデにこの町を与えたのが紀元前20年ごろ。イエスさまが公の宣教活動をお始めになった西暦30年前後までに50年ほど経過しています。その町の住民の多くは異邦人でした。

これらの情報に基づいてイメージできるのは、新興住宅地として作られ、半世紀ほど経過した町です。首都エルサレムから遠いという意味で田舎。ヨルダン川の源流、ヘルモン山に近い高台。良く言えば、新しいものを受け入れ、変わって行く可能性を秘めている町。悪く言えば、歴史も伝統もない。落ち着かない。

弟子たちの答えは「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人もいます。ほかに、『エレミヤだ』とか、『預言者の一人だ』と言う人もいます」(14節)というものでした。この反応の意味を少し細かく見ていきます。

ヨハネは、主イエスの公生涯開始の直前まで活躍した預言者です。「最近の人」です。

エリヤは、紀元前9世紀の預言者。列王記上17~19章に登場します。分裂王国時代の北イスラエル王国のアハブ王(在位前869~850年)の時代に、バアルという偶像を拝む人々と戦ったことで知られます。「戦いの人」です。

エレミヤは、紀元前6世紀の預言者。エレミヤ書と哀歌の著者。南ユダ王国末期に国家滅亡を預言して迫害を受け、苦難の生涯を送りました。エレミヤも「戦いの人」です。負けるのですが。最期は殺害されました。

ヨハネ、エリヤ、エレミヤに共通するイメージは「戦いの預言者」です。そのようにフィリポ・カイサリアの人々がイエスさまのことを評価していたのであれば、ピントが合っているのではないでしょうか。洗礼者ヨハネの動きなど最新情報も得ているし、聖書の内容も正しく理解できている、知的水準が高い人々の町だったと言えるのではないでしょうか。

しかし、弟子たちが集めてきた情報に対して、イエスさまはノーコメントです。ひとこと欲しいところですが。その代わりに「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」とお尋ねになりました(15節)。

ペトロは「あなたはメシア、生ける神の子です」と答えました。この答えをイエスさまがお喜びになりました。そして「あなたはペトロ」と命名なさいました。「ペトロ」は「岩」という意味です。そして「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる」と主イエスがおっしゃいました。

イエスさまこそ「メシア」、そのギリシア語訳である「キリスト」と信じる信仰をペトロが告白しました。その「ペトロの信仰告白」こそが「教会の土台である」ということです。

この箇所については、長年続く議論があります。それは、イエスさまが「この上にわたしの教会を建てる」とおっしゃっているときの「岩」は、ペトロの人間性や人格を指しているのか、それとも、「あなたはメシア、生ける神の子です」という信仰告白だけを指しているのかという議論です。

問題を難しくしているのは、ローマ教皇が「使徒ペトロの後継者」であることになっていることです。プロテスタント教会は、この「岩」は「信仰告白」だけを指しているのであって、ペトロの人格ではないと教えて来ました。

もう一つ、カトリック教会にとって重要な議論は、ペトロとパウロのどちらが優位かという問題です。16世紀生まれで17世紀にローマ教皇になったインノケンティウス10世(Innocentius X [1574-1655])(在位1644~1655年)が、パウロをペトロと同等や優位とみなすことを異端としました。しかし、使徒言行録はじめ西暦1世紀から3世紀までのキリスト教文書にペトロとパウロが同等の存在として登場することは、文献的に立証できます。

このことを申し上げるのは、カトリック教会の立場を批判したり揶揄したりするためではありません。この議論には長い歴史がありますので、ぞんざいに扱われてはなりません。

また「信仰告白と人格は切り離すことができるか」という問題はきわめて重要です。私は切り離せないと考えます。「信仰告白」の意義は百も承知です。しかし、「ペトロの信仰告白」がペトロの人格と無関係にあるわけがありません。人間の存在と働きから切り離された「信仰告白」など存在しませんし、そんなものの上に「生きた教会」が立つはずがありません。

今日は、この問題に深入りできません。今日の説教題の「受難の予告」の箇所まで話を進めなくてはなりません。しかし、私が申し上げるべきことは、ほぼ尽きています。

それは、主イエスが弟子たちにご自身のこれから進む道の先に十字架の死の苦しみが待ち受けていることを伝えたのは、このときだった、ということです。

イエス・キリストの苦しみは、「真の教会を建てるための戦いの苦しみ」でした。そうだとしたら、私たちもイエスさまの苦しみに与(あずか)ることができます。

「与(あずか)る」とは参加することです。英語でparticipate(パーティシペイト)が「参加する」という意味です。この英語は「パート、すなわち部分(part)になること」を意味します。

イエスさまの苦しみにあずかることは、真の教会を建てることの苦しみを部分的に背負うこと、つまり、教会活動に参加することをそのまま意味します。

イエスさまは「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分のいのちを救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」(24~25節)とおっしゃいました。

ペトロもパウロも、その他の使徒たちも、最期は殉教しました。しかし、「主イエスの苦しみにあずかることのすすめ」は「殉教のすすめ」ではありません。健康であることは重要です。私も気を付けます。しかし、真の教会を建て上げるためにささげる命は惜しいものではありません。そうするだけの価値があります。そのことを主イエスご自身が教えておられます。

(2025年3月23日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)